第2"窪" 公"死"混同❷
2年前の睦月―――1月の初め。
昨夜はやけにパトカーのサイレンが煩くて、眠れなかった頭を覚醒させるべく、喫煙所のベンチでタバコをふかしながら、根津は急遽受け持つことになりそうな転校生の資料を眺めていた。
「根津、こんな時期に転校生、しかも3年生なんて大変だのう」
根津以上に愛煙家の蔵元がどかりと横に座りながら、笑う。
「その転校生は、どっかの体育教師が、住んでたアパートを立ち退きで追い出されるから忙しいとかで、代わりに私を進めてきたと、教務主任の松先生に聞いたんだけど?」
不惑終わりに近く、綺麗に白髪が生え揃っている背の高い教務主任から、朝押し付けられた資料越しに、仕事柄ほとんど屋外にいることが多い為、褐色の肌の同僚を一瞥する。
「中々、風呂が広い家が見つからんでのう。
妹が嫁いだ所に頼りたくはないが、諸越不動産に明日辺りにでも考えておる。
ほれ、1本やるから機嫌なおせ」
頑丈そうな歯を見せ、そう言って煙草を1本差し出される。
「蔵元のタバコってキツイんだけど、まあいいか」
慣れた仕草で吸い終わった自分のタバコを、灰皿の淵に押し潰して消してから、受け取った。
「しかし、根津がそんな風に文句を言うことは、"面倒くさい生徒"なのかのう?」
生徒の前では決して口に出してはいけない表現で、 "蔵元先生"は尋ねた。
「主任の松先生、"マッサン"も、そこを見越して私か蔵元に任せようとしたんでしょ。
"よろしく頼む、諸行無常"なんて意味わからないサイン書いてるし」
長い指でビシっと音がする程、引き継ぎの資料を弾いた。
「坊さんしながら教師しておると、色々頼られる事も多いらしいからのう」
寿崎先生も大変じゃのう、と言って、自分はタバコを吸わずに、ジャージに入れていた缶珈琲を取り出した。
指先にプルトップを引っ掻けて、カシッという音共に簡単に引き上げ、口に運ぶ。
「坊さんってさあ、結局"覚る"という事をライフワークに抱えているのに、教師とか兼任して、教職の場に、それを持ち込むって、どうよ?」
根津と付き合いの長い蔵元は、彼が教務主任の寿崎とタイプが似ていると感じている。
そして、親友で同僚の方が小さな対抗意識を持っていることも、見越している。
皮肉というべきかどうかわからないが、寿崎も根津も20代という若い内に"妻"を喪った境遇も似ていた。
ただ、寿崎には妻との間に若い内に、子どもが3人いて、それぞれ成人しており、かなり若い年齢で"お祖父さん"にもなっている。
また、寺という事もあって"鰥"となっても、何かしら檀家が世話をやいてくれているらしい。
正式な名前は知らないが、"岩さん"という寿崎が呼んでいる檀家さんは、時折教務主任の忘れ物を届けてくれもする。
岩さんは穏やかに品よく微笑んで、"和尚様をよろしくお願いします"と慇懃にそう言って頭を下げる姿は、職員室では見慣れた風景でもある。
根津は別に、寂しそうというわけではないのだが、今のところそういった"家族"はいない。
「まあ、一般人じゃなくて、"生徒"が助けを求める分には教師の仕事のうちだろう。
何せ教育は、教えて育てるのが仕事だからのう」
もう1つ、根津が寿崎に対して大きく対抗意識―――というよりは、コンプレックスを抱いている。
それは内容が繊細過ぎて、流石に昔からの親友で話題には出来ず、話を元に戻すつもりも兼ね"転校生"の方に話題を振った。
「教師なら、学校にいる間は教え育てはしても、卒業したなら、救いようのない生徒を救いきらなくても、良いってことですかね~」
「そんなに、難しい生徒なのか?」
回り諄く言っている間も、根津は渡された資料を何度も読んでは見返して、最終的に全体的を眺め、薄い唇から長く細く、煙を吐き出した。
「難しいというか、扱いが面倒くさそう。坊さん、入滅まで面倒見る気なのかな」
根津の言い方から察するに、どうやら、やってくるのは、"やんちゃ"という部類の転校生ではないと蔵元は察した。
「ふむ、力業ではないなら、ワシではなくて、確かに根津向きかもな」
そう言って何気なしに、蔵元が根津の持つ資料を覗いた。
この学校の制服とは違う、学生服を着た少年が写っている。
「それなりに整っている顔じゃのう」
今朝は整えるのを忘れた顎髭を、缶珈琲を持っていない方の手で、撫でながら外見の感想を述べる。
「蔵元は、或瀬基準で言ってるだろう?」
顔が整いすぎて、そういった業界から正式にスカウトもくる教師の後輩と、今度やってくる"人並み以上"の転校生を比べるのは、いくらなんでも、後者に分が悪すぎる。
苦笑いをしながら、指に挟んだタバコの灰を灰皿の淵にぶつけて落として、また口許に運ぶ。
「普通はこれくらい顔が整ってて、頭もそれなりにまわるっていうなら、今ぐらいまでは結構良い人生を歩んだんじゃないかな。
で、小さい頃に誉められまくっていたり、それなりに自分が英雄扱いの、昔話もこんな様子では、もっているだろうし。
そこで良い具合に"歪んじゃう"のかもしれないね」
そう言って再び資料のページを捲り、転校生が"やってくる原因なった部分に鳶色の眼を走らせる。
「まあ、"霊感あって困ってるんです"とか言わないだけましなのかなぁ。
それなりに苦労もしているみたいだから、俗にいう"根は悪い人じゃないんだけど"って奴みたい」
そう言って、灰皿の淵に、今日は強すぎるのが旨くは感じないタバコを押し潰して消した。
「はは、そりゃ一番、"質"が悪いの押し付けてしまったのぅ。
ワシは、そういう奴が一番付き合いたくない」
"悪人"まではいかないが、人の悪い笑顔を浮かべて蔵元は缶珈琲を飲みほし、2名の教師は揃って、喫煙室を後にした。