第百二話 王女様との模擬戦
王女様と顔合わせをしたその翌日。
朝の早い時間から僕は領主館に向かっていた。
昨日、お茶をした結果随分とアイリーン殿下と打ち解け、『明日の朝食、ご一緒しないかしら!』と誘われたためである。なんでも、王都の有名なお店のハムをお土産に持ってきたらしく、是非味わって欲しいらしい。
毎日さぞいいものを食べているであろう王族の推薦だ。きっと美味いに違いない。
「よっ、ジェンド」
「おう、ヘンリー。おはよう」
「おはようさん」
道すがら、ジェンドとばったり出くわす。
適当に世間話をしていると、当然のように王女殿下の話題になる。
「しかし、あの王女様、随分とフランクっつーか……フェリスに聞いたけど、昔っからああだそうだぞ」
「冒険者やってるくらいだしなあ。まあ、最前線にもたまにいたよ。上級貴族の次男、三男辺りの冒険者は」
貴族で、大きな魔力を生まれついて持った人物は、騎士なり冒険者なり戦いを生業にすることが多い。エッゼさんも子爵家当主だし、ベアトリスさんは確か伯爵家の長女だったかな? こんな感じで、絶対にありえないと言う程ではない。
……王族で、女で、しかも騎士でなく冒険者専業っつーのは極めて珍しい部類だが。
「へえ、俺の知ってる貴族って大体サバサバした人が多いけど、やっぱ横柄な奴もいたんじゃないか?」
「そこら辺は国次第だな。アルヴィニアの貴族はあんまそういう傾向ないけど、ヴァルサルディ帝国の貴族とかは割とそんな感じ。サレス法国の上級神官系は中間、かな?」
まあ、僕の体感でしかないので実際とは違っているかもしれないが。
「そうなのか」
「そう。……まあ、冒険者になった直後の話であって、普通に一、二ヶ月も冒険者やってりゃ矯正されるけど」
命の危険があるのだ。自分だけ仕事せずに周りにやらせたり、実力を弁えずに突撃したりするようでは、長続きするはずがない。必然、変わらざるを得ないのだ。
変わらなかったやつは大怪我を負って引退するか、死ぬか……運が良ければ周りの誰かがボコにして後方へ叩き出したりしていた。
そうして話していると、領主館の門が見えてきた。
何度か顔を合わせたことのある門番さん二人が門の脇を固めている。
「おはようございます」
「おはようございます、ヘンリーさん。……裏の庭、回ってみてください」
「?」
門番さんに挨拶をすると、妙なことを言われた。なんで庭?
「……アイリーン様からのご指示です」
「ああ……」
それでなんとなく察しはついた。
ジェンドも同じらしく、僕達は一つ肩をすくめて言われたとおりに裏庭に回る。
領主館の庭は、ご多分に漏れず広い。花壇なども勿論あるが、館で働く人の朝礼や領主一家の男児の武芸の稽古のため、それなりの広場も設けられている。
その裏に回ってみると……案の定、武器を構えてアイリーン様とベアトリスさんが対峙していた。アイリーン様は昨日のドレス姿ではなく、やや装飾過剰なものの実用性に溢れた鎧姿だ。
「ご丁寧に、陣まで敷いてら」
裏庭の広場を囲むように、十箇所程に術式が刻まれた小さな金属板が置かれていた。
こういう『場』を設える魔導流派はいくつかあるが、一番有名どころのマリナン流魔導陣式だ。その中でも、遮音の結界を張るための術式陣である。
その板で仕切られていた内側に足を踏み入れると、今まで外に出ていなかった音が耳に届く。
「はぁっ、はぁっ」
「アイリーン。もう降参か?」
「まだ、まだぁ!」
アイリーン様の構えるハルバードが山吹色の魔力を噴き上げ、その光を携えてアイリーン様は一気呵成に突貫する。
ふむ、と一つ鼻を鳴らしたベアトリスさんの方の構える盾に、こちらは流麗な蒼の光が灯った。
虚実もなにもない、アイリーン様の全力の薙払い。長柄の重量武器、それもあれだけの魔力が込められた一撃がまともに当たれば、細かい術理など関係がない――筈、なのだが、
「軽い!」
あっさりと片手の盾で受け止めて、ベアトリスさんは剣で反撃を見舞う。
全身全霊の一撃を放ったアイリーン様の方は躱しきれず……剣は、アイリーン様の肩に当たる寸前で止まった。
……ベアトリスさんの方はともかく、アイリーン様のあれ、完全に全力だった。朝の訓練でここまでやるか。
「……最後の一撃は中々だった。魔力の練り上げをもっと鍛えるように」
「ありがとうございました!」
