彼の存在
新しい楽譜が届き、パートリーダーの未来は、人数分の楽譜をコピーするために職員室を訪れた。用事はそれだけではなく、まず担任の野口に数学オリンピックに出る決意をしたことを報告すると、
「そうか! よし! じゃあ、資料を渡すからな」
待っていたと言わんばかりに、引き出しからクリアファイルにまとめられた書類を取り出す。
「申し込み期限がギリギリなんだよ。今ここで、書いて行け」
言われるままに、野口の横の席に座り、出された書類に必要事項を書き込む。
「おまえなら絶対やってくれると思ってたよ」
いつになく嬉しそうだ。未来の口からやる気を聞きたくて、期限が迫っているにもかかわらず、待っていたらしい。
「言っとくけど、おまえの得意な微積は範囲外だからな。頭を柔らかくしておけよ」
詳しいことはそれを読んでおけ、と言って未来に書類を渡し、野口は上機嫌に鼻歌を歌いながら職員室を出て行った。しばらくそのファイルの表紙に書かれた、「数学オリンピックに出てみよう」というタイトルを見つめていたが、もう一つの目的を思い出して、コピー機のある小部屋のドアを開けた。
「あ、」
思わず声を上げそうになる。そこには先客があり、城戸が授業で使うらしい資料をコピーしていた。
「もうすぐ終わるから、ちょっと待ってて」
いつもの笑顔で言った。杏奈に告白されて、悩んだりしないのだろうか、と想像してしまう。それとも、そんなことは日常茶飯事で、気にも留めていないのかも知れない。大卒で、すぐ教師になったとして、今は二年目だから二十四歳。七つも年上なのだ。自分の立場で考えたら、それは恋愛対象にはなり得ない差のような気がした。未来がそんなことを考えている間に、枚数を確認した城戸は、コピー機を明け渡してくれる。
「使い方、解るよね?」
未来は頷き、持って来た楽譜を順にコピーしていった。が、狭い部屋に残る香水の香りに心を乱されたのか、最後の一枚になって原紙を枚数に入れてしまっていることに気付き、もう一度最初の楽譜をセットする。すると、そこに菜々子がやってきた。
「終わった?」
「まだ。一枚足りなかった」
「早くしてよね」
溜め息をついて腕組みをする菜々子を自分の母親と重ねながら、未来は再びコピー機に向かう。しかし、後ろに誰か待っていると思うと無意識に焦るのか、紙で指を切ってしまった。鋭い痛みに思わず声を上げ、未来の手を離れた楽譜が床に散らばる。
「もう、なにやってんの? 鈍臭いわね……」
職員室中に聞こえるほどの声で、菜々子が言う。
「譜面が汚れるでしょ? 手を洗って来たら?」
意外に深く切れてしまったらしく、指先から血が滲んで流れた。
「どうしたの?」
菜々子の大声に、城戸が慌てて戻ってくる。菜々子が未来の怪我を説明すると、
「こっちにおいで」
城戸は未来を手洗い場に連れて行き、傷口をそっと洗った。血が苦手な未来は、痛みに耐えながら、顔を背けて為されるがままになっている。
「結構深いね、」
職員室に置いてあった救急箱を開けた城戸は、未来の指を消毒して絆創膏を巻き、
「しばらく、ギュッと押さえておくといいよ」
そう言って、未来の指を握った。未来は急に胸がドキドキしてきて、俯く。
「……大丈夫?」
城戸は指を握ったまま、未来の顔を覗き込んだが、やがて笑いながら、
「緊張してる? すごく、脈が速いよ」
からかうように言った。自分でも、赤面しているのが解る。咄嗟に否定しようと顔を上げると、目の前に城戸の綺麗な顔があって、今度は息が止まりそうになった。
「ホラ、もう血が止まった」
城戸の細い指が離れ、見ると本当に出血が止まっているようだ。
「……ありがとうございました」
早口に言って、未来は逃げるように職員室をあとにした。どうしていつも、こうなるんだろう。仕組まれた罠のように、未来をどんどん深みに引きずり込んでいく。未来が困っているとき、いつも近くにいて手を差し伸べてくれることが、偶然なのかそうでないのか、ハッキリ知りたかった。階段を駆け上がり、音楽室に飛び込んだ未来は、菜々子の顔に、楽譜を忘れて来たことに気付く。
「あんたの楽譜、持って来てあるよ」
そう言われて心底ホッとし、改めて受け取った楽譜をメンバーに配った。
「未来くん、怪我したの? 大丈夫?」
