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青い髪の女魔性

 王宮のもっとも奥深く、ひっそりと存在している場所がある。

 昼夜を問わず闇に覆われ、物音一つせず、いつでも静まり返っているそこは、華やかな王宮の内部にあるとはとても思えない。


 それほどまでに、王宮とは似つかわしくない場所。

 故にその存在を忘れている者は数多く、存在自体知らない者も数え切れない程いる。


 訪れる者といえば、そこの警備を命じられているただ一人の人間だけ。 

 そんな寂しい場所の一室に、薄汚れた空気にまるでそぐわない美しい女が一人、囚われていた。


「もう、どれほどの時が経ったのかしら……」


 両手・両足を鎖に繋がれ、天井から吊るされたような格好で、女は深いため息をつく。

 わたくしには時間も何も、知ることができない……。


 室内は陽の光さえ届かず、三度の食事を必要としない彼女にとって、時を知る術は何一つない。

 鎖に繋がれたまま動くことなく、ただ有り余る時間を鬱々と過ごしていく……それだけが、今の彼女に許されたすべて。


「いつまでここにいればいい? いつになったら解放されるの……?」


 囚われの身となってから、幾度となく繰り返してきた問い。

 この地獄のような日々から逃れられる日は、来るのだろうか?


 何をすることもなく、何もできず、吊るされたままの状態で、後どれだけの時を過ごせばいいのだろう? 

 後一日? 一週間? 一年? それとももっと───。

 

「冗談では……ないわ」


 震える声で呟き、女は唇を噛む。


 いつまでもこんな場所に閉じ込められているなど、とても許せる事ではない。

 早く、一刻も早く元の場所に帰らなければ、大切な主に愛想をつかされてしまう。


 一目見た瞬間から恋焦がれ、彼の方(かのかた)のお側にお仕えしたいと願い続けて、ようやくそれが叶うと思えた矢先だったのに。   

 それが、こんなことになるなんて。


「どうしてなの……」


 このままでは、これまでの努力がすべて無に帰してしまう。

 輝かんばかりの美貌を持った彼の方に言い寄る魔性は、数限りなく存在するのだ。


 少しばかり気に入っただけの魔人の存在なんて、傍にいなくなった時点ですぐに記憶から抹消され、最初からいなかったことにされてしまうだろう。

 なんとかして彼の方の目に止まろうと、これまで尋常ならざる努力を積み重ねてきたというのに。


「なぜ、わたくしでなければならなかったの?」


 このような目に遭わされる存在が。

 あの日人間共に捕らえられる存在が、なぜ自分でなければならなかったのか。


 なにも自分でなくとも、他にいくらでも目に付く魔人はいただろうに。

 よりによって、どうして自分でなければならなかったのか、と。


 いくら考えても、その答えは出ない。

 でなければ今頃、自分はこんな場所にいなかった筈なのに。


 あの日あの時、あの場所にさえ行かなければ───。


 ここへ囚われてからというもの、何度そう思ったことだろう。

 たった一日の、一瞬の出来事によって、自分の運命は狂わされた。

 若しくは、これが運命だったとでもいうのだろうか?


