第5話 母との仲違い 後編
後日、俺とミネストローネはリンフィアと一緒に近くの町へとやって来た。
活気がよく様々な店が建ち並んでいる。
肉屋に魚屋、雑貨店に日用品店など種類も様々で品揃えはかなりよい。
行き交う人々の多くが笑顔を浮かべ、軽やかに進んでいく。
それは早朝に行われる市場と雰囲気がよく似ていた。
決して大きな町とは言えないが、一言で言うと温かい場所だ。
俺とミネストローネはここに来るのが初めてではなかった。
この町の名はランバール。
いつも少ない給料で買い物へ訪れる場所だ。
なんたって近い!安い!美味い!の三拍子が揃った場所だ。
この値段と品質のよい商品は最近増えてきている業務用スーパー並みだ。
ただ、パン屋は寄ったことがなく今回初来店だ。
リンフィアに案内されるがままついていく。
「着きました。ここです。」
リンフィアが手で示したのは小さなお店。
そこは洋風な外見で着飾っている。
内装はシンプルで美味しそうなパンがズラッと並んでおり、外からもよく見えるようになっている。
そしてトングとトレーが一ヶ所に多数重ねてある。
あれで食べたいパンを乗せて会計を行うらしい。ようするにミスド方式。
その会計の場所には白い髪をした女の人がいた。
「それでは、私は裏玄関から入りますのでこれで。母には一応アキトさん達が来ることは手紙で伝えてあるので。」
まだケンカ途中で顔を会わせるのが気まずいのだろう。その気持ちは痛いほどわかる。
「わかった。」
リンフィアはペコリとお辞儀をしてから店の裏門から中に入っていった。
俺は軽く手を振り見送った。
「さて、行きますか。」
「ああ。」
俺とミネストローネは店に向き直る。
そして、ガラス張りのドアを開いた。
「こんにちはー。」
「いらっしゃーい。」
すると先ほど見えた白髪の女性から声が聞こえた。
柔らかい笑顔を向けてこちらを見る。
店の中に踏み込むと、ふわっとパン特有の香ばしい匂いがする。
この香りは小麦粉やイーストなどパンの原材料に含まれている化学物質が生みだしているものらしい。
独特なこの香りを嗅ぐと思わずパンを大人買いしてしまいそうだ。
だが今日俺達は客として来たわけではない。
「すいません、今日はパンを買いに来たわけではないんです。リンフィアのお母さんにお話しがあって訪ねました。」
そう、この特徴的な白髪に美しい風貌。
間違いなくリンフィア母だろう。
これでお姉さんだったらどうしよう。そしたらもう土下座通り越して土下寝だな。
「そう、あなた達が……。」
リンフィア母の表情が少し曇った。
そんな中俺は超真面目な顔をしながら内心ホッとしていた。
よかったー。あってたー。
「中にどうぞ。」
今日は早めに店を閉めるつもりだったらしく、俺達が来てすぐに今日の営業を終了した。
そして俺達はリビングに通された。
内装は主張しすぎず、けどどこか懐かしさを感じる。
一つの棚の上には綺麗なオルゴールが置いてあった。
レトロな洋風スタイルという感じだ。
俺とミネストローネは中央にある木造のテーブルのイスに導かれた。
言われるまま座ると、向かい側にリンフィア母が座る。
「初めまして、俺はアキトと言います。」
「私はミレイナだ。」
「私はリシリアよ。」
定番の自己紹介から会話を始める。
「リンフィアからは私達についてどんなことを聞いているんだ?」
ミネストローネはリシリアさんに手紙の内容を聞いてみる。
それによって話すべきことの量が変わるからな。てか敬語使え、敬語。
「手紙には私に会いたい人がいるからリンフィアが案内する、としか書いてなかったわ。」
「そうか。」
必要最低限の情報しか伝えてないらしい。
まあケンカ中はそんなものだろう。
どうしても業務連絡みたいになるのはしょうがない。
「じゃあまずは俺達のことを説明しないと。俺達はこの町の近くでお悩み相談、というものをしている者です。」
「あー、あなた達がそうなのね!」
リシリアさんは手のひらを合わせ合点が言ったという感じで微笑む。
「知っているんですか?」
「ええ、この町の人達の中にもお世話になった人がけっこう居てね。ちょっとした有名人よ。」
「そうだったんですか。」
俺とミネストローネは目を見開く。
そんなことになっているとは思わなかった。
それを嬉しくも思うしなんだかこそばゆい気分になる。
それよりも驚いたのはこの人の人柄だ。
