零れ"譚" 転落事"娘"
病院のベッドで目を覚まして、看護師から色々な話を聞いたなら、思っていた以上に仕組んだ事が上手く行きすぎいて、正直少しだけ驚く。
「そうなんですか、少し、休みます」
顔色は悪いけれど、落ち着いた患者の表情に看護師も安心したように、眠るふりする私を見て、部屋を出ていったのを確認し、密かに病室を抜け出す。
毒を含んだのと、お腹にいたらしい赤ん坊が流れた為に、怠い身体を少し引きずる様にして、病院の屋上に向かった。
屋上に繋がる扉を開いたと同時に、ブワッと風が私の髪を広げ、警察の車が、大きな病院の門を出ていくところが見える。
多分、あの車の中に私の婚約者だった人が乗っている。
「本当に、良い人だったなぁ」
わざと過去形にして口にした。
だって、彼には死んで―――表向きには裁かれて、やがて死刑になってもらわないと困る。
「毒の量を加減したにしても、生き残ったのは、私だもの。
死人に口無しよね、生きている人間に都合の良いように話を進めないと。
ねえ、父さん、母さん、姉さん」
屋上の端の手摺の所にやってきて、身体を支えるようにして寄りかかる。
「ちゃんと、あの方の血を引いた子は、私が育てるから」
姉と両親が、私にだけ黙ってしていた事を知った時は、怒りで血の気が引くのを産まれて初めて感じた。
いつも控え目でいて、
おしとやかに振る舞って、
それでいて、勉強が出来て両親に可愛がられる姉が妬ましかった。
"似てないね"なんて言われるけれど、とんでもない。
姉は大人しさの象徴のように結った三つ編みにした髪をほどき、
知的さを主張する銀縁の眼鏡を外したなら、
そこに華やかさ造形している化粧を取り除いた、私とそっくりな顔を持った人になる。
そして私が知っているように、あの女もよくわかっていた。
《これで私が華やかに振る舞ったら、―――ちゃんの居場所がなくなっちゃうでしょう?》
そんな控え目の華やかさはない品良い微笑みで、私の口を塞ぐ。
父親の立場的に、"賢く控えめな娘"と"明るくて外交的な娘"の役割で、私は2番目の方。
頭の方も、悔しいけれど姉に敵わない。
ただ、偶然なんだろうけれど華やかを演じる事で、姉が悔しがる瞬間を見つける。
それは社交場で、近寄りがたい雰囲気の姉より、どうしても私の方が接し安いみたいで、それなりに年頃では良い目をみる。
けれど、私が優勢と思える舞台に、公平に争うしかない方が現れた。
大分年上になるけれども、とても素敵な方。
癖っ毛をオールバックにしていて三つ揃えのスーツ姿で、いつも黒衣を召した、同じ位背の高い方の傍に侍るように佇んでいる。
その方は、本人は大変不本意だけれども、"血脈"を残さなければならないらしくて、それで医者でもある、私のお父さんとご縁が出来たそう。
けれど、本当は"仕事"に専念をしたいらしくて、家族擬きを持つ為の時間を消費するのも嫌だって、社交の場でお相手をなさった時に仰っていらした。
その冗談ともとれる口調に、私が笑ったなら、その方も八重歯を見せて笑った。
やんちゃな少年みたいに見えて、とても素敵だった。
ある時、思いきって告白をしたなら、見事に振られた。
―――お前みたいな気質は、嫌いじゃあないんだけれどな。
そして、姉からも告白された事を何気無く話してくれて、血の気が引いた。
いつに間にか、先を越された事に大きなショックを受ける。
けれども、姉もフラれているいることに、とても安心する。
私が、落ち込んだりホッとしたりとしていたなら、"百面相"と笑ってくださった。
―――しかし面白いな。やっぱり、姉妹だから顔も似てれば、惚れるタイプも似るんだな。
今まで、親でさえ気がついてくれない事を、簡単に気がついてくれるこの人の血を残す役目を、私が勝ち取りたかった。
"お前のそういう気質は、嫌いじゃあないんだけれどな"
その言葉を心に留めて、あの方が好ましい私でいようと努める。
同じ顔なら、せめて内側であの方の好みに応えられるように。
―――フッた俺なんかに囚われずに、恋人とか作って青春しろよ。
社交の場で見かける度に挨拶を行っていたなら、気軽に話かけてくれるようになって、そんな事を言われた。
だから、人の良さそうな―――姉が密かに片想いをしていたと知っていた、同じ大学の青年と付き合い始める。
姉はそれを知った時、顔を真っ青にしながら一生懸命取り繕っているのが判った。
不思議と"ざまあみろ"という気持ちはあまり湧かない。
それに、姉が惚れていたという青年はとても気があったから、学生の彼がしているボランティア活動を一緒にすることにした。
そこで、とても生意気な少年に出逢った。
何だか私の心を見透かすような眼差しで、見詰めるから好きになれなかった。
それに加えて、"何処か違う場所"で同じような眼差しを見たこともあるような気もしたのだ。
けれどそこが、"どこ"で"誰のもの"なのか思い出せない。
でも、やっぱり嫌なものは嫌で仕方なくて。
そんな中で、私はまた姉に出し抜かれてしまう。
しかも、今度はお父さんとお母さんを味方につけていた。
あの素敵な人は結局、子どもを作ることは拒んだけれど、種だけはお父さんの病院に凍結して残すことにしたのだと、話してくださった。
―――ま、あと半世紀もすれば流石に入滅しているだろうから、その後で俺みたいな癖っ毛の八重歯のクソガキにあったら可愛がってやってくれ。
