侵入者
村外れの木陰で、ラズリは寝転んで空を見ていた。
…‥暇、暇だなあ。
突然知らない男達に声をかけられ、逃げ出したまでは良かったが、家から反対方向へ逃げてしまったため、帰るに帰れず。
畑に放置したままの野菜を取りに行きたいけれど、狭く、見通しの良すぎる村の中では、すぐさま彼等に見つかってしまいそうで。
もし再び彼等と遭遇してしまったらと考えると、ラズリは木陰から動く勇気を持てずにいた。
「おじいちゃんは大丈夫かな……」
ふと、部屋にこもったままの祖父のことが気にかかり、身を起こす。
男達がどこに向かっていたのかは分からないが、彼等が自分にしたのと同じように他の村人にも声をかけたのだとしたら、まず間違いなく祖父のことは彼らの耳に入るだろう。
なにせ、村に問題が起きたらまず村長に相談する──それがこの村の決まり事であるのだから。
今回のような場合、彼らになにを聞かれたところで、村人の返答は『聞きたいことがあるなら、まず村長の所へ行ってくれ』となる。
若しくは、見知らぬ男達への対応に困った村人が、自主的に村長宅へと案内してしまうか。
それに、責任感の強い祖父のことだ。外部の人間が村に入り込んだと知れば、自ら進んで赴いて行くかもしれない。
今朝はまだ祖父の顔を見ていないけれど、朝一番で畑に姿を見せなかった時点で、未だ部屋に引き篭もっているであろうことは容易に想像がついた。
それでもきっと村人が訪ねてきたとなれば、普段通りを装って応対するに違いないのだ。
基本的に弱みを見せず、村人達の前ではいつも気丈に振る舞っていた祖父。
そしてそれは、ラズリの前でも同じだった。
ただ、同じ家に住んでいる以上完璧に隠し切ることはできず、毎回ラズリは祖父の変化に勘付いてしまっていたわけなのだが。
今回のように部屋に引き篭もってしまうほどの状態になる前は、悩んでいることを誰にも悟らせないよう常に気を張っていたのだと思う。
けれど今は、何らかの理由で、その糸がぷつりと切れてしまっているようだけれども。
そんな状態の祖父に、見知らぬ男達を押し付けてもいいものだろうか?
相手は三人。
老人相手に暴力を振るうとも思えないが、絶対にあり得ないとは言い切れないわけで。
さっきは初めて見る部外者に驚き、直感的に逃げ出してしまったが、そのせいで祖父に何かあったら後悔してもしきれない。
こんな所に隠れている場合じゃなかったと、気付いた途端ラズリは慌てて木陰から飛び出した。
※※※
ついに……来た。
目的であった家の扉の前で、青いマントを羽織った男は、歓喜に肩を震わせた。
『一人の娘を連れて来い』という任務を受けて後、ここまで辿り着くのに、一体どれ程の苦労を強いられただろう。
この任務が終わるまで休暇はなしだと厳命され、休む間もなく働いた結果、幾人もの部下達を過労により失った。
必要賃金だと渡された金も底をつき、かといって手ぶらで帰るわけにもいかず、仕方なく自らの蓄えを切り崩しながら、ここまで来た。
無論、そんな状態に疑問を感じたことがなかったわけではない。
こうまでして任務を達成することに意味はあるのか? 多くの部下の命を失い、自腹を切ってまで続けなければならないものなのか? ……だとしたら、それはいつまで?
幾度となく自問自答し、悩み、けれども自己判断で任務を放棄することはどうしてもできず、今日までずるずると続けてきてしまった。
自分一人が逃げて済むなら、間違いなくそうしていただろう。
だが、隊長である自分の判断は、否応なしに部下を巻き込む。
任務放棄はクビだ。
クビになれば当然給料はもらえず、生活に困ることになる。
すぐに別の仕事に就くことができればまだ良いだろうが、それでも今の給料とは比べるべくもないだろうし、下手をすれば、任務放棄を知られた時点で命を奪われる危険性だってあるのだ。
自分が逃げ出せば、なんの罪もない部下達まで疑われ、処罰されるかもしれない。
一介の隊長でしかないミルドには、部下達の命や今後の人生まで背負う覚悟はなかった。
どんなに辛く、危険な任務であろうとも、所詮雇われ騎士である自分達に、選択の余地はないのだ。
そうして、探しに探し続けて、とうとうこんな辺鄙な場所にまで来てしまったわけなのだが……。
それがようやく報われることになろうとは。
目の前の扉を開き、その中にいるであろう一人の娘を目的の場所へと連れて行けば、恐らく──というのは、目当ての娘にこれといった特徴や目印などがない為、連れ帰らなければ対象人物かどうかの判断がつかないからだ──任務は完了する。
これまで数えきれない数の娘達を連れ帰り、その度に無能扱いされ辛酸を舐めてきたが、今回ばかりは何故かある確信めいた思いがミルドの中にあった。
「万一ここに目当ての娘が居なかったとしても、この村には必ず何かある筈だ……」
把手に手をかけながら呟く。
思いがけない幸運のおかげで、こうして村内へと侵入することができたわけだが、それがなかったら未だ自分達は、深い森の中を彷徨い歩いていたに違いない。
そう思わずにいられない程、この村の入口は完璧に擬態され、隠されていた。
そもそも、村一つ見つけ出すのにここまで苦労する事自体、普通では考えられないことだ。
いくら入口を隠したところで、村の存在自体を隠し続けることは、ほぼ不可能に近い。
その理由は幾つかあるが……最たるものは、外部との繋がりだろう。
生活していく上で、外部との繋がりは必要不可欠なものだが、繋がりがあれば当然綻びもできるわけで、どんなに隠したくとも何かしらの情報は必ず漏れるものなのだ。
なのに、この村に関しては、これまでの必死な捜索にも関わらず、その存在の手掛かりすら見つけることはできなかった。
その片鱗だけでも見つけることができていたなら、ここまで時間がかかることはなかっただろうに。
一体どうやって存在を隠していたのか?