アイリーン様はそのまま頭を下げる。いくら王族と騎士とはいえ、こういう訓練の時間はケジメを付けているらしい。
「お疲れ様です。最後しか見ていませんでしたけど、すごい試合でしたね、アイリーン様」
「ああ、おはようヘンリー! そう言ってもらえて嬉しいけれど、私ではまだベアトリスの本気は引き出せません。まだまだですわ」
爽やかな笑顔で言うその姿は、立派な冒険者である。なんでこんなにサマになってんだろう。
「ヘンリーさん、ジェンド、おはようございまーす」
「おう、シリルもおはよう」
訓練風景を見物していたシリルが手を振り、僕もそれに応えてやる。
「さて……それでは、体も温まっていることですし、ヘンリーとジェンドもいかが?」
言うと思った。絶対言うと思った。
普段であれば別に受けてもいいのだが、今日はこのアイリーン王女殿下は観光で、僕達はその護衛だ。変に体力を使うことはしたくない。
「生憎、今日は仕事で来ていますので……」
「うーん……あ、そうそう」
アイリーン様は少し渋い顔になったあと、ぽん、と手を叩いた。
「コホン。私としても、護衛の方々の実力を知らないことには、安心して身の守りを任せられませんわ? ということでいかがでしょう」
ということでいかがでしょう……って。
建前だけはもっともらしく繕っているが、バトりたいって気持ちが十割なのは一目瞭然であった。
「……ベアトリスさん」
「たまには毛色の違った相手との戦いも身になるでしょう」
アカン、この人止める気ねえ。
「はあ、わかりましたよ。一戦だけですからね」
「ええ、結構よ! ただし、手を抜いたりしたら承知しませんからね!」
まあ、これまでの言動で、わざと負けて花を持たせる……みたいなことをしたら逆に不興を買うことくらいはわかっている。
気が引けることは引けるが、そういう細かいコトは都合良く無視して戦いに集中できるのが、いい戦士ってもんだ。
「ルールは……まあ、常識の範囲内でなんでもありで」
「いいでしょう。本気で行きますよ」
「ええ。それではベアトリス、開始の合図をお願いしますわ」
「わかりました」
広場の中心から、適度な距離を取ってアイリーン様と対峙する。
「お、今度はヘンリーさんとアイリーンさんですか。アイリーンさん、ヘンリーさんを存分にヤっちゃってください!」
「ええ、承りました!」
さん付けか。一晩同じ屋根の下で過ごしたからか、シリルの奴、王女様とすげえ仲良くなってんな。
しかし、それはそれとして、
「シリル、そこはパーティの仲間を応援しろよお前」
「ヘンリーさん、先週遊びに行った時、私の注文したケーキ食べたでしょう。そのしっぺ返しを食らうがいいです」
「あれは僕のアップルパイを一口ってことで交換が成立してた話だろう」
「ヘンリーさんの食べた分のほうが多かったんですよ!」
しょうもない恨みをいつまでも根に持つ奴め……
「ふふ、お二人は仲良しなんですね」
「はあ、まあ」
それなりにね?
「しかし、シリルさんの声援を受けたからには、無様な姿は見せられません。……どうぞ、構えてください」
「……はい」
闘気を燃やしてハルバードを構えるアイリーン様に、僕の方も自然と戦闘体勢になる。腰に差したナイフ状の如意天槍を抜き、短槍へと変化させて構える。
アイリーン様との距離は数メートル。少し踏み込めば相手に届く距離だ。
この距離で開始だと初手投げができないから割と僕に不利だが、まあいい。
「では二人とも、準備はいいな」
中間に立つベアトリスさんの確認に、僕とアイリーン様は同時に頷く。
ベアトリスさんは手を振り上げ、それを下ろすと同時に声を上げた。
「始めっ!」
「……随分あっさり勝ちましたね、ヘンリーさん。ちょっと卑怯っぽかったですけど」
アイリーン様との試合時間は、二分少々ってところだろうか。僕は危なげなく勝利していた。
「シリル、卑怯とはなんだ、卑怯とは。立派な戦術だ」
僕は今回の模擬戦では、まともに打ち合うことを徹底的に避けた。
アイリーン様は全部の一撃にすげぇ魔力を込めて、台風かなにかのようにブン回してくる。力と力でぶつかりあったら、勝負がどう転がるかわからない。
なので、あるいは捌き、あるいはいなしながら隙を探し……アイリーン様が焦れて大振りになったところへ《拘束》の術式をカマして武器を拘束。半瞬の硬直を稼いで、槍の切っ先を突き付けた。
