ポンコツ魔性
宿屋のベッドの上で意識を取り戻したラズリは、先程目を覚ました時とは違う気持ちで天井を見つめていた。
さっきは知らない天井だと思ったけど…‥今回はさすがに覚えてる。
おじいちゃんが死んでしまった後、奏が私をここへ連れて来てくれたんだよね。
親切にしてもらったのに、さっきは思い切り八つ当たりをしてしまった。
その後の事は全く記憶にないけれど。
ベッドに寝かされていたという事は、きっとまた意識を失ったんだろう。
せっかく助けてくれたのに……。
酷い事を言ってしまった──ような気がする。
実際奏に八つ当たりした時は、頭の中も気持ちもぐちゃぐちゃになっていたから、何を言ったのかすら覚えていない。
ただ、奏の悲しそうな表情だけが記憶に残っていて。
彼にあんな顔をさせてしまったと思うと胸が痛んだ。
とにかく、奏に謝らなきゃ……。
慌てて身体を起こし、室内を見回す。
けれど、すぐ側にいると思った奏の姿はどこにも見当たらなくて。
「え……」
奏がいない。
たったそれだけの事で、一気にラズリの胸は不安で一杯になった。
どうしよう、まさか奏がいなくなるなんて。
命を助けてもらっておいて、勝手な事を言った自分に、愛想を尽かしてしまったのだろうか?
それとも、理不尽に八つ当たりなどしたせいで怒らせてしまった?
「どうしよう……」
探しに行こうにも、ここがどこだか分からないうえ、外へ出た所で右も左も分からない。
探すつもりが迷子になって終わり……という未来が簡単に予想できる。
でも、もし本当に奏が自分に愛想を尽かして出て行ってしまったのならば、せめて謝るぐらいはしたい。
たとえそれが自己満足であろうがなかろうが、謝罪すらできずに別れるなんて。
「そんなの絶対に──」
「おや、もう動いても大丈夫なのですか?」
「………………‼︎」
両手で拳を握り、思いの丈を口にしようとした瞬間、背後から突然声をかけられ、ラズリは驚きのあまり口から心臓が飛び出しそうになった。
咄嗟に口を押さえ、慌てて背後を振り向く。
「見た所大丈夫そうですね。お元気になられたようで、なによりです」
そう声をかけて来たのは、まるで物語の中から抜け出して来たような美しい青年で。
彼は微かに笑みを湛えて佇んでいた。
え? なに? この人は誰?
部屋の中には誰もいなかったと思うけど……。
突如として目の前に現れた、美しい青年。
膝まで届くかという程に長い、長い緋色の髪を一本の三つ網にして束ねていて、同じ色の双眸は穏やかなようでありながら、どこか冷たい光を放っている。
纏っている服装も全て同じ色で統一されているものの、単に赤い布を纏っただけのような奏とは違い、こちらは若干王子様風というか貴族風というか、かっちりとした高級そうな服の上に緋色のマントを羽織り、育ちの良さが全面に滲み出ている感じだ。
一見しただけでは、男女の特定ができない抽象的な雰囲気も、青年の美しさに拍車をかけているように思えて。
なんて綺麗なんだろ……。
ぼんやりと見惚れながら、ラズリはそんな風に思った。
奏だって、人間の美形などとは比べ物にならない、類稀なる美貌の持ち主であるのだが、目の前の青年はなんというか……それすら遥かに凌駕する、眩いばかりの美貌の持ち主なのだ。
怖いぐらいに整った容姿は、綺麗と言うよりほか形容の仕様がなく。
自分の知り得るどんな言葉でその見た目を表そうとしてみても、陳腐なものしか思いつかず、失礼な気になってしまう。
「でも、なんで?」
分からないのは、そんな美貌の青年が、いきなり自分の前に現れた理由だ。
奏の時もだが、どうやら自分は、よくよく魔性に縁があるらしい──何もない空間から出現した時点で、青年が魔性であることは分かりきっていたから──。
そんな風に思いたくなくても、二度も同じことがあれば、どうしたってそう思わざるを得なくなってしまう。
「私…‥何かしたっけ?」
一度目──奏に出会えたことは、彼のおかげで祖父の死に目に会えたから、いい方向に考えることもできるけれど。
魔性に出会うのが二度目である今回も、その時と同じようにいい方向へ考えられるかといわれたら、一概にそうとは言い切れない。
目の前の青年の発している雰囲気的に悪意はなさそうな気はするが、どうしたらいいか分からず、ラズリはじっと青年を見つめた。
「……なんでしょう?」
「い、いえ、別に……」
不意に声をかけられ、思わず視線を逸らす。
内心で『それはこっちの台詞なんですけど?』と思ったが、勿論言えるわけがない。
この人は、何をしにここへ来たんだろう?
