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消された過去

 声が聞こえる。

 どこかで聞いたことのある、穏やかで優しい声が。

 その声は囁きかけてくるかのように、ラズリの名を口にする。


「ラズリ……ラズリ、ラズリ……」


 何度も何度も、繰り返し。

 まるでそれ以外の言葉を知らないとでもいうかのように、声はラズリの名をただひたすらに呼び続ける。  


「ラズリ、ラズリ、ラズリ……」


 不可思議な赤い光に包まれ、意識がぼんやりとする中、ラズリは声の主に思いを馳せた。


 これは誰の声だったろう……おじいちゃんじゃない、村の誰かでもない、この声は……───。


 思考回路を埋め尽くしていた赤い光が、そこで不意に人の形を成し始める。

 ぼやけた状態から輪郭が徐々にはっきりとし、光の状態でない、きちんとした人型に形成されていく。


 そうして出来上がった存在は──赤い髪、赤い瞳、炎そのものを纏ったような真っ赤な服で全身を染め上げた、どこか飄々とした雰囲気を持つ青年で。


 ああ、そうか……。


 自らの目でそれを認めた瞬間、ラズリはようやく納得がいったとばかり、微笑んだ。


 私を呼んでいたのは、あなただったのね。


「奏……」


 口に出して呟いた刹那、けれどどういうわけかラズリは不思議な違和感に襲われ、首を傾げた。


 今の、呟いた自分の声……夢の中とは違う場所から聞こえたような……?


 意識は朦朧としているのに、声だけが現実味を帯び、やけに大きく聞こえた気がする。


「奏……奏……」


 幾度も声に出して、赤い髪の青年魔性の名を呼んでみると、やはり声だけが夢とは違い、とても大きくハッキリと聞こえるように感じた。


 もしかしてこの声は……夢じゃない?


 全てが夢だと思っていたのに、自分の奏を呼ぶ声だけが現実のものだと気付いた瞬間、ラズリの意識は唐突に覚醒した。


「……あれ、ここは? 私は一体……」


 目覚めた途端見知らぬ天井が目に入り、ラズリは何度も瞬きを繰り返す。


 ここはどこ? 私はどうして、ここにいるの?


 考えを巡らせようとするものの、目覚めたばかりの思考は上手い具合に働かない。

 それでも暫くは考えてみたが、一向に答えらしきものは出ず。


 仕方なく、ラズリは考えるのを諦めてゆっくりと辺りを見回した。


 ここはまだ、夢の続き……?


 周囲は夢の中と同じ赤い光に包まれていて、目が覚めている筈なのに、現実だという実感がまるで湧かない。

 それとも、単に自分が目覚めたと思っているだけで、本当はまだ夢の中にいるのだろうか?