こんな辺鄙な場所にある小さな村に、情報操作などできる筈がない。
だが、仮にできたとして、その方法は?
……まったくもって分からない。
元来、情報操作というものは、膨大な労力と資金を必要とするものであり、そこまでしても決して完璧にはならないものだ──人の口に戸は建てられないという言葉通り、いくら金を積んでも口を噤めない人間が一定数存在する為に。
そんな人間達の口を完璧に封じるのは容易いことではない。いや、不可能と言っても差し支えないだろう。
その難題を、如何にしてクリアしたのか。
そしてなにより、そこまでして隠したいものとはなんなのか……。
たとえ今回の任務がまた失敗だったとしても、その隠された物の価値によっては任務達成以上の成果を得られるかもしれない。
まずは目当ての娘を手に入れ、その後で──。
把手を握る手に力をこめながら、久しぶりに湧き上がる高揚感に、ミルドは口から笑いがこぼれるのを禁じえなかった。
「……中に入るぞ」
部下に告げ、扉を二度、強く叩く。
それにより来客を告げると同時に扉を開けると、無遠慮に家屋内へと足を踏み入れた。
自分たちはこの村にとって侵入者。
乱暴な行いをするのに、躊躇いなど少しもなかった。
「な、なんじゃお前たちは!」
室内に入ったところで、老人の咎めるような声が耳に入る。
だが、それは承知の上。
老人に答えるより先に、部下達へ家中くまなく調べるように指示を出すと、ミルドはゆっくり老人へと向き直った。
「突然のご無礼、申し訳ありません。私はミルドと申す者。この度、ここに住んでいらっしゃいますお嬢様を王宮へお連れするべく、こちらへ派遣されて参りました」
多少でも事が円滑に進むよう、丁寧な言葉遣いで、恭しく頭を下げる。
許可なく家に侵入している時点で穏便に進むとは思っていないが、王宮勤めの騎士として、最低限の礼儀は通しておかなければならない。
といっても、この程度の村の人間に伝わるとは思えないから、形式上だけだが。
こういった下位の人間に対して大事なのは、言葉の内容より、明らかに自分より上位にいる者が頭を下げたと言う事実。これだけで、普段から他者と繋がりのない人間は萎縮し、その後の交渉が楽になる。すべて計算尽くでの行動だ。
かくして、ミルドの思惑通り、老人は明らかに狼狽した様子を見せた。
「い、いや、頭を下げるのはやめてくだされ。そんなことをされても、儂はどうしていいやら……」
思い通りの展開に、ミルドは内心ほくそ笑む。
あまりに予想通りすぎて、多少興醒めした感じは否めないが、これはこれで話が早くていい。
ならばさっさと終わらせてしまおうと、ミルドはいきなり核心をついた。
「では、この家の娘さんにお目にかかりたいのですが、お目通り願えますか?」
笑顔は崩さず、そのままに。出来る限りの優しい声音で。
いきなり連れて行くのはさすがに警戒されるだろうから、まずは本人に会うだけでも……と思ったのだが。
娘という単語を口に出した瞬間、老人の態度が一変した。
「娘などおらん! 儂はこの家にずっと一人で暮らしておる。娘なんぞいたことはない!」
椅子から音をたてて立ち上がり、同時にバン! と机を叩く。
何事かとミルドの部下が調査途中の部屋から顔を覗かせたが、老人はかまわず大声で怒鳴った。
「そんな馬鹿な話をしに来たのなら、今すぐ出て行ってくれ! この村に娘などおりゃせん。儂を含め初老のものばかりの村じゃ。お前さん達は来る場所を間違えておる!」
「……そうですか。この村に娘さんは一人もいないと……ふむ」
事前に仕入れた情報により、この家に娘が住んでいることは分かっている。
だが、こうもハッキリ嘘を言い切るとは。
探したところで見つからないと、高を括っているのか……?
