第百一話 王女、登場
領主様からのクエストを受注して一週間後。
僕達は領主館の一室で、適当に寛ぎながら待機していた。
例のアイリーン殿下は既にフローティアに入っており、今は領主様に挨拶をしている。馬車で直接領主館に乗り付け、僕らはその後に来たので、まだ王女殿下の顔は見れていない。
なお、挨拶が終わった後、今日は僕達と顔合わせだけをして、明日から観光というスケジュールになっている。
「……今更だけど、クエスト受けるの、顔見知りのフェリスだけで良かったんじゃあ」
「フェリスさんの仲間の人達とも会いたい、というのが先方のご要望だったそうです」
シリルが補足する。
さてはて、どういう意味なのやら。
しかし、王女様がどのような思惑であれ、護衛ということであればしっかりと勤め上げるつもりだ。
僕とジェンド、そしてティオは、離れたところから不審者が近付かないよう少し引いて付いていく。知り合いであるフェリスと、その辺の技能はからきしであるシリルは同道。
一応、僕も何度かリーガレオに視察に来た貴族の護衛はやったことがあるから、多少やり方はわかっている。……あっちじゃ、警戒するのは人間の刺客ではなく、唐突に城壁を突破してきた魔物だったから、少し勝手は違うが。
シリルをお姫様と見立てたトレーニングも何度かやったし、万全とは言わないがなんとかなるだろう。そもそもこのフローティアは平和で、本人もお付きの騎士もとんでもない実力者なわけだし。
「な、なあジェンド。私の身嗜みは大丈夫だろうか? 寝癖が残ってたり、服が着崩れていたりはしないだろうか」
そして、一人そわそわしているフェリスは、自分の服装をやたら気にして、ジェンドに尋ねていた。
「大丈夫だよ。……何度目だ、それ聞くの」
「大恩ある方々なんだ。久々に殿下と団長に会うのに、万が一でも粗相があっては困るんだよ」
「そうやって落ち着かない態度のほうが失礼だと思うけどな。ほれ、いい加減座れよ」
「む、むう」
ジェンドに強く嗜められ、渋々とフェリスは席につく。
そのフェリスに、ティオが鞄からなにかを取り出しながら話しかける。……あれ、瓶?
「フェリスさん、よろしければこれを」
「? ティオ、これは?」
「気を落ち着かせる効果のある香水です。戦闘直後の興奮を鎮めたりするためのものですが、緊張も和らぎますよ」
……ティオ、本当に色々な手札があるな。まあ、直接戦闘に偏りまくったアゲハが例外なだけで、叢雲流は本来こういう流派らしいのだが。
「あ、ああ。ありがとう。じゃあ、ありがたく使わせてもらうよ」
「直接嗅ぐと強すぎるので、瓶の蓋を開けて、手で扇いで匂いを嗅いでください」
ティオに言われたとおりに、フェリスが香水の瓶を開ける。少し離れているここまでふわっと清涼感のある香りが漂ってきた。
「……いい匂いだな。これ好きだ」
「私はもう少し甘い感じのほうがいいですけど、これも悪くありませんねー。ティオちゃん、これ普通に香水として使えないの?」
「少々依存性があるので、常用はおすすめはしません。一日に数回くらい嗅ぐのであれば全然平気なのですが」
い、依存性? 唐突に不穏な単語が出てきたな。……いや、一応僕のポーチにも、『耐えきれないほどの苦痛を受けた時に服用する、公的な資格がないと取り扱ってはいけないとある危険な薬物』は入っているのだが。なお、これは購入にクッソ面倒な手続きがあり、下手に横流ししたりすると一発でお縄になる。
冒険者は命の危険がある職業なので、多少ヤバいブツはまあそれなりに取り扱うというわけだ。
「……ああ、少し落ち着いた。ありがとう、ティオ」
「いえ」
そうした香水の効果もあり、フェリスはとりあえず見た目は普段通りの様子になった。深呼吸を繰り返してはいるが、多分大丈夫だろう。
「それにしても、少し遅いな? アルベール様とそんなに話すことあんのか、アイリーン様とやらは」
「ん、そうだな」
ジェンドの言う通り、今王女様が領主様と挨拶をしているからと、この部屋に通されて待機してそろそろ一時間。誰かが部屋に近付きゃわかるのだが、廊下を行き交うのはメイドさんくらいで、誰も来な――
「全員警戒しろ!」
何者かの気配が唐突に扉の外に現れた。
これでも、王女様の護衛ということで色々とシミュレーションしている。殿下を害そうとする奴がいた場合、直接手をかける前に厄介な護衛を先に潰す……なんてパターンは想定していた。まさか本当にそれらしい刺客が来るとは思っていなかったが。
――僕が警告の声を飛ばした一瞬の後、バンッ! と応接間のドアが蹴破られた。
いち早く反応できた僕が椅子から立ち上がり、一直線に突っ込んでくる影を迎え撃つ。
「!?」
「オラッ!」
その影がトップスピードに入る前に蹴りを繰り出す。低い姿勢で突進しようとしてきたそいつは慌ててそれを避け、猫のようなしなやかな動きで姿勢を整える――が、遅え!
