第百話 冬のクエスト
「……ん」
朝、熊の酒樽亭の一室で目を覚ます。
窓から差し込む光は、随分と明るい。
もう本格的な冬が到来している。毛布の暖かさに後ろ髪を引かれるが、日課のランニングはしないといけない。むん! と一つ気合を入れて起き上がる。
ちょいと技能の無駄遣いという気はしないでもないが、一瞬身体強化を発動させて体を暖気。思い切って窓を開けた。
「今日も積もってんなあ」
外を見ると、一面の雪景色だ。
十二月に入った辺りから雪が降り始め、晴れの日でも一向に溶けない。聞いたところによると、春先になって気温が上がるまで大体残り続けるらしい。
この地方では当たり前の光景だそうだ。
ただ、見える範囲が全て白いというわけではない。このフローティアは花と水の都。冬でも立派に咲き誇る花がそこかしこに飾られている。
また、雪がずっと残る、ということで、雪像祭りなんかも開催されるらしい。後、港町シースアルゴから獲れる魚もこの時期は美味しいものが多いらしく……花祭りほどではないが、冬のフローティアも観光客は多いんだとか。
「ん、ん~」
お日様の光を浴びて、ぐっと伸びをする。
ぱぱっと運動用の服装に着替え、階下へ。
「ヘンリーさん、おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます。リンダさん、ラナちゃん、朝早くから大変ですね」
降りてみると、食堂の清掃をしている二人に出くわした。リンダさんの背には、もう大分大きくなってきたラナちゃんの弟、ランドくんがいる。
やっほー、と手を振ってみると、ランドくんは『あーぅ!』と返事をしてくれた。この子が生まれた時から僕はずっと泊まっている。そのおかげで僕の顔は覚えてくれたようで、いつも元気よく返事してくれるのが嬉しい。
「ヘンリーさん、今日もランニングかい?」
「はい。アルトヒルンに行けない分、練度が下がらないように気をつけないと」
アルトヒルンは氷瘴領域。気温が下がり、雪が積もると危険度が跳ね上がるのだ。
ちょっとずつ上層にチャレンジし始めた頃だったのでちと残念ではあるが、流石に腰まで積もってる雪の中で冒険を強行するのは危険過ぎる。そこまでガツガツ頑張る必要性があるわけでもないし。
なので、今は初心に立ち返ってフローティアの森で冒険している。それだけではなんなので、普段は使わない戦法をお試し中だ。
僕は毒系をワイルドベアにぶちこんで様子を見たりしてる。後、シリルであれば杖術でキラードッグを叩きのめしたり、ジェンドは魔導の勉強を始めているし、フェリスとティオは剣技、といった具合だ。
どちらにしても、普段より負荷が低いのは確かなので、自主練には一層取り組まないといけない。
「今朝は寒いから、うちの旦那がモーニングにあったかいシチューを仕込んでるよ。うんと腹を空かせてきな」
「そいつは楽しみですね」
ノルドさんのシチューは美味いのだ。
さて、おかわりは何度まで許されるだろう。僕が本気で食うと、寸胴一つ空けちまうしな……他の宿泊客さんの分まで食ってしまいかねん。
ま、ちょっと遅めに帰ってきて、残りの分全部ください! 作戦としよう。
「雪かきはしてありますけど、滑りやすいから気を付けてくださいね」
「了解。心配ありがとう」
出る直前に忠告してくれたラナちゃんに礼を言い、外に出る。
雪は道の脇に積み上げられているものの、夜降った分がまた少し積もっている。朝から出歩く人により踏み固められており、確かに油断していると足を滑らせてしまいそうだ。
……除雪は領の公共事業だっけ。冒険者のクエストにも出てたし、受けるのも悪くないかもしれない。結構パワー使いそうだもんな。
「っし、行くかー!」
フローティアの冬の朝。
白銀の世界の中を、僕は走り始めた。
日課のトレーニングを終え、腹がパンパンになるまでシチューとパンを堪能し。
グランディス教会にて、僕は仲間のみんなと顔を突き合わせていた。
いつもの定例のミーティング。ちょっと活動を縮小しているとはいえ、定期的に集まる会はやはり外せない。
「んじゃ、明日は僕とジェンドは雪かきのクエストを受ける方針でいいな?」
「ああ。どうも手ぇ足りてないみたいだし、評価稼ぐなら狙い目だしな」
今朝気付いたことを提案すると、するっと承認された。
ジェンドの言う通り、まずは勇士を目指すこいつからすると、教会の覚えめでたくなるこのクエストはいい選択肢だろう。
結構きっついらしいが、その分命の危険がないクエストにしては報酬も多めだ。
「うーん、私にお任せいただければ、雪かきどころかこのフローティア中の雪という雪を全部蒸発させてあげるのですが」
「はいはい、物騒なジョークはやめなさい、シリル」
「はーい」
シリルがタワケたことを抜かし、フェリスが嗜める。
……いやまあ、シリルならできないことはないだろうが、その場合街も一緒に燃えるよね、と。
「私はいつもの通り、治癒士の仕事が入ってる」
「すみません、明日は私は休みです」
フェリスは仕事、ティオはアレでお休み。シリルは良さげなクエストがなかったからこれまたオフ、と。
「それじゃ、後は来週以降の冒険に出る日だけど……」
「あ、すみません、ちょっといいですか?」
明日の予定を決め、その後の話をしようとすると、シリルが手を上げて遮った。
「ん、どうした? トイレか?」
ペチン、とシリルに背中を叩かれる。
「ヘンリーさんはいい加減デリカシーを学んでください。……そうではなくてですね、実は、アルベール様から私達に指名クエストを受けてくれないか、と言われていまして」
「領主様から?」
はて、なんだろう。
確かに、うちには領主館に居候しているシリルや、領一番の商会の息子であるジェンド、一応街の危機っぽいものを救ったっぽい僕、とそれなりのメンバーが揃っているため、領主様からの覚えはめでたいと思うが、なんでわざわざ。
「どんな内容だ?」
「はい。あ、これ内緒にしておいてくださいね」
「依頼内容を吹聴する趣味はない」
みんなも、うんうんと頷く。
そうすると、シリルが声を潜めて、
「実は来週、このフローティアの街にアルヴィニア王国の王女様がお忍びで観光に来るそうなんです。その護衛と、街の案内を頼まれました」
「待て待て待て待て」
王女様ぁ!?
