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角が生えた少年  作者: 紅いろ 葎
第二部
25/31

少年の足取り

時間はほんの少し前にさかのぼる。



まだざわついた校内の廊下で、弱々しく俯きながら教室への道を辿る一人の少年の姿。

ジェルト・ゴージである。




ぴたりと足を止めたかと思うと、自分と同じ年頃の子供達で賑わう廊下からジェルトは恐る恐る教室をのぞき込んだ。

先程まで自分もいた教室である。

間もなく鐘が鳴るだろうと言うのに、待ち人のアデルの姿はまだ見えなかった。



『はぁ』

無意識ではあるが、ジェルトは思わずため息をついた。

ジェミニ兄弟が窓の向こうを眺めているのが見える。



ジェルトは迷っていた。

どうやって切り出したら良いのだろうか、分からなかったのだ。気まずくはならないだろうか。

アデルは自分と話してくれるのだろうか。

そして自信が無かったのだ。

アデルと仲良くしたいとは思っているのに、角を見た時の驚きが頭に蟠りを残していた。

自分はその思いを払拭出来るのだろうか。



またアデルを前にした時に、自分がどんな顔をしているのかと思うと、それもまた怖いのだから。





ジェルトはもう一度教室を覗き込むと、今度は壁に掛けられた時計に目をやった。

きっとこのタイミングを逃してしまうとアデルとますます気まずくなってしまうだろうに、鐘がなるまではもうほとんど時間が残されていなかった。


ならば、玄関口まで迎えに行ってしまえば良いのではないか。

ほとんど勢い任せではあるが、結局のところ心は決まっている。自分はアデルと仲良くしたい。

だからタイミングを逃してしまうよりは......。




ジェルトは心のうちで小さく灯った勇気が揺らぐ前にと、反射的に体を動かした。

足早に階段を駆け下り始めて、ほとんど走り出した。







そしてその足は、ぴたりと真偽の間へ続く階段で止まる。階段よりも少し前に、ヴィルエッド・グリフォンの姿があったのだ。

その隣にはひょろりと細長い真っ黒な髪の女の子が仁王立ちして、廊下を通る生徒達を注意深く眺めていた。


ジェルトはそれを目にすると、思わず階段の影に身を隠して耳を潜めた。

ざわついた生徒達の声に紛れて、二人の話し声が聞こえてくる。




『いないじゃないの。いつまでここで待つつもりなの』

ぶっきらぼうな口調で女の子がヴィルエッドに問い掛ける。気が強い子なのだろうか。

『君までここにいる事無いじゃないか。教室に戻ればいい』

『何よ、冷たいわね。ヴィルが興味を持つ人なんて、気になるじゃないの。でもなんでその子がお気に召したのかしら。聞いたことないわ、アデル・キャンベルなんて』



ジェルトは階段の影で思わず息を飲んだ。

ヴィルエッド・グリフォンがアデルに興味を持つなんて、とてもいい話には聞こえなかった。

騒がしい心臓の音をぐっと押さえ付けながら、ジェルトはそのまま聞き入った。



『君に話す事はないね。それに僕が興味を持ったわけじゃない』

ヴィルエッドの声は、心無しか機嫌が悪そうに思えた。

『はーん。そう言うこと。お父様のご用事かしらね。だけど、尚更わからないわ。名前もしれないその子がなんだって言うのかしら』

『君には関係ないだろう』




そうしてしばらく会話が途切れたのち、自分の目の前を冴えない風貌の少年が通り過ぎて行って、女の子の前で立ち止まった。


ジェルトは思わず少しばかり身を乗り出して、その様子を伺った。

少年は背中を少しばかり丸めた姿勢の、実に冴えない格好で女の子を見上げた。

(女の子よりも幾分か背が低い)

