夫婦の力関係
番外編です。小ネタです。完全に小ネタです。山なしオチなし。
アルフレッドは視線をあげて目の前にいる女性を見た。長い栗毛が顔の右半分を隠すようにかかっている。白く細い指が口元に当てられ、考え込むようにその目は細められていた。
「ミシェル、がんばれ」
両手の拳を握り、黒髪の女性、王太子妃リュクレースが声援を送る。栗毛の女性……ミシェルが空いている手を伸ばして目の前にある盤上の駒をつまんだ。
「チェック」
動かされた駒を見て、アルフレッドも少し考える。彼も手を伸ばして駒をとった。
「チェックだ」
アルフレッドがじっとミシェルを見つめていると、彼女も口元を覆っていた手を取り、アルフレッドを見た。小首を傾げてほわんと微笑まれた。まあ、雰囲気だけの話だ。アルフレッドの主観が入らない見方をすると、ミシェルは結構迫力のある顔立ちをしている。迫力と言うか、理知的な顔立ちなので微笑まれると何かたくらんでいるように見えるのだ。
そして、今回の場合は遠からず、と言ったところだろう。ミシェルは指でビショップをつまみ、とん、と移動させた。
「チェックメイトです」
アルフレッドはざっと盤上を見てため息をついた。中盤から既に勝ち目はないことはわかっていたのだが、見事だ。見事に追い詰められた。
「よっしゃあ! ミシェル、すごいわ!」
ミシェルの背後でリュクレースが歓声をあげている。対照的に、アルフレッドの背後では王太子カジミールが嘆きの声をあげていた。
「お前ぇぇええっ。何負けてるんだよ」
「いや、彼女に勝てと言う方が無理でしょう。彼女、ジョベール侯爵に代差しで勝ってるんですよ」
アルフレッドは冷静に言い返した。仮面を両手で持ったミシェルがびくっとする。彼女の素顔を知っているメンツしかいないし、真剣勝負なので仮面を外していたらしいが、決着がついたので付け直そうとしているのだろう。
ジョベール侯爵は宮廷の会計係だ。財務担当者である彼は、公式ではこの国で一番チェスが強い。前の夜会で、いろいろあってミシェルが彼と対戦することになったのだが、衆人環視の中でミシェルはジョベール侯爵を負かしてしまったのだ。さすがである。
「くぅ。ミシェルを使うなんて卑怯だぞ、リュカ」
「そっちだって代理人のアルフレッドを使ってるじゃないの」
ふふん、とばかりに腕を組んでカジミールを見るリュクレースの腹は膨らんでいる。さすがにだいぶ目立ってきた。
「私が勝ったんだから、行っていいわよね?」
「……クロエとミシェルを連れて行けよ。レミュザ伯爵夫人に応援を頼んでもいい……」
カジミールが疲れたように言った。しかし、約束は約束だ。不履行にすると各方面がうるさい。
「やったわ。ミシェルのおかげね。ありがとう」
「……いえ」
王太子夫妻の代理戦争を行ったミシェルとアルフレッドは何となく目を見合わせた。二人とも、巻き込まれただけだった。朝宮殿に上がってきたら、いきなりチェスをしろ、と言われて連れてこられたのだ。いい迷惑である。
なんでも、リュクレースはヴェルレーヌ公爵邸で開かれるお茶会に参加したい。しかし、カジミールは妻は妊娠しているから出席しない、と勝手にヴェルレーヌ公爵エリクに返信したらしい。いや、アルフレッドとしては、カジミールの心配は当然だと思うのだが、リュクレースは納得しなかったと言うことだ。
王族に連なるヴェルレーヌ公爵家だ。その王都の屋敷の庭には、珍しい草花が植えられているのだ。物見遊山がてら、リュクレースは外出したいようだった。宮殿内に半分軟禁されているような状態なので、彼女の思いも仕方がない。
そして、公平に勝負をして決めることになった。カジミールが勝てばリュクレースがあきらめる。リュクレースが勝てば、カジミールが折れる。そして、選ばれた勝負はチェスだった。
男女で勝負を行う場合、体力勝負は女性に不利だ。なので、頭脳勝負にしたのだろうが……この夫婦、考えることが同じだったわけだ。確実に勝てるように、と代理人を差し出した。それが、カジミールはアルフレッド、リュクレースはミシェルだったわけだ。
というか、ミシェルが対戦相手だと知った時点で、アルフレッドは半分勝つのをあきらめていた。普段、仮面をつけた少々怪しい姿のミシェルは、頭がキレるのである。アルフレッドも頭はいい方だと思っているが、ミシェルには負ける。
