ドラゴンの末裔とエイム・キャンベル
僕はアデル・キャンベル。
そうエイムは呼んでくれる。
本当はアデルじゃないのだと思う。
キャンベルというのはエイムの家族って事らしい。
本当の家族がいない僕は、本当はキャンベルじゃない。
でもエイムは僕をアデルと呼ぶし
誰かが来た時には『キャンベル家の』と言う。
エイムはドラゴンの研究家だ。
書斎には溢れんばかりの古代史や
ドラゴン達の模型、資料がわんさかと積み上げられて
ちんまりと鎮座する生き物を眺めたり
取り憑かれたように書き物をしだしたりする。
僕がこの家に来たのが、どれほど前なのか
あまり覚えていない。
エイムが言うにはそれから3年は経っているそうだ。
アンティーク調で落ち着いた色に取りまとめていて、所々が無造作に散らかり掛けているこの家は僕にとってはすっかり馴染みとなった。
この家に来たばかりの頃は
僕はお人形のように空虚だったと言っていた。
どこも、かしこもボロボロな僕を
エイムは根気よく面倒を見てくれた。
やがて言葉を覚えて、たくさんの物や人に名前がある事を知った。
そう、それからこの家には
『ドラゴンの末裔』がいる。
大人の手のひらよりも少し大きいくらいの赤煉瓦色の生き物で身体にしては大きな翼を持っている。でも飛べない。
長い細い尻尾は先がトゲトゲして少し痛い。
僕の目よりも幾ばくか明るいグリーンの瞳は
いつも気だるそうに何かを見据えている。
鳴くことしかできないから
何を言っているのか、いつもわからないけれど
何かにつけて口から小さな火の粉を吹く。
そうしてお気に入りのクッションを焦がしては
エイムを困らせるのだ。
ジャックテリーとエイムが呼ぶから
僕もジャックテリーと呼んでいる。
このジャックテリーには、僕と1つだけ
似たものがあった。
僕のおでこよりやや上、つむじよりやや下にある
小さな角が、ジャックテリーの眉間にある角に似ているのだ。
エイムはこれをいつもとても嬉しそうに見る。
とても、珍しいのだそうだ。
僕は家の外の世界をほとんど何も知らないけれど
エイムほど喜んで見る人は恐らく
あまりいないと思う。
エイムは今日も、書斎にこもっている。
僕は窓の外を見た。
外はしとしとと雨が降っている。
誰も外を歩かない。草木が雨に打たれているだけ。
......僕は雨があまり好きではない。
夢なのか、現実なのか
うっすら焦げ臭い匂いと正体がわからない焦燥感が浮かび上がるからだ。
1人で、歩いていた。
そんな記憶。
うっすらとしか覚えてはいないけれど。
椅子から立ち上がると、湿気を帯びたカーテンを
ゆっくりと閉めた。
そこで右奥の細工の細かいドアが開く音がする。
エイムの書斎だ。
アッシュブラウンの短い髪。すらりと長身のエイムがリビングに入ってくる。
『あぁ、アデル。こんなにも毎日雨が続くと買い物もできないな。困ったものだ』
手に持った珈琲をひとすすりして
エイムは窓辺の僕に声を掛けた。
『エイム、何を買いに行くの?』
『そりゃあ、アデルの学用品さ』
『学用品?』
エイムがテーブルについて珈琲を置くので
僕はその向かい側に腰掛けた。
『僕の学用品?何をするもの?』
エイムは珈琲をまたひとすすりして僕を見た。
あぁ、そうか。と呟くとマグを置いて僕を見据えた。
『アデル。学校に行くんだよ。アデルがいくつかはわからないがそろそろそんな歳に差し掛かるだろう。いいかい、この街の子供達は7歳になるとみんな勉強をしに学校にいく』
『......僕はもうここに帰れないの?』
『そんなことはないさ、アデル。毎日朝出かけて、夕方にはここに帰ってくるのさ』
エイムは微笑んだ。
僕は安堵した。この家が好きで、エイムが好きだ。
ジャックテリーも。
それに、ひとりぼっちというのは何か、得体の知れない記憶の中に帰るようで.......。