い、いや、落ち着け僕。確かにフローティアはアルヴィニア王国でも有数の観光都市だし、王族が来ることはそう不思議なことではない。
ええと、アルヴィニア王国は王子二人、王女三人だったよな。噂くらいは聞くが……
「ちなみに、第何王女様なんだ……」
「第二王女のアイリーン様です」
冒険王女かよ!
アイリーン王女、御年十八歳。幼少の砌に『国教であるグランディス教会に誓いを立てることは王女として憚る必要はありませんわね!』の一言で冒険者となったらしい。
その後は城を飛び出て、一、二週間くらい冒険して帰ってくる、という行為を繰り返す大問題児だ。
普通、廃嫡されてもおかしくない行為なんじゃないかと思うのだが……王女の冒険に反対しているのは文官の人達だけで、武官や当の王族の方々は『これぞ武の国、アルヴィニアの王族たる姿。天晴なり』と、止めるどころか押せ押せで、まるきり問題視されていない。
……この国、大丈夫なんだろうか。今更ながら。
「なんでそんなお偉いさんの護衛が僕達に回ってくるんだ?」
「俺もそう思う。そういう人の護衛ならちゃんと領軍から然るべき人……それこそ、うちの師匠辺りを付けるべきなんじゃないか? 街案内はともかくとしてさ」
……いや、そもそも護衛が必要だとも思えないけどな。
アイリーン王女は、素で勇士の称号を賜っている。
噂にしか聞いたことがないが、そんじょそこらの騎士程度、二、三人まとめて畳めるらしい。
……まあ、そう不思議な話ではない。
グランディス神が降臨し、天の宝物庫から神器が賜わされるようになる前。人類の護り手はわずかに存在していた魔法使いだった。
当然、彼らの地位は高く、王族や貴族のルーツはそういった古代の魔法使いであることが多い。
没落した家もあれど、大体お偉いさん方はお偉いさん同士で婚姻するため……ご先祖の血のためか、貴族階級が高い魔力を持つ確率は、平民のそれより遥かに高い。
アイリーン王女も例に漏れず、大変高い魔力を生まれ持ったそうだ。
それに王家に対する最高峰の教育が合わされば、非常に強い戦士になるのは想像に難くない。
「それはですねー。ちゃんとした護衛なら、休暇を兼ねて白竜騎士団? のベアトリスさんが付いているそうなんですが」
「……ますますもって僕らの存在意義がわからん」
シリルは知らないみたいだが、それ団長の名前。白竜騎士団団長、蒼天の騎士ベアトリス。全騎士を見渡しても、あのエッゼさんに次ぐ実力を持つという、女騎士最強だぞ。
「あー、はい」
僕達が困惑していると、フェリスが手を上げる。
「? どうした、フェリス」
「多分アイリーン……殿下のことだ。私に会いに来るんだと思う」
「あ、はい。アルベール様もそう仰っていました」
……なぜ一平民と王女が?
「殿下は白竜騎士団の訓練に子供の頃からよく参加していてね。……私も父の関係で幼少から通い詰めていたし、その後は治癒士として働いていたし。同い年ってこともあって……まあ、所謂幼馴染というやつなんだ」
マジか。なんていうか、すげえ王道の物語を聞いている気がする。これでどっちかが男だったら、身分違いの恋に悩む系の物語の鉄板設定だった。
「殿下からも、ベアトリス団長からも、たまに近況を尋ねる手紙が届くし。……なんとなく、そろそろかなあ、とは思っていた」
な、成程。
「二人への不義理をしたくないので、私としては受けたいと思うのだけれど」
「まあ、別に断る理由はないけど。……なあ?」
リーダーとしては却下する理由は思い当たらない。他の三人も異論はないようだ。
「そ、そうか? ありがとう、みんな」
「礼を言われることでもないです。王女様、会ってみるの楽しみですし」
……あ、ティオの奴、王女って文字面だけでファンシーな想像の翼を広げているな。そんな顔だ。
冒険王女はその憧れから一番遠い部類の人だと思うが……まあ、あえて否定はすまい。
「フフフ、受けるということなら是非もありません。以前、ロッテさん向けに考案したフローティア観光マップを刷新しておきましょう」
「……そういや作ってたな、お前」
花祭りのときは、シリル自作の地図を片手に色々歩き回ったっけ。
「えー、んじゃ、来週は王女様クエストだ。……頑張ってこー」
おー、と。
僕達は小さく手を上げた。
ようやく百話。大体折り返しですね。
そして王道の王女登場編。