と、追撃を食らわせようと一歩踏み込もうとすると、ぞっと背筋に悪寒が走った。
慌てて腰の如意天槍を引き抜き、室内戦用に片手剣に形状を変え、
「いい反応だ、冒険者」
……悪寒の正体に視線を向けると、そこには白亜の鎧を着込んだ厳しい容貌の美女が、剣に手をかけてそこにいた。
つーか、遠目にだが見たことある。
「ハインヴィント卿……」
「ああ」
素っ気なく言うこの人はベアトリス・ハインヴィント。蒼天の騎士と渾名される騎士様だ。
「っつーことは、さっきのは……」
視線を一人目に向けてみると、ちょっと悔しそうな顔で立ち上がる、これまた美女……と美少女? の間で揺れ動くような女性がいた。
あんな凄まじい動きをしたとは思えないドレス姿。つーか、こっちは直接見たことないが、ベアトリスさんと一緒だったということは、
「アイリーン殿下!」
「お久し振りですわ、フェリス。後、公的な場でなければ、アイリーンと呼び捨てに」
「それは、その。子供の頃ならともかく、今は流石に」
「お忍びで来ているのに、呼び方でバレるのは嫌ですわよ?」
と、フェリスが駆け寄り親しげに会話をするこの女性は、やはりというかアイリーン王女殿下であった。
さーっ、と血の気が引く。
……奇襲を受けたとはいえ、王族に蹴りをカマしてしまった。結果的に当たりはしなかったが、超を三つ重ねるくらいの不敬である。
アルヴィニア王国は貴族と平民の垣根はそれほど高くはないが、これは流石に首チョンパまで行くかもしれない。
「さて、フェリスとの再会を喜びたいのは山々ですが……さて、そちらの冒険者さん?」
「は、はい! こ、今回はとんだご無礼を!」
っべー、多分、仲間には責任は及ばないとは思うが、さてどうすっか。
先程の動きからして、アイリーン殿下だけであれば逃げることは可能だが、ベアトリスさんがいるしなあ。……逃げ切れるかは五分五分? よりは若干いいくらいだろう。
ワンチャン、土下座で許してくれないかな?
「私の奇襲をああも容易く防いだこと。お見事と言わせていただきますわ!」
「え……あ、はい。ありがとう、ございます?」
あっさり許されてしまった、というか全然怒ってない。
「アイリーン殿下……」
「フェリス、アイリーンと」
「あ、アイリーン。そもそもなぜ奇襲なんて」
「勿論、びっくりさせるためです! 別に攻撃なんてするつもりはありませんでしたが、ジャジャーンと格好良く登場してビビらせてみたかったのです!」
王女……? 王女とは一体……これ、実は替え玉で本物が別にいるとかそういうオチじゃないよな? こんな替え玉、速攻でクビになると思うけど。
救いを求めるようにベアトリスさんに視線を向けてみると、この騎士さんはため息をついて王女殿下にこうのたまった。
「殿下。ドアに手をかけた瞬間、『やってやる』という意がだだ漏れになっていました。防がれたのはそのせいです。気配を消す、と決めたのであれば最後まで徹底してください」
「うぐ……精進いたしますわ」
駄目だこの騎士。考えてみればあのエッゼさんの同僚なんだった。さもあらんって感じだ。
っつーか、アルヴィニアの騎士はどうなってんだ。僕の故郷であるフェザード王国の騎士はもっと……いや、思い出の先輩方の言動からして大差ねえな!?