『グレア、もう教室に戻ろうよ。鐘が鳴っちゃうじゃないか』

『何よあんた。一人でいたらいいじゃないの』

グレアと呼ばれた女の子は少年をひと睨みすると、背中を向けて突き放した。

ヴィルエッドはその様子を、煩わしいものでも見たかのように冷めた目で見流すと、視線はすぐに廊下を行き来する生徒達に戻った。



少年は諦めなかった。グレアと呼ばれた女の子の腕を遠慮がちに掴むと、女の子はきゃっと声を上げて飛び上がった。

『は、離しなさいよ!何触ってんのよ!』

そう言って力任せに振りほどくと、その腕は少年の手を離れて、そのままヴィルエッドの身体に向かって乱暴に当たることになった。



『うるさいぞ!巻き込むな、二人ともさっさと戻れ』

ヴィルエッドはいらつきを隠しもせずに、二人に怒鳴りかかった。少年は咄嗟に縮み上がったが、グレアの方は顔を真っ赤にして反論した。


『何よ!あたしだって迷惑してるわ。ヴィルがどうにかしなさいよ』

そんなグレアに、ヴィルエッドは呆れた顔をしてため息をつく。腕を組んで二人を睨みつけると、恨み言のように吐き捨てた。

『どのみちこう騒がしくてはまともに接触もできないな。迷惑しているのはこっちだ』



苛立った二人を横目に、少年はすっかり肩を落として黙りこくっている。




『接触して、どうだっていうのよ。教えてくれるんだったら黙ってあげてもいいわ』

『接触して確かめるのさ。本物ならば役に立つ駒になる』

『駒になる?それってどういう事?』

『それを言う必要があるか?もう教室に』





そうヴィルエッドが言い放った所で、いつの間にか静まり返った廊下に鐘の音が鳴り響いた。


目の前の三人は呆然と鐘の音を聞いている。

ジェルトも思わず頭を上げて鐘の音に聞き入った。

そしてその音が鳴り止んだ時、廊下にまたグレアの甲高い声が響き渡った。





『ちょっと、あんた!』

ジェルトは思わず飛び上がった。

グレアのきつい鷹のような目が、しっかりとジェルトを捉えていた。


喉の奥でひっと声にならない掠れた音がなった気がした。

冷や汗がどっと吹き出して身体中がぴしぴしと痺れる感覚に襲われる。



『あんた、怪しいわ。そんな所に突っ立って、こっちを覗いてたわね』

グレアはつかつかとジェルトににじり寄った。

ジェルトは言うことのきかない体を必死に動かして首を横に振った。




グレアはついにジェルトの目の前に立つと、鋭い目付きで凍りついたジェルトを捕らえた。

『あんた、聞いてたわね。どうなのよ』


仁王立ちして今にも掴みかかりそうなグレアの後ろに、顎を抑えて思案に耽るヴィルエッドが見えた。

ヴィルエッドの目にも、自分が確かに映っている。




『な、なにも』

ジェルトは震える声で、やっとかそう答えた。

しかし、グレアはニヤリと口角を上げて、ジェルトを見下ろすと不敵に笑いながら言い放った。


『あんた、馬鹿ね。覗いてましたって言ってるようなものよ。それにね、あんた。そんな反応されたら、悪意ありましたって吐き捨ててるも同然だわ』



そう言って力任せにジェルトの腕を掴みあげた。

ひぃっと小さな悲鳴を上げながら、ジェルトはグレアに引き寄せられた。


ヴィルエッドはそうして小刻みに震えるジェルトを頭から足先まで一度じっくりと眺めると、何か考えがあるかのように不敵に笑って見せた。



『あぁ、君は。この間アデル・キャンベルと一緒にいたね。ご学友かな?それとももっと、親しい友だろうか?』

ジェルトはごくりと唾を飲み込んだ。

グレアの細い指が腕に食い込むのを感じる。

少年は何も言わずにジェルトを憐れむような目で見つめていた。




『ヴィルは、この子にご用事かしら?』

得意気にグレアが尋ねる。

ヴィルエッドは一度目線を逸らして思案すると、腕を組み答えた。


『あぁ、そうだね。しかしそろそろ授業が始まるだろう。逃げられては困るな』

そう言って不気味なほど無邪気に微笑んで見せた。



『お待ち頂こうか』

『そう来なくっちゃ』

グレアが声を弾ませると、ジェルトを乱暴に少年の方へと突き飛ばした。

ジェルトの足はがくがくと震え上がったままバランスを崩して、少年と一緒に倒れ込んだ。



『痛い!』

思わずジェルトが小さく叫んだが、その声は掠れて何とも弱々しい。




『あんた、しっかり押さえてなさいよ』

少年に向かってグレアが吐き捨てると、ヴィルエッドに向き直る。



少年は申し訳なさそうにジェルトを見ながらも、言われた通りに両腕でがっしりとジェルトを固定した。




『や、やめて。離して』

ジェルトはがくがくと震える体を必死に動かしたが、少年は何も言わずにジェルトを抑え込む。





『今日は新学期だわ。闘技場は使われないと思わない?』

グレアの声が静まりかえった廊下に染み渡る。

ジェルトは緊張と恐怖で今にも意識が途切れそうなほどだ。




そんなジェルトを横目で見ると、グレアはまたニヤリと口角を上げて見せた。

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