菜々子が言いふらしたのか、杏奈が声をかける。屋上で話してから杏奈は、数日の間部活を休んでいたが、先日、いつもの笑顔を取り戻して音楽室に現れ、事情を知る部員たちの前で部活を辞めたいと言ったことを謝った。
「うん、ちょっと指切っただけ」
言いながら、職員室での出来事にまた、顔が熱くなる。
「先輩、どうしたんですか? 顔、赤いですよ?」
「な、何でもないよ、ホラ、早く譜面をしまえ」
その日の練習は、ピストンを押す指が痛むたびに鼓動が乱れて息継ぎが上手くできず、譜面台を片付けた未来は大きく溜め息をついた。部員たちが帰り、いつものノートを開いても、思うように集中できなくて、苛立った未来は立ち上がり、準備室のドアを開けた。楽器ケースの中の、シルバーに輝く曲線を布でそっと撫でながら、そこに歪んで映る自分の顔を見つめる。ふと思い立って、携帯を取り出し、沙耶を呼び出した。ちょうど部活を終えて友達と話をしていたらしい沙耶は、いつものジャージ姿で音楽室に現れ、
「今日、会いたいと思ってたの」
と、嬉しそうに未来の首に腕を回して抱きついた。その豊満な胸に興奮する自分に安堵しながら、ジャージのファスナーを下げ、沙耶の服を脱がせる。
「やだ、こんなとこで?」
「うちまで我慢できないよ」
いつになく、自制心が弱っていた。イヤだと言いながら、沙耶は自分で下着を脱ぐ。薄暗い準備室の楽器たちが、二人をジッと見ているのか、幾つもの視線を感じた。
「超コーフンしたね」
帰り道、沙耶が言った。ようやく落ち着きを取り戻していた未来は、笑いながら沙耶の手を取った。小さな手でギュッと握り返してくるのを可愛いと思ったが、忘れていた指の痛みに、また胸がドキン、と鳴る。ちょうど駅に着き、未来はさりげなく、手を離した。
数学オリンピックの資料に一通り目を通し、過去問、と野口のぶっきらぼうな字で書かれた数枚の問題用紙をパラパラとめくった未来は、意外に簡単な問題が多いことを知った。頭を捻らなければ解けない難問ばかりかと思いきや、基礎さえ理解していればできそうに思える問題も多く、試しに一問目を解いて答え合わせをし、それが正解だと確認して少し嬉しくなった。劣等感を感じることが多い進学校での学校生活だが、トランペットと数学だけは未来の味方をしてくれる。未来は密かに、野口に感謝した。
休日の朝、ようやく家族にそのことを打ち明けると、
「すごいじゃない! 未来は数学、得意だもんね」
瑠未が感心したように言った。
「そんな大会があるとは知らなかったな。負担にならない程度にやるんだぞ」
「また、当日に熱を出すんじゃないでしょうね。寒い時期だし、体調管理はしっかりやるのよ?」
口々に述べ、一応、応援してくれるのが解った未来は、満足して庭に出た。その音に、日なたで転がっていたミミが飛んでくる。十一月に入って朝晩の肌寒さが増していたが、外で日光を浴びるには丁度良い気候だった。
「未来と一緒にいられるのも、あとちょっとね」
ミミと戯れていた未来に、瑠未がそう声をかけた。隣に並んで、裏返ったミミのお腹を撫でながら、
「北海道は、寒いんだろうな」
と呟いた。瑠未が目指すのは、医者の道。H大を受験することが、決まっている。他に幾らでも医学部のある大学があるにもかかわらず、あえて遠くを選んだ瑠未の気持ちが、未来には解らなかった。どうしてH大なの、と聞けばすんなり答えてくれるかも知れないが、聞けずに黙っていると、
「将来は、パパと一緒に開業するんだ。女なのに、若先生、とか呼ばれちゃってね。そしたら、未来が風邪ひいた時は、私が診てあげる」
瑠未は小さい頃から面倒見が良く、体が弱くて内気な未来を、この上なく可愛がってくれた。年子と言っても、男と女では精神的な成長が著しく違い、物心ついた時から未来はいつも、大きく見える姉の背中に隠れて甘えていた。その生活にも、終わりが近づいている。
「まあ、今はインターネットがあるから、いつでも顔、見れるけどね」
瑠未は自分に言い聞かせるように言って、オリンピック頑張りなさいよ、とリビングに戻って行った。
「……もう受かったつもりなのがすごいよな」
何も考えていない顔のミミに、話しかける。
「まあ、医者は向いてる気がするけどさ」
