少年の生死
「ここは‥‥‥‥どこだ?」
純人の開口一番に出た言葉がそれだ。
人生でこんな言葉を使う機会なんてそうは無いだろう。
そんな貴重―――とまではいかないようなことを彼は今体験している。
彼は地面―――とでも言えばいいだろうか。四方八方を暗い闇に閉ざされた空間で自分の身体を支えてくれる場所で横向きに倒れていた。
「いてて‥‥‥‥」
腰の辺りを手で押さえつつ、彼はゆっくりと上体を起こす。
この時、彼の頭の中では様々な感情がごちゃごちゃに混ざり合っていた。
一体ここは何処なのか?自分はどうしてこんな場所にいるのか?幼馴染みもここに居るのか?そして
(俺は生きてるのか‥‥‥‥?)
最後の彼の記憶は、自分は幼馴染みを助けようと道路に飛び出し、それが叶わなかった、というところで途切れていた。
トラックに弾かれたような強い衝撃とけたたましいクラクションが強く彼の脳を支配する。
(一体、あれからどうなったってんだ‥‥‥‥)
いくら記憶を整理しようとしても、そこから先が全く思い出せない。そのむず痒さが堪らなく不快だ。
「もし、俺が死んでるとして、だとしたらここは天国‥‥‥‥もしくは地獄か?」
「どちらでもありませんし、あなたは死んでいませんよ」
「っ!?」
自分の独り言に返事を返され、虚を突かれた純人はバッ!と辺りを見渡す。
すると、自身の正面から軽い足音が聞こえてきた。
「誰だ、姿を見せろ」
暗闇の先に居る誰かに話しかけると
「これは、失礼致しました。すぐに明るくしますね」
パンッ!と乾いた音がして、蛍光灯のスイッチが入ったように辺りが急に明るくなる。
(眩しっ‥‥)
純人は反射的に手のひらで目を守った。
「こんにちは。私は『ヘリウラ=アルハート』と申します」
純人の目が明かりに慣れてくると、先程の声の主が胸に手を添え流麗な動作でお辞儀をすると顔を上げて自己紹介を始めた。
純人はヘリウラ=アルハートと名乗った少女に目を向ける。
腰まである金色の髪はその一本一本が上質な生糸のように光りを浴びて輝き、細長い眉と緩めのカーブを描くコバルトブルーの垂れ目は彼女の表情に穏やかさを強く思わせている。
女性にしては170センチ近い高めの体躯をしていて、四肢もそれに比例するように長く、足に至っては足フェチの純人にとっては今すぐ手に取って触れたくなるような、余分な肉など付かず程よく引き締まった、健康的でありながらも妖艶な艶かしさを両立した素晴らしいと言わざるを得ない程の美脚だった。
「あ、あのぅ‥‥」
純人が彼女の黒ニーハイに包まれた美脚に見惚れていると、困惑気味な声が掛かる。
彼が「ん、何だ?」と聞くと、少女は頬をうっすらと紅く染めながら
「あ、あまりジロジロと見られるとその‥‥‥‥は、恥ずかしいので‥‥‥‥!」
「あー、そっか。悪い、とても綺麗な足だったからつい魅入っちゃって」
「っ~~~~~!!」
純人が正直な感想を述べると、彼女はより一層顔を赤らめて彼から顔を反らす。
(な、何だ?急にどうしたんだこいつ‥‥‥‥)
純人はそんな少女の動向に戸惑ってしまう。
「えっと、ヘリ―――アルハートさんだっけ?」
純人が少女に話しかける途中、見た目と名前から彼女を外国人だと判断して、危うくファーストネームを呼ぶとこだったと、内心ちょっぴり焦っていた。
「はい、何でしょう?」
「色々と聞きたい事はあるんだけど、とりあえず最初から気になってはいたんだけど‥‥‥‥」
純人は彼女の足から別の物に視点を変える。
「その手に持っていらっしゃる物騒なものは一体‥‥‥‥」
純人の視線の先にあるのは、美しい容姿の少女には見合わない、無骨で危険な香りをプンプンさせる長身の黒いライフルだった。
「あ、これですか」
少女は両手で抱えたソレを見ると
「これは、私の愛用神鋼器の『イーヴィルアイ』です」
「シンコウキ?イーヴィルアイ?」
聞き慣れない謎単語に、純人は混乱するばかりであった。
「詳しくお話しましょうか?」
「いや、他に聞きたい事もあるしいい」
純人がそう答えると、ヘリウラは「分かりました」と言ってライフルから手を離す。
すると、ライフルは銀色の光の粒となって空中に溶けていったた。
純人はその光景に軽く驚くが、現状の方がよほど奇妙な事になっているので大して気にならなかった。
「まず、キミは俺が死んでないって言ってたけど、そこんとこ聞いていい?」
「はい。そうですね、あなたはまだ死んではいません」
「まだ?」
「すみません、言い方がちょっと紛らわしいですね。あなたは死んでいませんよ。これは、断言できます」
「そうか。良かったあぁあああああぁ‥‥‥‥!」
1つ肩の荷が降りて、少年は安堵の声をもらす。
「ですが」
しかし、それに水を差すように少女は言葉を次ぐ。
「今、あなたの身体の方は生きていません」
「は?どういうことだよそれ?俺は死んでないんだろ?」
少女の矛盾に純人は納得がいかない。
少女は、「詳しく言いますと‥‥」と前置きし
「あなたはつい一時間程前、巨大な鉄塊の衝突によって命の危機に瀕しました」
(鉄塊‥‥‥‥トラックの事か?)