「そんな筈ないわ……」


 強い決意をこめて、彼女は呟く。


「そうよ、あの時のわたくしは単に運が悪かっただけ。普段したことのないことをしようとしたから、運悪くこんなことになってしまっただけなんだわ……」


 運命なんてもの、ありはしない。

 たまたま今回は、慣れないことをしようとしたがため、上手くいかなかっただけのこと。 


 まさか人間ごとき分際が、誇り高き魔性である自分に害を及ぼすことができるなど、思いも寄らず。

 水浴びをしていたところへ不用意に近づいてきたから、適当に遊んでやってあざ笑い、魔性に手をだした報いをその身に受けさせようとしただけだった。


 自分には、そうするだけの力があったから。 

 人間に手を出すのは初めてのことであったが、上手くやれる自信はあったのだ。


 あの忌まわしき───呪符さえなければ。


「あんな物さえなかったら……」


 濁った川のようにどんよりとした水色の瞳で、未だ己の腹の辺りに貼り付いている一枚の札を見つめる。

 たった一枚だけだというのに、それが身体に張り付くや否や急激に魔力が奪われ、身動きがとれなくなった。

 そうして魔力を奪われた後、なす術もなく捕らえられ、ここに監禁されたのだ。


 魔性の能力の源である魔力。

 奪われてしまえば、能力が使えなくなるのはもちろんのこと、身体を動かすことさえできなくなってしまう。


 でも人間が、そのことを知っている筈はない。

 知らない筈──なのに。


「あの人間共は、それを知っていた……?」


 そうでなければ、こんな物作れはしない。

 這い上がってくる嫌な予感に、女はぞくりと身体を震わせた。


 何故? どうして?


 知られる筈がない。知る方法などありはしない。

 だが、だとしたら、今なお自分を苛み続けているこの呪符は、一体何の為に作られたというのか。


 今まで一度たりとも、このような呪符があるという話は聞いた事がなかった。

 いくら自分が人間と関わったことがないとはいえ、そのように危険な物があったなら、情報として立場的に必ず自分の耳に入っていた筈なのだ。


 しかし、それがなかったが故に、捕らえられる事となってしまった。

 事前にその存在を知ってさえいたならば、どうとでも対処のしようはあったのに。


「でも、そういえば……」


 そこでふと思い出した記憶に、女は眉を顰めた。

 魔力を失った喪失感と、捕らえられた事による屈辱のせいで、これまで捕らえられた時の事は考えないようにしてきたが、改めて思い返してみると、あの時の人間供の様子はどこかおかしかったように思う。


 魔力を失って倒れ伏す自分に対し、彼等はこちらが動けない振りをして隙を窺っているのではないかと、終始怯えていた。

 恐る恐る自分に近付いて枷を嵌めた時も、ここへ着くまでの道中も、絶えずこちらを警戒し続けていたのだ。


 もし以前にも同じようにして魔性を捕まえたことがあったのならば、そのように怯える必要などない筈。

 なのに、あの態度は───。


「もしかして……」


 そこで一つの予測を導き出し、女は目を見開いた。


 彼等が呪符を使ったのは、もしやあの時が初めてだったのではないだろうか?


