初喧嘩
今回もやまなしオチなしです。
「……」
「……怒ってるか?」
「怒っては、いません」
いや、そう言うと言うことは怒っている可能性が高い。アルフレッドはぐっとのどを詰まらせた。今まで怒った女性を相手にしたことがないわけではないが、今回の相手はめったに怒らないミシェルだ。めったに怒らないからこそ、彼女が怒ると怖い。しかも、彼女は今までの女性とは違い、アルフレッドが初めて自分から好きになった相手である。
ことは少しさかのぼる。十日ほど前、アルフレッドはミシェルを観劇に誘った。音楽にも造詣が深いミシェルは、オペラなど観劇も好きだ、というので誘ってみたのだ。
なのに、そう言う日に限って絶対にはずせない仕事が入る。外交の仕事だ。王太子カジミールが行くので、アルフレッドも行かなければならないことになったのだ。カジミールには謝り倒され、その妻リュクレースには冷たい目で見られると言う居心地の悪状況を経験した。
その日になって急に行けなくなった、と言いだしたアルフレッドに対し、ミシェルは「お仕事なら仕方がありません」とだけ返した。そして、その翌日となり現在に至る。
現在は夕刻。朝一に会いに行こうとしたのだが、それよりも先に報告書を書かなければならなかった。高速で仕上げたそれを提出し、ミシェルを探しに行こうとしたがなぜかことごとくすれ違う。アルフレッドが避けられているのではないか、と考えるが自然に思えるすれ違いっぷりだった。普段なら、その辺を歩いているだけでも結構遭遇したりするのだが。ちなみに、リュクレースのもう一人の侍女であるクロエには良く遭遇した。と言うことは、やはり避けられていたのだろうか。
仮面をしているから、ミシェルが今どんな表情なのかわからない。そもそも、彼女は薬草をつんでいるので背を向けている。女性の機嫌を取ったことなどほとんどないアルフレッドは緊張した。こういう場合、どうすればいいんだ?
「その、すまなかった……」
「アルフレッド様が謝る必要はありません。お仕事だから仕方ないですし、私も、そう言って納得したはずです」
敵に回ると、ミシェルの理論的な反論が怖い。
いくつかの薬草をつんだミシェルは、くるりと振り返ってアルフレッドを見上げた。手にした籠に薬草が入れられている。こうして薬草園で珍しい薬草を分けてもらえるので、リュクレースの侍女になってよかった、と言ったこともある彼女だ。こういうところはぶれない。
「私は別に気にしていませんので。結局、ナーシャさんが一緒に行ってくださいましたし」
そのことで、アルフレッドはすでにナタリーになじられている。彼女くらいわかりやすいといいのだが、ミシェルは控えめだ。しかし、これは確実に怒っていると、さすがのアルフレッドにもわかった。
「なので、このお話はこれで終わりです。それでは、私はそろそろ戻ります」
「……送って行こう」
「ありがとうございます」
エスコートを申し出ると、素直に受けてくれたが、やはりいつもより態度が冷たい気がした。アルフレッドの被害妄想だろうか。
しかし、実はそんなこともなかった。その後もアルフレッドとミシェルのすれ違いの日々は続く。アルフレッドの友人であり、ミシェルの従兄であるディオンには「お前、顔死んでるけど」と言われたほどである。それほどアルフレッドは心的ダメージを受けたと言うことだ。
「うん、まあ、それ、怒ってるっていうよりすねてんじゃねぇの?」
相変わらず理知的な顔立ちながら軽そうな口調で話すディオンだ。宮廷内にある食堂で休憩がてらお茶をしながら、アルフレッドはディオンに人生相談中である。
「……すねる? ミシェルが?」
首をかしげたアルフレッドに、ディオンは「うん。お前、ミシェルのことなんだと思ってんの」とツッコミを入れた。
「確かに仮面の変人で思考回路もちょっと変わってるけど、ミシェルだって女の子だぜ。恋人とのデートの約束をすっぽかされて平然としてる方がおかしいだろ。……そこ、恋人発言ににやけるな」
ディオンに冷静に指摘されたが、アルフレッドはあまり自分がにやけている自覚はなかった。
「そう言うものか……」
