美しくも非情な王
時系列がおかしくて、直していたら話の展開が若干変わってしまい、前話と繋がらなくなっています。
書き直したら投稿しますので、ご容赦を
生まれて初めての、村の外への外出──まさかそれが、こんな形になるなんて。
肩に担がれたまま、否応なく外へと連れ出されたラズリは、悔しさに唇を噛み締める。
外へ出たいと渇望していた時期はあった。けれど、こんな風に出たかったわけじゃない。
むしろ、こんな出かたをするぐらいなら、一生出られなくても良かった────。
木々のざわめき、小鳥のさえずり──大好きだったそれらも今は、ラズリの心の慰めにはならない。
『人違いだったら、帰される』
ミルドはそう言ったが、もし人違いでなかった場合、自分は二度と村へは戻ってこられないのだ。
いや、そもそも自分などが王宮に関わりがあるとは到底思えないから、そんな心配をする必要はないのだろうか?
だけど、万が一……。
そこで不意に、村から連れ出される時の光景がラズリの頭に浮かんだ。
そういえば、あの時の村人達の反応は、どことなくおかしかったように思う。
ずっと一緒に暮らしてきた仲間が連れ去られるとなったら、普通は反対の声をあげるものだろうに、あの時は祖父以外誰一人として、反対どころか制止の声すらあげてくれなかった。
村長である祖父と自分の存在を秤にかけた場合、村の人達にはどうしたって祖父の方が重いことは理解できる。
でも、それでも。
せめてもう少しぐらい引き留めたり、悲しんだりしてくれてもよかったんじゃないだろうか?
今までずっと同じ村の中で暮らしてきて、良い関係を築いてきたはず。
村のみんなは自分にいつでも優しかったし、相談にも親身になってのってくれた。
だから自分もみんなの為にできる限りのことはしたし、困っている人には必ず手を差し伸べてきた。
なのに、自分が連れ去られる際のあの反応はなんだったんだろう?
若干の迷い程度は認められたものの、心底反対する様子はまったく感じられなかった。
「どうして……?」
思わず声が漏れる。
人違いと認められれば帰されると聞いて、確かにみんなが安堵したのは分かったけれど、それでも一時の別れには違いないのに、誰もそれを悲しんでいないようだった。
どうせ帰ってくるのなら、少しの間ぐらい、いなくてもいいということ?
村から王宮への往復だけでも、何日かかるか分からないのに。
村の人達にとって、私はその程度でしかなかったということなの?
思い悩んでいたラズリの思考は、しかしそこで、いきなり遮られた。
「では、行きますよ」
唐突に何かの上に下ろされ、両手足の縛を解かれる。
「へたに動くと落ちますので、そのままの姿勢でお願い致します」
抱えられていた時より更に視線の高さが上がり、自分は一体どこに下ろされたのかと、恐る恐る下を見る。
刹那、視界に飛び込んできた長い鬣と、ブルルという鳴き声で、ラズリは自分が馬に乗せられたのだということを認識した。
これが馬……。
本でしか見たことのない動物を目の当たりにして、感動を覚える。
つい先程まで落ち込んでいたのは嘘ではないが、それはそれ、これはこれで。
あたりを見回してみれば、ほとんどの騎士が馬に乗っていて、その種類の多さにラズリは目を輝かせた。
凄い……。
本で見た馬は、いろんな顔をしているものが多かったけれど、実物はみんな優しそうな表情をしている。
本物の馬…‥初めて見た……。
そのまま、自分が格好良く馬を走らせている姿まで想像したところで、いきなり馬が歩きだし、ラズリは思わず鬣にしがみついた。
「えっ? な、なに?」
突然のことに驚き、手元にあった綱のようなものを慌てて握りしめる。
後ろには先程まで自分を担いでいた騎士が同乗していて、落ちないよう両側にロープを回してくれていたが、それだけで安心できるはずもない。
なにせ初めて乗った馬の背は、高いし揺れるしで、掴まれる物といえば目の前にある一本の綱と鬣のみなのだ。
そんな頼りない物しかない状態で、安心できる者などいないだろう。
それなのに。
「少しスピードをあげますので、しっかりつかまっていてください」
と、無情にも騎士は言った。
「えっ、ちょ、まっ……」
待って。とも、どこに? ともいう暇を与えられず。
焦るラズリをよそに、騎士は馬の腹に蹴りを入れ、速度を上げた。
※
あちらこちらで火の手があがり、真っ赤に燃え上がる村を見つめながら、うまく任務をこなした筈のミルドは、しかしなぜか厳しい表情をしていた。
「これでようやく……」
呟き、手にした野菜を無造作にかじる。
そのまま地面へと落とし、グシャリと踏みつけると、彼は先日王宮であった事を思い返した───。