陽射しの暖かさとは裏腹に、言いようのない寂しさに襲われるのを感じた。次の春、彼女は間違いなく、この家を出て行くのだろう。瑠未は完璧主義で、確実にできると自分で判断したことしか、実行しない。ピアノはもうやめてしまったが、発表会で弾く曲を練習する時も、上手に弾けるようになるまでは部屋に籠り、音を小さくして練習していた。もう間違えないと解って初めて家族に披露するような、そんな子供だった。しかし、他人には寛大で、自分以外にその完璧を求めたりはしない。病気がちで体も小さく、学校までの通学路、息切れがしてしょっちゅう立ち止まる未来を優しく振り返る瑠未の姿が思い出され、未来は不意に涙が出そうになった。
「クゥーン……」
ミミが急に起き上がって未来の顔を舐める。未来の気持ちを感じ取ったのか、いつになく不安げな表情に、吹き出しそうになった。
「おまえに心配してもらわなくても、大丈夫だよ」
未来はそう言って、もう一度ミミを裏返し、お腹を撫でた。
初めて訪れる別れを、受け止めなくてはならない現実。その日を思うと、未来の心は寂しさに震えた。
本格的な冬の到来を待たずに、街はクリスマス一色になっていた。買い物がしたいと言う沙耶と一緒に人混みを歩きながら、未来はその騒がしさに驚いてしまう。大音量で流れる様々なクリスマスソングは、往来のあちこちでぶつかり合い、途切れることなく繰り返された。普段から音にはうるさい吹奏楽部員だが、ここまで雑多だと逆に不協和音にならないことは、新たな発見かも知れない。
「ねえ、先輩はクリスマスプレゼント、何が欲しい?」
沙耶は未だに、未来を先輩、と呼ぶ。未来も敢えてそのままにしていた。
「別に、何もいらないよ」
「えー? つまんない。ね、お揃いの何か、買おうよ」
女子はみんな同じだ。すぐにお揃いにしたがる。
「沙耶が決めていいよ」
「ホント? じゃあ、指輪がいいな。ペアリング、」
頷きながら、結局いつも沙耶にリードされている自分に、これでいいのか? と問いかけてみる。姉に甘えて育ってきた未来の体には、その性質が完全に染み込んでしまっているのだろうか。
二人は通りに面した店を何件かまわり、沙耶は洋服を、未来はスニーカーを買った。この間、庭に出る靴脱ぎ石の上に置き忘れたら、翌朝、見るも無惨な姿になって発見されたからだ。その残骸を口にくわえ、嬉しそうに尻尾を振るミミを見たら、叱る気も失せてしまった。
「ミミちゃんは、先輩の匂いがして、嬉しかったんだよ」
もう一足、庭用のスリッパが置いてあるにもかかわらず、未来の靴だけを狙ったことを話すと、沙耶は笑いながら言った。沙耶の家は猫を飼っていて、その素っ気なさを時々嘆いている。
「すっごく甘える時もあれば、こっちが抱っこしたいのに、フン、って行っちゃう時もあるんだよ。ミミちゃんは、いつも甘えてくれるから、大好き」
動物好きの沙耶は、ミミにすごく甘い。しかし躾もちゃんと心得ていて、しっかりおすわりとお手をするまでは、おやつを与えなかった。
「沙耶は獣医になるんだろ? 大学は、もう決めたの?」
「うん、H大」
瑠未と同じ志望校に、未来は驚いた。他に幾つも大学はあるのに、とそのわけを尋ねると、
「中学のとき読んだ漫画でね、獣医さんを目指す学生の話があって、その舞台がH大なの。すっごく面白そうだったから、」
思いもしなかった理由にポカンとしていると、
「先輩は? 何になるの?」
「……まだ解んないや。もうちょっと、考えてみる」
自分のことになると、急に不安になり、未来は慌ててその話題から逃げた。
冬休みが近づいたある日の放課後、ようやく癖になってきた部活のあとの受験勉強で、未来は数学オリンピックの過去問を解いていた。未来にしか解らない走り書きが、ノートを埋めていく。簡単だと油断したが、種類は様々で、たった一行の問題なのに、一時間かかってやっと答えが見えてくるものもあった。そういう類いの問題は、糸口を見つけ出すために、頭の中をフル回転させる。それが早く見つけられるかどうかが、能力の差だった。
やっとその難問を解く目処がたち、ペンを置いた未来は、また時間が経ちすぎていることに気付いた。いつの間にか電気がついていて、後ろの机で何か作業をする城戸を見つけ、邪魔をしないように気遣ってくれることを有り難く思いながら、机の上を片付ける。立ち上がると、城戸はすぐに気付いて、すごい集中力だね、と褒めた。城戸は期末試験の採点をしていたようで、ちょうど区切りがいいから、とその答案用紙の束を整えた。
