Phase.24
言いたいことを言い終えたからだろうか。ミシェルがこちらに戻ってきた。
きゅっと唇を引き結んだ彼女の顔は、やはり理知的で、どこか人を見下しているような印象を受けた。いや、アルフレッドも人のことを言えないのだが。
とりあえず、聞いておこう。
「ナーシャは本当に大丈夫なのか?」
アルフレッドが尋ねると、ミシェルはこてんと首をかしげてアルフレッドを見上げた。
「今この時まで生きているのなら、もう大丈夫なはずです。目を覚ましたら、水分をたくさん取ってもらってください」
「……それなら、よかった」
アルフレッドはほっとして微笑んだ。つられるようにミシェルの顔にも笑みが浮かんだ。仮面に顔が隠されていないので、彼女が本当に微笑んだのだとわかる。
「……ちょっといいかしら」
ちらっとルシアンとベルナデットの方を見ながら、王太子妃リュクレースが声をかけた。その目はミシェルの方を見たので、彼女が「なんでしょうか」と尋ねた。
「さっき、絵画を見ていたわよね。その絵、何かあったの?」
ついっとリュクレースは先ほどミシェルが見ていた絵を見る。アルフレッドたちもつられてそちらを見た。
「その絵、私が最初にギャラリーで見た絵とは違うんです。この絵画、初代国王ヴィルジール王の戴冠式のものですが、私が見たときはシュザン城を描いたものでした」
「……」
アルフレッドは思わず腕を組んで考えた。そうだっただろうか? 絵画に違和感を覚えたのは確かだが。ミシェルと一緒に見たはずなのに、アルフレッドは覚えていなかった。
「……よく覚えてるわね」
「記憶力はいいので」
こともなげにミシェルは答えたが絵を見ただけで絵画のタイトルまでわかるのは素直にすごい。ついでに、開き直ったのか顔を見られていても暴走しない。
「ところで、王太子妃殿下はこのギャラリーが約百年前の建築様式、ドラノエ様式で作られていることをご存知ですか?」
「……ドラノエ……言われてみれば、そんな気もするけど」
王太子妃は首をかしげた。それから王太子を見上げるが、彼は首を左右に振った。王太子にもわからないらしい。そこで、ミシェルは執事であるマリュスに視線を向けた。
「違いますか?」
「……ええ。まあ、このギャラリーはドラノエ建築様式ですが」
マリュスが少しためらいつつ答えた。その答えを聞き、ミシェルは目を細めて笑った……ように見えた。
「だとしたら、おかしいですよね」
ミシェルは左手で示した。
「ほかの調度品、工芸品、絵画。すべてがドラノエ様式を踏まえているのに、この絵画だけ、時代が違うんです。この絵画は、おそらく約五百年前に流行ったトリベール様式を踏まえていると思われるんです」
「トリベール……っていうと、華美な装飾で有名ね」
王太子妃がそうつぶやいて絵画を見て、それから納得したようにうなずいた。ヴィルジール王の戴冠の絵画は、思わず納得してしまうくらいキラキラ光ったのだ。
そう言えば、ナタリーは『夜に輝いて見える絵画がある』と言われて見に行ったと言っていた。アルフレッドは今更ながら、この絵画のことか、と気が付いた。
「そもそも、ルシアン様とベルナデット様、それに、エリク様のはかりごとには、もう一人、外せない協力者がいります。それは、このシュザン城の使用人」
ミシェルがまっすぐにマリュスを見つめた。
「片づけられている調度品が、どこにしまわれているか知っていて、入れ替えても不自然に思われない人。そのほかの小道具も、使用人の協力者がいれば簡単に設置できますし」
まあ、私の想像ですけど、とミシェルは確信ありげにマリュスを見て言った。言っていることとやっていることが違う……いや、彼女の顔立ちがそう見せているだけなのか? 仮面をしていてもしていなくても判断に困る。
「……失礼ですがレミュザ伯爵令嬢。この絵画が途中で入れ替えられていたとして。なぜわざわざ絵画を変える必要があったのでしょうか」
マリュスがもっともな質問をした。ミシェルはここで、少し考えるようなしぐさを見せる。
「そうですね……目印、でしょうか」
「目印?」
これはディオンだ。ミシェルがうなずく。
「はい。幽霊をナーシャさんたちが見ることができても、幽霊もナーシャさんたちを視認できなければ、撤退に手間取ります。どこに相手がいるかわからなければ、幽霊に化けていることがばれてしまうかもしれません」
なるほど、と王太子妃。
「窓を開けておけば、月明かりでもこの絵は光を反射するでしょうね」
「そう言うことです」
ミシェルが深くうなずいた。
「妃殿下は、おそらくきっちりとした性格をなさっておいでなのでしょうね。このシュザン城、どこを歩いてもほれぼれするほど統一性があって素敵です」
「……」
沈黙。ミシェルの感覚が理解できない。
「ですから、一つだけ様式が違うものがあると、逆に目立つんですよ」
「……その絵画は、伝統ある、わが国で最も敬意を払われるべき絵画の一つです。なのに、妃殿下はその絵をこの城の奥深くの書斎に隠されてしまった……」
マリュスが苦々しげな表情で言った。
「やはり、他国から嫁いできた姫君です。我が国の伝統が気に入らないのだろう、と思ったのです」
歴史で言うなら、王妃マティルドの生国はかなり古くからある歴史的国家だ。この国にもそれなりの歴史があるが、王妃の生国に比べれば短い。
しかも、王妃には気品があり、プライドが高い。そのため、『他国から嫁いできた高慢な姫君』と言われることもあるそうだ。