用があるなら言ってくれればいいのに、無言でいられると物凄く落ち着かない……。
かといって、自分から声をかけるのは憚られる気もする。
せめて奏がいてくれたら良かったのに……ていうか、奏は本当にいなくなっちゃったのかな……。
だったら早く探しに行かなきゃと思うものの、見知らぬ青年を無視して行くわけにもいかず。
どうしたらいいの? これ……。
悩んでいると、またも青年に声をかけられた。
「……先程から口を押さえていらっしゃいますが、口をどうかされたのですか?」
「あ……」
どうやら、驚いた反動で口に手をやったまま、ずっと考え事をしていたらしい。
言われてラズリはすぐに口から手を外したが、その時何故か余計な一言が口をついて出てしまった。
「ど、どうもしません。さっきはちょっと……心臓が口から出そうになったので……」
「心臓がですか? 人間はそのような事があるのですね。大変興味深いです」
「え、い、いや、あの、た、たまにしかありませんけどね?」
たとえ偶にであったとしても、口から心臓が出たら大問題である。
自分は一体何を言っているんだと思いながら、ラズリは引き攣った笑みを浮かべた。
相手の顔が整い過ぎているせいで感情は読み取れないし、変な汗は出てくるし、誰か対処の仕方を教えて欲しい。
そもそもこの質問は、冗談なのか本気なのか? と考えた所で、青年が何かを思い付いたかのように手を打った。
「ではあの、お近付きの印に是非やって見せていただいても?」
「え……っ」
まったく近付いた気がしないんだけど。
むしろ全力で遠去かりたい……。
困ったラズリが反射的にそう思ってしまったのは、仕方の無い事だったろう。
え、この人、え、心臓が口から出せるって本当に思ってる?
物凄く怖い思いしたり、驚いたりしたらもしかして……いや、もしかしなくても無理、出来ない。
でも出来ないって言えない空気……これどうしよう、どうしたらいい?
答えを見つけられず、ラズリの瞳が忙しなく動く。
どうしよう……これ、早目に謝っちゃった方が良いよね? 出来ない物は出来ないし……。
ここは潔く謝って、お断りしよう。
そう思い、ラズリがゴクリと唾を飲み込んだ刹那、耳元で聞き慣れた声がした。
「こ〜ら闇、お前ラズリを苛めて遊んでんじゃねえよ。泣きそうになってるじゃねえか」
ふわりと抱きしめられて宙へ浮き、そのまま椅子に座った奏の膝の上へと下ろされる。
「えっ、そ、奏?」
驚きと嬉しさに顔を上げた瞬間、至近距離で赤い瞳と目が合い、ラズリは恥ずかしさに慌てて下を向いた。
「ふっ……」
機嫌の良さそうな声が耳元で聞こえ、よしよしと頭を撫でられる。
子供扱いしないでと怒りたいのに、近過ぎて顔を上げる事ができない。
それに、せっかく戻って来てくれた奏の機嫌を、また損ねたりしたら大変だ。
取り敢えず今は大人しくしておこうと、ラズリは奏の膝の上で、少しだけ縮こまった。
「わりぃなラズリ。こいつ俺の友達で闇って言うんだけど、かなり性格が捻くれててさ。悪意の塊みたいな奴だから、無視してくれていいからな」
「………………」
あまりと言えばあまりの奏の言いように、『友達なんだよね?』と、つい突っ込みたくなったのは仕方ないと思う。
それにしても、悪意の塊って……外見が良過ぎるのはその反動だとでも言うのだろうか。
そういえば、物語の悪役は大抵美形だったかもしれない……なんて、過去に読んだ本の記憶を思い出したりしたけれど。
「心外ですね。私がこうでもしなければ、どこかの誰かさんがヘタレすぎて、ラズリ殿の前に姿を現す事さえ出来ないと思ったからこそ、敢えての悪役を演じて差し上げたというのに」
「ぐっ……!」
恩を仇で返すとは、こういう事を言うのでしょうね、と闇は一人でうんうんと頷く。
「これでも私ほど主君思いの臣下はいないと自負しているのですが、そうですか……悪意の塊……。このままではラズリ殿が思い詰めてしまうのではないかと心配して、気をまわした私が、貴方の目にはそう見えていると……成程……」
「奏、いくらなんでも言い過ぎなんじゃ……」
見るからに落ち込む闇が、可哀想になってくる。
確かに初対面で言われた事には戸惑ったけれど、それも自分の為だったと思えば、奏が言うほど悪質だったとは思えない。
それに何より、美形が落ち込んでいる顔というのは、見ていてこっちが辛くなるのだ。
「ねえ、奏……」
「あ〜もう! 分かった、分かったよ。確かに俺はヘタレでした。目を覚ましたラズリが不安そうだったのに、なんとなく顔合わせづらくて隠れてました。正直闇が行ってくれなかったら手遅れだったかもしれません〜。……これでいいか?」
これでいいか? って……。
まるで拗ねた子供のような言い方をした奏に、ぽかんと口を開けてしまう。
それに目敏く気付いた奏に、口の動きだけで『閉じろ』と言われ、ラズリは慌てて口を閉じた。
いけない、いけない。思わず口が開いちゃった。
それにしても、どうして奏は自分と顔を合わせづらかったんだろう?