もっと冷たくて固い人かと思ったが、イメージと全く違った。
温和で優しい人という印象だ。
「で、その人達が来たってことはリンフィアが何か依頼をしたんでしょ?」
「はい。」
そこは察しているらしい。
俺は話しを切り出す。
「俺達はリンフィアちゃんに母親と仲直りするためにはどうしたらいいか、ということを相談されました。」
リシリアさんは一瞬目を見開いたあとスッと目を細めた。
「そう…。あの子がそんなことを…。」
リシリアさんは感慨深げに呟く。
娘が自分との仲直りを願っている。
それは親としてとても喜ばしいことだろう。
でもリシリアさんはなんだか複雑な表情をしている。
「勝手ながら、リンフィアちゃんに色々家の事情を聞きました。それはリンフィアちゃんとリシリアさんが本当の意味で仲直りするための手助けがしたいからです。ですが、わからないことも多かったのでこうしてリシリアさんを訪ねて来ました。」
自分のいきさつと意思を示した。
「そうだったのね。」
リシリアさんは複雑な表情を崩さない。
やはり何か事情があるのだろう。
「正直、部外者の俺らが割って入っていい話しじゃないと思います。リシリアさんにとっては余計なお世話でしょう。初対面のやつらにこんなこと言われたってイラつくだけかもしれません。それでも、俺達はなにか力になりたいです。」
俺は強く、淡い瞳でリシリアさんを見つめた。
「余計なお世話、何て思ってないわよ。」
「え?」
俺はてっきり苦々しい表情で遠回しに関わるなと言われると思っていた。
だが返答は予想外のものだった。
「あなた達はこういうことが仕事なんでしょ?それに相談したのはうちの娘なのよ?なら逆に巻き込んでしまって申し訳ないわ。」
リシリアさんは口角を少し上げて話した。
俺の中でホッとすると共に喜びの感情が浮き出てくる。
「いえ、申し訳ないなんてとんでもない。それこそこれが俺達の仕事なんで。」
後ろ頭を掻きながらフォローを入れる。
「そう……。」
そこで少し間をおいてリシリアさんは真剣な面持ちでこちらに向き直った。
どうやら話してくれるらしい。
リシリアさんの過去を。
同時刻。
二階で母とアキト達の話しが終わるのを待っていた。
だが一人で自室にいても落ち着かずにいる。
どうしても気になってしまい部屋を出た。
音を立てないようにそおっと階段を下りていく。
そして声のするリビングに忍び足で近づきドア越しに聞き耳を立てたーー。
「リンフィアからは父親と離婚したと聞いているだろうけど、あれは嘘なの。」
リシリアさんは一呼吸おいて、続きを告げる。
「私の夫は、あの日死んでしまったのよ。」
リシリアさんは至って真面目な顔だった。
俺達は一瞬呼吸が止まった。
驚愕にうち震えて言葉が出なかった。
だが、浮かんだ疑問をなんとか口から吐き出す。
「それは、魔物にやられたということですか?」
リシリアさんはゆるゆると首を振る。
「いえ、病死よ。」
「え?」
ますますわからなくなってきた。
しかしとりあえず思考を止めてリシリアさんの言葉に耳を傾ける。
「夫は優れた魔導師でね。すごく有名で誇り高くて正義感が強くて、なによりも優しかった。私とリンフィアのこともすごく大事にしてくれていた。リンフィアも父親のことが大好きで、魔物討伐から帰ってきた夫によく子守唄をせがんでいたわ。」
リシリアさんは遠い記憶を思い出すようにして窓を見る。
「けどあるとき夫が倒れて、急いで医師を呼んだわ。そして検査結果は治療不可の大病。余命宣告もされたわ。元気に振る舞えてもその病は確実に体を蝕んでいく。リンフィアには辛いだろうからと黙っていた。夫はそれにもかかわらずその後も魔物の討伐に向かっていった。何度も止めようとした。そして口論になった時もしばしばあったのよ。身勝手だけど、もう少ないとわかっている時間を私たちと一緒に過ごしてほしい。その一心だったわ。」
リシリアさんは苦しげに囁くように話す。
俺は悲哀の感情で一杯になっていた。
「そして余命の日が近づいてきたとき、またも夫は討伐に向かおうとしていた。私はそのとき我慢の限界が来てね。もういいじゃない。十分やったわよ。なんで私達の気持ちをちゃんと考えてくれないの?そんなに魔物討伐が大事なの?って、ものすごい勢いで感情をぶつけたわ。でも夫はこれで最後だからといって家を出て行ったわ。」
リシリアさんは辛く締め付けられているような顔だった。
それを見て俺はさらに苦しい気持ちになった。
