Phase.08
今回はミシェル視点。ちょっと人としてどうなの、という行為が出てきます。ご注意ください。
さまざまな夜会に連れ出された今年の社交シーズン。後半になると、今度は狩りが行われるようになってくる。レミュザ伯爵邸にも狩りの招待状が来ていた。
「ミシェル。一緒に行く?」
今回も、誘いをかけてきたのはキトリだった。レミュザ伯爵ランベールにこの招待状は来ているが、家族であるキトリとミシェルは便乗していくことができる。まだ子供であるマリユスとレオンスは置いていくしかないが。狩りとなると、狩猟場の森の近くの城に泊まることになるので、数日帰れないだろう。
「い、行きません」
「ナタリー様も来るみたいだけど」
「……」
ミシェルは、最近仲良くなったシャリエ公爵令嬢を思い出した。
おおよそ公爵令嬢とは思えない、元気で明るい少女だ。年齢はミシェルより一つ年下であるが、ミシェルと臆せず付き合ってくれる相手は初めてである。友達……と言っていいのだろうか。
「……じゃあ、行きます」
「そうこないとね」
ニコリと笑ってキトリがうなずいた。早速、参加名簿に名前を書いている。これを送り返し、参加する人数と名前を伝えるのだ。
「狩りかぁ。楽しみだな」
本当に楽しそうにキトリが言った。彼女は、そう言ったスポーツ的なことが好きなのだ。
「調子に乗って狩りすぎたらだめです」
主催者の顔をつぶすことになるし、何より生態系が壊れてしまう。キトリは笑って「さすがにそこまでしないよ」と言った。
「でも、ミシェルだって銃が撃てるじゃないか」
この世界には『銃』と呼ばれる武器が存在する。キトリは射撃の名手であり、命中率はまだあまりよくないが、ミシェルもそんな彼女に射撃を習っていた。
「私は見ているだけでいいです」
きっぱりと言った。撃てば目立つから、こっそりついて行くだけでいいのだ。でも、森の中は危険だから拳銃は持って行く。
キトリは肩をすくめると、もう一度「楽しみだね」と言った。ミシェルはうなずく。
狩りはともかく、ナタリーに会うのは楽しみだった。
△
狩猟場となったのは、王都の北西部に位置する森だった。王家が別荘を所有しており、その城に参加者は寝泊りすることになる。ミシェルは一人部屋をあてがわれた。キトリが一緒に寝てあげようか、などと言ってきたが、今回はレミュザ伯爵も一緒だ。夫婦を離れ離れにするほどミシェルは無粋ではないつもりである。
「ミシェル!」
「ナーシャさん」
狩りに同行すべく馬の手綱を引いていたミシェルは、早速声をかけられて心もち頬を緩ませる。やってきたのは金髪の少女。今日は髪を結い上げている。格好もドレスであるが、華美ではない動きやすいものだ。それでも、気品が損なわれていないところはさすがである。
「やっぱり来てた! あー、よかった。一人だったらどうしようかと思ったの」
シャリエ公爵令嬢ナタリーはミシェルの空いている手を取って上下に軽く振った。ミシェルもうなずく。
「私も、ナーシャさんがいるなら行ってもいいかなと」
「ホント? うれしい!」
何故か今夜は一緒に寝ましょうとか言われるが、それについてはあいまいにはぐらかしておく。
「ナーシャ。……と、ミシェル嬢……今日もその格好なんだな……」
次にやってきたのはナタリーの兄、アルフレッドだ。ミシェルとナタリーが最近仲が良いので、ミシェルとアルフレッドの交流も続いている。
「こんにちは、アルフレッド様」
挨拶をするミシェルの恰好は通常営業だった。銀色の仮面に深緑のドレス。ナタリーが着ているものと同じ乗馬用のドレスで、その上から外套を羽織っている。フードつきで、必要とあれば目深にかぶるつもりだ。いつもおろしている髪は一本の三つ編みに結ってあった。
通常営業で怪しい恰好である。むしろ、外套を羽織っている分、怪しさは上がっているかもしれない。
どうやら、アルフレッドとナタリーは家族四人での参加らしい。なら、公爵夫人のジョゼットもいるはずなのだろうが、近くには見当たらなかった。
「ミシェルはレミュザ伯爵の付添としての参加よね。だったら、私たちと別のチームね」
この国で狩りと言えば、いくつかのチームに分かれて狩った獣を競い合うものだ。チームの人数はだいたい同じくらいにそろえなければならいので、仲がいいからと言って同じチームであるとは限らない。
今回は六チームに分かれているらしい。ちなみに、チームは色で分けられている。ミシェル、というかレミュザ伯爵家は青らしい。シャリエ公爵家は緑らしいが。
「それじゃあ、またあとで」
「はい」
ナタリーが手を振るので、ミシェルも振りかえした。ミシェルはそのまま馬の手綱を引いてキトリたちに合流した。
「おう、ミシェル。遅かったね」
「すみません……あの、ナーシャさんたちにお会いして」
「あー、なるほどね。シャリエ公爵家も来てるもんね」
キトリが納得した声をあげた。一緒にいたレミュザ伯爵も口を開いた。
「だが、チームが違うだろう。遊ぶなら狩りが終わった後だな」
「……わかってます」
ミシェルはそう答えると足場もなしに馬に横座りに騎乗した。本当はまたがった方が安定するのだが、今日はドレスなのでできない。キトリですらいわゆる『淑女座り』なので、ミシェルもまたがっての騎乗は断念した。