 そして自分は、その実験台に使われた。


 仲睦まじい人間供が多く集う湖で、これ見よがしに水浴びをしていたのがいけなかったのか。

 気紛れで人間の男を誘惑しては、その男と仲睦まじかった筈の女の表情が、絶望へと変わる様を笑っていたのがいけなかったのか。


 理由は分からないが、自分は贄として選ばれた。

 なんという侮辱だろう。

 この自分が人間如きの実験体に選ばれ、まんまと策に嵌められるなど。


 これでは例えここから逃げ出せたとしても、彼の方の下へ行く事など到底出来はしない。

 幾ら知らなかったとはいえ、人間に遅れをとった自分など、その瞳に映る権利すら与えてはもらえないだろうから。


 せっかくあそこ迄の地位を手に入れたのに。

 もう少しで、彼の方に自らの名を呼んで貰える筈だったのに。


「どうして……」


 と、また同じ問いを口にする。

 もう何度、何十回、何百回も問うた問い。

 どうして? 何故? どうして? と。


「わたくしは……何もしていない。ただ少し遊んでいただけで……それ以上の事は何もしていないのに……」


 生け捕りにして放置するなら、もっと相応しい魔性が沢山いた筈。

 自分などより残忍で凶悪で、数えきれないほど人間を殺めた魔性だっていたというのに。


「なぜ、わたくしなの……?」


 分かっている、これが始まりなのだという事は。

 自分を実験台にし、予想通りの結果が出たというならば、次に人間供が為す事など考えずとも分かる。


 未だ己の魔力回復を妨げているこの呪符の、大量生産。

 なにしろ、たった一枚の札で魔人を無力化する事ができるのだ。


 大量に作り出されようものなら、魔性絶対有利の現在の勢力図すら変わってしまう恐れがある代物。

 幾らなんでも魔神相手に通じる事はないと思うが、呪符自体の情報がなさすぎて、それすらも不透明で断言は出来ない。


「わたくしのせいで、彼の方にご迷惑をおかけしてしまったら……」


 考えもしていなかった。

 予想すらする事はなかった。


 けれど、これは確実に、自分が人間などに捕まった事により始まるのだ。

 今後この場所には、自分と同じ目に遭った魔性が次々と運び込まれて来るのだろう。


 そうしたら自分は、同胞からの蔑みを一身に受ける事となるに違いない。

『お前が捕まったせいで』と。


 決して捕まりたくて捕まったわけではない、先か後か、ただそれだけの問題であったとしても。

 先である自分は責められる道しかない。


 何故なら、先がなければ後は生まれないのだから。

 自分が捕まりさえしなければ、人間供の作った呪符の有効性は、まだ一度知られずに済んでいたであろうから。


「どうして……嫌、嫌よ」

 

 無駄だと知りつつ、女は自らを拘束する鎖を揺する。


「どうして今まで気付かなかったの……」


 自責の念に駆られ、歯をくいしばった。

 囚われてからというもの、考える時間は山のようにあったというのに、人間などに捕まった自らの過ちを後悔するばかりで、その原因まで追求する事はなかった。

 冷静になって考えてみれば、こんなにも恐ろしい事実が隠されていたというのに。

   

「このままでは……なんとかしなければ……」


 一体どれ程の時間を無駄にしたのだろう。

 呼ぼうと思えば助けを呼ぶこともできたのに、つまらない自尊心からそれをしなかった事を、今更ながら悔いた。

 

 そんなつまらない自尊心など、さっさと捨てていれば良かったのだ。

 だが、このような情け無い姿を晒した時点で彼の方に近付けなくなるのが分かっていたから、どうしても助けを呼ぶ気にはなれなかったし、呼びたくもなかった。

 彼の方の事だけは、死んでも諦めたくなくて。


「でも、彼の方にご迷惑をおかけするぐらいなら……」


 ゆっくりと息を吸い、一つの名前を頭に浮かべる。

 そうして口を開こうとした刹那、なんの前触れもなく、いきなり一つの足音が女の耳へと飛び込んできた。


「なに……?」


 助けを呼ぼうとしていた事を一瞬忘れ、彼女は動きを止めてじっと耳を澄ませる。 

 聞こえてくるのは、今日まで幾度となく自分の元を訪れた人間のものとは違う、初めて耳にする足音で。


 ゆっくりと、だが確実にそれは彼女の元へと近づいてくる。


 今更わたくしに、何の用なの……?


 捕らえてからずっと放っておいたくせに、ここから逃げようとした途端に現れるなんて。

 とてつもなく嫌な予感に襲われ、身体が微かに震え出す。


 逃げなければ──そう思うのに、喉が乾いてひりつき、声が出せない。

 なんとか口だけでも動かそうとしたが、それすらもできずに絶望した。


 足音の主に、会ってはいけない。


 どこからか、そんな声まで聞こえてくるような気がする。


 来ないで、来ないで……。


 祈るようにそう願うも、足音は確実に近付いて来ているのが分かる。


 この気持ちは何?

 こんな恐怖は今まで一度だって感じた事はないのに。

 わたくしは一体何に怯えているというの……?


