七夕 -distance-
章名になっているのは、時系列のフォローです。中編では、時系列+サブタイトルで構築する予定です。
7月7日。七夕。織姫と彦星が1年に1度だけ、出会うことを許される日。
日が落ち、星の輝きだけが照らす夜。古びた屋敷のテラスに1人の少女がいた。
もうすっかり皆が寝静った宵の頃。月明かりに溶け込むような美しい白銀の長髪が風にさらさらと揺れる。
淡い色のネグリジェに身を包んだ少女は、さながら妖精の如く、儚く、そして美しい。
少女は、その紫水晶の瞳に、穏やかな色を宿した彼女は、どこか寂しげにも見える表情で、宝石箱をひっくり返したように煌めく夜空を見つめていた。
繁茂する木々の中に取り残された屋敷こ周囲には純粋な闇が残されており、それとは対照的に、空は光に満ちている。
「七夕、か……」
少女は小さくささやくようにつぶやいた。彼女の住んでいる楽園と呼ばれる場所では、その習慣は一般的なものではない。
「年に1度だけ出会える恋人の話、なんてロマンチックなのに……」
少女はちょっと残念そうにそうつぶやいた。彼女を含め、多くの人々が住まう楽園から遥かに東。東方と呼ばれるそこでは、この七夕という習慣はよく知られたものらしいのだが。
ぐいっと伸びをした少女は、ふと人の気配を感じて、テラスから階下を覗き込む。
「あっ……」
そこにいたのは、1人の少年だった。赤黒い髪に、鮮血の如き真紅の瞳を闇に輝かせる彼の名は、ジン・ルクスハイト。彼女の仲間の1人だった。
「ジン……?」
少し、控えめに名を呼んだ少女の声を、青年は耳聡く聞き付けたらしく、顔を上げた後、興味をなくしたように視線を外した。
少女はぷくっと頬を膨らませると、
「ちょっと、無視は酷いと思うんだけど!」
「……おまえと話す必要性を感じない」
「むー、こんな時間に会ったんだから挨拶するとか、少し話してみるとか、ほら、いろいろあるでしょ」
「…………」
紅い瞳の少年──ジンは、煩わしげに首を振り、少女の声には答えなかった。しかし、その表情はただただ、無であった。
少女は、わずかに苛立ちを乗せた声色で言う。
「3週間後には、わたしとあんたで組んで、世界に喧嘩を売るんだからねっ! それ、分かってるの?」
少女の不満は最もなものであった。2人組みが互いを信用していないようでは、何かを成し遂げるなど、絵空事というものだ。まして、チームだけではなくさらに多くの人が関わっているのなら、チームの勝利がその多くの人たちの行く末に関わっているのなら、なおさら。
彼女たちの属する反動組織、革命団の本格的な活動開始まで、もう一月を切っている。不安要素は、少しでも解消したいと思うのが、人情というものだろう。
「……おまえと組むことを了承した記憶はないが?」
「おまえって言うな、わたしにはティナって名前があるの! っていうか、文句なら《テルミドール》に言ってよねー。決めたのあの人なんだから」
銀髪紫眼の少女──ティナが、彼らのリーダーにあたる人物の名を出すと、ジンは、忌々しそうに目を細めて、凍てつくような視線を彼女に向けた。
ティナは、その視線に怯えたように、びくっと身を震わせるが、そんな自分を振り払うかのようにぶんぶんと首を振って、視線の主にむすっとした顔を向ける。
「…………」
「…………」
「…………」
「う……うぅ……」
もちろん、ティナが無言の睨み合いなどに勝てるはずもなく、目が泳ぎだし、ちょっと涙目になっていた。
「……まあいい。おまえもヘマだけはするな」
「だから、名前で呼んでよねー。後、わたしはヘマなんてしないもん」
「ならいいがな」
「む。なんか含みある言い方なんだけどっ!」
「うるさい。夜に騒ぐな」
言い方はあれだったが、夜更けに騒いでは他人の迷惑になるのは事実なので、ティナは口をつぐんだ。
本当に、人の気も知らないで、好き勝手に言う冷血漢である。ティナだって不安なのだ。もう1ヶ月もしない内に、今のような日々は終わりを告げ、革命を志す戦いが始まるのだから。
──もう少し優しくしてくれたっていいじゃない
そんな風に内心で拗ねていると、ジンがふと顔を上げて、ティナを見た。
「それで? おまえはなぜそこにいる?」
「ふぇっ?」
こてんと首を傾げ、間の抜けた声を漏らしたティナに、ジンは小さく溜息を吐いた。呆れを隠さない態度に、つい、ティナの頭に血が上った。
「あんたねえ……!」
「それで?」
「ああもう、分かったわよ! 七夕だから星を見に来ただけ、文句ある?」
「七夕……?」
今度はジンが首をかしげる番だった。まあ、七夕は楽園ではマイナーもいいところな行事だ。もっとも、東方の節句や逸話など知っている人間の方が少ないに決まっているのだが。
