Stage.17
今回はミシェル視点です。
ミシェルは入り口付近に現れた仮面をつけた女性を見て目を細めた。明らかに、ミシェルを意識している。ファッションでするとは思えないから、誰かが『ミシェルのふり』をしているのだろう。
「それで、そろそろお嬢様のお名前を教えていただけますか」
肩に手を置かれてそう問われ、ミシェルはその男性を見上げた。長身の、なかなか顔立ちの整った男性だ。ミシェルは見えている左目を何度かしばたたかせた。
「……名乗るほどのものではありませんので」
社交界を良く知らないミシェルでも、ここで名を名乗れば男の誘いに乗ったことになると言うことはわかった。そんな気は全くないし、そんな時間もない。
「そうおっしゃらずに。私はボージョン伯爵子息ファビアン・マルゴワールと申します」
名乗られてしまった。これは早々に逃げなければまずい気がする。ミシェルは一歩後ろにさがったが、一歩前に詰め寄られる。
「あ、あの、それ以上は、どうか。恋人に怒られてしまいますので……」
とっさに出た言葉はそんな事だった。嘘は言っていない。怒るかどうかはともかく、確かにミシェルとアルフレッドは恋人同士なのだから。頬が熱くなり、ミシェルは顔を俯けた。その様子から、ミシェルの話が本当だと彼は悟ったのだろう。手の力が緩んだ。ミシェルはとっさに腕を引き抜く。
「そ、それでは、待っている者がいますので失礼いたします」
ミシェルは一礼するとさっと身をひるがえした。背後から呼びかけられるが、聞こえなかったふりをして人影に隠れた。そのまま仮面の人間を探す。
だが、ここで問題が発生した。足止めされていたため、仮面の女性を見失ってしまったのだ。ミシェルは背が高いわけではないので、どうしても周囲に埋もれてしまう。
もちろん男性はミシェルより背が高いし、女性もハイヒールを履いている。一方のミシェルは、動きやすさ優先で足元はかかとが低めで安定したブーツだった。そのため、視界は確保できない。
ミシェルは邪魔にならないように歩き回りながら、考えをまとめる。
何故、その女性は仮面姿で現れたのか。顔を隠しているために、本当に女性かはわからない。しかし、体格からして女性のようだし、ミシェルの予想が正しいなら『彼女』のはずだ。
仮面姿で現れたのは、顔を隠し、あわよくば『ミシェル』だと思わせるため。このホールを訪れたのは多くの人間に自分を目撃させるため。この場に、仮面の女性がいた、と認識させるため。
ミシェルは立ち止って一度目を閉じ、また歩き出した。ホールの出口に向かう。議場側に抜ける出入り口だ。そこには警備兵が立っていた。その横をすり抜けていく。
しばらく歩いてミシェルは、議場の近くまで来た。この辺りには隠し通路がある。アルフレッドたちが確認済みらしい。宮殿の外につながっているらしいから、非難用の通路なのだろう。
例えば、王族が狙われているとして。『仮面』をして夜会に現れた女性はその斥候と言うことになるだろうか。招待客の中にも狙っている人物がいるとして……。
いや、やはりその説はうまくはまらない。夜会中に暴動を起こすのは、起こす方にとって不利だ。ミシェルなら、そんなことはしない。
なら、本当の狙いは何なのだろう。ミシェルが立ち止って顎に指を当てて考え出した時、ふっと花の香りがした。いつか、アルフレッドとミシェルが隠れたあたりだ。どうやら、妙な時期に狂い咲きしているらしい。
その瞬間、何故かピンときた。ミシェルの口角が上がる。なるほど、相手はなかなか頭がいいようだ。ミシェルは再び歩き出した。普段は鍵がかかっている議場の扉。ミシェルはその扉に手をかけた。ギィ、と重い音がして扉が開く。こちら側から入ると、議場の下座、右手側になる。ミシェルはゆっくりと議席を見渡した。と。
「!」
背後に気配を感じて、ミシェルは振り返った。とっさに手を上げると、振り下ろされた手首をつかんだ。暗闇に、銀色の仮面が浮かび上がっている。闇夜で見ると自分はこんなに怪しかったのか。怪しいと言うより、不気味だ。軽くホラーである。夢に見そう。
まあ、反省は置いておき。
「こんなところに人がいるとは、思いませんでした」
落ち着いた声と態度でミシェルは言った。そんなことを言っても、この言動では信じてもらえないだろう。相手の仮面の女性はナイフを持った手に力を籠めてくる。しかし、ミシェルも手に力を込める。
体格は同じくらいか。ミシェルより淡い茶髪をしている。よくミシェルに似せていると思った。ミシェルを背後から襲おうとしたが、おそらく、訓練などは受けていないのだと思う。それで体格が同じなら、キトリに武術を習ったミシェルに分がある。
「こんな人気のないところで、何をしているんですか」
相手がナイフを持っていて、自分を狙っているとは思えない口調でミシェルは言った。これは、逆に怖いのだが、ミシェルは気づいていない。ミシェルは微笑んだ。そうすると、理知的な顔立ちの彼女は結構怖い。
「……逃げようとしたのですよね。計画は成功しましたか?」
ミシェルが小首をかしげて尋ねると、彼女はびくりとした。ミシェルから離れようとするが、ミシェルは彼女の手首をつかんだままだ。