 だったらもう一度寝直した方がいいのかもしれないと、ラズリが再び目を閉じようとした時だった。

 一瞬にして周囲の光が消え、目の前に赤い髪の青年が姿を現したのは。


「ラズリ! 目が覚めたのか!」


 良かった! と嬉しそうな顔をして、奏が寝台に飛び乗ってくる。


「そ、奏? なんでここに……っていうより、何が何やら、よく分からないんだけど?」


 奏がいるということは、自分をこの場所へ連れて来たのは彼なのだろう。

 でも、なぜ彼が自分をここへ連れて来たのか分からないし、自分が眠ってしまっていた理由も、あんな不可思議な夢を見た原因も、分からないことばかりで。


「気分はどうだ? もう大丈夫そうか?」

「う、うん。特にこれといって、気分が悪いとかはないかな」


 聞きたいことは山程あるのに、奏の綺麗な顔が近づいてくると、なぜか動揺してラズリは俯いてしまう。


 初めて会った時から思ってたけど、話す時に至近距離から見つめてくる癖? やめてほしい……。


 内心で、恨み言のようにこっそりと。

 ラズリは奏に向かって、そんなことを思った。


「ところで……ここはどこなの? どうして私はこんな所に?」


 改めて周囲を見回し、奏に尋ねる。

 自分の住んでいた村へと戻り、祖父を見つけたところまでは覚えているのだけれど、その先の記憶は曖昧になっていて思い出せない。

 真摯な奏の表情を見た気もするが、それすら本当にあったことなのか疑わしくて。


「うーん……簡単に言えば、お前が気を失っちまったから、俺が手近な街に運んで来て宿をとったってことなんだけどな」 


 本当に簡単な説明。

 無論それだけでラズリが納得する筈はなく。


「それで?」

「それで? って、それだけだけど?」


 だから、そうじゃなくて! と思わず言いそうになったのを、ラズリは唇を噛んで堪えた。

 どんなにふざけた態度をとられようとも、奏は魔性だ。


 幾ら今回自分に親切にしてくれたとはいえ、それがいつまで続くかは分からないし、機嫌を損ねた瞬間に殺される可能性だってある。

 だから、間違っても強く出たり生意気な口をきいたりしてはいけないのだ。


 少なくとも、あの時村と祖父に何が起こったのかを聞き出すまでは。

 自分が覚えていない以上、奏に聞くしか知る方法がない事に、ラズリは内心で頭を抱えた。


 しかし────。


「質問がそれだけなんだったら、街の観光でもしようぜ!」


 と、奏はいきなりラズリの布団を捲ると、腕を掴み、強引に外へ連れ出そうとした。


「ちょ……奏、待って! 私はまだあなたに聞きたいことがある……んだけ……ど!」


 焦ってじたばたと暴れ、なんとかして奏の腕を振り解こうと、ラズリはもがく。

 けれど、しっかりと自分の腕を掴んでいる彼の手は、まるで接着剤でも使っているかのように、ぴったりとくっついて離れない。


「話なんてもういいだろ。それより観光行こうぜ! 気分転換、気分転換」

「気分転換って、私今はそういう心境じゃないんだけど……大体おじいちゃんのことだって、まだ───」


 言いかけて、ふと脳裏を過ぎった凄惨な光景に、ラズリは動きを止めた。


 今のは、なに……?


 瞬きさえ忘れ、一瞬思い浮かんだ光景を、懸命に思い返す。

 巨大な火柱、炎に包まれた家々、涙で滲んでくず折れた祖父の姿、崩れ落ちる祖父と自分の家……。


「あ、あ……おじい、ちゃん……」


 夢の中で忘れそうになっていた出来事を鮮明に思いだし、ラズリは両手で顔を覆った。

 祖父を失った胸の痛みが蘇り、裂かれた傷口が再び血を流し始める。


「一緒にいたかった……ずっと。私はずっと、おじいちゃんと一緒にいたかったのにっ……」


 涙が溢れ、嗚咽が漏れる。

 祖父が死んでしまった時、ラズリはすぐに自分も後を追おうと思った。

 なのに奏に止められ、結果、自分は今も生きている。


 自分のせいで、村の皆は死んだのに。

 どうして自分だけが、生き残っているんだろう?

 そんな事、許される筈がないのに。


「私も死ねば良かった。私も……そうしたら、今頃はきっと……」


 変わらず皆と一緒にいられた。

 こんな苦しい思いはしなくて済んだ。


 なのに、自分はどうしてここにいるのか。

 それを考えた時、ラズリは反射的に奏へと掴みかかった。


「貴方がっ……奏があの時私を助けたりしたから! でなきゃ私は今もおじいちゃんと一緒にいられたのに! どうして死なせてくれなかったの? どうして? 私はその方が幸せだったのに! 貴方のせいよ、貴方が私を──」