「私は夫の帰りを待っていたわ。けどなぜか嫌な予感が頭に渦巻いてきて、居てもたってもいられなかった。気づけば私は家を飛びだしていた。そしてしばらく走った先に倒れた人影が見えたの。すごく嫌な感じがして駆け寄ったわ。するとそれは、紛れもなく夫だった。夫の呼吸は浅くてとても辛そうだった。私の必死の呼びかけに夫は口を開いてゆっくりと話したわ。」
「すまないな。実は今日はこのオルゴールを買いに遠くの町まで遠出していたんだ。その帰りの途中で目眩がしてな。この様だ。」
そう言って差し出したのは高価そうな美麗なオルゴール。
「俺が討伐で貯めた金を全部使って買ったんだ。これを買うために病気とわかったあとも討伐に向かってたんだ。」
リシリアの目から涙が零れ、夫の優しい顔に落ちていく。
「なん、で?」
「お前達のために普通にお金を貯めて財産を残す、ということでも良かったんだがな。お金じゃ使って終わりだろう?なんとか俺が生きていた証を、お前達に形として残したかった。こんな自分勝手で未練がましい俺を、許してくれるか?」
リシリアは溢れる涙を拭い押し留め、精一杯の笑顔を作った。
「許すも許さないもない。ありがとうね、大事にします。」
夫は安堵の表情を浮かべ、そっと呟く、
「ああ、ありがとう。今まですまなかった。愛しているよリシリア、リンフィア。」
「そして夫は息を引き取ったわ。」
リシリアさんの目が潤いきらきらと光る。
俺は先ほど見かけたオルゴールに目を向ける。
「その人が残したっていうものって……。」
俺の目線に気づき、リシリアさんもオルゴールを見る。
「そう、あれが夫が買ってきたオルゴールよ。」
リシリアさんは立ち上がり、オルゴールを手に取る。
それをテーブルまで持ってきてそっと置く。
リシリアさんはオルゴールのゼンマイをゆっくりと回した。
そして手を放した瞬間、曲が始まる。
穏やかで心安らぐメロディー。
なんだか心に染みて眠りを誘う。
「この曲はね、いつも夫がリンフィアに聞かせていた子守唄と同じものなの。」
リシリアさんはこの曲に心身ともに聞き入る。
優しさや儚さを歌い上げるように音を刻んでいく。
「リンフィアには、夫の死を知らせたくなかった。あんなに大好きで憧れていた父親が死んだとわかったら、あの子がどうなってしまうのか不安で仕方がなかった。だから離婚ということにしたの。まだそっちの方が、あの子へのダメージが小さいと思ったから。」
リシリアさんは痛々しげに、苦しげに語る。
「リンフィアはその後も魔導師になろうとしていた。私はそれに大反対したわ。魔導師になると、娘までいなくなってしまいそうで。そんなことないのはわかっている。子の夢を、希望を摘み取ろうとするなんて親として間違えていると思う。それでも私は…。」
俺はこのとき疑問が湧いた。
おそらくその解釈では答えが半分だ。
「それだけではないな。」
ミネストローネはわかっているようだ。
俺は一つ頷き自分の考えを述べる。
「たぶん、リンフィアちゃんはもう憧れだけで魔導師になろうとしていない。もっと大きな目標を持っている。本人自体気づいてないかもしれませんが、リンフィアちゃんは魔導師になればいつか父親と再会できると思っているんじゃないでしょうか?」
リシリアさんは一筋の涙を流しながら目を見開く。
俺はできるだけ穏やかな口調で告げた。
だがどれだけ丁寧に言おうが俺がしていることは、現実を突きつける行為だ。
でもそうしないとリシリアさんも前に進めない。
なぜならリシリアさんもそれがわかっていたから。
父と同じ運命になってしまうんじゃないか、というのはただの建前。
本当は父と会えるかもしれないという希望を持たせたくなかった。
綺麗さっぱり忘れて欲しかったから反対したんだ。
リシリアさんは無意識にその考えをしまいこんで建前の理由で反対していた。
なぜなら自分が娘に真実を隠してしまったことの罪をできるだけ遠ざけようとしたから。
いつか話さなければならない。
向きあわなければならない。
それでも怖かったのだ。
リシリアさんも母親の前に一人の人間だ。
罪から逃れられたいと思うのは当然。
だが、逃げていても何も始まらない。
「そう、よね。」
リシリアさんの視線が自然と下がっていく。
「リシリアさん、このケンカをきっかけにちゃんとリンフィアちゃんと話してみてはどうですか?お互いの気持ち。考え。夢を。そうしなければ俺は、ここから一歩も踏み出せないと思います。」