頭を使いすぎたのか、ひどく頭痛がしてきて、ノートをカバンに入れた未来は、思わずこめかみを押さえた。カーテンを閉めていた城戸は、動きの止まった未来の様子を気にして、どうしたの? と声をかける。
「何でもないです」
未来はそう言って、頭を軽く振り、いつものように鍵を締めた。しかし、廊下を歩きながら、振動で頭がズキズキして、だんだん歩く速度が遅くなってしまい、それに気付いた城戸が立ち止まる。
「大丈夫?」
あまりに心配そうに見るので、未来は仕方なく頭痛の原因を説明した。
「考えすぎると、時々こうなるんです」
すると城戸は、未来を職員室に連れ帰り、珈琲を飲めるかと尋ねた。職員室の奥にはミニキッチンを備えた休憩室があり、教師たちはそこで自由に休憩ができる。城戸は椅子を引いて未来を座らせ、慣れた手つきで、珈琲を淹れてくれた。
「これを飲めば、多分良くなると思うよ」
猫舌のため、慎重に冷ましながら飲む。ミルクも砂糖もたっぷりで、その甘さにホッとした未来は、思わず微笑んだ。
「疲れた時は、甘いものが効くんだよ」
同じように珈琲を飲みながら、城戸が言った。勉強しすぎた時の頭痛は、ブドウ糖が足りないサインらしい。城戸の言葉は、その穏やかな口調のせいなのか、声の周波数のせいなのか、不思議なほどスッと頭に入る。城戸が教えれば、他の授業の理解度も高いのではないかと想像してみた。甘いものが好きだとか、寒い冬は嫌いだとか、共通点を探して他愛のない会話をしていると、意外と話しやすいことに気付き、今まで変に構えていたことが馬鹿馬鹿しくなる。生徒たちに人気があるわけは、この容姿だけではないのだ。人見知りをする未来は、どうしても人を見た目で判断しがちだが、そろそろ治さなくてはならない気がした。
しばらくして、何処かから着信音らしきメロディが聞こえてきた。どうやら、職員室にある城戸の携帯のようだ。
「出なくていいんですか?」
「大丈夫。あとでかけ直すから、」
相手が解っている様子に、未来の頭には、保健室の木村のことが浮かんでいた。以前に南が城戸と付き合っていると言っていたが、杏奈が直接聞いて、彼女はいないと答えたらしい。どちらが本当なのか、こんなにも気になる理由に、未来はそろそろ気付いていた。
「未来、っていい名前だね」
不意に名前を呼ばれ、ドキン、と胸が鳴った。小さい頃は、未来ちゃん、とふざけた同級生にからかわれたりして、その女子の名前のような響きが気に入らなかったが、意味を理解できるようになって、好きになった。それでも褒められると何だか恥ずかしくて、
「小学校のとき、女の子みたい、ってよくからかわれました」
すると城戸も、解るよ、と笑う。
「僕もそうだったから」
そうだろうな、と思わず笑ってしまった。が、唯という名前は、この教師に、本当によく似合っていると思う。凛とした響きと、柔らかさとの調和が、中性的な城戸の雰囲気そのものだったから。しばらく名前について話していると、今度は未来の携帯が鳴った。あまりに帰りの遅いのを心配して、母親がかけてきたのだ。
「引き止めてごめんね」
未来の頭痛を治そうとしてくれたにも関わらず、叱られたら僕のせいにしていいよ、と言って詫びた。未来を下駄箱のところまで送ると、
「数学オリンピック、頑張ってね」
と、優しい笑顔で言った。
学校からの坂道を下りながら、未来はいつの間にか、頭痛が何処かに消えていることに気付いた。星が輝く空を見上げ、大きく深呼吸する。冷えた空気が体中に行き渡り、何だか気持ちがいい。吐く息が白くて、気温の低さがうかがえたが、未来は全然寒くなかった。それは、体だけでなく、心まで温かかったから。未来は、城戸の優しい態度が、決して自分だけでなく誰にも分け隔てないものだと承知しながら、それでもあの時の杏奈のように、自分に対してだけのものであるかのような錯覚に陥りそうになって、そのたびに、自分の心に警告を与えてきた。でも……。
未来はこの気持ちがこの先どこへ向かうのか、自分でもまだ解らなかったが、こうやって時々、城戸と会う機会ができることを望んだ。それくらいは、許される。一人の生徒と個人的に親しくすることはできない、と言った城戸自身が、未来と二人の時間を作っているのだから。