「ごめん」


 不意に抱きすくめられ、耳元で囁くように謝罪されて、それ以上何も言えなくなる。

 奏が悪くない事ぐらい、本当はラズリだって分かっていた。


 彼がいなければ村へ戻る事もできなかったし、祖父の死に目にだって会えなかっただろう。

 でも、それでも、誰かを責めずにはいられなかった。


 本当に責められるべきは自分だと分かっていながら、どうやって自分を責めたらいいのか分からず。

 目の前にいた奏に、八つ当たりした。


 そして、恐らく奏はそんな自分の感情を分かっていて、悪くもないのに謝ってくれたのだ。

 今も、自分を慰めるかのように背中を優しく摩ってくれている。

 理不尽な事を言われたのだから、奏こそ怒ってもいい筈なのに。


「……っ、ごめ、ごめんなさい……私、私は……」 

「いいんだよ。確かにお前は、あの時じじいと一緒に死んでた方が幸せだったと思う。けど、それをさせなかったのは俺だからな」


 お前の言ってる事は間違いじゃない、だから俺を責めていいんだと。


「それに、ああなったのはお前のせいじゃない。誰がなんと言っても、俺はそう思う。あれがあの村の……そしてお前の運命だった。俺とお前が出会ったのも、すべて」

「運命……?」

「じじい……じゃねぇ、お前の祖父が言ってただろ。運命なんかに負けず、幸せになれって。俺達が出会ったのは良い運命だったとしても、悪い運命は乗り越えていかなきゃならねーんだ。そういうのを経て、お前には幸せになって欲しいって、そう言いたかったんじゃねぇのか?」


 諭すような、けれど優しい口調で語られる奏の声が、ラズリの心にじんわりと沁み込んでくる。

 夢の中でもそうだった。


 声はまったく聞こえなかったけれど、赤い光が自分を守るかのように周りに溢れていた。

 今思えば、あれはきっと奏がやってくれていたのだ。


 恐ろしい夢の中でまで自分を守り、見知らぬ少女すらも救ってくれた奏。

 どうやって夢にまで干渉したのかは分からないけれど、そこは魔性だからこそ、人間の自分には出来ない事も出来たのかもしれない。


 出逢ってから、ずっと私を……。


 何故? とか、どうして? とか、理由はこの際どうでも良かった。


 大切なのは、初めて逢った時から奏が優しくしてくれた事。自分を守ってくれた事。

 祖父や村の事だって、間に合えばきっと助けてくれたに違いない。


 相手は魔性なのに。

 人間に害を為す存在である筈なのに。


 ゆっくりと顔を上げ、ラズリは奏の赤い瞳をじっと見つめる。

 目が合った瞬間ふわりと優しく微笑まれ、ラズリは更に涙を溢れさせた。


「え⁉︎ ちょ、なんで?」


 感極まって、ラズリは先程とは別の意味で泣き出したのだが、流石の奏もそこまでは分からなかったらしく。

 微笑みかけた筈なのにラズリが余計に泣いた為、慌ててラズリの身体から手を離した。


「奏! 奏……!」


 そんな奏に、今度はラズリが自分からしがみ付く。

 奏から感じる温もりにとめどなく涙を流しながら、ラズリは最期の祖父の言葉を思い出していた。


 生きて、幸せになって欲しい。

 確かに祖父はそう言っていたのだ。

 自分と一緒に死んで欲しいのではなく、生きて欲しいと。


「早く忘れろだとか、考えるなとか、無神経な事を言うつもりはねぇよ。けど俺は、その事をあんま気に病んで欲しくないとは思ってる。いくら悩んで後悔しても、時間は元に戻せねぇからな」