「知らない? 織姫星と彦星の2人は、1年に1度、七夕の日にだけ会う事ができる恋人同士、って話なんだけど」
「いや、それは知っている」
ティナは驚いたように、紫水晶の瞳を瞠った。革命団のメンバーに聞いたら、10人中10人が知らないと答えると思っていたので、その答えは意外だった。
とはいえ、黒い髪をしているので、ジンも東方人の血が入っているのには間違いない。もしかしたら、聞く機会があったのかもしれない。
「だが、なぜ
星を見ることになったのが理解できない」
「……ジンってロマンがないよねー」
「……不合理な恋人になにか感じることがあるようには思えないがな」
「ほんっと、デリカシーない、ばか」
ティナが不機嫌そうに吐き捨て、そんなんだから、とぶつぶつと文句を言う。
しかし、ジンは、そんなティナを気にした様子もなく、
「まあ、星が良く見えるのは認めるが」
「やっ、そんな取って付けたようなフォローいらないんだけどっ!」
「……事実を言っただけだ」
そう切り捨てたジンに、ティナは静かに、誰に聞かせるでもなく、つぶやくような口調で言う。
「ジンがどう思うかは知らないけど」
まあ、この男に異国情緒を理解しろというのが無理な話なのだ。ならばせめて、人がその雰囲気や趣きをを楽しんでいるのを壊さないで欲しいものだ。
「わたしは七夕って好きだよ? 会えなくても、想い想われる。そんな関係が羨ましいから」
そうだ。羨ましい。会えなくて、一目見ることすら叶わなくて、それでも想われている織姫が。
会えなくて、恋しくて、そんな感情に囚われているのが自分だけだと知った時、ほど悲しいことはないのだから。
それが心の支えだったのなら、それだけが欲しくてここまで来たのなら、なおさら。
「わたしもね。織姫みたいに想われていたかったの。ずっと昔、わたしを変えてくれた男の子に。でもね──」
ティナは、切なげな表情で、憂うように、夜空に浮かぶ夏の大三角を、2人の間を裂くように流れる星々の川を見つめた。
こんなことをジンに言うのはきっと、ただの八つ当たりなのだろう。だけど、作戦が近付いているという不安と、幻想的な夜空に幻惑されて、彼女は饒舌になっていた。
「その子にとってはきっと、なんでもない出会いだった。わたしは想っているばかりで、想われてなんかなかった。いつもいつも、わたしは何かに囚われているだけ。だから、羨ましいの」
「…………」
「憧れのせい、なのかな?」
「さあな」
今までずっと黙り込んでいたジンは短く、そう答える。その様子は相変わらず、いつも通りに冷たい。
しばし、ティナの視線の先の星空を追っていたジンだったが、不意に興味を失ったように背を向ける。
そして、背を向けたまま、彼はティナに言う。
「俺は、想われているからじゃなく、想っているから幸せなんだろうと思うが。それに──」
ジンは1度言葉を切ると、まさかジンがまともに答えるとは思っておらず、目を瞬かせるティナの紫水晶の瞳とちらりと視線を合わせると、
「想うも想われるも、度が過ぎれば呪いには違いない」
自嘲気味に告げた、その一言だけを残し、屋敷の中に消えていった。
「えっと……何が言いたかったんだろ?」
こと雑談において、ジンと長く会話が成立することなど、今までほとんどなかった。だから、ティナは若干の戸惑いと共に、振り返って、ジンが入っていった屋敷の方を見る。
でもなんとなく、なんとなくだけれど、その意図が分かった気がする。
「たぶん、すっごくたぶんだけど、励ましてくれたような気がする……」
ジン・ルクスハイトという男はやはり、どうにも素直さというか、可愛げというものに欠けている。だけど、思ったより、冷血漢ではないのかもしれない。
でももし、一つだけ間違えているとすれば──
「ジン、わたしはね、意地っ張りで強欲だから、想うだけじゃなくて、想われたいんだよ?」
──まあ、きっと分かってくれないんだろうけど
ティナはくすりと笑みをこぼすと、もう一度天の川と星の逢瀬を目に焼き付けて、少しだけ軽い足取りで、部屋の中へと戻っていった。
7月7日。夏の始まりを感じさせる生温い風が、少女が去ったテラスを撫でる。
誰も見ることのなくなった夜空には、天の川にかけられた白鳥の羽と、2人の恋人が輝いていた。
時系列としては、第1章第1話の3週間ほど前ということになっています。
七夕に合わせて一本作ってみました。
せっかくだから7時にうp。
態度が軟化する前のジンのイメージを思い出しながら書くのに苦労したり(笑)
(これ七夕関係あるのか……?)
本編の方もよろしくお願いします。