New fall - B -
『それじゃあ、行ってきます。父様、母様。ミリュエルカも』
玄関の前で、アデルは深々と頭を下げた。
段々と風が涼しさを増して、秋を知らせる
9月の始め。新学期の朝。
アデルが荷物を持ち直して玄関を出ようとすると
後ろから母に抱かれたミリュエルカが、わんわんと泣き出した声が響く。
アデルは一度振り返ると、ミリュエルカの頭を優しく撫でた。母はそんなアディを見て、ミリュエルカを兄に近付ける。
ミリュエルカは両手をいっぱいに伸ばして兄に抱きついた。
ぐっと小さな手を握りしめて、アデルにいやだ....と呟く声が聞こえてくる。
アデルは本当にしょうがないなぁ、と言った顔をしてミリュエルカの背中をぽんぽんと叩くと
涙を浮かべてぐずるミリュエルカを見た。
『ミリュエルカ、兄様も寂しい。次に会えるのが楽しみだよ』
指で涙を優しく拭ってやるとアデルはもう一度頭を撫でた。ミリュエルカはまだぐずっていたが、母にいい子だからね、と抱き上げられて母の首にちっちゃな腕を回した。
目を真っ赤にして、力いっぱいに堪えて、アデルをじっと見つめる。
『しっかりな、アデル。お前なら大丈夫だ』
父は学校へと戻っていくアデルをどこか誇らしげな顔で勇気づけた。
母も父の言葉に頷いている。
『はい、父様。それではいってきます』
アデルは三人に背中を向けると、今度は振り返る事無くきびきびと歩き出した。
アデル達リンデルの家は、イリニスタの市場がある大通りから北側に位置している。
学校があるのはイリニスタ市場よりも右側の中央区。
とりわけ、南通り寄りに位置する。
そんなわけで、アデルはイリニスタ市場の大通りを
ざっくりと通り過ぎて中央区へと進んでいった。
着替えやら日用品なんかを詰め込んだトランクの中に、実家で見つけた臙脂色の本を詰め込んだまま。
例の本を見つけてからしばらく、
両親が二人揃って家を空けるチャンスはなかなか巡って来なかった。アデル自身も、その本にもう一度目を通すのが怖くもあったので、チャンスが訪れるまでは本をしまい込んだままだった。
それでもほんのひと月前に数回そのチャンスがやって来ると、本が母の日記であることが分かった。
母が結婚する前......独身時代からの日記である。
個人的な日記を盗み見るようで少しばかり躊躇ったものの、アデルは意を決して初めのページから少しずつ読み進めてきた。
今のところ分かったことと言えば
父と母の結婚には、母の実家が大反対だった事。
そして、自分がお腹にいたために結婚する事になったのだということだった。
母の実家は国の軍隊に多くの人材を排出してきた
歴史ある名家のようだった。
しかし、二代に渡って不幸だったのだ。
自分にとって祖父であり、母の父に当たる当時の嫡男は、生まれ持って体が弱かった。軍の入隊規定を満たす事ができず、兄弟は他に女しか産まれなかったため、軍に入隊するという使命は当時の嫡男の子供に託された。
しかし、母が産まれ間もなくして妻に先立たれてしまう。産まれた子供は母のみだった。
二代に渡って国に不義を成してしまったため、当時はとにかく肩身が狭かったようだ。
すぐに再婚して、なんとか男の子をと考えたが
その妻との間に子供は出来なかった。
とにかく母を嫁に出すわけには行かず、何とか婿をと考えた矢先に、父との結婚話が持ち上がったのだ。
当然、家中猛反対である。
父が婿になる事が出来るのであれば、それも如何程かましだったのだろう。しかし父も武器商人の跡取りだった。
両家族は大変に疲弊した。
母もずいぶんと心を痛めていたのが、日記からでも痛いほど伝わってきた。
そんな折、母が出産を迎える。産まれたのは男の子と女の子の双子だった。
母の実家は、その男の子を育て上げ母の父......つまりアデルにとっては祖父にあたる現当主の養子にするのならば、結婚を許すと言った。
母があまりに離れ難いと泣くから、16歳の成人までは傍で育てる事が許された。
と言うのが、今までに読み進めていったところだ。
これだけでも衝撃と疑問だらけだった。
アデルはこの衝撃の事実を知ってから、父と母をどんな風に見たらいいのか分からなくなった。
この日記が間違いなく母の日記で、記されていることが間違いの無い事実ならば、自分は会ったことも無い人の養子に出される未来が来るのだろうか......?
考え込んでいるうちに、アデルは学校の門まで
歩いてしまっていたようだった。
たった三ヶ月しか離れてはいなかったのに
ずいぶんと懐かしく感じる。
黒くゴツゴツした大きな門。これを潜ると
大豪邸にも思える大きな建物が佇んでいて、
左側から奥に抜けると、もはや自分の居場所でもある寄宿寮がある。
寄宿生徒になってからは、この学校が唯一
自分にとって落ち着ける場所なのだ。
たくさんの生徒が門の中に吸い込まれて行く中、
一人きょろきょろと誰かを探している少年がいた。
伸ばした髪を一本に括りあげている爽やかな少年は、
アデルを見つけるとくしゃっと笑って、こちらによっ、と手を挙げた。
大きなトランクを椅子にして、アデルを待っていたようだった。
『久しぶりだな、アディ。大きくなったか?』
アディは荷物をよいしょ、と握り直すと
リヴに近付いていく。
アディは呆れたように、リヴをひと睨みする。
『三ヶ月足らずで背が伸びたりするもんか』
リヴは相変わらず、そうか。と呆気なく認めると
元気そうだな。とアディに言った。
心無しか安堵した表情にも見える。
『その様子だとまだ寄宿寮に戻ってないだろ。さっさと荷物置きに行くぞ』
『あぁ、そうだな』
リヴは立ち上がると、肩がけの鞄をしっかりと掛け直してトランクに立て掛けた細身の剣を掴み取った。
そんなリヴを冷めた目で眺めていたアディの横を、
1人の華奢で小柄な少年が通り過ぎて行った。
アディもリヴも気が付かない。
彼の名前は、アデル・キャンベル。