静かに、だけどしっかりとリシリアさんを見据えた。
リシリアさんは顔を少し上げる。
「でも、あの子は絶対に私を許してくれないわ。」
リシリアさんがそう言った瞬間、ドアがガチャっと開いた。
三人ともそこへ目を向ける。
すると、そこには目に透き通った涙を抱えたリンフィアがいた。
「リン、フィア?」
リシリアさんは掠れた声で娘の名前を呟いた。
「許すも許さないもないよ、お母さん。」
柔らかな笑顔をリシリアさんに向ける。
二人の視線は交わり、絡み合う。
「今までごめんなさい。お母さんの気持ちも考えずに苦しませちゃって。」
その一言で母親から涙が溢れていった。
罪悪感や喜びの感情をその儚くも綺麗な泣き顔が表していた。
リシリアさんは立ち上がり、娘をひしひしと抱き締めた。
「私こそ、ごめん、ごめんね。辛かったよね。苦しかったよね。本当にごめんなさいね。」
心の底からの言葉が口から次々と出ていった。
そしてリンフィアからも大粒の涙が零れていった。
「お母さん…。」
「リンフィア…。」
二人は強く抱き締めあい、心を通わせる。
ここに母と娘の絆が結ばれた。
いや、元々その絆はあったんだ。
ただほどけていただけ。
それが今固く、強く結び直された。
もう二度とほどけないようにしっかりと。
その絆は、天国にいる父親とも繋がっていることだろう。
俺とミネストローネの表情は自然に綻び二人を見守った。
そんななか、父親のオルゴールは二人を包むように曲を奏でていた。
「今日は本当にありがとうございました。」
リシリアさんとリンフィアにペコリとお辞儀をされた。
「いや、俺達は何もしてませんよ。」
実際何もしていない。
あのあと、二人は話しあった。
リンフィアは父の死を知ってショックを受けたそうだが、母がいるから大丈夫と言って前向きに生きていくことにしたようだ。
リンフィアは魔導師になるという目標を変えないそうだ。
父と繋がっている気がするし、憧れは今でも変わらないかららしい。
母はリンフィアの成長を影ながら見守ることにした。
「いえ、アキトさんとミレイナさんが居なければ私は母とわかりあえないままでした。」
リンフィアは清々しい笑顔をしている。
それはリシリアさんも同じだ。
しがらみが取れて晴れ晴れとした気持ちなんだろう。
それは、俺達も同じだ。
「そうか、なら良かった。」
ミネストローネは笑みを浮かべ、なんだか満足気な顔だ。
「あ、お礼をお渡ししないと。」
リンフィアは懐からお金を取りだそうとする。
「いや、でもほんとに俺達話しを聞いただけだしそれでお金もらうのは気が引けるというか…。」
手を前でふりふりしながらやんわり断る。
「いいえ、もらってちょうだい。あなた達はちゃんと私達の力になってくれた。これでお礼を貰わないなんて逆に失礼よ?」
リシリアさんはふふ、と笑う。
「お金で気が引けるっていうなら、うちのパンを持って帰らない?」
リシリアさんは俺達のために一つ提案をしてくれた。
これで断ったら本当に失礼だ。
この厚意はありがたく受け取る。
「それじゃ、お言葉に甘えて頂きます。」
リンフィアとリシリアさんから大量のパンが入った袋を手渡される。
その後店の前へ出て、別れの挨拶をする。
「それでは、俺達はこれで。」
「いつでも遊びに来てね。」
「ああ。」
「さようなら、アキトさん、ミレイナさん。」
リンフィアは笑みを浮かべながらも少し寂しそうな顔をする。
どんな時でも別れが寂しいのは当然だ。
だったら、また会えばいい。
そうすれば別れの挨拶はまた会おうという約束に変わるだろう。
「またな。」
そう言って俺とミネストローネは背を向けて歩き出す。
後ろからは見送りの温かい視線が感じられた。
しばらく進んだところで、急に背後から声と足音が聞こえた。
「アキトさん!」
振り返ると、リンフィアが走って来ていた。
「どうしたの?」
俺のもとまでたどり着くと、息を切らしながら告げた。
「あの、相談が、無いときでも、会いにいって、いいですか?」
リンフィアははあはあと息を乱しながら必死に気持ちを言葉にした。
「ああ。いつでも遊びに来な。」
俺は微笑みながら、そっと告げた。
その返答にリンフィアは満面の笑みを浮かべた。
「はい!」
夕焼け燃ゆる空の下。
人々の影は地に濃く移りこむ。
アキトは、力になれて良かったと心の底から思っていた。