それなら私は、おばあちゃんになっていますよ、それに女の子だったらどうするんですか?と言ったなら、また八重歯を見せて笑ってくれた。
そして、私はボランティアで、恋人の世話をする少年の、あの見透かされる様な目に嫌気がさして、久しぶりに家に帰ったら腹の膨れた姉がいた。
太ったわけでないのは腹の出っ張り具合いと、身体全体の肉のつき具合で判る。
今度は、私が全身で真っ青になるような気分なのだと判った。
けれど、この時はまだ、懸命に"恐らく妊娠をしている姉に驚く妹"を振る舞った。
両親に、姉はどうして妊娠してしまったのか、驚きながら、詰め寄る。
姉の妊娠の本当の理由に気がついていて、暴れたくなる、鬼の様な自分をその間、懸命に堪えた。
家族は、"姉が悪い男に騙された"のだとまるで三文小説の様な事を私に語る。
姉が懸命に、"騙されてくれ"という視線を私に注いでいるのが判った。
だから、私は―――華やかな所に身を置いて、大学で彼氏も出来ていて、お父さんの仕事の社交の場で、いつもあの方と話している立場に浮かれている妹を演じてやった。
姉が馬鹿な妊娠をしたことに侮蔑して、思いを寄せいた人が私の恋人になった時にだって送らなかった"ざまあみろ"という視線を、投げ掛けてやる。
すると姉が悔しそうに唇を噛んで俯くのが、容易く演技なのだと判った。
姉妹が険悪になるのを、お母さんが心配そうに見ているのだけれども、やっぱり"妹が何も気がついてないことに安心"しているのが、伝わってくるのが本当に腹立たしい。
お父さんは、ただ、この姉妹喧嘩に巻き込まれて"うんざり"しているのが判ってこれもまた、私が懸命に隠している憤りを煽る。
その3種類の視線の先から、あの鳶色の生意気そうな視線が私に注がれていたのを思い出すことで、怒りの炎に酸欠になりそうな心に風を差し入れて―――また炎を燃え上がらせた。
だから最高のタイミングで、こいつらを地獄に突き落としたくて、私を除け者にした、家族の目論みに気がつかない妹を演じてやる。
人生が順調すぎて傲慢になり、調子に乗って姉を助けてやろうとする妹を、"ある目的の為"に振る舞うことにした。
きっと、姉もあの人の子どもをお腹に宿す為に最初にしただろう―――まず親を味方につける。
"お姉さんが妊娠している事は、表に出してはいけないことなんでしょう?、お腹が目立ってきたから、家にいるんだろうけれど、そろそろ周りに不審がられていないかしら?"
別に妊娠している事は、バレても構わないはず。
本当に伏せなければいけないのは、"姉の腹にいる子どもの父親"。
けれども、変に怪しまれるのも体裁もあるだろから避けたいのも、親の本音。
"こういうの、どうかしら"
そう言って私は肩に下げている鞄から、携帯の化粧落としのシートを取り出して素顔を晒し、ゴムで髪を纏める。
"姉さん、ちょっと借りるわね"
姉が返事をする前に、彼女の眼鏡をとって自分にかける。
姉の顔色が変わるのが判ったのに、ほんの少しだけ気持ちがスッキリとしたなら、私は"姉の顔"を両親見せた。
"まあ、貴女達、こんなにそっくりだったの?!"
お父さんは声こそ出さなかったけれど、似ている事をお母さんと同じくらいに本当に驚いていた。
それで、親に呆れた。
あの人は、初対面でこうやって"化けの皮"を、"面"を外さなくても、気が付いてくれたのに。
"姉さんの研究の代わりやらは出来ないけれど、お父さんに付き添って気分転換に外出しているなら、体調が悪くて休んでいるだけなんだって、印象付ける事は私でも十分出来そうでしょ"
そう提案すると姉は、"化粧を落とした私の顔"で、大きく膨らんだお腹を何度も擦り始める。
"安心してよ、姉さんの顔で変なことなんてしないから"
姉がどうして心配いるかがわからない―――そんな、人生が順調で仕方がない妹の振りをしながら、私は傲慢で哀れみの視線を姉に向けた。
そして、姉想いの妹の振りをして、もうすぐ臨月という頃になって、私はやっと目的のものが手に入れる。
それは、私の最終的な目的の為に、自分の"運命"を試す為にも必要なもの。
お父さんにもバレないように、空気に弱い毒物を外気に触れないように、作っておいた密閉出来る容器に移し、胸元の下着の間に押し込み挟み込むようにして隠す。
これからこの毒を"妹の恋人"がネットで購入したように工作する。
恋人が私の"二股"に気がつき始め、表には出さないけれど、家族ぐるみで騙されている事に、大きな憤りを抱えている様にもみせる支度も、始めなければならない。
そしてまるでタイミングを計っていたかのように、あの人と、お父さんの傍にで姉の振りをしている、胸に猛毒を抱えている時に出会ってしまった。
懸命に姉の振りをする。
姉は研究者としてはそこそこ優秀だけれども、接客みたいな事になると、俯いて、ろくに何も出来なくなってしまうのは知っていたから、お父さんの側で大人しくしていた。
私も知らない事になっているけれどもお父さんも、やっぱり"勝手にしてしまった"事がバレたら不味いのだろう。
今まで姉の振りをする私に一言も言わなかったのに、"何も喋るな"と言葉短く言った。
勿論判っている。
けれど、きっと、あの人は判ってしまう、判ってくれる。
父とあの人が世間話をして、私の方を見た。
―――体調が悪いと聞いていましたが、気分転換に外出は心にも、身体にもいいですよ。それでは、今日は親友の付き添いなんで。失礼します。
お父さんと話し、私に向かっては、八重歯を見せない笑顔を向けた。
