エデン
灰色の石畳と木造の建築物、風化して端っこが削れたレンガの壁
。
機械的な要素を取り入れないそれらがメインに構築された町の中を、赤茶のローブ姿の男性や頭に白い布を巻いた地味な服装の女性、明らかに人ではない人並みのでかい二足歩行のトカゲのような生き物達でごった返していた。
布を屋根代わりにして一風変わったカラフルな果物を扱う店や、路上に二畳分の布を敷いてその上に置かれた骨董品を売る旅の途中の商人風な男性、活気よく呼び込みをしながらカツオ大の見たこともない魚を捌くがたいのいい褐色の女性など、商売を生業としている人物が多い事から、ここが商店街のようなものだとすぐに察しがつく。
その一角を二人の高校生らしき男女が並んで歩いている。
その内男の方はキョロキョロと物珍しそうに辺りを見渡している
「これが異世界‥‥‥‥」
どう見ても作り物とは思えないリアルな光景を見て、少年は呆気に取られた顔をする。
「はい、あなたの世界と対になる世界『アナザー・アース』です」
少女はバスツアーのガイドのように少年に街の説明をする。
「『アナザー・アース』では陸海で合計5つの国があるんでり私の故郷であるこの国の名は『エデン』。そして、ここはエデンで最も商業が発展している街、北部街の『ビューレット』です」
「ふーん。南とか東はどんな街なんだ?」
「南部街『フレスコ』は大部分を居住区が占めています。西部街の『メイスリンダー』には私や他の偽神獣討伐部隊のメンバーが所属する部隊本部と学校があります。東部街の『ビーラー』は――――いわゆるスラム街、貧民区です‥‥」
「異世界にもスラムなんてあるんだな」
少年はちょっと以外といった顔で街の中央に目を走らせる。
「じゃあ、あのばかでかい樹が『生命の樹』ってやつなのか」
高さにして遠距離からの推定でも10kmは下らないような大木。若々しい緑の葉が先端で千以上にも別れた幹の一本に幾億幾兆と連なり重なり、傘のように広がったそれは雲を突き抜けて陽を浴びているようだ。
「そうです。生命の樹は世界に5つある大国それぞれが一本ずつ所有していて、同時に偽神獣が狙う『生命の林檎』を実らせる樹でもあります」
「『生命の林檎』?」
「曰く、『その実は生命の樹が膨大な地中のエネルギーを溜め込んで稔ったものである』。曰く、『その実を樹から取り除けば生命の樹は枯れ朽ちる』。曰く、『その実を口にした者は不老不死の身体を手に入れる』。曰く、『その実を口にすれば死者でさえも蘇る』。そんな、数々の伝説を持つ黄金の林檎です」
少女も少年と同じく生命の樹を見据える。
「生命の林檎の伝説はどこまでが真実かは分かりません。ただ、生命の樹が地中のエネルギーを吸い上げて国の大地に還元しているのは事実なので、最初の一つは真実だと思います。二つ目以降についてはもはや都市伝説みたいなものです。過去に樹から林檎が奪われるような事は一度たりともありませんでしたし、それこそ不老不死や死者が生き返るなんておとぎみたいな話ですよ」
少女は生命の樹から少年に視線を移すと
「生命の樹についてはあまり分かっていない事が多いですが、私達を護って下さる象徴でもあるので、どんなに悪い事を考えるような人でも生命の林檎には絶対に手を付けないんです」
「へー、面白いなそれ。不老不死か(ゴクリ)」
「むっ!ダメですよ、手を出しちゃ。本当に何が起こるか分からないんですよ?それに、永遠に生きるなんて思っているよりもいいものじゃないと思いますよ」
「めっ!」と少年を注意する少女。
「もちろんやらないですよ。ずっと姿が変わらないまま、永遠の長生きをしても辛い事が多そうだってのは誰だって分かると思うし、そもそも不老不死なんか興味無いから」
「自分で言っておいてですが、あまり夢の無い方なんですね、あなたは」
「幼馴染みにもよく言われますよ。なんか、おっさんくさいって」
少年は赤髪の幼馴染みを思い浮かべる。
そして、「そういや」と言って
「彗がどこに居るのかアルハートさんは分かってるんだよな?」
「恐らくですが、私達と違って直接本部に召喚されたと思います。私が誤って魂だけを召喚してしまったから、ちょっとややこしい事になっていそうですけど‥‥‥‥」
「あ、あはは‥‥‥‥」と乾いた笑いをしながら顔を引きつらせる少女。
目が虚ろになっているのは見間違いではあるまい。
「と、まあ、暗くなっても仕方ないですよね。ポジティブポジティブ!」
そう自分に言い聞かせて明るさを奮い起こすと、少女は町外れの一角を「あそこです」と指差す。
そこには、十人以上乗れそうな今まで見ることのなかった正方形の金属の板が地面に埋まっていた。
そして、その金属の板には幾何学模様と円や六芒星が合わさったような魔法陣らしきものが描かれている。
「街から街へ移動するなら、これを使うのが一番早いんですよ」