「ですが、ご安心ください。鉄塊が衝突する直前に私があなたをこの空間へお連れしましたから。ですが―――」
少女は神妙な面持ちになる。
それに釣られ、純人の顔も強ばる。
「お連れ出来たのはあなたの『魂』だけなんです。身体はそのまま鉄塊によって重大なダメージを受けてしまいました」
申し訳なさそうに頭を下げるヘリウラ。
「あー、なんだ、つまり、キミは俺を助けてくれた。でも、それは魂だけを助けただけであって身体はそのままトラックに弾かれた、と‥‥」
「あの塊はとらっくと言うのですか‥‥。そうです、魂は無傷だったので身体と魂の欠片が繋がってはいますが、今のあなたの身体は生体として機能していません。本当にごめんなさい‥‥‥‥」
再び頭を傾げる少女を見やりながら、純人は必死に必死に頭を頭を回転させていた。
(なるほど。つまり、今『ここ』にいる俺は魂―――生霊に似たようなもので、本体から魂が抜け出ている状態‥‥‥‥幽体離脱みたいなものか)
彼は、自分の現状を的確に把握出来ているようだ。
まぁ、取り乱してパニックに陥るよりは数十倍マシだが‥‥‥‥。
「あ、あの、もしかして信じて頂けてなかったりしますか?」
ヘリウラが心配そうに純人の顔を見る。
「いや、信じてるよ。キミの言う通りでもなけりゃ、この事態はあまりに奇妙だし」
「そ、そうですか‥‥‥‥あまりにもあっさりとしていたので、信じて貰えてないのかと思っていました」
ヘリウラはほっと胸を撫で下ろす。が、ふと顔を上げる。
「なら、どうしてあなたはそんなに落ち着いているのですか?普通、結構取り乱してしまいそうな事だと思うのですが‥‥‥‥」
「最近になって死後に異世界に転生する作品とか結構見るし。耐性でも付いたのかな、死んだって言われることに」
「???」
純人の発言の意味が分からず、ヘリウラは頭に疑問符を浮かべている。
「ま、まあ、とりあえずそこを理解してもらえたなら十分です。それで、ここは―――」
「死語の世界の1歩手前にある狭間的なもの。もしくは、異世界に転生する儀式を行ったり準備をする場所、またはそれに準ずるもの―――か?天国でも地獄でもないならそんなとこだろ」
純人が幾つかの推測を並べる姿を見て、ヘリウラは目を丸くする。
「驚きました‥‥‥‥こんな異常な事態でここまで頭が頭が回るなんて」
「いや、別に。これもよくある設定だし。でも、まさか、自分が体験することになろうとはな‥‥‥‥」
我ながら自分の適応力に感心する純人。
異世界ものの読みすぎは、実際に自分がその立場に立った時の感動を薄くするんだな‥‥‥‥なんて事を思っていた。
「てことは、アルハートさんは異世界を見守る女神様だったりするのか?」
これもありがちだよな、と純人が新たにヘリウラに質問するが彼女は首を横に振る。
「いえ、私は女神様なんて大層なものではないです。あなたと同じ普通の人間ですよ」
異空間に人の魂を引き込んだり、銀色の光に変わる銃を持っていたりするやつのどこが普通なんだ、とツッコミを入れたかったが、話が進まなくなると感じでツッコミを飲み込む純人。
「ふーん。それじゃあもう1つ聞くけど、俺の他に小さい女の子が居なかったか?これくらいのチビなんだけど」
純人は胸の下を指す。
「スイちゃんの事ですよね。はい、あの娘もあなたと一緒にこの空間へお連れしました」
「ん?何で彗の名前を知ってんだ?」
「それはですね――――」
少女は、純人が予想していなかった答えを返してきた。
「私があの娘を私が住む世界にお連れする為に、あのとらっくを仕向けたからです」
「‥‥‥‥‥‥はい?」
純人の脳が思考する事を停止した。
当然だ。今、彼の目の前にいる人物は、自分を殺そうとしたと自白したようなものなのだから。
「あ、あのぅ‥‥‥‥大丈夫ですか?」
純人がマネキンのように同じ体勢で固まっていると、ヘリウラが心配そうに純人の顔を覗き込む。