"妹"の私には、いつもとやんちゃ坊主みたいな笑みを向けてくれたのに。
……もしかして気がついてない?。そんなはずない、気がついている、判ってくれる。
残酷にも感じる程に、そのまま行ってしまう広い背中を、姉の眼鏡越しに追いかける。
……お願い、気が付いて下さい。気が付いてください。
でも、広い背中は真っ直ぐ進んでいく。
父親が、前に私が姉の妊娠の真相に勘づいてないと判った時のように、無表情で安堵の息を洩らす。
姉の名前を呼ばれて白衣をまとった腕を引っ張られても、私は諦めきれずにその場に佇んでいた。
そして、お父さん―――父は、自分の娘が2人とも、先程話した人物に惚れて、そして断られているのを思い出す。
自分の"研究の利益の為に、姉妹の内、姉を応援して、妹を騙している事も合わせて思い出したらしく、研究と出世が主に占めている頭に僅かに情が湧いた様だった。
気が済んだら直ぐに戻りなさい、と言って私を置いていく。
まだ、私が全てをぶち壊そうと考えているなんて、微塵も思い浮かばない。
でも私はこれ幸いと、あの人の背中を目で追った先に合わせ見た先に、"闇"が佇んでいるのを見つけた。
―――待たせたな、黒佐渡。
病院の中で、他の喧騒が溢れているのに、あの人の落ち込んだ声と、待たせた相手の名前が判る。
その聞いたことがない声の響きに、私は直ぐに自分の"気づいて貰えない"落ち込みは、心の隅へ追いやった。
悲しい響きの声で呼び掛けている"闇"の正体は、病院では不吉ともとれる僧侶の姿の人だった。
ただ有髪であったので、特徴的な黒衣と袈裟をまとっていなければ、直ぐに僧侶が―――御坊さんなんだとは分からなかった。
―――観音を抱いてまで出したもんを、勝手に使われたみたいだ。
その黒い法衣を纏った人に向かって、口を開く横顔が見える。
"勝手に使われた"
思い当たるのは、私の家族が、私を除け者にして行った、あの事だけ。
(もしかして、さっき、私が"無視"されたのは、もしかして、もしかして)
勝手に、あの方が"自分が死んでから誕生させて欲しい"といっていた、存在を私の家族が作ってしまったから?。
《ま、あと半世紀もすれば流石に入滅しているだろうから、その後で俺みたいな癖っ毛の八重歯のクソガキにあったら可愛がってやってくれ》
そうも、言ってくださったのに、きっと私は"仲間"と思われてしまっている。
私は、姉が不在を誤魔化すために、進んで力を貸しているように思われても仕方がない状況でもある。
(どうしよう?どうしたらいい?どうしたら、あの人から―――四ツ葉様から失ってしまった信用を取り戻せる?)
正に立ち尽くすといった様子になった時に、あの人の傍にいる方、親友と仰っていた方が、スーツの背中越しに私を見る。
思えばいつも、あの人と行動を共にしている方だと初めて気がついた。
いつも四ツ葉様ばかり見つめていたから、気がつけなかったけれど、必ず傍にいらっしゃった。
そして、その向けられた眼差しに、あの生意気な少年と似ているものを感じる。
全てを見透かすような、眼差し。
"違うんです"
《無実》を訴える気持ちは、胸に張り裂けそうなぐらい浮かんでいた。
いつもより大人しい紅の色をつけた、唇まで上ってきたけれど開く事が出来ない。
もし、全てを見透かすというのなら、今の私の状況を見て、どうか四ツ葉様に、誤解だと伝えてくれませんか。
そんな気持ちで、見透かす瞳に"救い"すら求めるような気持ちで見つめ返した。
けれど、その黒衣の僧侶の方は、表情1つ動かさず、四ツ葉様と同じように私に背を向け、行ってしまった。
(酷い)
きっと、私に何か事情があった事ぐらいは、感じ取れていた筈なのに。
無性に、あの見透かすようなあの瞳が憎らしくて、たまらなくない。
『ねえ、申し訳ないんだけれど、今度のボランティアの早番、代わってもらってもいいかな?』
病院の出来事から数日後、私の恋人になっている青年が、大学の研究―――何だか、"殺生石"とかいう物騒な名前の石の調査の為に、出掛ける日がボランティアの日と重なってしまったらしい。
ボランティア自体は夕刻からなので、最初の数時間を頼みたいという。
一応了承したが、見透かす様な瞳の子どもが私になついていないと告げると、
『君が優しくてお金持ちのお嬢さんで、何でも持っているのが、もしかしたら妬ましいのかもしれないね』
引き受けてくれてありがとう、それじゃよろしく頼むよ』
と、言いながら、お土産は何が良いと聞かれて、私は何でもいいと適当に答えた。
それよりも、"何でも持っているから妬んでいる"という言葉に心の中で笑う。
そう、確かに人を殺す毒すら、私は持っている。
そして、毒を持っている事を思い出したなら、数日前のあの悔しい気持ちが、大きくぶり返してきた。
きっとあの親友だという僧侶は、私の気持ちや、四ツ葉様の事に関して、私に対してだけ何か誤解があるのだと、判って気がついていた。
その筈なのに、何もしてくれなかった。
だから、あの鋭い見透かす様な瞳が大嫌いになった。
『そうだ』
『どうしたの?』
思わず、言葉に出したなら、研究の為に支度をしていた恋人の青年が、反応して振り返。
『えっと、仲良くなる為に、お菓子でも作ろうかなって思って』
『ああ、それは、いいんじゃないかな、きっとあの子も喜ぶよ』
ある意味最初の運試し。
そして、毒の効き目をこの眼で見たかった事もある。
外気と長時間触れると毒性がなくなるのと、臭いと味が強烈だというのが難点だから、それをどうにかしなければいけない。