※
大陸随一の大きさを誇る、ディランカ帝国。
そこの首都を誇っている街───マセドアの中心部には、空にも届くかという程に高い、立派な王城が建っている。
二年程前までは様々な人種の民達が訪れ、賑わっていたそこは、今では分厚い門戸に閉ざされ、城の兵士のほかは、時たま商人が出入りするだけになってしまっている。
その王城の中で最も奥詰まった部分にある玉座の間で、ミルドは頭を垂れて主の登場を待ち望んでいた。
「……やあ、待たせて悪かったね」
玉座の真後ろにある扉が開き、一人の青年が姿を現す。
色とりどりの宝石がこれでもかとばかりに散りばめられた、とても煌びやかな洋服を身に纏っている青年だ。
腰まである灰色の髪は無造作に伸ばされているものの、切れ長な土色の瞳をした彼は、女性どころか男性までも一目で心奪われそうな、人間離れした端整な顔立ちをしている。
身長はミルドよりやや低いものの、すらりと伸びた長い手足は均整のとれた体を窺わせ、優雅な身のこなしは思わずため息が出てしまうほど。
そんな美貌の主である彼こそが、今の王城の最高権力者だった。
「報告に戻ってきたと聞いたけれど。成果はどうだったのかな?」
ゆっくりとした動作で玉座へと腰をおろし、青年が視線を向けてくる。
それを緊張した面持ちで受け止めると、ミルドはこれまでの経緯を、順序立てて簡潔に説明した。
「───ですので手筈通りにいけば、八日後の昼過ぎにはこちらへ戻って来られる予定です」
自信たっぷりに言い切る。
難しい任務を、見事に果たしたという達成感を胸に抱いて。
願わくば、労いの言葉一つでもかけてもらえたら言うことなし。いや、難しい任務を達成したのだから、それは当然あって然るべき───の、筈だったのだが。
そんなミルドの願いは、しかし無残にもあっさりと踏みにじられた。
話を聞いた青年の、あまりにも淡白すぎる反応によって。
「ふぅ〜ん、そう」
報告を受けた青年が発した言葉は、それだけだった。
感情の動きなどはまったく見受けられず、声には退屈そうな響きまでもが宿っている。
ミルドの話になど、まるで興味がないとでも言わんばかりに。
てっきり褒めてもらえると思っていただけに、予想外すぎる反応を受け、ミルドは動揺した。
「そ、それだけですか? 僅かな情報を頼りに、懸命な努力で隠された村があるであろう場所を探し出した───我々の必死の努力に対する、それがルーチェ様のお言葉ですか?」
いくらなんでも、この反応はありえない。
何かの間違いではないだろうかと、ミルドは動揺を押さえつけながら問う。
もしかしたら、自分の説明の仕方が悪かったが為に、どこかで勘違いされてそんな返答になったのかもしれない。
既に任務達成はみえているのだから、それを理解してさえもらえれば、今の態度はありえない筈……。
今度こそ、という気持ちを持って、ミルドはルーチェと呼んだ青年の答えを待つ。
しかし青年は、そこでまたも予想外の言葉を口にした。
「まさかとは思うけど、僕に褒めてほしいわけじゃないよね?」
ずばり核心を衝かれ、ミルドの息が止まる。
まさかそんな風に返されるとは、夢にも思っていなかった 。
てっきり次こそは労いの言葉がもらえると、それに対する返事を用意して待っていただけに。
なぜ、ルーチェ様は自分を褒めてはくださらないのだろう?
ミルドの中で、純粋な疑問が頭をもたげる。
この場面で、自分からの報告を聞いて、褒められたいのか? などと聞く方が間違っているのではないか?
自分はしっかりと任務を果たしたのだから、そうされることが当たり前であり、それ以外ないように思う。
なのになぜ、ルーチェ様はそのような問いを口にするのか。
どうしても青年の態度に納得がいかず、だからミルドはもう一度問い返す。
「申し訳ありません、ルーチェ様のお言葉の意味がよく分からないのですが……」
瞬間、青年は驚いたように目を瞠り、それから大仰にため息をついた。
「僕からしたら、君が今日ここへ戻ってきた意味が分からないんだけど? 褒めてほしいのでなければ、君は一体何の為に、ここへ来たんだい?」
「何の為……と申されましても、任務の報告の為に来たとしか……」
「だからさあ、僕が君に与えた任務は彼女を見つけ出すことじゃなく、僕の前に連れてくることだったよね? なのに今回の君の報告内容は、彼女がいる可能性が高い村の場所を見つけたというだけで、まだ本人を見つけたわけでもないじゃないか。そんなあやふやな報告をされたところで、言うことなんかないんだけど?」
僕の言ってる言葉の意味、理解できる?