家に着いた未来は、叱られるということなどすっかり忘れて、ただいま、と元気にドアを開けた。
結局クリスマスは、沙耶の言いなりにお揃いの指輪を買い、学校でもつけてね、と言われてそれを守っていた未来だったが、案の定、すぐ俊介に指摘されて溜め息をついた。
「薬指にして、って言われたけどさ、そんなの恥ずかしくてできないよな」
未来はそれだけは無理、と、人差し指に入るサイズを買った。
「でも、お似合いだよ、おまえら」
可笑しそうに、俊介が言う。相変わらず優位に立てないことを不満に思いながら、毎回沙耶に振り回されていた。それでも、沙耶といると楽しくて、殆どの週末を一緒に過ごしている。お互いの気持ちの大きさが釣り合っていることの心地良さを、未来は初めて感じていた。それに、年下というのも、幼い未来には丁度いい。菜々子との時は、何かにつけて自分の能力の低さを感じて落ち込んだものだが、沙耶の成績はともかく、歳が下だというだけで、随分気が楽だ。試験の点数を聞かれることもない。
期末試験の全ての答案用紙が戻り、また英語の点数が上がったことに満足した未来は、来月の数学オリンピックに向けて、単語の書き取りは休憩することにした。冬休みの間中、部屋に籠ってひたすら過去問を解く。もともと数学が好きな未来には、それは全く苦痛ではなかった。母親も、未来が勉強していると解ると機嫌が良く、部屋にケーキを運んでくれたり、簡単な夜食を作ってくれたりと、妙に優しい。
「でも、あんなに勉強キライだったのに、急にどうしたの?」
おせち料理を囲んで新年の挨拶をした直後、母親が言った。瑠未もからかうように、
「好きな子に、何か言われたんじゃないの? やる気になる一言ってやつ、」
「理由なんてないよな? 男はやらなきゃいけない時は、黙ってやるんだよ」
余計な会話を避けるため、未来は父親の言葉に大きく頷いた。しかし内心、志望校も、目標とする偏差値もない自分がこんなにも勉強に一生懸命になっていることが、不思議で仕方ない。勿論、誰かに強制されたこともなければ、負けたくない相手がいるわけでもない。今まで人と争ってまで手に入れたいと思った物もないし、その闘争心のなさを不甲斐なく思う程だった。それなのに。
和気あいあいと食事をする家族の会話の中に、担任でもない城戸の名前が出ることが日常になっていた。やっぱり、彼は自分にとって、特別な存在。ハッキリと認識することは、意図的に避けてきたけれど、それは事実だ。彼が応援してくれるから。彼が見ていてくれるから、頑張れる。そして未来はふと、気がついた。自分が負けたくない相手……それは、自分自身だろうかということ。何でもすぐに諦めて、諦めてしまったもっともらしい言い訳を探す、狡い自分。争いを避けてきたのは、負けるのが怖かったからだ。それなら、今度は絶対に負けるわけにはいかない。劣等感だらけの、弱い自分を、そろそろ卒業する時が来たのだ。
そして将来のこと。全く見えなかったものが、今ようやく、少しだけ、見えてきた。ずっと数学と向かい合ってきた結果、未来は自分がすごく数学が好きだということに、改めて気付かされ、自分の進む道は、これしかないと思い始めていた。たとえ就ける仕事が少なくても、構わない。できることを突き詰めて行けば、道は開ける、そう信じて行こうと。
短い休暇が終わり、幸い体調を崩すこともなく、未来は数学オリンピックの会場に来ていた。付き添いの野口は、いつも通りやれば大丈夫だ、と未来の肩を痛いくらいに叩く。見るからに頭の良さそうな生徒が集まる中で、予選くらいは勝ち残りたいと思いながら試験が始まるのを待っていると、カバンの中で、携帯の音。マナーモードにし忘れたことを思い出し、慌てて取り出す。見ると登録されていない相手からで、気になった未来は、まだ開始まで時間があることを確認して、そのメールを開いた。
『未来、頑張れ』
時間が、止まったかのように感じた。周囲のざわめきが消え、ただ自分の鼓動だけが耳元で聞こえる。その短いメッセージの下の、Yuiというローマ字を、食い入るように見つめていたが、開始五分前のアナウンスが聞こえ、未来は急いで携帯を仕舞った。アドレスを、誰に聞いたのか。そんなどうでもいいことを、まず考えている自分。油断すると涙が零れそうで、未来は震える手を握りしめ、とっくに暗記している公式を、何度も暗唱した。