 ラズリに向けて言っているようで、どこか後悔の滲む奏の言葉に、ラズリの中で押さえていた感情が弾けた。


「私、私は……っ! おじいちゃん……う、うああああっ!」


 身体中から悲しみを追い出すかのように、ラズリは大声をあげて泣く。

 泣きながら、奏の温もりに縋るように、抱き付いた腕に力をこめた。


 辛い思いを、泣き声で吐露するように。

 辛い過去を、涙ですべて洗い流してしまうかのように。

 ラズリは声を限りに、涙が枯れるほど奏の胸で泣き続けた。


「おじいちゃん、おじいちゃん……っ!」

「分かってる。お前の気持ちは、俺だって分かってるよ……」 


 泣き続けるラズリの頭と背中を、奏が優しく撫でる。

 そのまま彼は、泣き疲れて大人しくなったラズリが意識を手放してしまうまで、長い時間そうしていた。




 ※




「ごめん……な」


 ラズリをそっと寝台へ寝かせると、奏は謝罪の言葉を口にした。

 優しく頬を撫で、顔に残る涙の跡を消していく。


 今回の出来事で悪いのは、決してラズリではない。

 それなのに、彼女はずっと自分を責め続けている。


 そうじゃない、お前は何も悪くないんだと幾ら言っても、恐らく受け入れはしないだろう。

 それ程までにラズリの傷は大きく、深い。


 彼女は幼い頃から、全てを自分のせいにしがちだった。

 罵声を浴びせられようと、暴力を振るわれようと、いつも自分のせいにして、自分を責めていた。


 それをいつも陰から見ていた奏からすれば、悪いのは間違いなく暴力を振るう側の人間で、単にラズリは鬱憤解消の道具にされていただけだったのだが。

 それでもラズリは相手が悪いなどとは露ほども考えず、ずっと自分を責め続け、なんとか改善しようと健気にも努力していた。


 しかし、虐待されている子供の努力など、している側からしたら火に油を注ぐ行為でしかない。

 結果、ラズリの行動は相手を更に怒らせ、彼女が最も嫌う暗闇の地下倉庫へと閉じ込められる事になったのだ。


 そこでラズリは────。


 そこまで考えた時、奏はふと近付いてきた気配を感じて顔を上げた。

 ほどなくして目の前に現れたのは、先程姿を消した筈の、緋色の青年魔性で。


「お前が日に二度も俺の前に現れるなんて珍しいな」


 そう声を掛けると、氷のように冷めた目を向けられた。


「我が主があまりにも情けないので、仕方無く」


 自分の世話も自分でできない主を持つと、配下は大変なんですよ、と大仰にため息を吐く。


「んだよ、それ。どういう意味だ? 俺は自分の事は自分でちゃんと……」


 言い掛けて、口を噤んだ。

 闇と一緒にいるようになってからというもの、奏は後片付け的な事をした覚えが無いというのを唐突に思い出したからだ。


 そもそも、やったらやりっ放しの性格なうえ、例えバレても何とかなるとの楽観的な性質もあり、余程の事がなければ後始末なんてものはしないのだ。

 それでも、一人の時は逃げてもどうにもならない時のみ、嫌々ながら何度か後始末をした覚えがあるが、闇を友人として傍に置くようになってからというもの、唯の一度もした覚えが無く。


 記憶力にあまり自信がない奏でさえ、そのような自覚があるのだ。

 抜群に記憶力の良い闇に、言い返せるわけがなかった。


「ま、まぁそれはどうでもいいとして……で! お前の用件は?」


 ここはさっさと話題を変えるべきだと判断して、奏は話の方向転換を試みる。

 わざとらしさ全開ではあるが、幸いにも闇は眉を顰めただけで、その事について咎めたりはしなかった。


 付き合いが長い分、言っても無駄だと理解しているのだろう。

 言う時には言うが、言わない時には言わない。

 毎回の闇の小言は、匙加減が絶妙だった。


「実は、先程申し上げた事と若干重複する内容なのですが……」

「ん?」


 さっき何の話したっけ? と、奏は首を傾げる。

 分かっていた事ながら、そんな彼の様子に闇はため息を吐くと、衝撃の一言を口にした。


「貴方はいつの間に、そんなにもポンコツになってしまったのですか?」

「へ……?」


 あまりにも予想外の事を言われ、思わず奏はポカンとしてしまう。


 え……今こいつ何て言った?


 現存する魔性の中で一番美しいと言われている闇が、美しすぎて会話する事さえ畏れ多いと言われている闇が、見た目的に使ってはならない言葉を使ったような気がするが……。

 すぐさま脳内再生しようとして、それを振り払うべく慌てて左右に頭を振る。


 いや、ないな、ない。

 闇が『ポンコツ』なんて単語使うわけないよな。

 俺の聞き間違いだ、きっと。


 絶対そうだ、そうに決まってると、奏が懸命に自分自身を納得させようとしたのにも関わらず。

 そんな彼の考えなど知らない闇は、もう一度同じ言葉を繰り返した。


「こうも貴方がポンコツになってしまったのは、もしや私のせいなのでしょうか?」


 手を出し過ぎるのはいけないと思いつつ、つい私が甘やかしてしまったせいで、貴方はこれ程までポンコツになってしまわれたと?

 だとしたら、私は今後どうしたらいいのでしょうか?