そして、アルフレッドの予想通り、ミシェルが勝った。ので、勝負はリュクレースの勝ちだ。カジミールが折れることになったのである。
「どちらの気持ちもわかるから、何とも言えないな……」
対局した部屋を出ると、アルフレッドは一緒に出てきたミシェルに向かって言った。そうですね、とうなずく彼女は、いつも通りの仮面姿に戻っている。最近では、アルフレッドなど、素顔を知っている人の前では仮面を外すようになったが、出歩くときは仮面がデフォルトなのは変わっていない。
「まあ、王太子妃様もストレスが溜まっていますし、たまには出歩いてもいいんじゃないでしょうか」
妊娠中にストレスがたまるのは良くないと言うことだろう。アルフレッドは苦笑する。確かに、遠出をしたいとか、馬に乗りたいとか言っているわけではないのだから、叶えてやればいいのだ。
「確かに、王太子殿下も参加するからな」
夫が行くのに、妻に待っていろと言うのも酷だ。特に、王太子夫妻は力関係がはっきりしているので、リュクレースがおとなしくしていないのはある意味当然だった。
廊下を歩きながら他愛ない会話をしていると、にゃー、というかわいらしい鳴き声が聞こえた。白い子猫だ。そして、その前には壮年の男性の姿。というか、見たことのある人だ。
「にゃ~」
五十がらみの金髪の男性が、子猫をあやしながらニコニコしていた。いい年した男性が「にゃ~」と言っている姿は、正直引く。これがミシェルやリュクレース、つまりは女性だったらまだ理解できるのだが。
「……」
アルフレッドもミシェルも、見てはいけないものを見た気がして沈黙した。幸いと言うか、ミシェルは仮面で表情が見えないし、アルフレッドもほとんど表情筋が仕事をしていない。なので、どん引きしては見えないだろう。心情的にはどん引きだが。
「にゃー……」
子猫を抱き上げた男性が、二人の存在に気付いた。沈黙が降りる。
沈黙を破ったのはミシェルだった。
「可愛い子猫ですね」
まるで親戚のおじさんに対するような口調だったが、本来ならこんな口調で話しかけるのもはばかられるお方だ。
金髪碧眼の、どこか見覚えのある顔。当然だ。似たような顔をアルフレッドは毎日見ている。
子猫と戯れる壮年の男性。それは国王陛下だった。
「そこで拾ってなぁ。おなかをすかせていたから、連れてきてしまったんだ」
「そうなのですか……宮殿って、動物を飼えるのですか?」
「馬と犬と鳥はいるな」
「確かにそうですね。しつけないと、小鳥は猫に襲われてしまいますね」
和やかすぎる会話だ。というか、ミシェルは人見知りではなかっただろうか。アルフレッドはそう思いながら国王が抱き上げる子猫の頭を指でなでた。
「かわいい~」
何だろう。子猫が少しうらやましく感じた。
「陛下」
威厳たっぷりの女性の声が聞こえた。淡い茶髪に夏なのにきっちりしたドレスに身を包んだ女性、王妃マティルドだ。
「こんなところにいらっしゃったのですか。宰相が探しておりましたよ。あら、ミシェル」
「ご機嫌麗しく、妃殿下」
さらっと無視されたアルフレッドもミシェルと共に軽く頭を下げる。マティルドは二人を見て軽く目を細めて言った。
「まだ仮面をしているのね。ミシェル。でも、その方がいいでしょう。アルフレッドもその方が安心でしょうし」
唐突に話をふられてアルフレッドは驚いた。てっきり、存在が認識されていないかと思ったのだ。
言いたいだけ言ったマティルドは、アルフレッドとミシェルが口を開かないうちにマティルドは「さて」と夫である国王の襟首をつかんだ。
「行きますよ、陛下」
「わかった。わかったからマティルド。ちょっと苦しい」
小柄な妻に引きずられていく国王。そして、その手には白い子猫。
「……」
アルフレッドとミシェルは思わず目を見合わせた。見てはいけないものを見てしまった気がする……(二回目)。
「……王太子殿下は、おそらく、国王陛下に似ていらっしゃるのですね」
「否定はできないな……」
どうやら、王族の皆さんは女性の方が強いらしい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
宣言通り山なし、オチなし。
そして、次は主人公カップルの初喧嘩です。