発砲音がして、狩り開始された。といっても、ミシェルはキトリについて行くだけだ。キトリも狩りに参加しないことにしているらしく、ミシェルのもっぱらの役割は彼女の話し相手だった。
と言っても、キトリが話すことに相槌を打つくらいである。話せと言われればいくらでも話せるが、ミシェルの趣味は常人には理解しがたいのである。
チームの最後尾で馬を歩かせていると、不意にミシェルの馬が少し暴れた。幸い、ミシェルが落馬することはなかったが、足を引きずるようにして馬は歩いている。
ミシェルは手綱を引き、馬を止めさせる。鞍から滑り降りると、引きずっていた足をつかみ、足の裏を見た。
「あらら」
蹄鉄が取れ、鋭い枝が馬の足の裏に刺さっていた。
「ミシェル。どうした?」
少し先に行っていたキトリが戻ってきた。ミシェルがいないことに気が付いたらしい。見ると、チームはだいぶ先に行っていた。
「馬の足裏に枝が刺さってしまって。すぐに追いかけますので、キトリさん、先に行ってください」
「君を一人にはできないだろ」
キトリが眉をひそめて言ったが、ミシェルは首を左右に振った。
「この辺りにはほかにも人がいますし、私一人なら慣れていないので迷子になりました、ですみます」
キトリはレミュザ伯爵夫人なのだ。夫の側を離れるのは不自然である。対して、ミシェルは社交界に慣れていない仮面姫。ミシェルが一人で『迷子になった』方が現実味がある。
何とかキトリを説得して行かせてから、ミシェルは馬の足裏に刺さった枝を引っ張る。
「……抜けない」
ある程度わかっていたことだ。だから、キトリに先に行けと言ったのだから。どこかで裂けて引っかかっているのかわからないが、枝が抜けない。時間をかけて引っ張ったりひねったりして何とか抜いた。馬の足を放して周囲を見ると、見事に誰の気配もなかった。
「……」
本当に迷子になった。どうしよう。
こういう時は、下手に動かない方がいいと言う。でも、周囲を見回るくらいはしようか、と手綱を手に取った時、馬の足音が聞こえた。顔を上げると、三期ほどの騎馬がこちらに向かってきていた。騎乗している人物を見て、ミシェルは目を細める。嫌な予感しかしなかった。
やってきたのは、ミシェルと変わらないくらいの年ごろの令嬢三人だった。令嬢と言うのは普通、足場がなければ馬の乗り降りができない。そのため、横座りに馬に腰かけたままつん、と顎をあげて地面に立ったままのミシェルを見下した。
「ちょっとあなた。醜いくせにずうずうしいのよ。アルフレッド様に付きまとって」
「……」
ミシェルにとっては、アルフレッドに付きまとっていると思われていることよりも、醜いと言われた方が問題だった。常々言われているが、ミシェルは顔が関わると途端にダメになる。
「ご、ごめんなさぁい……」
「はあ? 謝って済む話じゃないのよ。あんたにはみんな迷惑してるんだから、とっとと修道院に入るなりすればいいのに」
二人目の令嬢が言った。これはミシェルも自覚があることなので、冷静であったとしても反論できなかっただろう。
「その仮面も怪しいのよ。ああ、でも、素顔は見られないくらい醜いんですものねぇ」
三人目の令嬢の小馬鹿にした声に、ミシェルはうつむいた。と、がっと左のこめかみに何かが当たった。蹴られたのだ、とすぐに気が付いた。仮面の金具は割れ、地面に落ちた。ミシェルは顔の右上半分を手で押さえ、その場にうずくまった。耳障りな笑い声が響いた。
「いいザマね!」
「そのままそこに居なさいよ。その方があんたもみんなも幸せよ」
「分不相応な真似をするからよ。自業自得ね」
ミシェルの馬が甲高い鳴き声を上げて、走り去っていくのを感じた。たぶん、乗馬用の鞭で馬をたたいたのだ。満足したのか、令嬢三人は来た道を戻っていく。
おそらく、あの三人の後について行けば、みんなに合流できる。しかし、三人は馬に乗っているが、ミシェルの馬は放されてしまった。ミシェルは顔を覆ったまま近くの木の下に座り込んだ。
「……大丈夫。キトリさんが探しに来てくれるはずだし……」
たとえキトリやレミュザ伯爵がいなくても、この会場にはナタリーもいる。件のアルフレッドもいるし、従兄のディオンだっている。誰かが、ミシェルの不在に気づいて探しに来てくれるはずだ。
みんなに迷惑をかけている。わかっている。もしかしたら、このまま見つからない方がいいのかもしれないとも思う。そう思うと、目じりに涙が浮かんだ。
どれくらいそうしていただろうか。ふと、空気が乾燥していることに気が付いた。顔を上げると、何かが燃えているようなにおいがする。
「っ」
山火事だ、と思った。いや、正確にはここは林だから、山火事ではないが……とにかく、火事だ。ミシェルはあわてて立ち上がると、火元から離れるように駆け出した。
取れた仮面のことはすっかり忘れていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
迷子になったら、動かない方がいいと言いますけどね……。
キトリはミシェルの義母ですが、関係的には姉妹みたいな感じ。