第2"窪" 公"死"混同⓯〝二つの殻〟
「その大学の先生であった方が、娘が私生児を産むことになっても許した程の、その父親となる方の存在が立派という事に思えるんですが。
その、姉妹して告白をしたなら、殿方としても魅力的な方だったんでしょうし。
ああ、でも、そういう事を知ったなら、青年はやっぱりどちらにしても、面白くはないですよね」
しかも、振られた後も思い続けていたという、密告の様な手紙も青年に送られてもいた。
ただ青年は恋人の穴埋めに使われ、"腸が煮えくり返る"と思うタイプにも話を聞く限り思えない。
どちらかと言えば、振られたのにまだ追い続けながら、人の良い青年を利用していた、恋人の方が情が強いというか、激情に任せて、とんでもないような事をしそうな印象を受ける。
(揃って振られたから、何とか良かったと思いますが、……でも、あれ?)
もし、妹の性格を"激情型"と仮定していったなら、新たな疑問が岩さんの中にもたげる。
「姉妹揃って、"振られた"けれど、お姉さんは、その本来なら法に触れることを色々とやったかもしれませんが、その慕っていた殿方の子どもを結果的には、孕んで産んでいたのですよね」
振られたかもしれないけれど、片方はその人の子どもを孕み、産んだ事で多くの金も手にいれた。
「ああ、それが、"面白くない人物"がいるよなあ」
心から信頼する檀家さんが、自発的にそこに気がついてくれたことに、僧職には似つかわしくない、"ぶっきらぼう"な口調と大層意地悪い表情を浮かべて、和尚は笑った。
本当に親しい岩さんの前でしか、極力出さないようにしている寿崎松太郎の本性ともいうべき、多少乱暴なところでもある。
突如として出てきた本来の部分に驚きながらも、自発的に浮かんで来た考えをこれ迄の物と置き換えられる箇所で、岩さんは並べかえる。
"面白くない人物"が裏で全ての糸を引いていたのなら、1つの謎を残して納得できてしまう状態が見えてきた。
先程並べた"8"の出来事が時系列や出来事を並び替え、移動して、慇懃な檀家さんの頭の中で動き回って、とりあえず形が整って、そこで顔を上げた。
「今一度、私の思い浮かべた時系列と状況で並び替えて、聞いていただいてもいいですか?。
今度は、その、"青年の恋人の立場で"」
「ああ、此方からもその人の立場での話を頼もうか」
和尚の了承を得てから、檀家さんは改めて"もし、異存がある場合は、私はいつでも構いませんのでお言葉を挟んでください"と言葉を添えてから考えを述べ始めた。
1 最初、ある殿方に姉妹して惚れた。その相手は、医学部の教授という立場がある父親も認める様な人物だった。
2 しかし、姉妹は2人ともフラれてしまった。恐らくは、これは公にも知られていること。
3 姉妹して振られたが、姉妹とも諦めたわけではなかった。そして姉妹の父親は、諦めない事を反対しなかった。
4 ここで、妹はキープ君を作りつつも、まだチャンスを狙っていた。これも伏せられてはいたが、知られている情報。
「その、和尚様、ここで僅に疑問なんですが、惚れている相手と付き合うのと、"相手の子どもが欲しい"というのは、別な感情なんでしょうか?」
この質問に、和尚は黒衣の大きな袖の中で、長い腕をで組んで苦笑いを浮かべた。
「そこ辺りは、大変申し訳無いが門外漢なんでなあ。
嫁の花梨とも、周りが跡取りをと、お膳立てして見合い結婚したぐらいなんでな。
何にせよ、"惚れた"という感情は置いといて、子どもを胎内に宿せるのは、今の世界では女性だけが行える奇跡の1つだと、拙僧は思っておるよ」
そこまで苦笑いで言っておきながら、ツッと目を鋭く細め口許を引き締める。