色々考えて、"グミ"に混入してみることになった。
臭いと味を誤魔化すために、香りの強いの果汁をベースにして、その中に毒を盛る事にする。
オブラートをうまい具合に小さく数枚重ね、その中に粉末の毒をくるんで固める直前で、グミの一粒となる中央に落とした。
冷やして固めて、取り出したなら、彩り美しい果汁のグミの中に、毒は溶けきれない、オブラートの中に包まれた白い塊がある。
一粒摘まんで、キッチンの明かりに翳したなら、丁度中央で数枚が溶けて拡がっていて、まるでグミの中で華が咲いている様にも見える。
臭い―――匂いも、果汁と相俟って、然程不自然ではなくなった。
―――綺麗にさいた"毒の華"。
そんな詩的な言葉も浮かぶくらい、綺麗に出来てしまった。
『流石に、味見をするわけもいかないしね』
私は、クスッと笑って、"ご機嫌を取るために作られた御菓子"を綺麗に包んだ。
この御菓子で、もし、あの生意気な鳶色の少年が命を落としたなら、"私が何がなんでもやり遂げなければならない事"がダメになるのは判っている。
けれど、あの見透かす様な瞳を持った存在が、この世界から消えてくれるなら、それで構わない様な気もしてしまっている。
そんな気持ちを、毒のグミを作り終えてた時は、抱えててもいたから。
簡単に言えば、"怖かった"。
怖かったから、あの鋭い眼を、どうしても、私の世界から、取り除きたかった。
けれど、四ツ葉様の側にあるあの瞳を取り除く事は、きっとあの人がが命を張ってでも止める。
『親友って、仰っていたもんな』
憎らしくても、慕う方が嫌な思いをするくらいなら、諦める潔さはあるつもり。
―――なら、私は、私の側にある、あの鋭い眼が開かない様に、取り除くだけね。
どうしてだか、その決心は深く強く固まってしまっていた。
あの生意気な瞳が、苦痛と恐怖に歪むのが、楽しみでしかたない。
けれど、結局、それを見ることは叶わなかった。
私が恋人の代わりに面倒を見る日になって、夕刻になって向かったならその子どもがまだ遊びに行ったまま帰っていないのだと、施設の人から説明された。
しかも、予想外に話は大きくなっていた。
どうやら、何時までたっても戻ってこないあの少年は、遊びに行った帰りに何やら大きな事件に巻き込まれたらしく、警察に保護されているという。
その話を施設の事務室で所員さんが警察と、電話で話しているのを聞いていて、悔しさのあまりに血の気がひくのを感じる。
幾らなんでも、私が作った毒のグミをあの少年に今日食べさせるのは、絶対無理だと判る。
ある意味"運試し"にこの作ったグミを食べさせて、あの少年を毒殺させ、身寄りのない騒ぎをやり過ごせたなら、"私の勝ち"というつもりだった。
けれども、これでは幸先が悪すぎる。
少年を葬り去りたいとも思っているけれども、私を除け者にした家族も、この世界からいなくなっても欲しいと、心から願ってもいる。
なら今は確実な方を、手に取りたい。
尚も沸き上がる、少年への憎悪を抑える為に唇を噛んでいる私の様子に、施設職員が大丈夫と心配の声をかけてくる。
辛うじて、短く"大丈夫です"という言葉を出したけれども、進められた椅子には直ぐに腰かけてしまっていた。
腹立たしさと憎しみが、頭が一杯でこんなに胸がしめるなんて、予想以上。
まるでずっと長い時間、あの眼を持っている存在を、憎んでいる様な気がする。
そして、あの全てを見透かす様な鋭い眼を取り除いた先に、
ワ タ シ ガ 本 当 二 ホ シ イ モ ノ ガ イ ル ハ ズ ダ カ ラ。
その時、施設の事務室の扉が開く音がして、ある独特の匂いが私の鼻孔を擽った。
『すみません!俺の世話している子が、何か事件に巻き込まれたって?!』
私の恋人となっている、青年だった。
『あら、わざわざきてくれたの?!』
『ええ、ポケベルならしてくれて、ありがとうございます!』
『……?、あなた今日は随分と温泉?みたいな匂いがするわね』
本当にその通りで、彼が連れて帰ってきたのは、俗にいう、温泉の匂いだった。
そう言ったなら、私の恋人となっている青年は短い刈り込んだ頭を掻いた。
『スミマセン、"硫黄"の匂いですよね。
大学のフィールドワークで、温泉地ばかり回ってきたんです』
そう言って直ぐに私の姿を見つけて、微笑んだ。
『大丈夫だった?ごめん!俺が代理を頼んだばっかりに』
そんな恋人の声と、彼が運んできてくれた臭い―――匂いが、まるで私の中に占めていたあの眼を持つ人達への憎しみを、押し出してくれてくれているみたいだった。
『彼女、良いところのお嬢さんなんでしょう?。
すっかりこの状況に参って、青くなっていたわよ』
側にいた、少し年上の女の職員が彼を責める様な言葉を口にする。
『本当にスミマセン、それでごめん!』
そう言ったなら、恋人という人は、椅子に座る私を、自分の身を低くして強く抱き締めた。
彼の言っていた硫黄の匂いが、更に強く鼻の奥を過ぎて行って、私は血の気が引くほど溢れていた憎しみからは、完璧に解放される。
事務室にいる所員さん達が、多少呆れたような雰囲気を出していたが、彼は構わず私を抱き締め続ける。
けれど、"内側"で燻っている、私の本来の怒りも、改めて確り見つけた。
こうやって、私の事を本当に心配してくれる人を利用することに、ほんの少しだけ、罪悪が湧いた時。
―――ピピピピピピ。
聞きなれた電子音が、私の鞄の中から響き渡る。私の、ポケットベルの音。
