Stage.5
今回もミシェル視点です。
ミシェルはじっと王太子妃を見て、言った。
「しかし、そう簡単に許可をくださってよろしいのですか? 私も、王太子妃様を害するために差し向けられた刺客かもしれません」
そうでなくても、仮面をつけた怪しい人物であることに変わりはないのだが。
「そうね。でも、あなたはそんな事、しないでしょう?」
「……まあ、そうですけど」
「何かあったら、クロエが取り押さえるから」
「……そうですね」
とても力任せな手段に、ミシェルは適当に相槌を打った。
ミシェルの仕事が調査メインになるなら、仮面を許可してくれた理由もわかる。仮面をつけていると、素顔がわからない。王太子妃はミシェルの素顔を見たことがあるが、この宮殿ではミシェルの素顔を知っている人の方が少ないだろう。
と、言うことは、ミシェルが素顔でうろついていても、周囲の人間は彼女がだれかわからないと言うことだ。面が割れていない、と言うのは割とメリットがあるのだ。
不審者と間違われて見とがめられると言うデメリットもあるが、それを越えるメリットを王太子妃は見出したのだと思う。たぶん、何よりほしかったのは絶対に裏切らない味方なのだと思うのだが、どうだろう。
というか、ミシェルに与えられた仕事内容的にどう考えても政治面の思惑を感じずにはいられない。一介の伯爵令嬢が関わっていいことではない気がする。
ツッコんだところで受け流されるのがわかっているから、ミシェルはあえて何も言わなかったが、たぶん、王太子はわかっていてやっている。
「そんなに深く考えなくていいわ。ただ、何か分かったことを教えてくれればいいの。あなたが犯人を捕まえたりする必要はないわ」
安心させようと王太子妃は言ったようだが、特に安心できる言葉ではない。どちらにしろ、ミシェルは『証拠集め』をしなければならなくなるからだ。
「……わかりました」
せっかくミシェルに話を持ってきてくれたのだ。ミシェルも力を尽くしたいと思う。以前、彼女はアルフレッドに『頼られるとうれしい』と言ったが、まさにその状況だった。
もう少し詳しい話を聞きたい気もしたが、リゼットとテレーズが戻ってきたので話は打ち切りになった。必要なことはその都度聞けばいいか、とミシェルは頭を切り替えた。
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基本的に、何事もなければミシェルの仕事はただの侍女の仕事と変わらない。王太子妃リュクレースの着替えや化粧、公務に関わるスケジュール管理などを行う……。というか、侍女ってこんな仕事だっただろうか。
ミシェルには、さらにリュクレースの体調管理、という仕事が加えられている。妊婦にとって体調管理はかなり重要だ。さすがに知識がないので栄養バランスなどは考えられないが、妊婦に必要なものはわかる。幸い、リュクレースはあまり悪阻が重くないようなのでよかった。つまり、世話が楽なのだ。
まず、体を冷やすものはよくない。だから、生野菜なども温野菜と呼ばれる温かいサラダにする方がよい。きちんと食べて運動するのが良いが、食べ過ぎも良くない。一気に太るのはまずいので、少しずつ体重を増やす方が良い。
まあ、一般知識としてミシェルが知っているのはこれくらいだ。自分に経験がないのでよくわからない。十年ほど前、義母のキトリが身ごもった時のことを思い出してみるが、ミシェルはまだ小さかったのでよく覚えていなかった。
だが、まあ、こちらはそう心配しなくても医官や出産経験のある女官などが大体の指示を出してくれる。リュクレースも一度妊娠を経験しているのだから、慣れたものだった。
だから、やはりミシェルの仕事は『証拠集め』になる。ミシェルがリュクレースに仕えるようになって三日が経過したが、すでに一件、お茶の時間に出されたお茶が問題になった。
「これ、カモミールよね? 大丈夫なような気がするけど……」
妊婦は紅茶やコーヒーを飲まない方が良いと言われているので、ハーブティーが出てきたのだ。ミシェルが止めたのでリュクレースは飲むことはなかったが、興味深そうに覗き込む。ミシェルはさっとティーカップとポットを遠ざけた。
「え、においも駄目なの?」
「できれば避けた方がいいと思います」
「カロリーヌを身ごもった時は、ハーブティーは飲んでたわよ?」
リュクレースは小首を傾げてミシェルを見る。ミシェルも首をかしげた。
「確かに、妊婦が飲んでも良いハーブティーもありますが、妊娠初期はできるだけ避けた方がいいんです」
はっきりと聞いたわけではないが、たぶん、リュクレースは二ヶ月くらいだろう。ゆったりした服を着てはいるが、体形にあまり変化がないのだ。
ちなみに、カロリーヌとは現在二歳のリュクレースと王太子の娘である。初孫を国王が溺愛しているらしい。ちなみに、ミシェルもあったことがあるが、初対面で泣かれた。やはり、仮面のせいだろうか……。