 逃げる事も声を出す事も出来ず、女は全身を戦慄かせながら足音を聞いていた。

 足音の主が姿を現した時、間違っても見てしまう事がないよう強く両目を閉じて。


 そして願わくば、ここへ来る前に足を止めて欲しい。

 途中で引き返して欲しいと願った。


 しかし、その願いは叶う事なく、彼女が吊るされた牢の前へと足音の主がやってきたのは、それから間も無くの事だった。




※ 

 



 カツン、カツン、カツン───。

 硬い足音を響かせながら、誰に案内されることもなく、ルーチェはまっすぐに牢獄内を進んで行く。


 目指しているのは、暫く前に捕らえた女魔性が繋がれている部屋。

 自らの力がどれだけ魔性相手に通用するか──それを試すため一枚の呪符を作成して部下に与え、捕らえさせてきた存在。


「それがまさか、こんな風に役立つことになるなんてね……」


 呟き、こらえきれずに笑みを零す。

 魔性の能力のほどが知りたいと思いつつ、どのようにしたら調べられるのか方法を思いつかなかった為、捕らえただけで放置していたのだが。  


「果報は寝て待てというのは、こういう状況の事を言うのだろうね……」

 

 まさかこうも上手い具合に、向こうから機会が飛び込んでくるとは思いもしていなかった。

 魔性対魔性の戦いが目の前で観られるのであれば、彼等の能力を知るのにこれ以上の事はない。


 その事を考えると思わず小躍りしたくなるが、その気持ちを抑え、なんとか忍び笑いを漏らす程度に留める。

 もしここで大きな笑い声をあげたりして、囚われの女魔性に妙な警戒心を与えてしまっては逆効果だ。

 なんとか平静を装わなければ、と数回深呼吸をし、ルーチェは息を整えた。


「それにしても……」


 今回標的とした魔性のことを考えると、どうしても口元が緩むのを堪え切れず、つい笑みを漏らしてしまう。

 ここ何年かルーチェは懸命に魔性のことを調べ上げ、その全色彩を網羅したつもりでいたが、先日ミルドに告げられた新たな魔性の色彩は、そのどれもに当てはまらなかった。


 王宮の情報網を駆使したのにも関わらず、一件たりとも目撃例のなかった、赤い色を纏った魔性。

 これまでずっと息を潜めるかのように姿を見せなかったのに、今回新たに報告を受けた娘に手を出した途端現れたというから、出現の仕方からして奇妙極まりない。


「あれだけは絶対に捕まえないとね……」


 初めて見つけた希少種だから、というだけではない。 

 今まで欠片もこちらに存在を悟らせなかったのにも関わらず、何故今更になって突然姿を現したのかが、物凄く気になる。

 最早姿を隠す必要が無くなったのか、或いは別の理由によるものなのか、知りた過ぎて堪らない。


 それに、ミルドが苦労して見つけ出した娘と一緒にいたという点も、気にかかる。


 そもそも、幾ら鬱蒼とした森の中にあったとはいえ、村なんてそうそう上手く隠せるものではないのだ。

 一軒家であるというならともかく、何軒もの家があり、自給自足できるだけの田畑や設備がある村だというなら尚のこと。


 そんな村が何年も人目につかず、あまつさえ王宮騎士の一個小隊が幾度も見逃すなどという事は絶対にあり得ない。

 だとすればその原因は、魔性のの仕業によるものと言って差し支えないだろう。


 そこまで邪魔をしておいて、何故今頃になって娘を見つけさせる気になったのかは分からないが、野放しにしておけば必ずまた邪魔をしてくるだろう事は容易に想像がついた。


 目的の娘を手に入れる為には、赤の魔性の存在は障害以外のなにものでもない。

 だとすれば確実に、排除しなければならなかった。


「その為に───」


 女魔性を捕らえている牢の鍵を外し、格子を開く。

 徐に牢内へと足を踏み入れたルーチェは、しかし次の瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず目を疑った。


「…………え?」


 さぞかし自分を恨んでいるだろうと思っていたから、射殺されるような殺気を伴って睨み付けられているだろう事を予想していたのに。

 初めてその姿を目にした女魔性は、そんなルーチェの予想を裏切り、両目をきつく閉じた状態で歯を食いしばり、全身を小刻みに震わせていた。


 …‥何故だ?

