Stage.9
今日はミシェル視点です。
「ミシェル。アルフレッドと話し合えた?」
翌日、リュクレースに尋ねられ、ミシェルはうなずいた。
「ええ……まあ、一応」
ミシェルがうなずくと、リュクレースは「どうなったの?」とさらに尋ねてきた。ミシェルは口ごもる。
「えと……婚約しないかと、言われました……」
自分で口にして、自分で赤くなる。リュクレースが「あら、可愛い反応」とからかってきた。
「良いのではありませんか? アルフレッド様と婚約すれば、シャリエ公爵家の後ろ盾ができます」
クロエがさらっとメリットを述べた。そう。アルフレッドもそう言っていた。しかし、デメリットも大きい。
「ですが……私に対する嫌がらせをどうにかしようと言う話であるならば、婚約はどう考えても悪手です」
結婚を約束する仲になれば、ミシェルにより強い悪意が向けられるのは当然だ。ミシェルは顎に指を当てて首をかしげた。
「でも、私が一人で動くのはやはり、無理があるんですよね……」
どう考えても一人では入れないところがある。自分一人で入れないところだけ、人についてきてもらう、という方法もあるが、あまりうまく行かないだろう。そもそも、『秘密』を知る人数は少ない方がいいに決まっている。知る人が増えれば、それだけ秘密が漏れる可能性が高くなるからだ。
だから、別の人に同行してもらう、という方法は最初から考慮に入れていなかった。同行してもらうなら、一定の人物。できれば、アルフレッドか父、それか、ヴェルレーヌ公爵でもいいかもしれない。いや、でも、彼でも噂になる。なら、父がいいのだろうか。だが、アルフレッドに指摘されたとおり、彼は軍務副長官である。
と、言うことは、選択肢としてはアルフレッドに同行してもらう、がメリットとデメリットが半々くらいで、やはり一番いいのかもしれないと思う。
……駄目だ。やはり、このまま微妙な関係でアルフレッドに同行してもらうことになると、ミシェルが振り回しているようにしか思えない。いや、振り回しているのだが。せめて、恋人同士ぐらいであれば、微笑ましいカップルになれ……ないな。婚約者でも同じ。進路も退路もない気がした。ああ、これが進退窮まるということか……。
「ミシェル、大丈夫?」
リュクレースに声をかけられ、ミシェルははっとした。しまった。考えに没頭していた。
「大丈夫です。少し、考え事をしていて」
「婚約のこと?」
ああ、まだ引っ張っているのか、その話題。今日は比較的平穏であり、ついでに昨日の今日なので気になるのは仕方がないのかもしれないが。
「……ついにチェックメイトかなとは思います」
別の言い方をすれば年貢の納め時。と言うか、何故嫌がらせ対策からここまで話が発展したのだろうか。
元はと言えば、気にしてはいないが嫌がらせに対して対処できないミシェルが悪いのか。これが、三年間引きこもっていた報いなのか。修道院に行くと思って、社交性を磨いてこなかったせいなのか。だんだん自己嫌悪に陥ってくるミシェルである。
「まあとりあえず、また嫌がらせを受けたらちゃんと言うのよ」
「……わかりました」
リュクレースにそう言われ、ミシェルはこくりとうなずいた。とりあえず、これでこの話題はいったん中断である。
「リュカ様。本日のサロンの準備をしませんと」
「そうね」
クロエに促されてリュクレースはゆっくりと立ち上がった。クロエとミシェルは彼女の両側について、転倒しないように支えた。
「ありがとう。いつも思うけど、体重をかけたらミシェルってぽきっと折れそうよね」
「そんなに軟ではありません……」
何度も言うが、ミシェルは令嬢にしては筋力がある方だと思う。さすがにぽっきり行くことはないだろう。微妙な表情になったミシェルに、リュクレースは「冗談よ」と笑った。
「あ、ミシェルがドレスを選んでみる?」
「いえ、私はセンスが!」
微妙なのである。いや、センスがないとは言われたことはないが、たいていいつも『普通』と言われる。
「リュカ様。それはやめた方がよろしいかと。ミシェル様には申し訳ないですが」
クロエも冷静に指摘してくる。ミシェルはこくりとうなずいた。ミシェルにセンスを求めてはいけないのだ。
と言うわけで、リュクレースの支度の間は、ミシェルはただ見ているだけだ。いいものを見ていると『見る目』は養われるが、ミシェルは『センス』は養われなかった。
ゆったりしたドレスを着て、かかとの低い靴を履く。そうしていれば、リュクレースが妊婦であることは一目瞭然だった。いや、ミシェルが彼女が妊婦だと知っているからか? でも、見た人は疑う。
と言っても、すでに王太子妃が身ごもっている、と言う噂は出回っているだろう。そろそろ隠すのも限界だ。だいぶおなかも大きくなってきているし。正直、見るたびに大きくなっている腹部にミシェルは驚きを隠せない。胎児の成長速度とは、こんなに速いものなのか。
今日のサロン……と言う名のお茶会は、王妃主催のものだ。王妃はしっかり者で、口調は厳しいが王太子妃と仲が悪いわけではないから、彼女が不利になるようなことはないだろう。それでも、リュクレースはミシェルを連れて行くと言った。