 そんな事を、真面目な顔で聞いてくる。

 本気なのか冗談なのか、普段から殆ど表情を変えない闇から読み取るのは不可能で。

 咄嗟に返す言葉が思い浮かばず、奏は曖昧な笑みを浮かべた。


 それにしても……ポンコツって。

 闇とはもう、数百年一緒にいるが、初めて言われたぞ。


 これだけ何度も繰り返されれば、流石に聞き間違いでは済ませない。

 一体何の目的があって、闇はそんな事を言い出したのか。

 分からないまま、特に考える事もなく、奏は思った通りの答えを返した。


「よく分かんねぇけど、俺は別にポンコツなんかじゃないと思うぞ? ラズリだって王宮の奴等に奪われなかったわけだし、今も……ほら、そこで眠って──」

「そうではないのです」


 言うが早いか、闇の左手から闇色の刃が奏に向かって投げつけられる。

 容赦のないそれを何とかスレスレの所で躱すと、体勢を崩した奏は、無様に転びかけた所をギリギリ耐えた。


「おまっ……闇! 危ないじゃねぇか! もし俺が避けなかったら真っ二つになってたぞ!」

「寧ろ真っ二つになって修理された方が、新品同然になって良いかと思ったのですが」


 全く悪びれる様子もなく、闇はそう言い返す。


「そもそも貴方は自分の事をポンコツではないと仰いますが、でなければラズリ殿が連れ去られたり、村が焼失してしまったり、中途半端に夢で過去を見たり、消した筈の記憶を思い出したりなどという事は起きなかったのではないですか? 貴方が優秀であれば起こらなかった筈のこれらの出来事が全て起こってしまった時点で、どう贔屓目に見てもポンコツではないですか」


 あまりと言えばあまりの言いようだが、真実であるだけに、奏は反論する事が出来ない。


「だ、だけど俺にも色々と事情が……」


 しかし言われるままなのは悔しくて、辛うじてそれだけを口にすると、すぐさま闇に畳み掛けられた。


「どうせ大した事ではないのでしょう? この際ハッキリ言わせていただきますが、貴方はあまりにも頭を使わなさ過ぎるのです。その場の思い付き、気分で行動し、今回それがどれだけラズリ殿を傷付ける事になったのか理解していますか? 果ては記憶の封印までも中途半端で……」

 

 そこで一旦言葉を切った闇が、同情の眼差しをラズリに向ける。


「正直このままではラズリ殿があまりにも不憫な為、僭越ながら私も手を出す事に致しました。本当は見守るだけに留めたかったのですが、ポンコツな貴方の犠牲者として(やみ)に堕ちていく様をただただ見続けるというのは、配下として如何なものかと思ったものですから……」


 良心などというものは持ち合わせていない筈なのに、何故だか胸が痛むので……。

 貴方のやる事なす事全てが、裏目に出ているせいなのでしょうか?


 言いつつ闇はラズリへと近付き、緋色の光を彼女の額へと当てる。


「今一度、幼少期の記憶は封印します。一つの衝撃によって過去の衝撃が思い出され、その二つが重なる事によって精神の安定が崩れる恐れがありますので」

「それなら、さっき俺が……」

「ですから、中途半端だとお伝えしましたが?」


 闇に冷たい声で告げられ、奏はギクリとして肩を竦める。


 自覚があった。

 今は思い出させるべきではないと知りながら、上手くやれば記憶を都合良く書き換えられるかもしれないと思い、決定的且つ奏にとって利となる部分にのみ手を出した。


 そういった事に能力を使った事は過去殆ど無いが、なんとかなると考えて。

 そうしてラズリの記憶を操作した結果、成功したと思っていたのだが。


「何が悪かったんだ?」

 

 分からず、奏が尋ねる。

 悪い記憶を良い方向へと導いただけなのに、何がそんなに問題だったのかと。


 刹那、闇の全身から殺気が迸り、奏は慌てて口を閉ざした。


 殺される! こいつ本気で俺を殺る気だ!


