再会
エリュンという人物は、大雑把で思い切りの良い人柄なのかもしれない。
アデルとライラスは授業の後、あれこれとエリュンに拙い説明をした。友人である事、ライラスはジェルトと同室の寄宿生徒である事。朝から姿が見えないので心配している事等だ。エリュンは一通りを聞いて一つ頷くと、案内するので付いてこいと言った。二人は一度顔を見合わせて、授業は良いのだろうかと思案したが、そんな事はお構い無しである。エリュンに言われるがまま、次の数字学は欠席することと相成った。
エリュン曰く「一学年の年始め授業は大して重要ではない。友人ならばそちらを優先したところで問題はない」だそうだ。
状況も良く把握出来ていないアデルとライラスは、ともかくエリュンの後に黙って続くことにした。次の授業があるはずだった二階を、涼しい顔で通り過ぎる。せかせかと移動する生徒達の波に逆らうように、ついには西棟から出て東棟へと真っ直ぐ進んでいった。
「どこに進むんだ?」
アデルの横を歩いているライラスが小声でアデルに耳打ちする。アデルは首を傾げた。自分に聞かれても困ると思った。とにかく向かっている方向から予測するに、東棟に行くのならば教員室か医務室あたりだろうか。
エリュンの歩幅は華奢で小柄な女性にしてはずいぶんと大きい。しっかり追い掛けないとその差はぐいぐいと広がっていくので、二人はいつしか小走りになっていた。
階段を登り、たどり着いたのは医務室だった。どこかで四時限目の開始を知らせる鐘が鳴る。生徒はおろか、自分達以外に廊下を歩く者はもう誰もいない。しんと静まり返った廊下で、三人は足を止めた。
そこで一度エリュンが振り返ると、二人の顔を覗き込んだ。表情は涼し気なままに
「少々痛々しいかもしれないが、あまり驚いてやるなよ」と注意する。
アデルとライラスは顔を見合わせると、緊張した面持ちで各々頷いて見せた。僅かに眉間に力が籠る。いよいよ持って嫌な予感しかしなくなってきたのだ。痛々しいなどと言われると、いい想像はあまり出来ない。
二人が頷くのを確認すると、エリュンは扉大きく音を立てて開き、カーテンが閉じられたベッドへと足を進めた。アデル達も後に続く。医務室の中は薬品の香りが立ち込めている静かな空間だった。しゃっと乾いた音を勢い良く響かせて、カーテンは開かれた。カーテンの端が揺れて視界をひらりと踊って見せると、次に目に飛び込んだのは枕に伏せって寝転がるジェルトの姿だった。
二人は目を見開いて、その姿を凝視する。
ジェルトの片腕は捲り上げられて肌を露出している。そこに包帯が巻かれているが、うっすらと血が滲んでいるのがわかった。捲り上げられた服の裾には、その出血量が擦り傷じゃ済まない程の血が染みている。更に何本かの内出血が痛々しく浮かび上がっていた。肘や手首、至る所に痣がある。毛布も掛けずに伸ばした足には、縄が結ばれて、千切れた痕があった。どう見ても、転んで怪我を負ったような軽い状態ではない。
アデルもライラスも、息を飲んだまま声も出なかった。静まり返った医務室に、ジェルトの寝息が微かに響いている。
「眠っているようだな。幸い処置が早かったから熱を上げることも無いだろうが、傷跡は残るかもしれん」エリュンはジェルトの足に巻き付いたままの縄を小さな手で外しにかかった。
「何が起きたんだ?」
ライラスはその場で立ち竦んだまま、か細く言葉を捻り出した。アデルは小さくかたかたと震える足を引きずって、寝転ぶジェルトに近付く。しゃがみ込んで間近で見ると、ジェルトの顔色は少しばかり青白かった。出血が酷かったのだろうか。
「こんな、どうして」
アデルは震える声を絞り出して目の前のジェルトの手を握った。その手は少しばかり冷たい。知らずにきゅっと歯を噛み締める。