すると、
「大丈夫なワケあるかあぁあああっ!」
突然純人が大声を上げ「ひうっ‥‥‥‥!」とヘリウラが肩をすくめる。
「何してくれとるんじゃ、おんどりゃあ!キサマ、よくもまぁ俺と普通に会話できたよな、神経図太いにも程があるわ!それとも何だ?鋼鉄のハートでもお持ちなんですか、あ?」
純人の激しい糾弾に「はわわわわっ!?」と目を回すヘリウラ。
「あ、あのですね‥‥これには事情が‥‥!」
「言い訳は聞かん!とりあえず表に出ろやい。今すぐにでも復讐―――」
「私『達』にはあの娘が必要だったんです!あの娘が私の世界に来てくれないと、私の世界もあなたの世界も滅んでしまうんです!」
「‥‥‥‥どういうことだ」
少女があまりにも必死なので、純人は糾弾の手を止める。
すると、少女は瞳にうっすらと浮かんだ涙を拭うと、少年と向き合って事の次第の説明を始めた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私が住んでいる世界は、あなたが住んでいる地球をそっくりそのまま写し取った世界なんです。
そして、二つのの世界にはそれぞれ全くの同一人物が存在しています。
あなたも私の世界を探し回れば、自分と同じ存在を見つけることが出来ますよ。もちろん、逆もしかりです。
あなたと私の世界では植生や地形、生息する生き物など多数異なるところがありますが一番の違いは、私が住んでいる世界には人類に仇なす敵『偽神獣』というものが存在しているところです。
そして、私はその偽神獣と戦う人間『源素使い』です。
私の世界のスイちゃんは、世界でも三本の指に入る強力な源素使いでした。
そして、私と同じ偽神獣討伐部隊の一員でもありました。
ですが、先日、強大な偽神獣との戦闘で私と他のメンバーを守るために彼女は無理をし過ぎて、それが原因で意識不明の状態に陥ってしまいました。
私や他のメンバーが途方に暮れていた時、世界に五本だけ存在する神樹『生命の樹』の一本から神託が下ったのです。
『異世界に存在するトキワ スイと同一の人物が彼女を目覚めさせ、この世界を救う鍵になる』と。
「だから、私達は最後の望みをあの娘の同一人物である彼女に託す事にして、彼女を探す為にあなたの世界の観察を始めました。そして、今朝、やっと彼女を見つけられました」
ヘリウラはそこまで語ると、途端に顔を曇らせた。
「ですが、私としたことがあまりにも先走り過ぎてしまって、本来なら身体ごと転移術を使って召喚するはずだったのに、誤って魂だけを召喚する術を使ってしまったのです。結果、とらっくでスイちゃんを襲うことになってしまった。それどころか、あなたまで巻き込んでしまって‥‥‥‥本当にごめんなさい!」
ヘリウラはみたび深々と頭を下げるが、「でも!」と言って顔を上げる。
「もし、魂が死んでいたら本当に死んでしまうところでしたが、幸いにもあなたの魂は生きたままなので弱いですがまだ身体と繋がっています。今からならすぐにでも本来の身体に魂を戻す事が出来ますし、身体も回復術を使って元の状態に戻させて頂きます」
「俺が死んでないってのはそういうことか。なるほどね」
彼の身体は、生物として死んでいると言われても仕方ない状況ではあるが、少なくとも魂は身体にへばり付いたままだから辛うじて生きているとの事らしい。
「はい、なので今すぐにあなたを元の身体にお返しします」
「ちょっと待ってくれ」
ヘリウラが左の手の甲に右手を重ねようとするが、その前に純人が彼女を制止する。
「彗は――あいつはどうなるんだ。もし、あんたが言った通りなら、あいつはこれからあんたのいる異世界で、その――ギシンジュウってのと戦う事になるんだよな」
「‥‥‥‥はい。今すぐに――とは言いませんが、近いうちにそうなると思います‥‥」
ひどくつらそうな顔をするヘリウラ。よく見ると、右の手のひらに指が強く食い込んで真っ赤な鮮血が指を赤く染めていた。