彼が離れた場所に置いてある鞄を急いで、取って持ってきてくれた。
『ありがとう』
そう言って鞄を開いて、まだ電子音を鳴らすポケットベルを取り出したなら、それと一緒に、準備していた御菓子が落ちた。
彼が透明なフィルムの袋の中に入っている、色とりどりのグミを見て残念そうに口を開いた。
『そう言えば、仲良くなりたくて御菓子を作ってくれるって言っていたよね。
でも、今日は君から渡すのは無理かもしれない。顔色が悪いし、早く帰った方がいいかもしれない』
私は取り出した電子音がようやく止まったポケットベルを手にしながら、小さく無言で頷いた。
『そうだ、折角だから、俺が貰ってもいいかな?』
『?!、それは絶対にダメ!』
そう言って、急いで取り返した。
でも、私がした事はどうしても周りを驚かせてしまう事だと判ったから、急いで誤魔化しの言い分けを頭の中で考える。
『あの、実はちょっとだけ"いたずら"をグミにしてしまったの。
前に、生意気な事を言われて頭にきて、だから、一粒だけ、物凄く酸っぱくなるようにクエン酸をいれたの。
だから、貴方には―――』
"いつかあなたの命を、利用する為死んで貰っては困るんだ"
この時は、本当に微塵もそんな気持ちはなかった。
だって私が本当に憎いのは、私の家族。
私の初恋を、私だけ除け者にして、私の幸せを潰して、自分達の幸せを手にいれようとする事。
何より、四ツ葉様の事を"裏切った"。
あの人は、決して自分の血を引いた者が産まれて欲しくないなんて、願っているわけじゃなかった。
ただ、その命が産まれて欲しくる"時間"は、せめて御自分が入滅―――"亡くなって"からにして欲しいと仰っていた。
その気持ちを、台無しにして、しかも私だけを除け者にした。
姉が好きだった人と付き合っている事は、傍目からみたらデリカシーがないことかもしれない。
けれど、憧れている人からは振られたけれど、ちゃんと"普通"に生活をして欲しいと言われたから。
―――"好き"だって告白するのは、人間幾つになっても、緊張するもんだからな。出来れば、応えてやりたいけど、こっちの都合もある。
四ツ葉様は、やらなくてはいけない事があるからと、これまでもそういった"御縁"を断ってきたのだと、振った"罪滅ぼし"に正直に話して下さった。
―――だから、せめて相手から告白されて、嫌な気持ちがしなかったなら、そいつと付き合ってみたら、どうだ?。
だから、姉が密かに惚れていた人が、勇気を振り絞って、"付き合って欲しい"と告白をしてくれたから、私はただ受けれいれただけなのに。
―――俺の、"私"の代わりに、青春してくれよ。
何か成すべきことがあって、自分の為に"時間"を使うことが出来なかった人の、尊くも感じる声だった。
私の気持ちも、四ツ葉様の気持ちも、踏みにじった家族が、どうしても許せない。
そして、ポケットベルが報せいたのは、決定的な裏切りの誕生だった。
アカンボウ ガ ウマレマシタ。
『あれ、誰かご親戚で産まれたのかな?、あ、ごめん、勝手に見ちゃって!』
姉の好きだった人が、そう言って見えてしまった電子文字から眼を離す。
『いいの、気にしないで』
きっと、私はこれからもっと悪いこと、酷いことを、鬼の様な事を貴方にするのだから。
相手を徹底的に油断させるために、少し時間をおいて、このお腹に貴方の命を孕んで、そして引っ掛かるための"餌"にする。
『じゃあ、俺は晴明の迎えに行ってきます。君も気を付けて、帰ってね』
生意気な少年の名字を口にして、優しい人は迎えに行ってしまった。
結局、私が最初に作った毒のグミは使わず、そのまま施設の焼却炉に捨てる。
1度作ったから、大分"コツ"みたいな物がわかった。
だから、"これからする事"の為に無駄じゃなかったと思う。
私は相変わらず何も知らない振りをして、産まれてしまった"姪"を病院に見に行く。
幸いなのかどうなのか判らないけれど、四ツ葉様に全く似てない赤ん坊だった。
だから、"赤ん坊に罪はないものね"なんて言葉まで、あくまでも姉が失敗して妊娠したといった風な言葉すら口に出していた。
ただ、産まれたばかりだし、どちらに似ているなんて、これからなんだろう。
でも、不思議と"この子は四ツ葉様に似ない"と思えた。
それは姉も、感じている事なんだろう。
新生児が眠っている所を見ても、非常に複雑そうな表情を浮かべていた。
余りにも複雑そうで、勝手に"胤"を取っておきながら、似てないとなると育児放棄でもしやしないかと、不安になる。
偶然始めたに等しいボランティアは、どうやら私に淡い、母性を芽生えさせてしまっていたらしい。
だから、計画の一部を変更する事にする。
その為に予定より早く、ボランティアを、姪で四ツ葉様の子どもが産まれたその日に、辞めさせて貰った。
そして半年程過ぎ。
赤ん坊は、まるで年の離れた妹でも迎えた様な状況になっていた。
お父さんは、姉の身体を使い、四ツ葉様の子どもを産ませた事は、産まれたと同時に報せていたようだった。
研究費がなくて、不機嫌な父親の機嫌が、姪が産まれた日を境にここ半年程ない。
四ツ葉様は病院でああいう事を仰っていたから、既に気がついていたのだろう。
きっと、お父さんが報せに行った時点でそういった条件やら、お金の支度をすませていた。
それを考えたなら、恥ずかしくて堪らなくなった。
そして、姉が全く赤ん坊の面倒を見ないことにも、失望する。