たった三時間。あっという間に制限時間になり、それでもビックリするほどスラスラと回答できた未来は、笑顔で担任のところに駆け寄った。
「そうか、それなら間違いなく本選に残ったな」
満足げに頷き、未来に缶珈琲を奢ってくれる。ちょっぴり苦かったけれど、未来は職員室で飲んだ甘い珈琲を思い出して微笑んだ。
帰宅した未来は、今日の出来映えを家族に報告し、ひとしきり褒められたところで、自分の部屋に戻った。あらためて、さっきのメールを開いてみる。返信しようかどうか、散々悩んだ挙げ句、思いとどまってベッドに仰向けになった。目を閉じて、気持ちを落ち着けようと努力しているところへ、
「未来、入るよ?」
と、瑠未が顔を出した。来週のセンター試験に向けて、最後の追い込みをかけているのかと思いきや、母親とケーキを買いに行っていたらしい。
「一緒に食べない?」
甘いものが好きな未来は、粉砂糖のかかったシュークリームに惹かれて、手を伸ばした。いつもなら部屋まで運んでくれたりしない瑠未に、何か話があるのかとうかがっていると、
「今日、何かいいことあった?」
「……だから、問題が簡単だったって、」
「そうじゃなくって。ほら、他に何か、あったんじゃない?」
何のことを言っているのか、未来はしばらく考えた。頭の中に浮かぶのは、たった一つ。何にも例えようのないほど、嬉しかった。しかし、万が一そうだったとしても、瑠未がそれを知り得た理由が解らない。黙っている未来に最後のシュークリームを勧めて、
「今朝、未来が出掛けてから、電話があったの。未来の携帯のアドレスを教えてほしい、って」
瑠未はそれが誰からかをわざと言わずに、話を続けた。
「いくら学校の先生でも、勝手に教えちゃマズいかな、って思ったんだけど、何か、どうしても伝えなきゃならないことがあるって言うから、」
自宅に電話をしてまで、自分にメールをくれたことに感動していると、瑠未はさらに続けた。
「私、こういうことって何故か解っちゃうのよね。コンクールのとき、未来があの人と話してるの見て、ピンときちゃった。あんた、城戸先生のこと、好きでしょ」
ストレートすぎて、動揺するまでに数秒かかった。可愛い弟のことだから解るのかな、と首を傾げる瑠未に、
「もしそうだったとしたら、どうすんだよ?」
「どうするって?」
「あの人も俺も、男だってこと」
言ってから、自分の言葉に傷つくのが解った。瑠未はしばらく考えて、
「好きになったんだったら、仕方ないんじゃない?」
軽く言って、さあ勉強しなきゃ、と部屋を出て行った。その足音が隣の部屋のドアの向こうに消えてからも、しばらく呆然としていた未来だったが、ようやく平常心を取り戻し、もう一度城戸からのメールを眺める。未来、と呼んだことなどないくせに、敢えてそうしたのは、未来の気持ちを見透かしてのことのように思えた。どんどん、引き寄せられていく。勢いのついた物体が、自らその動きを止められないように、未来の心は制止するもう一人の自分を振り切って、走り出そうとしていた。辛うじて、その時鳴った沙耶からの電話が、未来を遠くから牽制してくれた。
翌月の数学オリンピック本選を、未来はみごとAAランクで通過した。本選通過のラインを、大きく上回ったという証拠だ。本来ならこのランク以上だと、春の合宿に参加してさらに勉強する機会を与えられるのだが、未来はそれを辞退した。何故なら、それよりも夏の吹奏楽コンクールに向けて、そろそろ動き出す頃だと解っていたからだ。野口もそれは理解してくれて、おまえの実力は充分解った、と嬉しそうに言っていた。
それでようやく今まで通りの生活に戻って安心した未来は、少しくらいのんびりしても許されるだろうと、こたつに潜ってテレビを見ていた。バレンタインデーに沙耶がくれた手作りのチョコは意外に美味しくて、ついつい手が伸びる。そんなだらしない恰好の未来の隣に、仕事を終えて帰ってきた父親が座った。
「そんなことしてると、風邪ひくぞ」
もっともなことを言われて仕方なく起き上がると、
「未来は志望校を決めたのか? お姉ちゃんが終わったら、次はおまえの番だぞ?」
担任でも最近言わなくなったことを、と思いながら首を横に振る。瑠未は先日、入試を終えて、結果待ちだ。あとは滑り止めの大学を受けるのだが、行く気もない大学を受験する苦痛をしょっちゅうこぼしている。
