真実を匂わせるもの
実家に帰省してからあっという間に数日が過ぎた。
この数日間は、学期末までのアデルの想像を遥かに超えて、日々の時間は穏やかに流れていた。
朝は父に促され、家から少し離れた小さな公園で
剣術の稽古に励む。
相変わらず苦手で仕方がなかったが父自ら
アデルの稽古に付き合ってくれるので
アデルは緊張しながらもどこか心が弾んだような気がして、真剣に取り組んだ。
父もそんなアデルを見て、やはり喜びが垣間見えて
あまり上達しなくてもアデルを責めはしなかった。
寧ろ、出来るようになっていた箇所を
褒めてくれるのだ。
この数年あまりいい関係とは言えなかったため
2人はどこか距離感がぎこちなかったが、
それでもやはり気持ちのいい親子の光景である。
そうして朝の運動を済ませると帰宅して
汗を流し、着替えて食卓に付く。
朝の運動を終えたあとの朝食は、格別に美味しい。
バターやベーコンの香りが食欲をそそる。
妹のミリュエルカはまだぼんやりと眠たげで、
母に甘えながら小さな口にスープを運ぶ。
父は少し急ぎながら早々に朝食を終えると
そんなミリュエルカの頭を撫でて、あっという間に仕事に出掛けて行った。
アデルと母ものんびりと朝食を終えて、
食器を一通り下げると、今度はぱっちりとお目目を
覚ましたミリュエルカがアデルにべったりと張り付いた。
構って遊んでのアピールである。
『おにい!』
まぁ仕方がないと言えば仕方がないのだが
本当は兄ではないのになぁ......と心の内で思う。
この家で意を唱えるものは誰もいないのが
悲しいところだ。
ミリュエルカが大きくなって
自分の秘密に気が付くようなことがあったら
どんな顔をするのだろうか.....
しかしその想像は、考えただけでも具合が悪い。
頭に浮かぶ悪夢をぶんぶんと振り払う。
その日は母が、買出しに出掛けると言うので
アデルはミリュエルカの子守りを頼まれて
暖かい陽気が窓から差し込むなか、
ソファで絵本を読み聞かせていた。
ミリュエルカはちょこんとアデルの膝に乗って
ご機嫌で絵本をじっくり眺めている。
そんなミリュエルカを横目にアデルはお話を読んでいく。
『そうして、国は平和を取り戻しましたとさ』
最後におしまい。と付け加えて、ぱたんと閉じると
アデルはミリュエルカがすっかり眠り込んでいることに気が付いた。
むにゃむにゃと小さな寝言が聞こえたかと思うと
アデルの腕に頭を擦り付けてくる。
ふわふわにカールした柔らかい髪がアデルをくすぐった。
アデルはしばらくそんな妹を眺めていたが
だんだんと枕替わりになった腕が疲れてきた。
絵本を左側に1度置いて、起こさないようにゆっくりと
ミリュエルカをソファに寝かせてやると、
ふわふわと手触りのいいブランケットを
そっと掛けてやった。
よく見るとお口の隅から自分の髪の毛を
1束食べてしまっている。
自然と笑みがこぼれて、愛しさが込み上がった。
こんなに可愛いのだから、母が溺愛をするのも頷ける。とアデルは思った。
妹は本当に天使のようだった。
指でちょい、と髪の毛をすくって
お口からとってやるがミリュエルカはぐっすり眠ったままだ。
アデルは1度置いた絵本を取り上げると
もう一度パラパラと目を通した。
内容はアデルの住むメルンデールの建国神話物語だ。
その昔大きなドラゴン達に守られていた国は
ドラゴン達の戦いに巻き込まれて
国を捨てなければならなくなる。
しかしそこに勇気のある英雄様がやって来て
ドラゴンの長の角をへし折ったのだ。
角を手に英雄様は言った。平和を取り戻すのだと。
するとたちまちドラゴン達は英雄様に頭を垂れて
国は平和を取り戻した。
言ってしまえばどこにでもありそうな神話である。
その絵本は子供用にざっくりと話を単純にして
可愛い絵でメルヘン調に説明している。
アデルの小さな頃には既にあった絵本だが
挿絵が違うところを見ると新しく出版されたものだろう。
懐かしいなぁ......とアデルは思った。
アデル自身が子供の頃も、良くこのお話を
読み聞かせて貰っていたっけ。
そうして絵本を眺めていると、だんだんアデルは
自分が読み聞かせて貰っていた方はどんな挿絵だったか、と
見比べてみたくなった。ほんの些細な好奇心だ。
しかし、この家に残っているのだろうか?