「しかし、だからといって殿下の動きに蹴りを合わせるとは中々の実力だ。私への対応も素早かったし。君がグランエッゼ団長の言っていたヘンリーだな」
「は、はい。ハインヴィント卿に名前を覚えていただいて光栄です」
「ベアトリスで結構。私は今回休暇で来ているわけだしな」
威圧感のようなものはあるが、そう気難しい人ではない……のかな。
「ヘンリーね! 確かにグランエッゼ様が仰っていたわ。私、同年代で自分より強い相手は初めてですの。滞在中、どこかで手合わせいただけないかしら!」
「そ、そうですね。機会があれば」
あのオッサン、僕のことどんだけ吹聴してやがるんだ。抗議の手紙を書いてやる。
「フェリス、他の方も紹介してくださる?」
「はい、勿論。……ほらみんな、いつまでも呆けてないで、アイリーン殿……アイリーンに、自己紹介を」
ぽかーん、と事の成り行きを見ていた三人が、ようやく正気に戻る。フェリスがいち早く立ち直ったのは……まあ、慣れてんだろうな。この調子だと。
「ジェンドです。パーティでは前衛で、大剣を使います。この街のカッセル商会ってとこの息子です。……その、フェリスとはお付き合いさせてもらっています」
「ほうほう……よく鍛えているようですわね。貴方とも是非打ち合いたいわ」
「恐縮です」
ジェンドが自己紹介をする。商会の人間として、お偉いさんに会うこともあるだろうから、立ち直ればはきはきとしたもんだ。
「ああ、以前うちにフェリスとの交際の挨拶に来た剣士か。……大層我が団員達に可愛がられていたが、どの程度腕を上げたか私も興味があるな」
「そ、その節はどうも」
そういやあったなあ。ボロッボロになって帰ってきたっけ。いい訓練にはなったそうだが。
「ティオです。このパーティの斥候です」
「……可愛いですわね。エキゾチックな感じで」
「はあ。リシュウの血が入っていますから、そのせいかと」
「ちょっと色々とお着替えしてみません? 私、貴女みたいな子を飾り付けるのが大好きなんです」
「動きにくいのはヤです」
「そう言わずに。ね?」
妙に食いつきがいいな、この王女。あまり表情を変えないティオも流石に困った顔になるが、どうも好意からのようなので突っぱねるのも躊躇っているらしい。
……まあ、害はないだろうし、多分お高いの奢ってくれそうだし、問題はなかろう。
「はい! 私はシリルです。魔法使いです! 魔法、スゴいんですよ!」
「まあ、そうなんですか! それは是非とも見てみたいわ」
「王女殿下のリクエストとなれば致し方ありません! このシリルさんにお任せあれ!」
そしてシリルとアイリーン王女はなんかすげー波長が合ってる。なんとなく予想はしてたけど。
「はい、楽しみにしています。……しかし、はて?」
「どうかしましたか?」
「シリル……さん?」
「はい、シリルさんですがなにか」
? どうしたんだろう。うーん、とアイリーン王女は思い悩んでいる。
「なにか思い出しそうな気がしましたが、気のせいでした。さて、自己紹介も終わったところで、お茶でも淹れて歓談いたしませんか?」
「そうですね。では私は部屋の前で番を」
「ベアトリスもご参加くださいな。休暇でしょう?」
「……そうでしたね。では、ゆっくりフェリスの近況でも聞かせてもらいましょうか」
そうして。
僕達と王女は、美味い茶を飲みながら大いに語った。気さく……というレベルではないが、うまく付き合っていけそうで何よりである。