「お前、自分から好きになったの、ミシェルが初めてだもんな。女の子の機嫌の取り方なんて知らんだろ」
ディオンが面白そうにそう言って、コーヒーを一口飲んだ。
「まあ、ミシェルも物で釣れるような子じゃないからなぁ。とにかく、相手が『謝罪不要』と言ってるんなら、謝るのは逆効果だ」
「……そうか」
「そうだ」
ディオンに駄目だしされて、アルフレッドはため息をついた。ならどうしろと。
「まあ、それはお前で考えろよな。入れ知恵したら、ミシェルにばれるからな」
怒ると怖いからな、あいつ、とディオンは言った。彼も、ミシェルは怒ると怖い、と言う認識のようだ。理詰め説教は結構堪える。
「ま、お前がそのヘタレを返上すれば、案外早く話はすむかもな」
とディオンはにやりと笑った。ついに、妹どころか友人にも『ヘタレ』認定を受けたアルフレッドだった。
△
さて。ミシェルと仲直り(?)するにはどうすればいいのだろうか。謝るのは逆効果と言われたので、これは外して。
単純に贈り物と言うのが浮かんだが、ディオンも言っていたが、ミシェルはそういうことになびく娘ではない。ただ、約束をすっぽかすことになったのに何もしないというのはどうかとも思う。
ののしられるのを覚悟でナタリーに相談するのも手であるが、これもディオンが言った通り、ミシェルにばれるのが怖い。
何だろう。最近、いろいろあったからか、ミシェルに恐怖を覚えるようになってしまった。
ディオンはミシェルはすねているのだ、と言っていたか。それが事実なら、確かに、怒っているときと同じ方法ではいけない気がする。正直、すねているのと怒っているのの違いが良くわからないのだが。
少なくとも、口ではミシェルに勝てない。他の女性たちのように、ミシェルはあまり感情的にならないのでより難しい。逆に言えば、理論的に説得できれば納得すると言うことだが、問題が問題だけにやはり無理だ。
だが、いつまでも長引かせていると、より問題がこじれてしまう。アルフレッドは当たって砕けろとばかりに、ミシェルを捕まえることにした。
アルフレッドの出現場所を予測しているのかわからないが、探せば探すほど見つからないミシェルである。
やっと遭遇できたとき、すでに問題の日から一週間が経過していた。
「ミシェル」
「あ、アルフレッド様」
その表情がけろりとしていたので、アルフレッドはミシェルが避けていたわけではないのだろうか、と思った。いや、相変わらず仮面だったけど。
「どうかしましたか?」
「いや……」
小首を傾げたミシェルに見上げられ、アルフレッドは口ごもった。ちなみに、ここは庭園の片隅である。花を持っているところ見ると、リュクレースの部屋に飾る花を見つくろいに来たようだ。薬づくりが趣味と豪語するミシェルなので、全体的に派手さはない。要するに、チョイスが微妙である。
そこには触れず、アルフレッドは言った。
「ミシェル……君が怒っていないと言うなら、もう謝罪は口にしないが……だが、避けられるのはさすがに堪える」
「はあ……」
ミシェルはアルフレッドの言葉を聞いて逆に首をかしげた。ぽかんとしている風情のミシェルに、アルフレッドは続けて言った。
「愛しているから、その、仲直りしたいんだが」
「!」
ミシェルは右足を後ろに引き、仮面の奥の目を見開き、空いている手で口元を覆った。ほとんど顔が見えてないが、彼女が赤くなっていることはわかった。つられてアルフレッドも赤くなる。
こうして、二人の初喧嘩(?)は終結した。
続かない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
とくにオチはなし。というか、タイトル詐欺です。喧嘩してません。どちらかと言うと、すねたミシェルにアルフレッドが振り回されている感じ。基本的に根が素直なミシェルなので、直球で言われるとそれ以上いじわるできないかと。
前回の番外編ではありませんが、アルフレッドとミシェルだと、やっぱりミシェルのほうが強い気がします。
次回はナタリーから見たこの二人。今回もでしたが、出来上がり次第投稿するので、少し間が空くかと思います。