 真っ二つにされたところで死なないとは思うが、痛みは感じるわけだし、できれば二つに分けられたくはない。

 だから勿論、真っ二つにされて修理されても、闇の言うように新品同然にはならないのだが……気晴らし代わりにはされるかもしれないと、冷や汗が頬を伝う。


 二度と余計な事は言わないとばかりに、奏が唇を真一文字に引き結ぶと、それを確認してか、未だ殺気を放ちながらも、闇は抑揚のない声で答えた。


「先程見ていたラズリ殿の夢の中では、現在の彼女の立ち位置はあくまでも傍観者でした。つまり、今のままではいつまでもラズリ殿の記憶の中に、過去の自分が謎の存在として残り続けるという事。その場合、何か事ある毎に思い出し、『夢で見た少女は何だったんだろう?』と考える事になるでしょう。それから後、いつになるかは分かりませんが、唐突に重なる時が来るのです。過去の自分と夢で見た少女が。その瞬間の衝撃は……恐らく私達には測り知れないものになる。それこそ、ラズリ殿の精神を壊す程の──私はそう思います」


 だからこそ、中途半端に手を出してはいけない領域なのだと。

 言外に告げられ、そこで漸く奏は己の至らなさに気付き、両手を握り締めた。


「俺は本当に……ポンコツだったってわけか」


 ラズリを救うつもりが、自分への好感度を上げる事を優先した結果、壊してしまう所だったなど。

 情けなさ過ぎて、笑い話にさえならない。


 惹かれたから、守る……なんて、思っているだけで実際は何一つしてやっていないのに。


 小さな子供であったラズリが理不尽に虐待されていても、彼女の大切な村が炎に呑まれようとしていても、奏は何もしなかった。

 ただ、そうした場合ラズリがどうするのか、どんな行動をとるのかが知りたくて、観察していただけだ。


 助けようだなんて、これっぽっちも思わなかったし、思い付きもしなかった。

 もし万が一ラズリの命が奪われる危険があったなら、手を出していただろうとは思うが。


 それですら、今となっては自信がない。


 初めての心惹かれる相手。

 だというのに、そんな相手すら観察対象にしかならないと言うなら、己の感情は一体どうなっているのだろうか。


 守るなんて口だけで、行動は何一つ伴っていないのに。

 もしかしたら、惹かれたと思った感情自体、間違っていたんじゃないか?


 ふと、そんな考えが脳裏を過ぎるが、それだけは間違っていないと思い直した。


「惹かれたと思ったのは本当だ。けど、単に俺は珍しい玩具に興味を持っただけなのかもしれない……」


 誰に言うわけでもなく、そう呟く。

 分からなかった、自分の気持ちが。


 ラズリの事は大切だと思う。

 色々なラズリを知りたいとも思う。


 だが、壊れた所を見てみたい、とも思うのだ。

 絶望に堕ちたラズリはどうなるのだろう? と。

 

 見たい、けれど見たくない。

 一度壊れた物は、決して元には戻せない事を知っているから。


「どうしたいんだ? 俺は……ラズリを……」


 壊したい、壊したくない。

 泣かせたい、笑わせたい。


 手に入れて大事にしたい、突き放して縋らせたい。

 自分だけの物にしたい。

 彼女が纏う光を吸収して呑み込んでしまいたい。


 昏い闇に埋め尽くされた自分の心にラズリという光を取り込んだら、俺はどうなる?

 光に浄化されて消えるのだろうか?

 それとも、その光すらも取り込んでしまうのか……。


「俺は……ラズリでさえも……?」


 己の掌を見つめ、戦慄く奏の肩に、そっと手が置かれる。

 ゆっくりと顔を動かした奏の光を失くしかけていた昏い瞳に映ったのは、闇の穏やかな笑顔だった。


「守れば良いと思います。既に手を差し伸べたのですから、今度こそ。微力ながら私もお手伝いさせていただきますので」

「あ、ああ……そうだな」


 頷き、奏の瞳が瞬く間に光を取り戻す。

 同時に、先程までの暗い考えは、彼方へと消え去った。


「まだ、これからだ。ここから頑張ればいいよな」


 穏やかな寝息をたてるラズリを見つめ、奏は微笑む。

 その隣で、闇が深刻な表情をしていた事には、微塵も気付かなかった。



 



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