「ただ、2人の女性が、同時に同じ男に惚れた事を勝ち負けでいったなら。
しかもそれが2人とも振られたというのなら、どんな形であれ、惚れた男の子どもを先に腹に宿した方が、勝者と一般的には思い感じるのではないのかな。
生憎拙僧は、私に腹に命を宿す宿さないということで、勝ち負けの感覚を受け入れたくはないがな。
ついでに孕んだところで、その子どもが良い子に育つかどうかもわからん」
"子ども好きの和尚さん"が、機嫌がが悪くなっているのがわかるので、檀家さんは早々に話を進める。
腹に命を宿す宿さないを、勝負事に巻き込む事は、僧侶も檀家も、認めない。
そんな厳しい表情で話は再開する。
「それでは、ここではお姉さんの方に軍配が上がったという形で、話を進めさせて頂きます」
5 姉は色々と出し抜く形で、惚れた男の子どもを胎内に宿した。そして、恐らくはそれには父親の医学部の教授も協力していた。
「岩さんも、姉妹の父親が協力していたと思うかね?」
「はい、もし、私生児の父親となる方が、例え認知はしなくても、その血を持った者が自分の身内に産まれ、色々と有利になるなら。
そして、子どもを産むとなったら、母親が健在なら、高い確率で助勢を頼むことになるでしょう。
でも、これは妹さんにとったら―――」
もし、自分だけ家族から、除け者になったなら。
しかも、自分も惚れていると知っているのに、家族が姉ばかりを応援していたのなら。
自分だけが、家族から、爪弾きにされるような状態になったなら。
檀家の脳裏に、顔は知らない、気性の激しそうな女性が怨み辛み怒りを抱えて、暗い場所で踞る姿が自然と浮かび上がった。
そして、振り返ったその女性の顔には、本来の意味とは違う意味で、表現が根付いてしまった"般若"の面をつけている。
哭いている、"鬼女"が、いた。
―――パンっと、乾いた音がしていつの間にか俯いていた檀家は、ハッとして顔を上げると、大きな掌で、邪気払いを打ち鳴らした和尚が、ニッと笑っていた。
「それの考えが全て当たっていたのなら、妹は、本当に面白くはないし、淋しいし、辛っただろうな。
だが、もう20数年前の話で、優しい岩さんでも、散らかし魔の愚僧でも、どうにも出来ない話でもあるよ。
さあ、先に話を進めよう」
「はい、和尚様」
促され、僧侶に影の様に忠実な、檀家さんは静かに自分の考えの続きを口にする。
6 無事に子どもが産まれてから、妹は家族から、姉の産んだ子どもの父親に当たる人物を知った。
「多分、妹さんの方は、そのお姉さんと同じ方をまだ慕っていたのでしょう。
けれど、並行して恋人を作る強かさもあったから、家族から、その事を話されなかったという流れも、あったかもしれませんね。
でも、産まれてから初めて知らされるのは、やはり気持ちとしては、辛いものがあったでしょうね」
知らせなかったのは出来れば、同じ人を惚れ、揉めるよりは、姉妹で違う人に惚れている方がいいという、親心もあったかもしれない。
「父親にしてみたなら、"子どもさえ出来ていれば、姉妹のどちらでも良い"という感じだったのだろう。
なら、形だけでも恋人がいない、姉の方に話を持っていったのかもしれん。
そして、もしこれで妹の方を選んでいたのなら、父親は惨劇から免れていたか。
―――っと、すっかり青年の恋人が、黒幕というか、全てを仕組んだ犯人という形の流れで話は進めてしまっている。
しかも、随分流れはスムーズだ」
僧侶は自分に呆れるように、言うと、檀家が申し訳無さそうに頭を下げる。
「すみません、和尚様。神聖なお堂で、私が、ご縁の話を持ち込んだしたばかりに」
「なに、ご縁の方は、そういった岩さんの"能"を知ってから、私の方が"報せてくれ"と頼んでいたからな。