「思い込みは思考を鈍らせます。まあ、人間である以上、仕方のない面もあるのですが。でも」
こてん、とミシェルは首を傾けた。
「妃殿下は、ちゃんとこの国の歴史に敬意を払われています。この絵画を奥深くの書斎に飾ったのが、よい例です」
「……どういうことだ?」
母親のこととあって、王太子が尋ねた。ミシェルは「絵画の性質です」と口を開く。
「絵画って、直射日光に弱いんです。他にも、湿気や乾燥、温度なんかによっても劣化が早まりますね」
このキラキラしい特殊な顔料を使っていれば、特に、とミシェル。
「劣化すればこの輝きは失われる。だから、妃殿下は保護のためにも絵画を日の当たらない場所に移動させたんだと思いますよ」
「じゃあ、もともと飾ってあった絵画は? それも絵画には違いないから、劣化するんじゃないの?」
王太子妃が疑問をはさむ。ミシェルは「うーん」と首を傾げる。
「ええっと。あれは、確かに風景画のようできれいですけど、それほど価値があるものではないんです。もともとこのギャラリーは、川の上に立っている割には湿気が少ないですし。温度も、ちゃんと空気が通るようになっていて調節できるんですよね。光さえ気を付ければ、絵画を飾るには問題はないんです」
「ああ。つまり、今ある絵画は、顔料が特殊で飾っておくのは少々問題があるってことか」
「そうですね」
王太子の納得の言葉に、ミシェルがうなずいた。
「カジミール」
「お、エリク」
名を呼ばれた王太子が振り返り、先ほどから時々話題にも上っている自分の従兄殿の名前を呼んだ。
「女装したのか?」
「殿下。デリカシーって知ってますか」
さすがにあけすけすぎる王太子の質問に、アルフレッドは絶対零度の視線でツッコミを入れた。ディオンに「お前、無駄に色っぽい顔になってるぞ」と言われた。余計なお世話だ。
「まあ、おおむねレミュザ伯爵令嬢の言うとおりだな」
エリクはそう言って腕を組んだ。エリクはアルフレッドたちの向こう側に見えるルシアンとベルナデットを見て言った。
「どちらにせよ、無理があったんだよ。いくらお前とソランジュが想いあっていたのだとしても、王命には逆らえん。お前とソランジュには悪いが、あの時、ヴィクトワールが嫁いでいれば戦争に発展していた可能性もある」
「ぐふっ。否定できないところがつらい」
王太子がショックを受けたように言った。どうやら、王太子も自分の妹が非常識であると言う自覚はあるようだ。
「ソランジュは自らの意志で嫁ぐと言った。そして、陛下も妃殿下もそれを了承した。私の両親もだ。だから、お前たちがヴィクトワールを恨むのは筋違いなんだよ」
エリクは腕を組んだままそう言った。そうは言いつつも、彼は悲しげで。
「……でも! ソランジュが他国に嫁いだから亡くなったのは事実です! エリク様のご両親だって!」
ベルナデットが叫んだ。エリクは「そうだな」と苦笑した。
「私も、ヴィクトワールが嫁いでいれば、と言う思いがなかったわけではない。だから、お前たちに協力したし、事実に気が付きそうだったレミュザ伯爵令嬢を排除しようとした」
「……」
ミシェルが居心地悪そうに身じろいだ。
一方、同じく襲われたアルフレッドは顔をしかめた。
「ですが公爵。排除、と言うことは、殺そうとしたと言うことですか」
「アルフレッド様」
ミシェルがあわあわと手を振った。言うな、と言うことらしい。
「昨日の夜、ギャラリーで私とミシェルが襲われたのですが、ミシェルは首を絞められました」
「け、頸動脈を押さえれば人は気を失うのです!」
ミシェルが口を挟んできたが、アルフレッドは彼女を引き寄せて無理やり口をふさいだ。彼女はしばらくじたばたしていたが、すぐにあきらめたようだった。彼女に口を挟まれては、『虚構』も『真実』になってしまう可能性があった。それくらい、ミシェルの言葉には説得力がある。
「ミシェルはこう言ってはいますが、そのあたり、どうなんですか」
エリクは顎に指を当てて少し考えるようなそぶりを見せた。
「……私は殺せとは言っていないが、命令を曲解した人間がいるのかもしれないな」
「いや、ちょい待て、エリク。ってことは、どこかにお前の指示でアルとミシェル嬢を襲ったやつらが隠れてるってことか」
珍しく王太子がまじめなツッコミを入れた。アルフレッドの手に力がこもる。
「ちょっとアルフレッド。ミシェルが苦しそうだけど」
王太子妃に囁かれ、アルフレッドは自分がミシェルを抱えていたことに気が付いた。肩に手を回し、逆の手で口元を押さえている。どう見てもアルフレッドが嫌がるミシェルをとらえているようにしか見えないのだが、驚嘆すべきはエリクであろう。この状況をさらっと受け流してまじめな表情でアルフレッドを見ていたのだから。
口元に当てた手を放してやると、彼女は大きく息を吐いた。それからアルフレッドを睨みあげるのだが、顔立ちは大人びた理知的な印象なのに、作る表情が子供っぽい。
「まあ、とりあえずやつらには話を聞いておくが……そう言えば、カジミール」
「え、俺?」
王太子がきょとんとエリクの方を見た。腕を組んだエリクは、いとこに尋ねる。
「私を拘束しなくていいのか」
その言葉に、ルシアンとベルナデットがびくりと震えるのが見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミシェルさん、話が長い。