自分達が確かな情報を得たうえで訪問しているなどとは、微塵も考えていないらしい。
否、たとえ情報を得ていなかったとしても、この態度では嘘をついていると言外に伝えているようなものなのだが、本人はその事に気付いていないらしく、焦りを顕に肩で大きく息をしている。
そういえば……。
そこでふと、ミルドの脳裏に先程出会った娘の姿が過ぎった。
この村には初老の人間しかいないと言ったが、では道中で声をかけたあの娘は……?
この家に向かう途中で見かけた、どこにでもいそうな普通の娘。
もしかしたらと思って声をかけたが、特に何かを感じることもなく、後回しでいいと思ったから一旦放置したが。
ここまでの道中目にした若い娘は彼女一人だけであり、且つ、娘はいないと老人が言い切る根拠を推察するならば。
もしやこの村に、娘は一人しかいないのではないか?
だとすると、必然的にあの娘が自分達の目当ての人物ということになる。
「…………っ!」
その答えに辿り着いた瞬間、思わず口角が上がりそうになり、ミルドはそれを慌てて咳払いで誤魔化した。
「ゴホン……分かりました。どうやらこちらの勘違いだったようですね。では、本日はひとまずこれでお暇することに致しましょう」
明らかにほっとした老人の様子に確信を強め、ミルドは部下を呼び戻す。
いないと言うなら、それでいい。
先程の娘がそうであると分かった以上、村内を探して捕らえればいいだけだ。
あまりにも平凡極まりない娘だったため、先程はつい見逃してしまったが。
どうせ後から捕まえることになるのだから、後回しになどせず、さっきの時点で
捕まえるだけ捕まえておけば良かった。
……それに、平凡だからハズレ、と決まっていないことは、過去の経験から十分過ぎるほどに分かっていた筈であったのに──。
任務を始めたばかりの頃、ミルドは王宮に探されるぐらいだからと派手で綺麗めな娘ばかりを連れ帰り、主君に冷ややかな目を向けられたことを思い出す。
ゾッとするほど冷たい瞳だった。それこそ、氷漬けになるかとの恐怖を感じるほどに。
「……ミルド様、どうかされましたか?」
知らず、震えていたらしい。
戻ってきた部下に声をかけられ、ミルドは平静を装いつつ、戦慄く両手を強く握りしめた。
「なんでもない。…‥行くぞ」
老人に会釈すると家を後にし、歩き出す。
娘のこと以外にも気になる事はあるが、今はなにより娘を捕まえることが先決だった。
それが自分達小隊に課せられた、至上命令であるから。
以前の自分であれば、娘を目にした時点で、例えそれがどんな娘であろうと有無をいわさず捕まえていただろう。
それなのに何故、今回は見逃してしまったのか。
永らく王宮から離れていたせいで、知らず任務のことを軽く考えるようになっていたのかもしれない。
どんなに成果をあげようとも、課せられた任務を達成しない限り、自分達に安寧は訪れないのに。
今更ながら、ミルドは激しい後悔に襲われた。
あの時娘を捕まえていれば、こんな風に二度手間にならずに済んだのに、自分はなんと愚かだったのだろうか。
「ミルド様、よろしいのですか? あの家には明らかに娘のいる形跡が……」
「分かっている」
娘がいることが分かっていながら、何故ミルドが村長宅を辞したのかが理解できないらしく、部下の一人がチラチラと背後を振り返っている。
幾ら痕跡があったところで、本人がいなければ何の意味もないというのに、こいつはそれが理解できないのだろうか。
確かに、娘の家があそこである以上、待っていれば必ずいつかは帰ってくるのだろう。
だが今は確実に不在であるし、いつ帰ってくるか分からない娘を待つより、こちらから捕まえに行く方が圧倒的に早い。
だからミルドは村長宅を早々に辞し、こうして外へ出て来たわけなのだが──。
どうすれば、あの娘を捕まえられる?
その答えを、見つけることができずにいた。
村内はさほど広くはない。
しかし、重い甲冑を着けた自分達が追いかけっこをしたところで、娘を捕まえることができないのは火を見るより明らかだ。
加えて娘は、かなり足が速かった。
一瞬追いかけようかと逡巡した隙に、忽然と姿を消してしまっていたほどだ。
甲冑なしで追ったとしても、追いつけるかどうか分からない。
「ならば、どうするか……」
小隊の人数を活かして、徐々に追い詰めて行くか?
いや、それでは村全体に大捕物をしていると知らしめるようなものだし、娘どころか村人全員を怯えさせてしまう恐れがある。
いざとなれば手荒な手段を用いることもやむを得ないとは思うが、娘を捕らえた後のことを考えると得策ではないし、それは最終手段にするべきだ。
可能な限り穏便に事を運び、娘を捕らえた後、この村の秘密について村人達に問いたださねばならないのだから。
「となると、後は……」
新たな策を考えようと眉間に皺を寄せる。
刹那、ミルドはいきなり目の前に現れた人物に、驚いて目を瞠った。
「お前は……」
ごくりと唾を飲み込み、僅かに足を踏み出す。
ミルドの目の前には、今まさにどうやって捕まえようかと考えあぐねていた相手──ラズリがいたのだ。