言われてミルドは、小さく声をあげた。
苦労に苦労を重ねて怪しい村の情報を見つけだしたが為に、それだけでもう任務を果たした気になっていたが、実はそうではなかったという事実に、今更気付いたからだ。
命じられたのは確かに、娘を王宮へ連れてくること。
だが、今の自分は娘を連れていないどころか、まだ目当ての娘の姿すら見ていないのだ。
それで労いの言葉をもらおうなどとは、先走りも先走り。焦りすぎにもほどがある。
勘違いしていたのはルーチェではなく自分の方だという事をようやく理解し、ミルドは羞恥のあまり顔を真っ赤に染めた。
「……い、今すぐ現場へと立ち戻りまして、娘を連れてまいります。出過ぎたことを申しまして、大変申し訳ございませんでした!」
可能な限り頭を下げ、恥ずかしさに両手を力一杯握りしめる。
本当に、自分はなんて失態を犯してしまったのだろう。
もし、これでクビにでもなったら、情けなさすぎて生きていられない。
いや、もしかしたら好機とばかりに、今度こそ首を切られる……のか?
漠然とした不安に襲われる。
実はミルドは以前から、ルーチェに嫌われているのではないか、という懸念を抱いていた。
別段嫌味を言われるとか、あからさまな嫌がらせを受けたとか、そういった事があるわけではない。
ただなんとなく、青年の普段からの態度……というか、そういったものの中に、自分に対する不快感のようなものを感じるのだ。
そんなのは気の回しすぎだと言われれば、そうなのかもしれないが。
それでもミルドは、どうしてもその疑いを払拭することができず、これまでずっと不安と戦い続けてきた。
今回の失態は、そのため少しでも武勲をあげようと気が急いたあまりに、犯したことだ。
そのせいでクビになったら、本末転倒だというのに。
「そ、それでは失礼致します」
返答が返されないままの長い沈黙に耐え切れなくなり、ミルドはルーチェの顔を見ることなく踵を返す。
たとえ顔を見なくとも、ルーチェが今どんな表情をしているのかミルドには分かっていた。
以前にも見た、心臓が凍りつきそうになるほどの冷気を帯びた瞳──間違いなく、彼は今その瞳で自分を見ている。
背を向けていても、身体全体に突き刺さるかのように感じる冷気が、ミルドにそれを痛いほど伝えていた。
退室さえしてしまえば、この視線から解放される……。
極度の緊張により手足が震え出し、ともすれば止まりそうになる足を懸命に動かして扉へと向かう。
永遠に届かないかと思われた扉に手が届いた時には心底ほっとし、だからミルドは安堵の笑みすら浮かべ、会釈をして退室しようとしたのだ。
しかし、青年から最後の言葉をかけられたのは、まさにその時だった。
「無能ぶりを見せつけて、あまり僕を失望させないでほしいな」
返答を望む素振りも感じられない、独り言のように告げられた言葉に───。
ミルドは心底、震え上がったのだった。
※
「なんとしても、なにがあっても、私は彼女を王宮へ連れて行く……」
粉々になった野菜を何度も踏みにじりながら、ミルドは誓いのように口にする。
今度失敗したら、褒賞を受け取るどころか、自分の首が危うい。
無能な人間は死刑にする───。
玉座に就いた時、ルーチェが最初に口にした言葉だ。
その言葉通り、これまでも何人か、突然行方が分からなくなった者がいた。
まだルーチェがいない、温厚な王が治めていた時分に、仕事をサボって楽をしていた者ばかりが、立て続けに。
彼らは死刑を執行されたのだ───その時ミルドは、そう信じて疑わなかった。
無論今でも、そうだと信じている。
ならばそんな恐ろしい仕事は辞めてしまえばいいのだが、そうしたら今度は職に困って生きてはいけない。
ずっと兵士として生きてきた自分は、それ以外の仕事をすることができないのだ。
だから働き続けるしかない。ルーチェの要求に応えるために。自らの命を、少しでも永らえさせるために。
たとえラズリや他人の気持ちや人生を踏みにじっても、一番大切なのは自分自身なのだから。
自分の命を守る為なら、どんなに非情な行いも厭わない。
むしろすべてを自分の糧にしてやればいい。
最後の火種を村の家屋へ投じるミルドには、一欠けらの迷いもなかった。
我が身の保身……ただそれだけを考えていたが故に。