「妃殿下のサロンで、毒物は出ないと思いますが」
さりげなく主張すると、リュクレースは「そうでしょうね」と微笑む。
「クロエを置いて行くから、代わりにミシェルを連れて行くの。それと、テレーズも」
「わかりました」
テレーズが生真面目にうなずいた。相変わらずミシェルは彼女に疑われているようだが、まあそれは仕方がない。なぜなら、ミシェルは相変わらず仮面姿だから。
部屋を出る前に、クロエと目があった。視線だけで『うまくやれよ』と言われているのがわかった。ミシェルは小さくうなずく。
王妃のサロンは宮殿の一室、瀟洒な作りの部屋で行われた。王妃が自ら飾り付けをしたらしく、ミシェルは王妃は趣味がいいな、とぼんやりと思った。
王妃のサロンには、身分の高い貴婦人たちが集まってくる。基本的に既婚者の集まりなのだが、夫人が自分の娘を連れてくることも多く、未婚の若い娘もそれなりにいる。ミシェルは、そう言った娘たちにじろっと睨まれたのを肌で感じた。
つつがなくお茶会が始まり、ミシェルはざっと出されたものに目を通したが、特に怪しいものは見受けられなかった。だが、まあ、実際に口にしてみなければ毒も薬もわかりはしないのだが。
王妃のサロンで、毒物は出ないだろうとミシェルは思っている。しかし、王妃自身が用意するわけではないから確証はない。リュクレースも楽しげにはしているように見せて、口にするものには気を付けているようだ。
「王太子妃様、お二人目のご懐妊、おめでとうございます。今度こそ男の子だとよいですわね」
そう言ったのは、リュクレースと同年代の女性だった。化粧の濃い美人である。発言にどことなく嫌味っぽいものを感じるのは気のせいだろうか。だが、リュクレースはにっこり笑って言った。
「まだ公表していないのだけど、やはり噂になっているようね」
そう言ってふふふ、と笑うリュクレースが腹黒く見えた。実際、腹黒いのかもしれないけど。王妃が口を挟んできた。
「たとえ事実であったとしても、隠されているのならその理由を考えるべきです。よく考えてから言葉を発するべきですよ」
正論であるが痛烈な指摘に、その敬称の濃い美女は唇をかんだ。
「申し訳、ありません」
「反省できるのはよいことです」
王妃はそう言って締めくくった。それで、この話題は終わりだと言いたいのだろう。
なんだろう、このぎすぎすした空間は……早く出て行きたい。ミシェルは背中に悪寒が走り、冷たい汗が流れるのを感じた。引きこもりのミシェルは、こうした女性同士の泥沼な戦いを初めて見た。
長い時間に思えたが、実際には一時間ほどだったお茶会が終わった。サロンとは、自分たちの知識を語り合ったり、同じ趣味を持つ人たちの同好会のようなものだと思っていたが、このサロンは正しくお茶会で終わった。
「どう? ミシェル、ああいう場所は初めて見たでしょ。副音声は聞き取れた?」
リュクレースが楽しげにミシェルに話しかける。いや、女性同士の陰湿な戦いは見たことがないわけではないのだが、むしろ巻き込まれているのだが、あれだけ女性集まるとあんなに陰険な雰囲気になるとは思わなかったのだ。
「ま、あれを経験したら嫌がらせなんて可愛いものでしょ。初めから、あなたは気にしてなかったみたいだけど」
「ミシェルさん、嫌がらせを受けていたんですか?」
テレーズが驚いたように言った。そして、彼女は続ける。
「……その人は、度胸がありますね……」
どういう意味だろう、それは。リュクレースがゆっくりと階段を下りるのに手を貸しながら、ミシェルは首をかしげた。リュクレースがテレーズの発言に笑ったかと思ったら、途端に足を踏み外した。ミシェルとテレーズがとっさに彼女の体を支える。
「大丈夫ですか?」
すぐにテレーズが尋ねた。リュクレースも微笑んで「ごめんなさい」とすぐに言った。
「少しめまいがして」
「気を付けてください。大事なお体です」
テレーズは本当にリュクレースのことを慕っているのだろう。テレーズとリュクレースは古い付き合いらしいので、もともと友人同士なのかもしれなかった。
「大丈夫よ」
「……ならよいのですが」
テレーズがまったく信じていない口調でリュクレースに向かって言った。ミシェルが苦笑して口をはさむ。
「まあ、とりあえず、落ちなくてよかったです」
その瞬間、ミシェルが階段から足を踏み外して落ちた。すぐにリュクレースから手を離したので、彼女は無事だ。幸い踊り場近くまで降りてきていたので、ちょっと腰を打っただけで済んだ。
「大丈夫?」
リュクレースが笑いをこらえながら言った。テレーズが呆れた声でつっこむ。
「あなたが落ちてどうするのですか」
「……すみません~」
たぶん、履きなれないハイヒールなど履いているからだ。ミシェルが小柄なわけではないが、背が高いわけでもない。だから、普通にハイヒールを履いたのだが、彼女はいつもブーツで駆け回っているので、華奢な靴が履きなれないのだ。
「頭は切れますけど、ミシェルさんって抜けていますわね」
「……」
テレーズに指摘されたが、否定できないと自分でも思った。
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