少女はそう言うやいなや、魔法陣の上に乗って少年を手招きする。
少年は少し嫌そうな顔をしながらもおずおずと魔法陣の上に乗ると、少女が「偽神獣討伐部隊本部」と唱える。
すると、魔法陣から銀色の光が溢れだし、二人の姿が煙のようにその場から忽然と消えた。
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『偽神獣討伐部隊本部』
それは、エデンに唯一存在する対偽神獣用の戦闘員を束ねる施設だ。所属する戦闘員は20万人を越え、その殆どが年端もいかない少年少女だ。
彼らは、戦闘員を養成、教育する学校のような施設で偽神獣との戦い方を学び、それと同時に国の『外』で偽神獣との実戦を経験することになる。
そんな彼らをまとめる施設であるここでは、実に多くの設備が存在する。
焼き菓子や飲み物を販売する売店、戦闘後の汗を流す為の浴場、模擬戦用のバトルルーム、休憩用のベッドルームに緊急用の医療スペース。
その全てが、エデンの総人口1億6千万人の命を守るために戦う彼らに与えられたものだ。
本部では、日々何万という数の人間街の中へ外へとひっきりなしに移動する。移動の主な術は、本部の中央に存在する同時に最大5万人が移動できる特大の魔法陣だ。
エデンの街中に存在する魔法陣は、その上に乗り行きたい場所を告げるだけでその場所へ瞬間的に移動することが出来るという便利なものだ。ただし、魔法陣から魔法陣へとしか移動することが出来ないのが唯一の欠点だったりする。
誰も立っていない状態で魔法陣が光だした場合、それは別の魔法陣から誰かが移動してきた合図となる。
そして、丁度今、本部の特大魔法陣が光を放ちだし、一組の男女が一瞬でどこからともなくその姿を表した。純人とヘリウラだ。
「うっぷ‥‥‥‥」
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈――ぶぇえ‥‥ダメ、かも‥‥‥‥」
純人は二日酔いのサラリーマンの如く真っ青な顔をして口を押さえ、鉄製の純色の床へ顔を落としている。
「この‥‥乗り物酔いみたいなのって‥‥‥‥何とかならないんですか‥‥‥‥うぷっ‥‥もう一回は‥‥耐えられないかも」
「ご、ごめんなさい。転移酔いは私にはどうしようもなくて‥‥‥‥」
ヘリウラは純人の背中をさすって介抱をする。
実は、二人がこちらの世界へ転移した時も純人は強烈な吐き気を催してしばらく路上脇で休んでいたのだ。
「でもすぐに慣れますよ、大丈夫です!」
「そうだといいけど‥‥‥‥」
ヘリウラに支えられながら純人は立ち上がる。
「それにしても、異世界とは思えないような建物だなここ。北部街と比べるとあっちは中世って感じだけどこっちはかなり近代的だし」
「確かにそうかもしれませんね。東部街はエデンで最も裕福で、あなたの住む異世界の技術を多く取り入れていますから」
「そうなのか。異世界って全体的に中世をモデルにしてるのが多いから、新鮮というか斬新というか邪道というか‥‥‥‥」
純人の率直な感想にヘリウラは苦笑い気味に
「はは‥‥こちらに来る方はそういう感想をお持ちの方が本当に多いんですよ。3年前にこちらに迷い込んでしまった方もあなたと同じ事を言っていましたから」
「迷い込んだ?俺と同じ異世界人がってことか?」
「はい。本来、2つの世界は4年に一度、1週間だけ世界の扉が重なり行き来できるようになるんです。そして、その間にこちらの世界に迷い込んでしまう人がいらっしゃるんです。それで、3年前に1人だけ迷い込んだ方がいらっしゃったんです」
「ふーん。で、そいつは元の世界に帰ったの?」
「‥‥‥‥」
ヘリウラは急に目を伏せて無口になる。
しまった。何かヤバいこと聞いたかも、と重い場の空気に純人が気まずくなるがヘリウラは質問の答えを返す。
「亡くなりました。国の外――人類と偽神獣の住む領土を別つ境界線を越えて、偽神獣に殺されました」
「‥‥悪い、俺、何も知らなくて‥‥」
「い、いえ、あなたは悪くありませんよ!むしろ、誰も悪くありません!」
ヘリウラは悪い空気を払おう明るい口調に戻る。
「それより、スイちゃんがここに来ていないか聞いてきますので、そこの椅子にお掛けしてお待ちください」
「お、おう‥‥」
ヘリウラは受付嬢と思わしき人物数人が並ぶ、カウンターと思わしき所へ小走りで向かっていった。
それを見送って、純人はブルーの長椅子に腰をかけた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
数分後、ヘリウラが純人の元へと戻ってきた。
「どうやら、彼女はここに来ていないらしいです。なので、恐らく学園の方に居るんじゃないかとお話を聞けたのでそちらに向かいましょう」
(学園か、なるほど‥‥ここは学園ありな異世界ってわけね)
ヘリウラに促され立ち上がる純人。