「私がもっと強ければ‥‥‥‥」
そんな、弱くてか細い声が聞こえたような気がした。
しかし、純人にその声が届いていたかは分からない。
「なあ、俺もその異世界に連れていってくれないか?」
「‥‥‥‥え?」
純人のあっさりとしたそんなセリフに、ヘリウラは狐につままれたような顔をして茫然と純人の顔を見つめた。
「あ、あの、ご自分で何を言っているのか分かっていらっしゃいますか?あなたは、本来死ぬ必要は無かったんですよ。でも、私のせいで‥‥‥‥」
「自分で何言ってるかはよく分かってるよ。異世界に呼ばれた幼馴染みの巻き添えを食らって半死に状態で、でも、今ならすぐに五体満足で元通り。けど、それを捨てて異世界に行こうとしてる。ぶっちゃけ、馬鹿げてるって自分でも思うよ」
「なら――!」
「でもさ、異世界って夢があるじゃん。それこそ、人生捨ててでも転生したいとか思うくらいにさ。俺、異世界もののラノベの読み過ぎでそーゆーのに憧れるようなバカだからさ、折角異世界で人生やり直せる機会が目の前にあるってのに、それをわざわざ捨てたくはないんだよ。身体を元気な状態に出来るってんなら俺の妹にでも使ってやってくれ。あいつ身体が弱いから」
彼はばつが悪そうな顔で頭を掻く。
一見、彼は自ら異世界で生きることを望んでいるようにも見えるが、本当は違った。
(異世界転生?別に俺は転生なんて望んじゃいない。人生なんて一度っきりで十分だ)
「ほら、異世界ってさ獣人とかドラゴンとかいるんだろ。俺、一度でいいからあーいうの実際に目で見たかったんだよ」
(別にそんなのどうでもいい。そんなの、ゲームやアニメの中で見れば十分だ)
「それにさ、彗だけ異世界に行くなんてズルいじゃん。それに、あいつが世界を救う?そんなおいしい役をあいつ一人で持っていくなんて、あいつの幼馴染み兼ライバルの俺が許さねえよ」
(長年連れ添った幼馴染みを見捨てて、一人だけのうのうと生きていけるほど、俺はできた人間じゃない。それに、あいつ一人にそんな危険な運命を背負わせたりはしたくない。少なくとも重荷の片側を背負ってやれるくらいの甲斐性はあるつもりだ)
「それに、ライバルとして勝ち逃げはさせたくないしな!」
これだけは本心だった。
アクシデントがあったとはいえ、あのままだったら自分は負けていた。
だから、彼にはその負け分を取り返したいという気持ちがあったのは事実だった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ヘリウラはじっと何かを考え込んでいるようだ。
しばらくその場でじっとしていると
「分かりました。あなたも、こちらの世界へお連れします。でも、本当にいいのですか?今ならまだ引き返せますよ」
「大丈夫だよ。これでも、腕には自信があるからな」
そう言って力こぶを作って見せる純人。
格闘家などから見れば大した事もない腕なのだが、それでもヘリウラには彼の確固たる意志が見て取れた。
「あなたは、スイちゃんの事が大好きなんですね。こんなに頼もしい幼馴染みがいるなんて、スイちゃんは羨ましいです」
ヘリウラはフッと頬を緩め少しからかうような笑顔を作る。
「べ、別に!俺はただ異世界に行ってみたいだけで、あいつはただのオマケだし!」
あまりに露骨でバレバレな嘘だったが、ヘリウラは「そうですか」と言って、野暮な追求をしたりはしなかった。
「それでは、私の手をしっかりと握ってください。あちらの世界へ飛びます。そこには、スイちゃんもいるはずなので」
ヘリウラはそっと純人に左手を差し出す。
彗以外の女の娘の手を握った事が無い純人は一瞬緊張したものの、おずおずとした動作でヘリウラの手を握った。
その直後、二人の足下に幾何学的な模様と六芒星や円が入り交じった魔法陣のようなものが現れ、二人は一瞬の後にその空間から姿を消した。