今朝の新聞を読んで話を進めたなら、今日の何処かの時間で、どうしてもこの形になっていたさ。
それに、実を言えば彼の教誨師となって"関わり始めて話を聞いた時"から、考えていた事でもあった。
もし、この毒殺事件に最初から"青年がいなかった場合"をな。そうしたら、途端に風通しはよくなり、この流れになる」
その言葉で、和尚さんがこれ迄、言葉に出さないが、もう幾度となくとこの事について、1人考えているのが判った。
「じゃあ、次にくる言葉も、和尚様は予想がついていらっしゃるのですよね?」
僧侶は静かに微笑むだけで、動かず、そして外は陽が昇り随分と明るくなって、話をする時間が殆ど残っていない。
ただ、敬愛する僧侶が"岩さんの言葉で語られる"のを待っているから、檀家さんは静かに続けた。
7 自除け者にした家族を全て排斥し、そしてその罪の罰を自分では背負いたくなかったから、恋人である青年が犯人になるように仕向けた。
「岩さん、どうして、家族を殺すという言葉ではなく、"排斥"という言葉を使ったんだい?」
ゆったりとした声で、僧侶が確認するように訊ねた。
岩さんの方も言われてから気がついたように、激しく瞬きをし、でも和尚さんに言われた事を素直に考えて口を開いた。
「青年の恋人の方は"殺したい"んじゃなくて、ただ"自分を除け者にする家族が、居なくなって欲しかったんだ"というのを、この話を流れを考えている内に思いました。
幼い考え方になりますが、自分の気持ちを理解してくれない家族、自分だけを除け者にする家族、消えてしまえって。
そして消えてしまえば良い方法が、ただ殺すという事であっただけで。でも、ただ消えるにしても自分の味わった辛さを味わいさせてたくて。それで"毒"という、方法を選んだ。
そして、絶対に"成功"させたいから、自分の恋人を婚約者とする日に、"家族が最も安心する日"に決行した。
もう、彼女が青年と恋人になってからも慕っていた人を、諦めたと見せかける為に妊娠までしてみせて」
青年の恋人の事を考える度、良家の子女にになる女性が、品よく微笑んでいるのに、その顔が般若になってしまう姿が、優しい檀家の頭から離れなくなってしまった。
衣服は現代の物なのに、般若の面の顔に全く違和感がわかない。
それほど、般若の面の持つ"忌まわしさ"が、青年の恋人の女性を覆い包み込んでいる。
「それならどうして自分も、菓子で毒を呷ったんだろう。
それに、こうやって家族を集め、赤ん坊を懐妊し、そして、これ迄起こった状況を鑑みたなら、恋人を自分の家族を殺した犯人に仕立てあげようとしている。
自分の腹の中に宿った命を、代償にして。どうして、彼を巻き込んだ?」
「まずきっと、自分だけが毒を呷らなかった時、真っ先に疑われる事が流石にわかっていたんだと思います。
思えば彼の、警察が考える恋人の家族を殺す動機は、短絡的ではありますが彼の恋人にも当てはまるんです」
《8 恋人の家族の秘密は、恋人一家を全員全員殺害するに至る動機になった》
一人だけ、除け者にしたから。
「ある意味、賭けみたいな気持ちだったかもしれません。
もし、これで生き残る事が出来たなら、自分の方に運が向いているぐらいの。
そして、本当に下衆な勘繰りになりますが、もし恋人の彼女の家族の誰かが助かっていたとしても、きっとその罪を"妹の彼に押し付けていた"、そのという事になっていたと思います」
家族の誰かが生き残ったら、直ぐに犯人は妹と気がつくだろう。
けれど、その罪を突き詰めたなら、"自分達のしたことも"も表沙汰になる。
「相手が認知はしないけれど、法律に触れてま作った赤ん坊のことも、世間に知られてしまいます。