「は、放して……」
彼女が小さな声で言った。ミシェルは目を細める。秘密を厳守したいとき、口を開くのは悪手だ。一度口を開くと、会話を続けなくてはならない。黙秘したくても、一度しゃべったと言う事実が、相手の口を軽くする。
「私の質問に答えてくれたら、放して差し上げます」
「に、逃げようとしたわ!」
彼女が応えたので、ミシェルは約束通りに手を放した。彼女が距離をとる。
「あなた、誰!? どうしてこんなところにいるの!?」
離れた余裕から繰り出される問い。どうやらミシェルの正体はばれていないようだ。とはいえ、この場にいるのが彼女一人とは限らない。一対一ならミシェルに分があるが、相手が多ければ話は別だ。今回は川に逃げることはできない。
「それは、一人でこんなところに入っていく人を見たら、追いかけたくもなるでしょう」
さらりとミシェルは答えたが、普通は怪しいと思っても実行しないだろう。うん、自分でもわかっている。
「逃げようとしたけど、私が追ってくるのに気が付いてこの議場に入ったのでは? 普段は鍵がかけられているはずなのに、開いていた。おかしいとは思いませんか」
再び、ミシェルの独壇場だ。仮面の女性はぐっと息をつめた。ミシェルは微笑んで右手の人差し指を軽く立てる。
「思えば、こんな人の多いところで何か騒動を起こすなんて、非現実的です。私なら絶対にやりません。だって、侵入させるのも大変だし、逃げるのも大変。確かに宮殿制圧はクーデターに必須ですが、もしやるなら、宮殿が空っぽのときにやるべきです」
少なくとも、こんなに人が多い時にはやらない。制圧対象が多すぎるし、人目も多い。協力者は忍び込ませやすいだろうが、失敗したときに逃走するのが大変だ。頭の良い人間は、失敗したときのことも考えておくものである。
「と、言うことは、あなたたちは何をしようとしていたのだろうか? 考えた人はすごいです。危うく、だまされるところでした」
「な、何のこと」
ミシェルは腕を組んで彼女の仮面を見つめながら、左右にうろうろする。
「当初、私は、王太子妃様が狙われているのはミスリードだと思っていました」
狙い方があからさま過ぎた。犯人もすぐに割り出せた。その上で泳がせていた。ミスリードだと思っていたので、その先の情報が欲しかったのだ。まあ、ミスリードであると言うのは正しかったのだが。
「おそらく、あなた方は誰かが王太子妃様を狙っているのはミスリードだと、誰かが気づくことを予想していた。それが狙いだった」
通常、人は切り捨てた可能性をもう一度考えたりはしない。そう言う意味で、初心に帰る、と言うのは結構重要な行いなのだ。
「だけど、やはり、それこそが本当の狙いだった。王太子妃様が身ごもった子が、王子だったらつけ入る隙は格段に減ってしまいますからね」
仮面の女性が怖気づくように身を引いた。一歩後ろにさがった彼女を追わずに、ミシェルは立ち止ると腕を組んだまま彼女を見た。
「実行者は、王太子妃様に近い人物。それも一人。それなら、逃げるときに見つかる心配は少ないし、いざと言う時、実行者を切り捨てることができますから」
「……!」
身に覚えがあるのか、彼女はびくりと体を震わせた。ミシェルは暗い議場の天井を見上げて言った。
「でも、ここまで考えた人間にしてはお粗末。落としたのは不測の事態だとしても、そもそも見取り図を描くなんて。それに、逃走経路を隠し通路にするなんて。私なら、表から堂々と出て行きますね」
その方が怪しまれない。犯人が表から堂々と出て行くなんて、普通、思わない。何食わぬ顔をしていつも通りに振る舞うのが、一番怪しまれない方法なのだ。
それなのに、犯人は実行者に隠し通路を使うように指示した。何故か? 初めから彼女を切り捨てるつもりだったからだ。
「顔を隠す、と言う行為には、身元がばれないようにするためと、もう一つ、使い方があります」
それは。
「身元を偽ること。都合のいいことに、この国には常に仮面をつけている女性がいますからね。彼女を実行犯に仕立て上げようと考えたわけですね。たとえ仮面をつけたまま死んでいる女性がその人でなかったとしても、その人が身代わりにして殺した、とみんな考えるでしょうね。仮面と言うのは、入れ替わるのに好都合なものです」
遠回しに、お前は本物ではない、と告げているのだ。実際に本物ではないのだが、言質が欲しい。
「わ、私は、ただ……」
「……」
口を開いた彼女をじっと見つめていると、彼女はその圧力に屈したかのように言った。
「あなたは、何を言ってるの……私は、本当に……レミュザ伯爵家のミシェル……」
「私は別に、名指ししたわけではありませんよ」
ただ、仮面をつけている女性がいる、と言っただけだ。
「それに、あなたがレミュザ伯爵令嬢であることはあり得ません」
ミシェルは歩み寄って彼女の仮面に向かって手を伸ばした。
「そうでしょう? リゼットさん」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ミシェルさんの追い詰めかたが怖いです……。