その時には、計画を変更する事を決めていたから、赤ん坊の面倒をみないことにホッとしていたところも、正直にいえば、あるのだけれど。
そうして私は"支度"をしながら姪っ子が、自力で立ち上がって歩き、恋人となってくれている青年が社会人になって1年。
私の身体の方も、無事に整っていた。
身体が少しだけ熱っぽくて、口に含む食べ物の味が変わった。
検査薬にも2本のライン―――"陽性"の反応が出ていた。
念には念を入れて、産婦人科を受診したなら、妊娠していたけれども少し急ぎすぎたみたいだった。
"まだ、本当に初期ですから気を付けてくださいね。
小さすぎて、心音もまだ聞こえませんから、母子手帳の申請出来る紙は次回の検診の時に"
とりあえず、妊娠をしたと恋人に証明したいので、診断書だけ書いてもらって、そのまま病院の屋上に行く。
お父さんの勤め先の1つでもあるから、馴染みの場所でもあるけれど、姪が産まれて以来は来ていなかった。
夕方で茜色に染まった証明書の入った封筒を眺める。
診察で"心音が聞こえない"という言葉は、何処と無く気持ちがホッとしてしまう。
妊娠して、自分の身体にもう1つの命があるという事実はわかっている。
けれど、心臓の音が聞こえないという事が、どこか実感に繋がらない。
実感がないから、まだこれからやろうとすることも、怖いことだと判っているけれど、止める気にならなかった。
『毒を、口に含むってどんな感じなんだろうな』
そこまで考えても、私がしようとすることは、止めるべきなんだろうかという考えが不意に浮かんだ。
あの優しい人と、そのまま結婚して、お腹にいる赤ん坊の母親になって、それなりに寿命を全うして死んでいく。
でも死ぬ時に、絶対この事は、"後悔"という形で思い出すと、夕焼けの茜色に包まれながら考える。
それに、いくら優しい青年と家族となっても、自分の家族はそのまま、のうのうと残って、あの人に似てないけれども、血だけを引かせた子どもを義務的に育てるのだろう。
『やっぱり、どうしてもそれは許せないよ、お父さん、お母さん、お姉さん』
20年くらいの人生の中で、一番大切になった人が、自分の家族の勝手の為に歪められたのがやはり、許せない。
しかも、あの人は四ツ葉様は"出来るなら自分が死んだ後でなら"と、そう約束していたらしいのにも関わらず、それを破ってまで。
『どうして、そこまでしなきゃいけなかったの、姉さん?』
そんな言葉を、屋上の手摺に腕を乗せた上に、自分の額を乗せ、自分の足を見つめながら呟く。
でも、私がしようとすることも、きっとやり終えた後に"どうして、そこまでしなくちゃいけなかったんだろう"と言われる事でもあると分かる。
胸元に手を伸ばし、最近ではお守りの様に持っている残った毒薬を包んだ小さな密封容器を取り出す。
『これは、もう性分だよね』
"やって後悔する"
"やらないで後悔する"
その2択しかないなら、選ぶのは行動に起こすこと。
『多分姉さんは、今、後悔しているのね』
赤ん坊を産んでから、彼女が微笑んでいる所なんて見たこともない。
しかも同性で、顔も私達の幼少の頃にそっくり。
きっと、産まれてくる子ども"ぐらい"は、好きな人の姿を象って欲しかったのだろうけれど、現実はそうもいかない。
それが姉が四ツ葉様を裏切る"行動"に出た、結果。
私は、後悔するのだろうか?。
あの優しい青年に、本当に酷い事をする事になる。
彼が就職してから1度だけ職場の人と食事した時に、職場では寛容すぎて"仏様"とあだなされていると、こっそり教えてもらった。
"本当に、貴女の事が大好きなのね。絶対貴女と結婚したいんだって言ってもいたわ"
そんな事も、言われた。
『ごめんね、でも、私の事が大好きなら、私が味わった気持ち、一緒に味わって』
彼と付き合って、最初で最後の"わがまま"は、私の味わった絶望を共に味わって貰う事。
そうしたら、きっと私は貴方の事を、心から受け入れる事が出来るから。
私だけ除け者にされるまで、私なりに家族を愛していた。
姉の方が確実に数も多く可愛がられていたが、私の事も、産まれた年数が遅れただけで、両親は可愛がってくれたと信じていた。
【心の底から信じていたけれど、そうじゃなかった】
貴方が挨拶に行った先で、恋人の家族が毒で次々と倒れていく凄絶な様子を見て、そして気がついたら、状況は貴方を犯人に仕立てあげられいる。
その戸惑いから、信じていた者が、理解しがたい裏切りを行った苦しみと、怒りを、貴方も一緒に私と"感じて"みてくれませんか?。
そして、私の事をどうぞ、殺してしまいたい程、憎んでください。
でも、貴方が私のしたことに気がついて怒り、私を殺したいと思っていても、私はそれから身を守る為に色んな工作を既に行っている。
『仏様も、きっと許してはくれないだろうな』
そんな事を呟いて、私は夕より闇が濃くなり始めた屋上を後にする。
扉を閉める間際、こんな夕方の時間を、大禍時と呼ぶのだと、四ツ葉様が、まだきっと心を許してはくれていた時期に、話してくれたのを思い出す。
―――そんな時間はロクな事がないから、大人しく家に帰った方がいいぞ。
思い出したなら、腹にいるらしい赤ん坊の父親となる人より、やっぱり四ツ葉様の方が好きでたまらなかった。
何度考えても、彼に罪を着せる事よりも、こうやって心に慕う人を為に場所を割いている事の方が、大きな裏切りに思えた。
『どうか、憎んでくださいね』
酷いことやろうとしていることに、"自己陶酔"しているだけ。