「どこでも、未来の好きなところを選んでいいんだよ? 極端な話、日本じゃなくたって構わないんだからな」
突拍子もないことを言い出して、一度は聞いたことのある外国の名門校を幾つか並べた。
「海外は日本と違って、一つのことに突出していれば、そこをどんどん評価して伸ばしてくれる。未来にはピッタリじゃないか。なあ、ママ」
思いつきで喋っているのではなかったらしく、父親はキッチンで夕食の準備をしている母親にも声をかけた。
「それには、苦手な英語をなんとかしなきゃね」
いつも嫌味とも取れることを言って未来を攻撃する。父親はそれを、いつもかばった。
「でも、最近英語も少しはできるようになってきたみたいだし、考えてみたらどうだ」
恐ろしく前向きな父親に、当事者である未来はついて行けず、混乱しただけだった。まあ、言いたいことは、好きにしていいということなのだろうが……。そもそも、やりたいことがなんとなくでも決まっていて、学部を決め、志望校を決めるのだ。未来にはそれがなくて、困っている。ただ数学が好きで得意だというだけなら、それこそどこでもいいから大学に入って、教授にでも学者にでもなればいい。
「それも違うんだよな」
呟いた未来は、勉強の邪魔になるかな、と思いながらも、瑠未の部屋をノックした。
「どうしたの? 珍しい」
もう何年も入ったことのない姉の部屋。想像したよりずっと殺風景で、いつもリビングにいるわけが解った気がした。
「瑠未はなんで、医学部に行こうと思ったの?」
思いがけない質問だったのか、驚いた顔をした瑠未は、まあ座って、と未来にベッドを指した。
「それはね、ナイショ。小学校の二年生くらいで、もう決めてたかな」
「……そうなんだ。すごいな」
あらためて、自分との差に驚かされる。
「未来は、数学がこんなに得意なんだから、それだけで充分だと思うけど? 将来の仕事なんて、大学行ってから考えればいいんじゃない?」
数学だけを勉強できる学科があるという話や、父親と同じように、海外の大学の話をしたあと、
「志望校は、単純に好きな人が行ってたから、とか、あの芸能人が通ってるから、とか、そういうミーハーな理由で決めちゃえば? 私は、この教授の講義が受けてみたい、っていうのがあって選んだけどね。城戸先生に、何処の大学だったか聞いてみたら?」
最後の一言は余計だったが、意外なところで瑠未がH大を選んだ理由が解った。聞けずにいたことがバカバカしくなった未来は、胸のつかえが取れた気がして、自分の部屋に戻る。数学以外に興味がないなら、他に何でもできる生徒より、志望校を決めるのは簡単なことなのかも知れないと思えてきた。
部活のあとの自主的な居残りを再開した未来は、苦労して覚えた単語をすっかり忘れていることに愕然とした。記憶力が悪いことは承知していたが、ここまでとはガッカリだ。仕方なく、もう一度最初から始めることにし、年末にしるしを付けたところに戻るまで帰らないと決めて机に向かう。が、さすがにいつもの量をはるかに超えて疲れを感じ、少しだけ休憩しようと立ち上がった。
窓に付いた結露が、外の気温の低さを物語っている。ほんの少し窓を開けてみると、隙間から吹き込む凍り付くような風に、火照った頬が瞬時に冷めた。この学校は、冷房はないが、暖房だけは必要と判断したのか、どの教室にも完備していて、その吹き出し口に近い席になると、昼食後の授業は眠気との戦いになる。未来はその結露した窓に、ある文字を書きかけて思いとどまり、全く意味のない模様を描いた。
自分の住む街の夜景を眺めるのは、初めてかも知れない。意外なことに気付きながら、未来はしばらく、その景色に見入った。遠くまで続く灯りの海に、昼間より遥かに広く、違う街のように感じるのが不思議だ。真っ暗な空に星は見えず、その深さもまた、計り知れない。
窓に書いた模様が、流れる水滴ですっかり何だか解らなくなる頃、入り口のドアが開く音が聞こえた。濡れた窓に滲んで映る城戸の姿に、ドキン、と胸が鳴る。
「休憩中?」
あのメールを受け取って以来、言葉を交わすのは初めてだった。メールに返信はしておらず、それについて弁解しようか悩んでいると、未来のノートを見た城戸が、
「綺麗な字を書くね」