そうしたら、命が助かったとしても、それからの生活がきっと、困窮するのは目に見えている」
それまでの生活の水準を考えたなら、きっとその教師や教授として崇められる生活を送ってきた人達には、耐えられない。
もしかしたら、赤ん坊も法的に取り上げられてしまうかもしれない。
それなら、罪のない青年に全てを押っ被せてしまおう。
そういった事は平然と出来て、なに食わぬ顔をして暮らすことは出来る。
青年が家族を全員殺そうとした動機は、恋人の家族が、家族ぐるみで青年を騙そうとしたからにすればいい。
姉には私生児がいて、妹がしかも同じ相手に二股をかけていたことにを知って、前々から恋人と二人きりの時、暴力をふるっていた芝居も出来る。
そうしたら、泥沼の姉妹の争いは取り立たされるかもしれないけれど、赤ん坊は世間的にただの姉の私生児として、誤魔化す事は出来る。
もし、家族が助かった時の為に、妹は家族殺しの動機を印象付ける為に工作は行っていた。
彼女なら、ゴミに毒を送られてきた封筒を混ぜる事も、彼の仕事鞄の底に密告の手紙を、指紋をつけた上で開封された状態で仕掛ける事が出きる。
そして彼が実はその事を、前もってしっていたとも偽証も可能な立場でもある。
岩さんの考えが、自分の考え至った事に"追い付いた"と察した僧侶は、自分の知っている事実も口にする。
「そういった事が出来る、してしまえる"恋人"だと、青年だった人も、裁判の流れや出てきた証言を見ている内に―――20数年拘置所にいる間に気がついた、というよりは"受け入れた"」
認めたくない出来事ばかりでも、考えて受け入れる時間は、産まれた赤ん坊が成人するまであった。
「でも、やはり、恋人だった女性が生き残っ時点で、疑う方も警察にはいたのですよね?」
自分や和尚がたどり着いた考えに、玄人の警察関係者が一人ぐらいいてもおかしくはないと思って、檀家が訊ねた事に和尚は頷いたが、直ぐに口を開いた。
「だが、疑い、行動を起こす前に、その恋人は自殺をし、そして死んでから、証拠は出てきた。
恋人が死んでしまって、出てくる状況証拠は青年に不利なものばかり。
その不利なものばかりを作ったのは、青年だった人の飛び降りて死んだ恋人なんだよ。
そして不利な証拠や証言達は、そのまま彼の罪を重くしていった。
その流れで、事件としてはやはり、恋人の家族ぐるみで騙されたと、毒を盛った犯人は彼となり、一回目の判決は死刑。
勿論、彼の無実を信じて上告して、争い続ける弁護士団体もいたが、青年だった人の心の方は、20数年という時間をかけて"参って"しまったんだ。
そして、彼の死刑が確定してから、1年過ぎた頃に、初めて私と彼は会った」
青年だった人は、年齢も寿崎より年上で髪は白髪が目立ったが、有髪の僧侶の髪ほど真っ白ではなかった。
顔にも年相応のシワがあるのだが、その面差しは事件が起こった時から止まっている精悍さもある。
挨拶もそこそこに、彼はまず自分の事件のあらましを僧侶に話した。
―――それで次に会うときまで、自分以外なら、誰が犯人に相応しいと思いますか?。良かったら考えてくれませんか?。
松和尚は、了承し、1ヶ月の内に岩さんと考えたのと同じ結論を出し、再び教誨師として拘置所に訪れ、少年の方からは相変わらず断られたので、彼と面会し自分の至った考えを話した。
そして、やはり、こうやって青年だった彼が"決定的に疑われるお膳立て"までしておいて、どうして恋人は病院の屋上から自殺してしまったのかという、謎を最後に添えた。
―――やっぱり、そうなりますよねえ。でも、やはりお坊さんは賢いのですね、僕は捕まってから10年くらいたっても、自殺したという彼女を信じていた。