自分でもそう思いながら、彼にの家に行き、妊娠を報せたなら、顔を真っ赤にして、喜んでくれた。
週末に我が家に挨拶に行きたいと言うから、頷いた。
『じゃあ、うちの家族が好きな洋菓子のお店があるの、そこの"一口オレンジのフルーツタルト"お願いしてもいいかな。で、家で私が一工夫すると、もっと美味しく、家族好みになるから、お願いね』
妊娠したことを伝えた時から私の両手を、包み込むようにして、握りしめて頷いてくれた。
送っていくというのを、なんとか振りきって、その日は帰る。
私の家族にも妊娠の事実と、彼の事を知らせた。
そして、1つだけ嘘をつく。
―――彼は"潔癖"だから、姉に不貞の子どもがいるなんて知ったら、折角のご縁が切れてしまうかも知れない。
―――だからどうか、姪っ子をその日は何処かの保育所に預けて欲しい。
そう頼んだ。
元々、姪っ子の面倒は私が暇の時や、母の手が空いている時以外は、結構高額の有料の保育所に預けてばかりいたので 、姉だけが少し不快そうな顔をして、簡単に了承してくれた。
その夜、最後の"毒のグミ"を、オレンジの果汁で、全ての毒を入れてこの前と同じようにして作った。
無事に仕上がって、私はそれを自室にある冷蔵庫に持っていく。
まだカーテンをしていなかった気がついて、グミをしまってから、閉めようと近づいたなら、夜空が見えた。
その日は、新月だったのか、月が全く見えない。
優しい月明かりは大好きなのに、見えないのが心細くなる。
けれど、優しさとはほど遠い事を自分がしようとしているのも思い出した。
だから、"これで良かったんだ"と自分に言い聞かせる。
優しい月が、金色の眼を瞑っている内に、酷い事をしてしまおう。
そうして、週末がやって来て、彼は約束通りに頼んだものを買ってきてくれた。
ありがとうと、受け取ったならフルーツタルトの入った箱を渡してくれる手が、多分緊張で震えている。
私は母が彼を案内している内に、キッチンで最後の仕上げに、毒のグミを細かく千切って、同系色の4つのタルトの上に散らす。
そして、グミの形を誤魔化すように、粉糖をタルトの上から散らし、そしてトレイに乗せた。
そこまで仕上げた時、背後に気配を感じたなら、恐らく挨拶だけをして戻ってきた姉がいた。
『お姉さん、お姉さんはどうする?。一緒に客間で召し上がる?、それともお部屋で召し上がる?』
『部屋で、一人で食べる』
『じゃあ、はいどうぞ』
私は、落ち着いた声で姉の分を渡した。
―――かつて出来なかった"賭け"が、ここでもう一度始まったような気がする。
あの時には"勝負にすらならなかった"けれど、今度は違う。
(いえ、本当は"最初から、こうするべきだった"かも)
今更ながら、どうして眼が気にくわないというだけで、あの少年があんなに憎かったのかが判らない。
『……上手くいくと、いいわね、結婚も、子育ても』
姉は振り絞るように、やっとそれだけを言って、ケーキを受け取って行ってしまう。
負け惜しみにも、四ツ葉様の子どもを産んだ事への勝ち誇りにも、聞こえた。
私と同じ髪質の三つ編みが垂れる背に、私はゆっくりと唇を開いた。
『でも、本当の"勝負"はここからよ、姉さん』
そうして、私は、"勝った"。
けれど、本当に辛うじてという表現が相応しい、勝利だった。
けれど、生きている。
"けれど"を2回も繰り返している自分に笑ってしまう。
「これから、色々あるんだろうなあ」
病院の屋上から青い空を見上げながら、声を出すのも正直きついのだけれども、何とか呟いた。
屋上から見える空は、物凄く明るい―――けれど、明るく青すぎて軽く目眩すら感じてしまう。
この底抜けに明るすぎる空の青さは、陽の明かりがあってこそだと知っているのに不思議と、その陽が見つけられない。
(ああ、丁度ここからは見えづらい位置にあるんだ)
丁度屋上の出入り口のところで、小さく強烈な光を放つ太陽があった。
「―――あれ?」
そうして、もう1つの不思議に気がついた。
こんな晴天なのに、誰1人として、人が居ない。
病院のベッドのシーツが、この晴天を大いに活躍させるべく、綺麗に洗濯ロープに整頓し列をなして並べられる様に干されているから、人の出入りがなわけではないとわかる。
風が強く吹いて、思わず目を強く閉じた。
バタバタと白いシーツが風に煽られて、激しくはためく音が耳に入ってくる。
「人がいないのはな、つい先日、自殺未遂があって"病院関係者"以外、立ち入り禁止になったそうだ」
シーツがはためく音が煩いくらいの中で、はっきりと四ツ葉様の声が聞こえた。
でも、少しだけ籠っている様にも感じる理由は、眼を開いて直ぐに判った。
屋上の入り口に、般若の面を着けた漆黒の法衣に金色の袈裟を纏った方がいる。
それが、四ツ葉様。
白い足袋に雪駄を履いたその足で、法衣の袖を風で膨らませながら、こちらまで、来てくれる。
「私の亡くなった家族を、弔いに来てくださったのですか?」
「俺が、私がこの格好をしている事に、驚かないのか?」
「般若の面は、少しだけ驚きましたけれど、"僧職"なのは隠していらっしゃるのは知っているから、黙っていました」
それを表向きには伏せているなら、私は知らないフリをしていた。
「だって、好きな人の事ですから」
もう一度だけ、告白する。
でも、鬼の女の面に阻まれて、大切な人の顔が見ることが出来ない。
「黒佐渡が、俺が"誤解"をしていると、教えてくれてな」