僕は自分の手を見つめながら
ぽつりと呟いた。
『でも、僕。......僕、エイムが教えてくれる』
この家を出て、新しい世界や知らない人に出会うのが怖かった。
わくわくする気持ちは微塵も浮かびはしなかった。
『だって、僕の角は他の誰にもないんでしょう。その......僕は、誰にも』
『アデル。学校に行く子供はみんなアデルくらいの歳の子供だ。そんなに怖いことはないよ。角が気になるのなら隠すこともできるはずさ』
外はしとしとと雨が降る。
エイムの言葉に僕は俯いた。
そんな僕をエイムは怒ることもなく
握りしめた手をゆっくりと撫でてくれる。
『3ヶ月ほどまだ時間はある。アデル、大丈夫だよ』
『......わかったよ、エイム。角を隠せる?』
エイムは少し向こうに目線を動かして
ほんの少し考え込むと僕に帽子を買ってくれると言った。
僕の気持ちはそれでもあまり浮き上がりはしなかったけれど
これ以上どういってもエイムを困らせてしまう気がした。
僕は雨なんかちっとも好きじゃないけれど、
気の進まない買い物が待っていると言うのならもう
好きに降ってくれたっていい、と窓を眺めた。
それから4日程だった朝。
窓の外は数日ぶりの快晴を見せた。
1番初めに目が覚めたのはジャックテリーだ。
むにゃむにゃと寝ていたジャックテリーは
自分の尻尾が何かに引っかかった感触を覚えて
夢見ながらに火の粉をぼふっ、とひと吹きすると
ころりとクッションの上で寝返って
カーテンの隙間から見える朝日に眩しさを感じたのだ。
むくりと起き上がってクッションにささった尻尾を
ひと振り、ひた振り。
どうやらジャックテリーはずいぶんと機嫌が悪い。
そこで次に目が覚めたのはアデルである。
ジャックテリーの不機嫌そうなぐる、ぐるという唸り声に気が付いた。
アデルも目を擦りながらうっすらと目を開けると
ついにやってきた晴れ間になんとも言えない気だるさを覚えた。
雨が止んでくれたのを喜んだらいいのか、
学用品を揃えにいくのを面倒に思う気持ちは複雑なのだ。
アデルは身体を起こすと隣のエイムを起こさないように
ひっそりとベッドを抜け出して
キッチンへとお湯を沸かしに行く。
そのあとをトコトコかつかつ、ジャックテリーが追い掛けるが無情にもばたんとドアは閉まるのだった。
ドアの向こうでジャックテリーの憤慨する鼻息が聞こえる気がしたが、アデルは気にせずヤカンをコンロに掛けた。
次に洗面のため大きなボウルに水を貯めると
ジャバジャバと無造作に顔を洗い、
濡れた前髪と顔を拭いた。
......ついでに角もちょんと拭く。
珈琲の豆を砕いてプレスに突っ込んで
沸いたお湯を流し込むとまた寝室に戻り
機嫌が悪くかつかつと床を鳴らして歩き回るジャックテリーを追い越して
エイムをそっと叩いた。
『エイム、おはようエイム』
んん.....と寝返りを打ってアデルに背を向ける。
『エイム。エイム。珈琲が出来上がるよ』
少し強めにぼふぼふと布団を叩くと、
ぐむ、と喉から声を出してのそりとエイムは目を開けた。
まだどこか夢の中に見える。
ぼんやりとアデルを視界に見付けると
エイムはやっと、目を覚ました。
アデルの入れた珈琲を飲みながらエイムは手早く朝ごはんを用意した。
テーブルに木製の器とパンが並ぶ。
ジャックテリーの前には小さな肉とビスケットが置かれた。
3人でお祈りを済ませると(ジャックテリーは眺めていただけだが)のんびりと朝食が始まった。
エイムは外を眺めて、一息ついたら買い物だなぁ、と思い。アデルはそれを見てまた一段と落ち込んだ気分に浸りながら
それぞれの朝食をもくもくと食べるのだった。
快晴の空。ほぼ1週間ぶりである。
どのお家のどのお宅でも、今日は買い物日和であった。