 

 女魔性から明らかな怯えの感情を見て取り、ルーチェは内心で首を傾げる。

 いや、実際に首を傾げて、女魔性に訝し気な視線を向けていた。


 捕らえてからずっと放置していたが、ここまで怯えられるような事をした覚えはない。

 ここへ訪れる前に一応見張り番からの報告を聞いたが、特にこれといった事は言っていなかったと思う。


 為す術なく、繋がれた状態のまま大人しくしている、と。

 たまに独り言を言っているぐらいで、特に変わった様子はないと聞いていたのだが。


 明らかに怯えている。というか、怯えられている?

 まさかの僕が?


 どうしたものか、と顎に手を当て、数秒考える。

 それから後、ルーチェは相手の警戒心を緩ませるようと、最大限に優しい声色で言葉を発した。


「大丈夫かい? 酷い目に遭わされたものだね。こんなにも美しい人をこのような場所に閉じ込めておくなんて、罪深いにも程がある。僕にはとても考えられないよ」


 自分が命令した事だというのに、まったくそれを感じさせずに、さらりと嘘を吐く。

 そうした上で彼女に近づき、ルーチェは女魔性の視線の高さに、自らの目線を合わせた。


「君をここから出してあげるよ。だから一つだけ、僕の頼みを聞いてくれないかな?」

「頼み……?」


 ここから出られるという言葉に僅かばかり心が動いたのか、そこで初めて女魔性が反応を示す。


 よし。もう、あと一押しといったところかな……。


 感じた手応えにルーチェはにこやかに微笑んで、女魔性の閉じた瞳を至近距離から見つめると、甘く切ない声で囁きかけた。


「僕の瞳を見て───」


 言い終わると同時、土色だったルーチェの瞳が黄金のそれへと変わる。


「僕の頼みは一つだけ。どうか、一度でいいから僕の瞳を見て……貴女の美しい瞳を見てみたいんだ」


 たった一度。

 嫌なら一瞬だけでもいい。

 貴女の美しいであろう瞳を見せてくれたら、それだけで僕は貴女に自由をあげる。


 ほんの一ミリたりとも思っていない優しい言葉が、まるで溢れる水のようにルーチェの口から流れ出る。

 絶望に染まり、怯えきった女魔性の心に沁み込むべく、暖かくも優しい声で。


「今を逃せば、僕はもう貴女を助けられなくなってしまう。ここにはコッソリ忍び込んだから、二度目はないと思うんだ。だから……ね? 僕に貴女を救う機会を与えて欲しい」


 優しい手の感触が、彼女の両頬を包む。

 思わず安心するようなその暖かさに、それまできつく閉じられていた瞼から、ゆっくりと力が抜けた。


 よーし、良い子だね……。


 言葉とは裏腹な事を考えながら、ルーチェはダメ押しとばかりにもう一度繰り返す。


「ねえ、僕の瞳を見て……」


 女魔性の長い睫毛が、数瞬躊躇うかのように痙攣し、持ち上がる。

 目を開けた瞬間、彼女の視界は眩い黄金の輝きによって埋め尽くされた。


「あ……あ……」


 騙された、と思う暇すらなかっただろう。

 両目を開くと同時に流れ込んできた光の奔流に、彼女の意識は一瞬で呑まれ、押し流された。


 元々魔力を失い弱っていたところに、至近距離から攻撃を受けては、避ける術などなかっただろうが。


「……やれやれ、意外と強情で疲れたな。もっと簡単にいくと思ってたのに」


 意識を失った女魔性を部下に運ばせながら、ルーチェは肩を竦める。


 もう何日も食事と水を与えていなかったから、助けると言えば簡単に飛び付いてくると思った。

 なのに久しぶりに見た女魔性には弱った様子などなく、逆に全力拒否の構えをとられ。


「たかが魔性一匹言いなりにするのにこれって……嫌だなあ。僕、疲れる事大嫌いなのに」


 面倒臭さが先に立ち、ついやり過ぎてしまった。

 当初の狙いとしては、囚われの姫を助けに来た英雄のように思わせ、好意を抱いて貰えれば良かっただけだったのに。