「へ~。危険は避けた方がいいものね」
「そう言うことです」
そんなわけで、カモミールティーは下げられた。代わりに白湯が出された。リュクレースはため息をつく。
「どうしても白湯が多くなるわね……」
うかつにお茶やコーヒーが飲めないためだ。ただ、お茶ならば妊婦が飲めるものにいくつか心当たりがある。用意してみようか、とこっそり考える。まあ、リュクレースの前に出すには、クロエのチェックを通過しなければならないのだが。
こうして過ごしていると、時折王太子とも遭遇する。まあ、リュクレースは王太子妃であるので当然であるが。
「リュカ、体調はどうだ?」
「大丈夫よ。二度目なのに、心配し過ぎよ」
リュクレースの隣に座った王太子が彼女を抱き寄せた。彼は時間があれば妻の様子を見に来るようにしているようだ。たぶん、子供が生まれるのが楽しみなのだと思う。それと同じくらい、リュクレースを気遣っているのがわかるから、見ているだけなのにくすぐったいミシェルだ。
何を言ったのかわからないが、王太子が笑顔のリュクレースにぐりっと足を踏まれていた。ああ、これでこそ王太子夫妻。そう思うくらいには、ミシェルもこの二人になれてきた。
一人で来ることも多い王太子だが、たまに誰かが一緒であったりする。それは従兄のエリクであったり、側近、アルフレッドであったりした。
この日、王太子はアルフレッドを連れてきていた。王太子の側に控えるアルフレッドを思わずちらりと見ると、目があった。小さく微笑まれた気がして、ミシェルは落ち着かない気持ちになって視線を下げる。彼女は王太子が席を立ち、アルフレッドがそれに従って部屋を出るまでそうしていた。
トラントゥールで別れた時、王都で会おう、とは言ったが、実際に会うとどうすればいいのかわからないものだ。
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侍女仲間のリネットは、ミシェルより少し年下と見える金髪の少女だ。ややおっとりしていて、動作は全体的にゆっくりである。しかし、仕事は丁寧だ。
もう一人の侍女仲間であるテレーズは気位の高い女性だ。言いにくいことをズバリと言う、貴族には珍しい人だ。たいていの貴族は遠回しに言うのである。ミシェルとしては、テレーズくらいわかりやすい方がありがたい。
二十代半ばのテレーズは、一度結婚しているらしい。しかし、若くして夫を亡くしてこうしてリュクレースに仕えているのだそうだ。
テレーズは、仮面をつけた怪しい新入りをいまだに疑っているようで、信用されていないことがよくわかる。一方のリネットとは多少は仲良くなった。まあ、年も近いので、必然であるのかもしれない。
とまあ、そんな感じでひと月も経てば、ミシェルもほかの使用人たちもだんだん慣れてくる。ミシェルは記憶力には自信があるので、仕事を覚えるのは結構速かった。できるかどうかは別にして。
リュクレースも、そろそろ腹が膨らんでくるころだ。そんな頃になると、相手の行動も大胆になってくる。相手、と言うのは、リュクレースが男児を生むのを阻止したいものたちだ。
今は情報が公開されていないが、腹が大きくなってくれば隠せなくなってくる。そうなると、ひそかに腹の子を闇に葬り去るのが難しくなる。妊娠が知れ渡ってから流産、となると、誰かが毒を盛ったのではないか、と噂になるだろう。同じくらい、妊娠は狂言だったのではないか、とリュクレースにも矛先は向くだろうが。
「うーん……わかりやすいですね」
ミシェルが小さな小瓶を手にして言った。かわいらしい香水の小瓶だが、中に入っているのは弱い毒だ。人が死ぬほどではないだろうが、確実に胎児は流れてしまうだろう。
「ですが、ミシェル様。これは、香水瓶に入っていたのですよ。香水は飲むものではありません」
クロエが冷静に指摘するが、ミシェルも冷静だった。
「皮膚からだって、薬や毒は吸収されるんですよ」
まあ、確実に子供を始末したいのなら、やり方が雑すぎるが。
「どうでもいいけど、あなたたち、怖いわよ……」
ここにいるのはリュクレースとクロエ、そしてミシェルだ。この香水瓶を発見したのはリネットである。彼女は化粧品を管理している。化粧水などは現在、ミシェルが妊婦に影響もないものを選んではいるが。
「ミシェル、見覚えは?」
「ありません」
リュクレースに問われ、ミシェルは即答した。クロエが目を見開く。
「ミシェル様、全て記憶しているのですか?」
「さすがに全部は無理です……」
ミシェルには絶対記憶力などないのだから。
「それよりもそれ」
リュクレースがミシェルの持つ香水瓶を指さした。
「調べてくれる?」
「わかりました」
ミシェルはうなずいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミシェル始動です(笑)