あるとしたら自分の自室か
物置部屋になっている奥の部屋の本棚の中だろう。
アデルは暇になったのもあって
どうにか探し出してみたくなった。
ミリュエルカはすやすやと夢の中だ。
2階に行くのはまずいだろう。
この家には今ミリュエルカ以外に自分しかいない。
じゃあ物置部屋だろうか?少しならば大丈夫?
アデルはミリュエルカのふにふにのほっぺたを
つんつん、とつついてみた。
ミリュエルカは起きる気配も無く
ぐっすりと寝付いている。
アデルは好奇心がもわもわと膨れ上がってきて、
よし。と意気込むと絵本を1度テーブルに置いて、
ドアを開けたまま物置部屋へと向かった。
しばらく使われていない物置部屋は
埃っぽく、カーテンが締め切られていたため
真っ暗だった。
アデルは口元を抑えて、まず奥の窓に向かうと
カーテンを掴み勢い良く引いて、窓を開け放った。
埃を外へ逃がすように何度か部屋の中を仰ぐと
振り返って本棚に目をやった。
ざっと一通り目にやっただけでも
なかなかの数の本がある。
タイトルもバラバラになっていて
ずいぶんとごちゃごちゃだ。
これは見つかるだろうか.....
アデルは手始めに1番上の段から、じっくりと背表紙を確認していくことにした。
3段目に差し掛かったところで、ひとつ気になる物を見つけた。アデルはそこでぴたりと目を止める。
臙脂色の本だ。
しかしこの本にだけ、背表紙は何も書かれていない。
背表紙をすっと指で撫でると
埃がそこだけ指で拭われて綺麗な臙脂色の筋が出来た。
ずいぶんと長い間そこに忘れ去られていたのか。
どんな本だろう......。
アデルはその本を取り出して、表紙を見る。
その本は表紙にも、何も書かれていなかった。
誰にも触れられずずっと本棚に仕舞われていたようだがあまり傷んでいるようには見えなかった。
不思議に思って、本を適当なところから
開いてみると、1枚の古い写真が本のあいだからするりと足元に落ちてきた。
アデルはその写真をしゃがみこんで拾う。
色がぼんやりとあせている古い写真だ。
家族写真のようだったが、父も母もどことなく若い。
そして、眺めているうちにアデルは気が付いた。
その写真の違和感に。
『......え?』
アデルの心臓はびくんと跳ねた。
目は見開いて、手が石のように固くなった。
写真の父と母は、それぞれ赤ん坊を抱いている。
黒い髪の毛、白い肌、淡い深緑の瞳を持った
赤ん坊が、2人。
どうゆう事だ?
2人の赤ん坊はそっくりの見た目をしている。
写真には4人しか写っていない。
これは自分と.......誰なんだ?
アデルは自分の息遣いが、荒くなっていることに気が付いた。手はガクガクと震えている。
恐る恐る、写真を裏返すとそこには
日付が1つと父と母の名前。それから......
『アリステア、アデル』
自分の名前と聞き覚えのないアリステアという名前。
書かれていた日付は自分の誕生日から
ほんの何週間か過ぎた頃の日付だった。
産まれてから恐らくすぐに撮影されたのだろう。
自分とそっくりのもう1人の赤ん坊は、この家にはいない。
記憶にも、いない......。
身体中が心臓で出来ているかのように
酷い動悸を感じた。
アデルが本の方に目を通そうかと思ったところで、
母の帰宅を知らせる玄関のベルが部屋の外から
鳴り響いた。
アデルの心臓はまた、びくんと跳ねた。
この本の存在に気が付いた事を
悟られてはならない。
何故か本能がアデルにそう告げた気がした。
アデルは咄嗟に写真を本の間に挟めると
着ていたカーディガンを脱いで本に巻き付けた。
窓を閉めてカーテンも元に戻すと
玄関の母の方へと急ぐ。
絵本の事など忘れてしまっていた。
とにかく、写真を見つけたことは絶対に
悟られてはならない。
いつもと変わらない自分を意識して演じると
本は早々に自室のトランクにしまい込んだ。
頭の中を整理しようにも、
とにかくわからない事が多過ぎるし
本はこれ以上この家で見るのも危険かもしれない。
自分は気付いてはいけないことに気付こうとしている、何故だかそんな気がしてならないのだ。
どこか直感で自分が男の子として
期待を受ける理由に結び付くような予感を、
アデルは感じていたのかもしれない。
次にその本を開く時は、また両親がいない時だ。
どんな事実が書いてあっても
自分は冷静でいられるだろうか......。
本を調べたい気持ちと、どこか恐ろしい感情が
ぐるぐると回ってアデルを悩ませた。