屈託なく笑う姿は、この人物の人の良さがにじみ出ていた。
―――御坊さん、裁判じゃ信じて貰えませんでしたが、仮に僕が彼女の家族に謀られていたとしても、彼女に僕以外好きな人がいて二股かけられていても、こんな事件を僕は起こしません。だって、人殺しなんて怖いじゃないですか?。
彼を信じる信じないかはともかく、"人殺しは怖い"というのに、僧侶が深く頷いたなら、彼も笑った。
―――そうですよねえ。昔ね、僕がこれでもボランティアをしていた頃に、怖いもの知らずに見える坊主、ああ、お坊さんじゃなくて、男の子がいたんですよ。鳶色のフワフワした髪の毛の男の子。
目付きは鋭く、ひねくれていたけれど、自分にそれなりになついてくれていた事を、少しだけ自慢げに僧侶に語る。
―――その怖いもの知らずでも、可哀想に、人殺しの事件に関わった時があったんです。
懐かしそうに眼を細めて、僧侶に語った。
―――警察の世話になったのを、僕が迎えに行ったなら、あの坊主が眼をウサギみたいに真っ赤にするまで泣いて、吐きもどして怖がってましたから、ああ、やっぱり怖い事なんだなぁって思ったんです。
そして細めていた視線を落として、自分の掌を見つめる。
―――思えば、あの坊主、何となく僕の恋人だった女を怖がって、というよりは、胡散臭い様子で見てたんですよ。
けれど、ボランティアのお兄さんに、坊主が意見をする様な事はなかったという。
―――あの時はね、"彼女"は俗にいう良家の子女だったから、身寄りのなかた坊主がやっかんでいるのかなとばかりに思ってた。でも、坊主の勘があたっていたのかもしれない。
子どもは時として、大人じゃ気がつけない邪気を見抜くこともあると僧侶が穏やかに言ったなら、その通りですね、と笑った。
それから、フッと彼は表情を引き締める。
しかし、瞳は何処を見ているかわからないように定まらない。
―――そういうのを思い出したなら、もしも胡散臭い恋人が自殺していなかったらと、死刑が決まってから、よく考えるようになりました。人殺しは怖い事なんだ、いけない事なんだなって、解っているのに。
僧侶の見間違いでなければ、何処を見つめているかもわからない瞳は、屋内でも判るほど暗く濁った。
彼の纏う"ボランティアに励んでいた青年"という、辛うじてあった薄い"殻"がひび割れていく。
―――嫌な事を恋人の僕に押っ被せて、のうのうと生きていたなら。何が何でもブチ殺す術を、死刑にされる瞬間にまで考えていたと思うんです。
ただ薄い"殻"が、細かく削ぎ落ちていく向こうにいるのは、復讐心にかられる人ではなくて、復讐を終えて、虚無感を抱えている人の顔だった。
―――だから、僕は、もし彼女が自殺が自殺でなかったら、と考えるようになりました。
自分を除け者にした家族を殺した罪を全て、青年に押っ被せて、しかも腹に抱えた青年と奇跡の間に産まれた命すら、上手く罠に引き込む為の"餌"にした。
―――でもそんな奴はきっと何かの神様か、仏様の使いが、見逃すはずがなくて、きっと一番空に近い屋上から突き落としたに違いないって。
虚無感を携えながら笑う人は、決定的な仕上げをし損ねた仏像の表情にも僧侶には見えた。
―――だから僕が公の場にいない代わりに、誰かが、彼女がこれ以上、愚かな事を繰り返さないように、突き落としを先にやってくれたように思えて仕方がなかった。
でも、虚無感の靄に包まれた出来損ない仏の瞳の向こうに、そのどうしようもない般若の女性を愛しする慈悲深い人が未だに残っている。
―――だから、僕は僕の代り彼女を地獄に落としてくれた人の罪を、僕の死でもって背負わなければならないんです。僕は彼女の家族の死は知ったこっちゃないけれど、"彼女を殺した"事は受け入れ、裁きを受けます。
