Phase.12
本日はミシェル視点。
レミュザ伯爵家の領地であるトラントゥールはサヴァール渓谷と呼ばれる場所にある。この渓谷はサヴァール川流域にあり、自然の美しい地方だ。古くから要衝と呼ばれており、貴族の別荘なども多い。王家の別荘もこの渓谷に存在する。
その中でも、レミュザ伯爵家が所有するトラントゥール城は、通称シャトー・ド・フェと呼ばれている。おとぎ話の城と言う意味で、確かにかわいらしい、童話にでも出てきそうな城ではある。
二つの川と森に挟まれたこの城は、実際に物語に出てくるお城のモデルになっているとも言われる。作者が明かしていないので定かではないが。
白い城壁に青い屋根。決して大きいわけではないが、この可愛らしい城は居心地が良い。高台に建てられており、入るには坂を上らなければならない。
顔にやけどを負ったとき、ミシェルはこの城に帰ってきて療養していた。それくらい、自然に囲まれた静かな空間なのだ。
そんな城に帰ってきたミシェルは、いつもの如く薬づくりに励んでいた。ゴリゴリと薬草をすりつぶし、煮詰める。どう考えても場違いであるが、レミュザ伯爵家の本拠地でもあるこの城には、ミシェルの薬づくり用の部屋があり、庭には薬草が育てられている。
「……今日は何を作ってるんですか? すごい匂いなんですけど」
薬づくり用の部屋に入ってきたポーラが顔をしかめる。ミシェルは煮詰めている薬をかき混ぜながら「風邪薬」と答えた。
「そろそろ風邪がはやるころかと思って」
「あー、そうやって使用人を実験台にするんですね、わかります」
ポーラが失礼なことを言う。確かに初めての薬などは効くかどうか不明であることが多いが、この風邪薬の効能はすでにわかっているのだ。ちゃんと効く。
「どうせなら咳止めも作ってくださいよ」
「はいはい」
ポーラの主張に、ミシェルは適当に返事をする。もともと、咳止めは作ろうと思っていたのだ。
「お嬢様」
扉が少し開き、メイドが顔を見せた。部屋の中に漂う強烈な薬草の匂いに、メイドが「うっ」と顔をしかめた。
「どうしたの?」
動かないミシェルに代わり、ポーラが扉に近寄った。メイドが白い封筒を差し出した。
「ミシェルお嬢様へ、お手紙です」
「わかった。ありがとう」
ミシェルが礼を言うと、「では」とメイドが顔をひっこめた。ミシェルは鍋を火からおろし、ポーラから手紙を受け取る。その封蝋を見て眼を見開いた。
「これ、王妃様からだ」
「ええ!? どうしてですか!?」
ミシェルもポーラも驚いた。ミシェルは、もちろん王妃と親交などない。
そもそも、ミシェル宛てに手紙を送ってくるものなどほとんどいない。宮廷に官職があるために王都にとどまっている父伯爵か、この夏仲良くなったナタリーくらいのものだ。ナタリーの手紙には、たまにその母親のジョゼットの手紙も同封されたりしている。
なので、以前より手紙を受け取ることになれていたミシェルは何気なく受け取ってしまったが、またすごいものをもらってしまった。封を開けて中身を見ると。
「……招待状?」
「の、ようですね」
ポーラもミシェルの手元を覗き込みながら言った。招待状には王妃の直筆のサインがあり、同封された手紙には、十二月の頭にサヴァール渓谷にある王家の別荘でサロンを開くのだが、参加しないか、というようなことが書いてあって。参加すればお泊りになるらしい。その期間中に開かれるパーティーは仮装パーティーなので、仮装道具を持ってくるように、と注意書きされている。
ミシェルは自分で判断がつかず、現在トラントゥール城の女主人であるキトリの元を訪れた。レミュザ伯爵がいないので、彼女がこの城を取り仕切っている。
「キトリさん」
リビングをのぞくと、キトリはマリユス、レオンスの二人と遊んでいた。ミシェルにとっては姉のようなキトリであるが、ミシェルの二人の弟にとっては母親なのだ。ちゃんと。
「ミシェル、どうした? ……また、薬草の匂いがするけど」
「あ、風邪薬を作っていて……一応、消臭剤をかけてきたんですけど」
薬を作るときはエプロンをして、部屋を出るときには消臭剤(自作)を霧吹きでかけるようにしている。それでも匂いが消えないとは、どれだけ強烈なにおいなのだろう。
「いや、まあ、気にするほどじゃないからいいけど。それで、どうしたの」
ミシェルはキトリに送られてきた招待状を差し出した。それを受け取ったキトリは「おやまあ」と声をあげる。
「母上、どうしたの? 姉上、なんかしたの?」
「何もしてないわよ」
七歳のレオンスである。ミシェルは微笑んで彼の頭をなでた。このレオンスは、ミシェルのやけどの痕を見てぎゃん泣きしてくれやがった子である。いや、マリユスも泣いていたけど、レオンスには本気で怖がられた。ショックだった。
「妃殿下からの招待状かぁ。私も結婚する前に二度ほど行って来たけど」
「毎年開かれてるんですか?」
「ミシェル。いくら浮世離れしているからと言っても、情報に疎すぎだよ……」