その理由を考えて、ラズリはすぐにハッとなって彼を見上げた。
「奏、ごめんなさい。私と顔を合わせづらかったのって、私が変に八つ当たりしちゃったからだよね? 奏は何も悪くないのに、私が自分勝手に──むぐっ」
話の途中で口を塞がれ、言葉を封じ込められる。
口を塞ぐ大きな奏の手に目を白黒させていると、申し訳なさそうな赤い瞳と目が合った。
「違う。俺が顔合わせづらかったのは、俺自身の都合であって、ラズリのせいじゃない。だから謝る必要なんかない」
奏は優しいから、本当は違うのに、わざとそう言ってくれているのかもしれない。
でも、だったら部屋にいて欲しかった、とちょっぴり恨みがましく思ってしまうのは、いけない事だろうか。
その気持ちが、目に表れてしまっていたのかもしれない。
「文句言うなら、ずっとこのままだからな」と言われ、ラズリは慌てて何度も大きく頷いた。
このまま奏にずっと口を塞がれていたら、窒息する前に羞恥で死ねたかもしれないから。
「……では、落ち着いた所で本題に入らせていただきますね」
椅子に座ったラズリと奏の目の前、空中に座る体勢で優雅に長い足を組むと、闇は徐にそう言った。
「は?」
「え?」
キョトンとした二人ににっこりと微笑みかけ、闇は続ける。
「大変申し訳ありませんが、これでも私は大変に忙しい身でして。遊んでいる暇はありませんので、今後のお二人の行動について、早急に話し合いをさせていただきたいのです」
「いやいやいや、いくらなんでもまだ早過ぎるだろう。ラズリは村を出たのも初めてなんだし、これから外の世界に慣れ──」
「はい?」
奏の言葉を遮ったのは、物凄い圧のかかった闇の声。
たった二文字にどうやったらここまでの迫力を持たせられるのか、とつい考えてしまうほどの圧力があった。
「生活の基本など、どこでも大して変わりはありませんよ。以前は獣として暮らしていたとでも言うのなら一考の余地はありますが、まさかそんな事はありませんよね?」
「あ、はい……」
「でしたら何も問題はありません。それに、こういった問題は先送りにすればするほど新たな問題が増え、対処が大変になるのだと、これまで何度もお伝えしている筈ですが、まだご理解なされていないのでしょうか?」
後半部分は、なんだか部屋の温度がいくらか下がったような、身震いするような寒さを感じた。
表情は満面の笑みといった風なのに、闇の瞳はまったく笑っていない。
言葉を紡ぐ声も心地良く耳に響く低目の声である筈が、刺さるような冷気を伴っている気がするのは、部屋の気温のせいだろうか。
そっと奏の様子を窺えば、明らかに動揺していて。
こちらも表面的には笑みを作ってはいるが、首から冷や汗が幾筋も伝っていた。
友達関係って、難しいのね……。
村にいた時、年齢の近い人がいなかったから、ラズリには友達のいた経験がない。
だから、友達がどういったものなのかよく分からないのだが、友達だという奏と闇のやり取りを見る限り、自分に友達は作れそうにない、と思った。
本で見た感じでは、友達って、もっと楽しくて気楽な関係の事かと思っていたけど。
こんな風に頭を使って全力で言い負かしあうなんて、自分には到底無理だ。
村を出る前は友達を作る事にも憧れていたが、無理だと早目に分かって良かったと、ラズリはなんとなくスッキリした気持ちで息を吐いた。
尤も、奏はとてもそれどころではないようだったが。
「……で? これからラズリ殿はどうなされるおつもりですか? 王宮へ向かわれますか? それとも──」
「王宮なんか行くわけないだろう!」
闇の言葉を遮り、奏が大声で言う。
しかし闇はチラとも奏を見なかった。
「私はラズリ殿にお窺いしているのです。貴方は余計な口を挟まないでいただけますか?」
「や、でも俺はラズリの気持ちを代弁して……」
「ラズリ殿はどうされたいのですか? 私はそれがお聞きしたいのです」
真っ直ぐに闇から視線を向けられ、ラズリは考えるように下を向く。