静かに、最後の教誨師としての面談になってしまった時、殻の削げた落ち、法の裁きによって入滅―――死を待つ人は、白髪の僧侶にそう告げた。
僧侶は自分の宗派にならい念珠を両手の中指にかけて、そのまま合掌する。
オン アボキャ ベイロシャノウ
(不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ)
マカボダラ マニ ハンドマ
(偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ)
ジンバラ ハラバリタヤ ウン
(光明を 放ち給え)
眼を塞がれ、その首に荒縄が食い込み、奈落に落とされるその身に、仏の光明があたりますように。
「―――それで、"結局どちらの縁が途切れ、残ってしまったのでしょう"」
敬愛する和尚様から、もう1人の咎人の話を聞き終えて、慇懃な檀家さんは尋ねる。
「少年か、青年か」
どちらの若人も道半、まだ人生の学びの途中で、導を間違い道に迷ったようにしか、僧侶には見えなかった。
勿論、自分もその1人で、ただ運良く道に迷わなかっただけに過ぎないのも、解っている。
「その、誠に身勝手ですけれどもし、2年前の少年なら―――」
もし、大切な和尚様に何かがあったならと、岩さんは不安を胸にいだいた。
「私の身を案じてくれるのは本当に嬉しいが、もし、公にされた"2つの死"の内、片方、どちらでも残っていたなら大変な事になるよ、岩さん。
それにどうせ心配してやるなら、青年の恋人の姉の私生児―――うむ、どうしても前置きの形容が長いな」
松和尚が至極真面目な顔で言ったなら、岩さんはほんの少しだけ肩の力が抜けたように微笑む。
それを見て僧侶も穏やかに微笑んだ。
「その何も咎のない子の事を心配してやった方がまだ、建設的だ。
まあ20数年過ぎているというのなら、もう成人して子供すらいる親になっているかもしれん。
金に目の眩んだ人物が引き取らない限りは、大丈夫だろう。
それに金は適度にあるぐらいが、丁度いい」
そう言ったらスッと立ち上がった。
「岩さん、すまんが新聞やらナイフの片付けを頼むよ。ナイフはまだ靄がかかっているのなら、元の場所に戻しておいてくれ」
「承りました、和尚様」
黒い袈裟の大きな袖にふうわりと風で膨らませて、寿崎は御堂の外へと出ると、陽とその青空の明るさに俄に目が眩んだ。
その眩みが治まったなら、青い空に白く下弦の月も見える。
「―――もし、あの少年の"縁"が残ったとしたら、拘るのは愚僧よりも、"殻"を削いだ若造だろうよ」
一言残し、纏った法衣を脱ぎ、教務主任の寿崎松太郎に戻るために、母屋へ向かった。
「琴城先生、おはようございます!」
「あ、根津先生、おはようございます」
教職員専用の玄関で、根津と琴城は偶然出逢って朝の挨拶を交わしていた。
「朝から、琴城先生に出会えるとは、気持ちが持ち直しました」
「持ち直した?。何か嫌なことでもあったんですか?」
根津は鳶色の髪をボリボリと掻いて、苦笑いを浮かべる。
「んー、ちょっと朝から、苦手な事に遭遇したんですよ、こんな感じに」
「ひゃっ?!」
前に一緒に呑みに行った時に判明した琴城の弱点の項に、根津が長い指を"ツツッ"と這わせたなら、顔を赤くして、軽く悲鳴をあげられた。
「根津、何、朝からセクハラしてるんですか」
年下の同僚の或瀬がいつのまにか後ろにいて、根津と琴城のやり取りを呆れていた。
「きれいな人に、琴城先生に慰めて貰っただけさ」
綺麗な人という言葉に、琴城がまた赤面すると、アッハッハッハと笑って、根津は校舎の中へ入って行った。