キトリが呆れたように言った。それでも、知らないミシェルに説明してくれる。
「歴代の妃殿下は、年を越す前に一度、サヴァール渓谷にある王家の別荘シュザン城でサロンを開くのが習わしなんだよ。その年に注目を集めた人とか、王妃が気に入った人とかを集めてパーティーをするんだ。大体、一度で三十人から五十人くらいが集められるって聞いたけど」
「……そんなことがあるんですね……」
まあ、確かにミシェルは良くも悪くも注目を集めたと思う。キトリはこのサロンに呼ばれるのは名誉なことなのだと言う。
「どうしても嫌なら、お断りの手紙を書けばいいよ」
キトリにはそう言われたが、ミシェルにはそこまでの度胸ではない。よろこんで、というお返事を書くしかなかった。
「あまり、気のりはしないんですけど」
「まあ、一度くらい参加してみればいいんじゃないかい。あと、仮面は外したほうがいいと思うよ」
今日も今日とて仮面で顔を隠しているミシェルに、キトリは言った。家族はもう慣れているが、他の人が見れば当然怪しく思う。気軽に付き合ってくれるナタリーたちがおかしいのだ。
「駄目ですっ。こんな……こんな醜い顔を曝せません!」
いつものように顔のことになると興奮するミシェルに、キトリは冷静に言った。
「醜いって。いや、確かにやけどの痕はあるけど、右目周囲だけじゃないか。髪とか化粧とかで十分隠れると思うよ」
「そう言う問題じゃないんです~!」
やけどの痕を曝したくないと言うのもあるが、今更どんな顔をして素顔を曝せと言うのだろうか。
「……まあ、君が気の済むようにすればいいと思うけど」
キトリが苦笑して言った。
ミシェルがキトリと約束した期限まで、あと四か月を切っている。次の自分の誕生日が過ぎた後、ミシェルは修道院に入るつもりだ。薬づくりをするにも、修道院と言う場所はいいところだ。
ただ、家族やナタリーや、親しくなった人たちとはなかなか会えなくなってしまう。それが少しさみしくもあるが、いつまでもこの家にいるわけにはいかないと思っている。
世間にはキトリやナタリー、従兄のディオンのような、優しくしてくれる人たちもいるが、全員がそうであるわけではない。もっと重いハンディがある人もいるとはいえ、やけど痕が残るミシェルには、貴族社会は生きにくい場所だ。
もともと、義母にまで浮世離れしていると言われるミシェルだ。本当に世間を離れてしまっても問題あるまい。
そうは、思うのだが。
ファン・ダーレン公爵家の夜会で、ミシェルとダンスを踊ったアルフレッドを思い出す。社交界デビューしてからすぐやけどの件で引きこもりになったミシェルは、あの時、久しぶりにダンスをした。
叩き込まれたステップは意外と覚えているもので、リードがあれば簡単に踊れた。まあ、アルフレッドのリードがうまかった可能性も高い。
修道院に入れば、彼とも会えなくなる。それも寂しいと思う。いや……さみしいと言うよりも、心臓がギュッと痛くなると言うか、ぐっとのどが詰まると言うか。
言い表せない感覚に、ミシェルは戸惑った。こんなふうになるのは初めてだった。
この時はまだ、ミシェルは自分が恋をしていることに気付いていなかった。
△
出席すると決まれば早めに出発しなければならない。いくら同じ渓谷にあるとはいえ、サヴァール渓谷は全長三百キロ近くはある。トラントゥール城からシュザン城に行くには、馬車で三日ほどかかる。それも、急いで、だ。
なので、余裕をもって移動する。相手は王妃なので、失礼があってはいけない。侍女はポーラだけ連れて行くことにした。
「ミシェル。忘れ物はない?」
エントランスでキトリに尋ねられ、ミシェルはうなずいた。
「仮装道具も、予備の仮面も持っています」
「……いや、予備の仮面はいいんじゃないかな」
キトリは苦笑いでそうツッコみを入れてくれたが、ミシェルにとっては大事なので、やはり持ち歩く。予備の仮面は二つだ。
「姉上。お気をつけて」
「お気をつけて!」
マリユスとレオンスも見送ってくれる。レオンスはぶんぶんと手を振っていた。キトリが笑って、「でも、きっと『姉上がいない!』って夜になったら泣くね」と言っていた。なんだかんだで慕われていると思うとうれしい。
「それじゃ、ミシェル。失礼のないようにね」
「わ、わかっています」
その仮面が一番失礼である、とは、誰からもつっこまれなかった。
「それでは、行ってまいります」
荷物を持ったポーラを連れて、ミシェルはおとぎ話に出てくるようなトラントゥール城を後にした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
サヴァール渓谷はロワール渓谷をモデルにしています。シュザン城のモデルはシュノンソー城です。永遠の美女ディアーヌとカトリーヌ・ド・メディシスで有名な、あの城です。
ミシェルにとって仮面の予備は必需品です(笑)