 魔性の世界において、想いは絶対的な力だ。

 想いが強ければ強いほど、それは未知ともいえる力を呼び起こし、魔性としての能力を高め、強くする。

 それこそ、下級魔性が上級魔性と渡り合えてしまうほどに。


 だから、捕らえた女魔性を駒にすると決めた時、彼女から好意を向けられる事が絶対条件だとルーチェは考えた。

 想いが力に変わる分、魔性は想い人からの強制力をその身に受ける。

 一度心を決めてしまえば、その想いの強さに比例して、想い人の言いなりへと成り下がっていってしまうのだ。


 限界以上の能力を使えるだけでなく、自分の言う通りに動くなんて最高過ぎる。

 しかも、恋は盲目の言葉通り、口答えも一切しないとなれば、良い事しかない。


 ルーチェは当初、今探している娘以外を傍に置く気はなかったが、そんな便利な駒なら一つぐらい手元にあってもいいかと思い直した。

 なにより見た目は人間の比ではないし、不可思議な能力もある。

 たった一つでも手元にあれば、自分の地位は更に盤石となるだろう。


「ただ、駒として使うとなると……万一の時の為に、代わりは必要だな」


 だがその場合、僕を取り合って揉めたりとかは……しないのか?

 しないのであれば問題ないが、そんな事で揉められるのは面倒だし。


 かといって、駒を失くしてから次を準備するというのは、あまりにも愚鈍すぎる。

 どうするべきか?


「……あ! ミルドに捕獲を頼んだ奴……は、性別を聞いた覚えがないな」


 あの時はそんな事に興味もなかったから、色だけ聞いて終わりにしたが。

 でも多分、娘と一緒にいた時点で男なんだろうな、と思う。


「さすがの僕も同性はちょっと……できれば遠慮したいし。そうなると……」


 不意に立ち止まり、ルーチェは無言で左手を軽く上げる。

 それからすぐに窓を開け放すと、懐から取り出した何かを外へ放った。


「ルーチェ様っ⁉︎」


 後ろを歩いていた男が慌てたように声をあげたが、ルーチェは何もなかったかのように窓を閉めると、にこやかに微笑んだ。


「要らない物を持っていたのを思い出して。つい窓から捨ててしまったんだ」


 要らないと思った物は、一秒たりとも持っていたくないんだよね、僕は。


 そう言って微笑むルーチェに、部下たる男は愛想笑いを返す。


「そ、そうでしたか。ですが、窓から捨てるというのは──」

「……なに? もしかして、窓からゴミを捨てるなとか、そういう事を言おうとしてる?」


 刹那、男は真っ青になって頭を下げた。


「めめ、滅相もございません! わわわ私はただ、突然窓を開けられた為、何事かあったのではと考えただけでして……」

 

 大変申し訳ございません! と、大きな身体を精一杯縮こまらせて頭を下げている。

 その様子にルーチェは満足したかのように口の端を上げると、美しく長い指で前方の通路をつい、と指差した。


「だったら早く()()を運んで。僕は色々と忙しいんだからね」

「か、かしこまりました! たた直ちに運んでまいります!」


 どたどたと無様な足音をたてながら、男が全速力で通路の向こうへと消える。

 それを何とはなしに見送った後、ルーチェは窓から透き通った空を見上げた。


 これでもう一つの駒を手に入れる準備は整った。

 あとは最初の駒を、どう動かすか……。


 決して無駄には動かさない。切り札とは、そういったものだから。

 尤も、本当の意味の切り札というわけではないけれど……ね。


 それでも、初めて手に入れた魔性という強い手駒。

 これから存分に活用させてもらうよ───。


 土色へと戻った彼の瞳が、怪しい光を帯びる。

 時の歯車は、順調に回り始めた。

 彼の目的を、果たすために。

 

    


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