そう、このように綿密かつ大胆に実行した作戦なのだ。そんな風に言われるのは心外である。
この辺り、相手のタイプに合わせて割と器用に戦い方を変えられるのが僕の強みであるからして。
……エッゼさんみたいに全方面に強い人とか、苦手な分野でも完璧に対策してる人とか、無理矢理自分の得意分野に引きずり込んでくる人には通用しないが。
「そうかもしれませんけどー、ほら、ジェンドとの試合の方が派手ですよ?」
「あの二人はタイプ似てっからなあ。そりゃ噛み合うだろ」
視線の先では、山吹色の斧槍の軌跡と紅蓮の大剣の軌跡がぶつかり合っている。筋力はジェンドが上、魔力はアイリーン様がかなり上。結果、赤側のジェンドが押されているが、しかしギリギリのところで均衡していた。
二人とも真っ直ぐに自分の力を叩きつける戦士なので、非常に見応えがある。
「アイリーン様とあそこまで張り合うなんて。一年も経っていないのに、随分成長したようだ」
「はい。仲間の僕も、あの成長率には驚いてますよ」
ベアトリスさんが素直に感嘆している。僕としても誇らしい。
「ヘンリー、君もありがとう。然程年の変わらない君に完璧に封殺されるのは、アイリーン様にとってもいい経験になっただろう」
「つっても、四つ離れてますからね。アゲハ辺りの方がもっといいんじゃないスかね」
「アゲハ・サギリか。……最前線へ援軍へ赴いた時、戦い方を見る機会があったが。あの英雄相手だと一瞬で勝負を決められて、自信を喪失しそうだから駄目だな」
まあ、それもそうか。
あいつの戦術は、真正面からの奇襲だ。なにを言っているのかわからないと思うが、僕もなにを言っているのかよく分かっていない。
正面からでもアゲハは結構強い。しかし、あいつを相手にするときはまずその姿を見失わないようにしないといけないのだ。気を抜いたらすぐさま視界から消えて、首を刈ってくる……という訳がわからない戦術をアゲハは使う。
なんていうか、勘? みたいなものが一定以上ないと、そもそもあいつとは勝負にならないのだ。
見るところ、アイリーン様は実力自体は申し分ない。しかし、やはり実戦経験が不足しているのか、ややその辺りが弱いように見える。
「あっ」
と、考えながら二人の試合を見ていると、ジェンドが一手ミスった。
そこからは崖を転がり落ちるようにアイリーン様に勝敗の天秤が傾き……ジェンドはかなり粘ったが、順当に敗北した。
「……参りました」
「はい、私の勝利です。しかし、ジェンド。貴方も十二分な実力を備えているようですわね。……フェリスを守れないような実力でしたら、私にも考えがありましたが、これで一安心です」
考えってなんだろう。
「ちなみに、その考えとは勿論、私との地獄の特訓コース! だったのですが。折角考えたメニューが使えなくて残念です」
「は、はあ」
……無理矢理別れさせるとか、そういう話ではなかったか。しかし、だからっつって実際に不合格だった時の訓練メニューまで考えているとは、どういう思考をしてんだろう、この人。
「折角作ったのだから、やってみてはいかがでしょう、アイリーン様。より強くなって悪いことはないでしょう」
「そうね、ベアトリスにも協力してもらったんだし」
騎士団長って割と暇なのかな?
「ベアトリスさん、騎士団長って意外と暇なんですか?」
って、シリル!? 気持ちはわかるけど、直球で聞くんじゃねえ!
「最前線の黒竜騎士団と違い、王都や王城の守りを任務とする白竜騎士団は、事件がなければそれなりに時間はあるな」
「そうなんですか」
……意外と平気だった。
はあ、疲れる。
「え、えーと」
「ジェンド、貴方も受けたいわよね、訓練」
「そ、その。護衛の仕事を完遂した後でしたら、勿論」
「ええ、それは当然よ。……ヘンリーも、勝ち逃げはしませんわよね?」
あ、さり気なく僕まで巻き込まれそう。どう断ったもんか。
などと、僕が頭を悩ませている間に、フェリスとティオもやって来て。
少し遅めの朝食となったので、幸いにもその話はそこで切り上げとなった。
なお、アイリーン様が土産に持ってきたハムは、予想通り絶品で。全員で大いに舌鼓を打つのだった。
まあ、このハムに免じて、例の地獄の特訓メニュー? とやらには、それなりに付き合うことにしよう。
ヘンリーの戦いはスキップ