まさか、こんなにも早く決断を求められるとは思ってもいなかった。
住む場所がないからと言って、いつまでも宿屋に居られないことは分かる。
けれど、住んでいた村を失くしたばかりであるし、先の事などまだ考えられない。
なのに闇は、これからどうするのかと尋ねてくるのだ。
全てを失くし、知らない世界にいきなり放り出され、今後どうやって生きていけば良いのかさえ分からない自分に。
「……ラズリ殿、私は何も難しい事を聞いているわけではありません。私が知りたいのはただ一つ。貴女が王宮へ行くか行かないか、それだけです」
「だから行かないって……!」
再び声を上げた奏に、闇の凍てつく視線が向けられる。
思わず口を噤んだ奏に目を向けてから、ラズリはゆっくりと闇を見つめた。
「王宮に行くか行かないかと言うなら……行く」
「ラズリ!」
「勿論すぐとか、そういう風には考えられないけど。でも、このまま逃げていたら何も分からないでしょ? 私は知りたい。どうして私が王宮に連れて行かなければならなかったのか、どうして村の皆を殺してまで、そうしなければならなかったのかを」
それが残された自分の使命であるかのような気さえする。
自分を手に入れたがった王宮へ、こちらから向かうというのは少々癪に触るが、そうしなければ何も分からない。
それに、いつか捕まる恐怖に怯えながら逃げ続けるのも、辛い事には違いないのだ。
「けど、捕まったらどうなるか……」
まだ十分な調査も出来ていないのに、と奏が不安気な顔をする。
正直ラズリも、本音は王宮へなんて行きたくないし、捕まった後どうなるのかが分からなくて怖かった。
でも、永遠に逃げ続けるなんて絶対に不可能な事だけは分かるから。
「危なくなったら、奏が助けてくれるでしょ? 魔性なんだし、その辺の人間よりは強いよね?」
そう言って、少しだけ微笑った。
出逢ってからそれ程時間は経っていないが、彼なら自分を助けてくれるだろうと思う。
今もこちらに向けられている赤い瞳に宿る優しい光は、偽りじゃないと感じるから。
「あ、当たり前だろ。俺がラズリを見捨てるわけないって」
「懸念事項と致しましては、時々ポンコツになる所でしょうか……」
「おまっ……」
「ポンコツ?」
聞き慣れない言葉に、ラズリは思わず首を傾げる。
刹那、わざとらしいぐらいに奏が大声を出した。
「き、き気にするな! 知らなくても別に困らない。そ、それより行くと決めたなら色々話し合わなきゃいけない事があるだろ? その為にも早く今後について相談をだな……」
突如として謎のやる気と共に喋り出した奏の姿に、ラズリは益々首を傾げる。
でも、奏が否定的だと困るから……協力的になってくれたならいいか、と思って気にしない事にした。
『ポンコツ』という謎の言葉の意味が気になるといえば気になるが、聞いた所で教えてもらえそうにないし。
もしもこれから、闇と二人だけになる機会があったら、その時に聞けばいいよね、と独りごちた。
そうして今後必要な事を三人で話し合った後──それから暫くの間、奏はラズリにべったりで、起きている時はトイレやお風呂以外では一時も側を離れる事がなかった。
そうしながら、彼女が眠っている際のみ、ふらりと居なくなっては目覚める前に戻る、という行為を密やかに繰り返していた。
その頃ラズリが滞在していた街中では、物忘れをする人が急激に多発し、奇病の一種なのではないかという噂が飛び交っていたのだが、彼女の耳にそれが入る事はなく。
旅に必要な準備を整え、何事もなく街から出立した頃には『ポンコツ』なる言葉は、ラズリの記憶から綺麗さっぱり消え失せていた。
それと共に、街を騒がせていた物忘れが酷くなる奇病も唐突に終息したのだが。
何の前触れもなく流行し、かと思えばいきなり終息したその奇病に、人々はみな首を傾げたのであった。
「人間の一部の記憶のみ消す為に、ここまで練習が必要だとは……予想以上にポンコツですね」
自分達の居た痕跡を完璧に消した後、街を去る際、闇はそう呟いた。