あの、全てを見透かすような眼を持った、四ツ葉様の親友の方。
「"お前が何も知らないフリで、家族に協力している"とも、教えてくれた。
そして、心に修羅を抱えていると」
ああ、本当によく見ている。
私のどうしても、解いて欲しかった誤解を解いてくれていたことに、心から救われた気持ちになる。
「本当に、素敵な尊敬出来る親友でらっしゃるんですね」
そう言ったなら、般若の面が僅かに上がって―――"笑って"くれたのが、判る。
「だがな、お前がやろうとすること見透かしておきながら、それを止めようともしないのも、俺の、私の親友なんだ。
この口で、説得すれば、少なくともお前を、この面の女の様にすることはなかった」
「私が、家族を殺したことは、判っていらっしゃるんですね」
背の高い"般若"が静かに頷いた。
「私は、このまま、この場所にいても、構いませんよね」
その為に、沢山の支度をして、家族の屍すら踏んできたのだから。
「―――」
般若の面が―――"私"が、わたしを無言で見つめている。
「"般若"の面は、鮮烈にその場所にいるが、長く形を留めている事が叶ったことはない」
唐突に、そう仰られて驚いたけれど、貴方が好きで話してくれた、能に出てくる般若の面をつけた"鬼女"は達は皆、祓われ消えていましたね。
「私は、残って留まるように支度をしましたから。そして、貴方の子どもを育てたいんです」
もう、それだけの為に、私は鬼になった。
本当は私を除け者にした家族を、この世界から"除け者"にするだけで良かったのだけれど。
似ても似つかないけれど、貴方の血を引いているだけの女の子を育てたい。
「お前まで潰れる事になる」
眩むような晴天の元で、鬼が語る。
「親となる役割の者が、潰れる。
何も、証明する術はないが、これまでも、これからもそういう因縁だから、入滅後にするという条件で、種だけ残したんだ。
それを科学的に、今の時代と世界じゃ、何も立証する方法はないがな」
そう言って、面を外したなら本当に悲しんでる―――あの時の、"約束を破られ"、悲しんでいる声を出している顔があった。
だから"自分が死んでから"と、願ったし、頼んでいた。
よく判らない"力"で、運命やら宿命やら、説明が出来ない"秘密"に縛られて、自分の一族になる血筋が、いつも般若の面に服うような、人を作り出している。
偶然か必然か、娘となる存在は産まれて数年も経たぬ内に、似ても似つかないが彼女を輩出した家族3人は死んでしまった。
「四ツ葉様にとって、家族が潰れてしまうのは辛いことですか?」
首を左右に振って、八重歯を見せて笑う。
「俺は、家族がいたかもしれないが、"記憶に残る前に、全部潰れていた"。
だから、辛いことはない。
でも、家族はいなくても、私は親友や友達がいるなら、そうでもない、そんな生き方をしている」
"最期"に、良いことがきけた。
そして、いい笑顔も見れた。
「じゃあ、あの娘に、親として関わらないで、せめて良い友達が出来るようにお願いします。
そして、いつか、この世界に四ツ葉様にそっくりな、癖っ毛の八重歯のクソガキが現れたなら、可愛がってやってください」
最期ついでに、小難しい注文を、遺してしまったような気がするけれど、全てを見透かすような眼を持った、"親友"がいるなら、大丈夫ですよね、四ツ葉様。
私も歯を見せるような笑顔を浮かべ、僧侶が手にする般若の面を奪い取り胸に抱き、そのまま屋上の手摺を飛び越える。
死ぬ気になれば、何でもできるね。私があの娘に出来ることは、四ツ葉様と同じ様に、記憶に残る前に消えること。
そうしたら、あの娘は家族を自分が潰したとは"実感"は出来ない。
もしかしたら、私の子の心音が確認出来なかったのも、あの優しい青年との未来が惜しくないと思えたのは、こうやって"潰れる"事が、判っていたから?。
そう考えたら、おかしくて、クスっと笑った瞬間、私の身体は頭から潰れた。
20数年後の建て替えられ、病院の屋上と同じ高さでもある、中高一貫の校舎の屋上。
青空ではなくて、夕方の空。
"彼女"が転落した手摺に近い場所のフェンスで、女学生達が噂話にはしゃいでいる。
「ねえ、ここの学校って前病院だった本当?」
「それは本当らしいよ。結構大きかったのに、20年近く前に1人、屋上から自殺した人が出てから、呪われたみたいに経営が傾いたんだって!」
「何、その死んだ女の人、病院に恨みでも持っていたわけ?!」
「根津先生としては、下校時間過ちゃいそうだから、早く帰ってほしいわけ!!」
ここで、一斉に女子生徒のキャアと言う驚きの声をあげて、仰け反る。
その仰け反った中心に、白衣姿の理科教師の根津とその後ろに体育の蔵元が立っていた。
「後5分で、下校時刻じゃぞ。
しかも暗くなりかけているから、絶対2人以上で帰る、いいかのぅ?」
そう蔵元が言ったなら、女学生達は素直に従い、急いで屋上から出ていった。
「やれやれ、ワシ的には夜よりも、こういった夕方の方が薄気味悪いわい」
「何、どんなのが見えるの?」
霊感皆無の根津が、夕闇の中、他の生徒が残ってないか屋上を見回りながら尋ねる。
「そうじゃのう」
蔵元は、親友が全く気にしないと知っていながらも迷う。
般若の面を愛しそうに抱いた頭の潰れた女性が、この時間に屋上に来たなら彼を懐かしそう見つめている事を、伝えるべきか、止めておくべきか。
「とりあえずは今は知らぬが、"華"にしておくかのう」
と、親友に告げた。
第一巻 了