「何があったんですか、エリュン先生」
エリュンはどこからかワゴンをがらがら引いてきた。それをベッドの横にぴたりと付けると、傍に置かれた椅子にかける。その後ろ姿にライラスは問い掛けた。
「私にも詳しい事は分からない。ジェルトは多くを語らなかったからな。闘技場の更衣室で何かがあったのは間違いないが」
エリュンは振り向きもせずにワゴンから包帯と薬瓶を次々取り出し、それをベッドの小脇に置かれた小ダンスに並べ始めた。真新しく清潔なガーゼも数枚取り出して、ジェルトの腕に巻き付けられた包帯を器用に解き始めた。
次第に隠されていた傷が晒されていく。その傷は予想以上に深く、痛々しいものだった。縦に切り込まれた一本の傷は、明らかに武器によるものだ。
エリュンは解けた包帯をワゴンのポケットに放り込むと、小ダンスに置かれたガーゼと薬瓶に手を伸ばした。横でしゃがみ込んだままのアデルは、その傷の深さにかたかたと震えている。
「ジェルトが姿を消したのは具体的にいつ頃だ?」
エリュンは手を動かしながら、二人に問い掛ける。アデルがライラスを振り向くと、ライラスは前髪を片手でぎゅっと握り込んで目を伏せていた。緊張に強ばりながら、質問に答える。
「ホームルームの鐘よりも少し前です。トイレに行くと言っていた」
「ふむ、私がジェルトと遭遇したのは、三時限目の開始を告げる鐘よりも少しばかり前だ。授業に向けて木剣を取りに闘技場へ向かったところだった。更衣室から人の気配を感じたので、様子を確認しようと思ったら彼がいた」
そして、ジェルトの左腕を右手でがっちりと握り込むと、エリュンが薬品を染み込ませたガーゼでジェルトの傷を触った。
その途端、ジェルトの体がびくん!と小さく跳ねた。
「ジェルト!」
アデルとライラスが同時に叫ぶ。
「傷に響いただけだ。まだ痛みがあるのは当然だ」
三人が覗き込んで様子を伺う中、ジェルトは枕に伏せていた頭をゆっくりとこちらへ向けた。目が潤んで、恐怖の色が少しばかり浮かんでいる。
「え、アデル?......ライラス?」
左腕をエリュンによって固定されたまま、ジェルトは掠れた声で呟いた。
「ジェルト!何があったの、平気なの?」
アデルは乗り出してジェルトに詰め寄った。ジェルトが目を覚ました事に少しだけ安堵するが、目の前の痛ましい光景に涙が出そうになる。ジェルトは目を白黒させて、アデルの顔を見つめた。
するとエリュンが、ピンセットでガーゼを摘んだまま、アデルとジェルトの顔の前に手を挟み込んだ。
「下がってくれ。まずは傷の治療だ」
アデルは一度エリュンを見上げると、言われた通りに立ち上がって一歩下がった。けれど目線は心配そうに、ジェルトを見つめ直す。ジェルトも思わぬ人物の登場に、まだ驚いた顔でアデルを見ている。
エリュンはアデルが下がったことを確認して、またガーゼをジェルトの腕に向けた。
「痛むだろうが、耐えてくれ」
そう言って無造作にジェルトの傷を拭き始めた。
「いた!先生、痛いです!」
ひたひたに薬が染み込んだガーゼは、傷を触って段々と赤い染みがついて行く。ジェルトは歯を噛み締めて、傷を見ないように顔を伏せた。ぐいぐいとガーゼが動く度に声にならない小さな悲鳴を上げている。アデルはその様子を何も言えずにもどかしく眺めた。
一通りの治療を済ませると、エリュンはまた新しい包帯でその傷をきつく覆い始めた。ジェルトは涙目でその様子を眺めている。それも終えると、エリュンは立ち上がってワゴンに手を掛ける。
「私は君達の欠席理由について、数字学の教員と話をする必要がある。その間君達は彼を見ていてくれるか?」
「はい、先生」
アデルが答えると、エリュンは頷いてカーテンの外へ出ていった。
アデル達は三人になったその小さな空間で、一度静かに見つめ合った。




