裏切りの亡国者
老人が指さした小さな椅子に、アデルはちょこんとお座りした。
その横にエイムが立って居て
ジャックテリーはアデルの太ももで翼を伸ばした。
エイムは顎先を指で撫でながら
店内の帽子をぐるりと見渡して老人に目を向けた。
『ご主人、この店の帽子はどれもとても造りが素晴らしいようにお見受けします』
アデルももう一度、店内をぐるりと見渡して帽子を見てみた。
アデルにはどれも素敵な帽子に
しっかりと見えはしたものの、
造りが素晴らしいかまではわからなかった。
老人はカウンターに置かれた小さなメジャーを
手に取ると、エイムに答えた。
『ありがとう、お客様。うちは品の数こそ少ないが、時間を持て余した老人が趣味で造っているのですよ。おかげで出来上がりはどれも満足のいくものでしてね』
『それは素晴らしい1級品だ。素敵なご趣味ですな』
エイムにありがとう、とお礼を言って
老人はメジャーをぴっ、と1度引っ張りはじめのメモリを見直した。
『それじゃあ坊や。ぴったりな帽子を選ぶためにサイズを拝見しても?』
『あの、はい』
『緊張することは無いよ。力を抜いて、座っていると良い』
『えっと、はい』
アデルはやはり緊張するなぁ......と思いながら
のんびりと翼を伸ばしたジャックテリーを眺めた。
なんて幸せそうに屈伸するんだ。
変わってくれたらいいのに....と思うと、
それを見抜いたかのようにジャックテリーはじろりとアデルを睨んだ。
老人はおでこの辺りと、角のあるところの位置をぐるぐるとメジャーで測ってふむ。と呟いた。
エイムとアデルは顔を見合わせる。
『さてさて、なるほど。この小さな角を隠したいのなら......どれが良いかな?』
老人はいくつかの帽子をアデルの右側に並ぶ棚から選び取ると、それをアデルに見せてみた。
チューリップハット、ハンチング帽
キャスケット......どれもふんわりと角が隠れるように
頭部のデザインが緩やかだ。
『うん......と』
アデルはそれぞれの帽子をちらちらと見て見るが
あまりどれを選んだら良いのか分からなかった。
そんな様子のアデルを見て、老人は思い付いたようにその1つをアデルにそっと被せた。
『坊や、左を向いてご覧。鏡で眺めてみると良い』
アデルは左をそっと向くと
置かれた鏡をじっくり見つめた。
ちょこんと乗せられた帽子を被る自分が映る。
わぁ、と声を漏らして、アデルはそっと帽子のつばを手に触れてみた。
さらさらと、良く手に馴染む素敵な素材だ。
無造作に生えたつやつやの黒髪に限りなく黒に沿ったダークブラウンのキャスケット。
肌の白い自分の顔がいつもより血色良く明るく見えた。
何よりもつばから上が小さくふっくらとしていて、ちょこんと生えた角が見事に隠れている。
アデルは帽子の先から淵の見切れたところまで
鏡に映る自分をじっくりと眺めながら
知らずに顔が綻んだ。
それを見ていたエイムが
満足そうに鏡の奥で頷いたのがアデルに見えた。
『ふむ、とても素敵な品だよ。アデル、よく似合っている』
老人も大きく頷いて
『坊やにはこのデザインが良く映えるようだ』
と満足げに微笑んだ。
そこに、ドアの鐘をからん、と鳴らして
1人の大柄な紳士が店に入ってきた。
全体的にとても大きく見える、表情のいまいち見えない男性だ。
ずしり、と大きく構えたその男性は
シックなダークグレーのマントを羽織って
ちらちらと見えるブローチや、指に嵌められたリングはモスグリーンに淡く輝いている。
思わず皆が振り返ると、紳士は店内にも関わらず手に持ったパイプをひと咥えするとぶわりと大きく煙を吐き出した。
ジャックテリーが小さく、ぎゅるっと鳴いて顔をしかめた。
紳士はジャックテリーをぎろりと睨めて
その風貌で牽制すると
『ダッツェル。早く済ませたいのだがね』
と、老人に見向きもしないまま低く声を響かせた。
老人の顔が1度曇ったようにアデルは思えた。
エイムにお待ちを、とひと声掛けると
拒絶を隠せないような面持ちで、カウンターの中へ入って行く。
老人の態度にふん、と鼻を鳴らした紳士は
もうひと咥えパイプを吸い込んだ。
紳士の吐く煙がふわりと舞い上がって
店内は一気に静けさを醸し出す。
『相も変わらず寂れた胡散臭い匂いだ。......どうやら私は招かれてはいないらしい』
ジャックテリーを睨めたまま
紳士はその低く猛々しい声で相も変わらず牽制する。
アデルまでもが、まるで威嚇された気分になって
被された帽子を思わずすっと下げた。
紳士は帽子によって視界から外れたジャックテリーから目を離して、アデルへと視線を上げた。
エイムはすかさず紳士からアデルを隠すかのように
すっと立ち位置を変えると
アデルに優しく声を掛けた。
『ご主人が戻ってきたらこの帽子を頂こう、アデル。とても似合っていたよ。さぁもう一度被せて見せて』
鏡越しにアデルに問いかけて
アデルの手にある帽子を取るともう一度頭に乗せる。
『ほら、色合いもアデルにとても良く似合う』
アデルももう一度鏡に向き直ると
紳士を目に止めないように自分の姿に集中した。
先程とは打って変わって、自分の顔は酷く強ばっていた。
帽子が被さって角が見えなくなったアデルの頭上
を紳士はしばらく眺めていた。
その場にいたものの中でそれに気が付くものはいなかったが、紳士はじっと眺めていた。
そこにその重たい空気をかき消すように
老人がカウンターの奥から戻ってくる。
手には何やら小さな箱を持っていた。
片手でもすっぽりと包み込める大きさの箱は
とても帽子が入っているようには見えなかった。
『お待たせしましたねミゼル将軍殿』
『その名前で呼ぶのはやめたまえ』
老人と紳士はカウンター越しに睨み合うと
老人がカウンターに置いた小さな箱をその大きな手でがさつに掴み取って、もう一度アデルを一瞥した。
アデルはその光景を思わず眺めていた事を隠すように、もう一度鏡の自分に集中する。
老人をひと睨みして、紳士はマントを翻すとさっさと店内をあとにした。
乱暴に閉められたドアの鐘がしばらく響いた店内はまたも静けさを取り戻した。
そうしてしばらくそれぞれが胸を撫で下ろすと、
エイムは帽子を代金を払い。老人は幾らか顔色が淀んだ表情でアデル達をドアから見送った。
未だざわつきがどこか胸を疼かせたが、肩に戻ってきたジャックテリーがせっかく購入した帽子に尻尾を突き刺したのを見て、アデルはため息をつきながら尻尾を引っこ抜いた。
そうして2人と1匹はイリニスタ市場の人混みの中にもう一度混じりあって行くのであった。