二人は再び魔法陣の上に移動する。
「やっぱこれで移動するのね‥‥‥‥」
「だ、大丈夫です!三度目の正直って言葉がありますから、今度はきっと大丈夫ですよ!」
「二度ある事は三度あるとも言いますけどね」
「あうぅううう‥‥‥‥」と困り顔で唸るヘリウラ。
それを見た純人が、何かこの人面白いな、と思っていたのは秘密である。
「そ、それなら気合いです!気合いで持ちこたえましょう!気合いと元気があればなんでも出来ます!」
「元プロレスラーみたいだな‥‥でも、少しは慣れたかもだし、いっちょ頑張ってみますか!」
純人は覚悟を決めて三度目の転移に臨んだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ゲロゲロゲロー」
カエルの鳴き声のような音を出しながら、純人は朝御飯の納豆ご飯を盛大にリバースしていた。
「だめでしたね‥‥‥‥」というヘリウラの声も全く耳に入らない。
(む、無理‥‥‥‥もう、ヤダ‥‥‥‥絶対に魔法陣なんて使わない)
そう心に固く誓い、純人はヘリウラに案内された水飲み場で酸っぱ苦い胃酸にまみれた口を濯いでいた。
「くそ‥‥‥‥久しぶりだぞ、マジで我慢出来ずに吐いたの」
最後に5度のうがいをして、スクールバッグ等の一式を持っていない純人は唯一持っていたハンカチで口元を拭く。
口うるさい幼馴染みが毎日持っていけとうるさかったハンカチをまさかこんな場面で使うことになろうとは彼も予想していなかっただろう。
(はぁ‥‥‥‥人一人探すのにここまでメンタル削られるとか、鬼畜過ぎるぞ異世界。もっとこう、探し人を一発で見つけられる魔法の1つでも無いのかよ‥‥‥‥これじゃあ、身が持たん)
純人はハンカチをポケットに戻し、ヘリウラが待つ校門へと向かう。
「スイちゃんの居場所が分かりました」
戻ってきて早々ヘリウラにそう伝えられ、純人はヘリウラの背中を追いながら学園の中庭へと向かった。
学園の中庭は、黄色、赤、ピンクなどの暖色の花が植えられた花壇や緑生い茂る生け垣、赤茶けたタイルの床、透明に澄んだ水を噴き上げる噴水など、一見高貴な貴族が住む庭園のように美しく、ここが本当に学園なのか分からなくなってしまいそうだった。
そして、中庭の中央の噴水前に出来た人だかり。その真ん中に彼女はいた。
「あなたがトキワ様の『同一存在』なんですか?トキワ様に、とてもそっくりでいらっしゃいますね!」
「本当、トキワ様みたいに小さくてかわいい。それなのにこんなに胸が大きいなんて、羨ましいっ!」
「うおおーー!オレと握手してください、お願いしますっ!」
「はわわわっ!?」
「何だあれ‥‥‥‥」
幼馴染みが大勢の男女に囲まれ質問攻めにされたりもみくちゃにている姿を見て、純人はただ呆然とするしかなかった。
「きっと学園中にスイちゃんの噂が流れていたのでしょうね。それにしてもここまでとは‥‥‥‥」
ヘリウラもその光景に驚きを隠せないようだ。
「私は騒ぎを抑えてきます。危険なので、あなたはここにいてくださいね」
そう言って、ヘリウラは人塊に近づく。
「皆さん、この娘が珍しくてかわいいのは分かりますが、この後大事な用があるので通して頂けますか」
「あ、アルハート先輩。おかえりなさい!」
「特別任務お疲れ様です、先輩!」
「いえいえ、それより彼女を」
「は、はい、ごめんなさい。今すぐ解散しますので」
ヘリウラが一言二言話すだけで、あっという間に集団は解散していく。そして、目を回した彗を連れてヘリウラが純人の元へと戻ってくる。
「無事、スイちゃんをお連れしました」
「お疲れ様です。それにしても、ほんとこいつどこでも人気あるのな。異世界でも通用するとはな」
「スイちゃんはこちらの世界でもとても人気があるんですよ。優しくて、かわいくて、それでいてとても強い。この娘もとてもかわいいですよね」
ヘリウラはぐったりとした彗の顔を見る。
「そうですか?確かにこいつは俺の世界でも人気はあるけど、俺の前以外では猫被ってますよ。もしくは、俺だけにキツい性格なのかですが」
「それはたぶん――――」
ヘリウラが何か言いかけた途中、急に彼女は表情を変えた。右手を耳に当てて、そのまま数秒じっとその場で微動だにしなくなる。そして、手を耳から離すと
「ごめんなさい、急用が出来てしまいました。なので、私の代わりの娘を呼びましたので今後はその娘に従ってください。それでは失礼します――」
そう言うと、ヘリウラの足下に何度か目にした魔法陣が現れ、ヘリウラがその場から姿を消した。
寝息を立てる幼馴染みと共にぽつんと残された彼は
「何かよく分かんねぇけど、とりあえずここで別の誰かを待ってりゃ良いのか?」
と、床に座って僅かに残る転移酔いの回復をする事にした。
(あれ?そういや俺、アルハートさんに名乗ってなかったけど‥‥‥‥ま、後で名乗ればいっか)