と褒め、窓際の未来に並んだ。いつも何処か良いところを見つけて、褒めてくれる。この教師が生徒を叱る姿など、想像できなかった。
「あの、ありがとうございました」
それだけで城戸には伝わったようで、どういたしまして、と柔らかい口調で言う。すっかり慣れたはずの彼の香水が、今日はとても切なく感じた。あの時の気持ちがよみがえり、すぐ側に並んだ城戸の胸に飛び込みたい衝動に駆られた未来は、思い切って顔を上げた。城戸の優し気な茶色い瞳が、未来の目を見つめる……。
しかしこんな時に限って、邪魔な自制心が働いて、未来は溢れそうなその気持ちを、やっとのことで胸の奥に押しやった。再び俯いた未来に城戸は、
「苦しそう」
その言葉に、それはあなたのせいだと言いたかったが、それも全て閉じ込め、未来は心に頑丈な鍵をかけた。
「……先生は、どうやって志望校を決めたんですか?」
ずっと前から聞いてみたいと思っていたことを、やっと口にしていた。いつ見ても生徒に囲まれているほど人気のこの教師が、どこの大学を出ているのか、噂にも聞いたことがない。
「流されるまま、かな。君の偏差値はこのくらいだから、ここがいいんじゃない? って。その大学は実家からは通えなくて、一人暮らしをしてみたかった僕には、それも理由だったのかもね」
未来はそれを聞いて、幾らか安心していた。誰もが確固たる自信を持って、こういう目的でここに行きます、と答えるわけではない。ただ、どこの大学かは聞けず、また俯く。
「さっきから辛そうなのは、それが原因?」
城戸は優しく、そう尋ねた。
「志望校が、決められないから? それとも、別のこと?」
気遣うように未来を見つめる瞳。どうしてこんなに優しく接することができるんだろう。それが時に相手を苦しめていることに、気付いているのだろうか。未来は半ば恨みのこもった眼差しを向けてしまいそうになり、目を逸らした。
「……結果、聞いたよ。野口先生から」
城戸はそれ以上未来を追いつめるようなことはせず、話題を変えた。見ると、さっきの未来と同じように、窓に何か書いている。筆記体の文字……その指の動きを辿ってはいけない気がして、視線を外す。
「職員室中に、自慢してみえたよ。うちの森下はすごいだろ、って」
野口が得意げに語る様子が目に浮かび、未来は思わず顔を綻ばせた。自分に自信のなかった未来に、これだけは負けないというものを見つけさせてくれた野口には、本当に感謝している。
「頑張ったね、未来」
その言葉は、あの日のメールと同じように、未来の心に染み込んだ。嬉しさだけではない、色んな感情が入り交じった涙が溢れ、思わず顔を背ける。その瞬間、城戸の腕が、ふわり、と未来を包んだ。
「大丈夫。未来ならきっと、全部うまくいくよ」
温かい胸の中で、未来は言いようのない安らぎに、涙が止まらなかった。まるで天使の羽根に包まれているような心地良さ。夢なら覚めないで欲しい、そう思える。これ以上の優しさを、未来は知らなかった。同時に、もう離れたくない、そんな強い気持ちが芽生えるのを、必死で抑えていた。
瑠未の合格通知が届き、家の中は急に慌ただしくなった。母親は毎日のようにパソコンに向かい、勉強から解放された瑠未と一緒に部屋探しに夢中だ。父親も、パパより優秀な医者になるなよ、などと冗談を言って笑っているが、未来は素直に喜べなかった。十七年もの間、同じ屋根の下で暮らしてきた家族が、ある日を境に遠くに行ってしまうこと。お姉ちゃん子だった未来にはそれが、この歳になって、今までに味わったどんなことよりも悲しかった。それを顔に出すまいとして、知らず知らずのうちに口数の減っていた未来に、父親が声をかける。
「どうした、未来。具合でも悪いのか?」
黙って首を振ると、側に来て額に手を当てる。
「熱があるじゃないか。我慢せずに言いなさい」
全く自覚のなかった未来だが、すぐにベッドに入るように言われ、自分の部屋に戻った。言われてみると、体がだるい気がする。母親が持ってきた薬を飲み、うとうとしていると、今度は父親が部屋を尋ねてきた。
「この部屋はいつも散らかってるな、」
呆れたように言いながら、未来の側に座る。
「何処か痛むか?」
「大丈夫」
そう答えた未来に、おまえの大丈夫は全然当てにならないからな、と笑う。
「お姉ちゃんが医者になろうとしたわけを知ってるか?」
突然、そんなことを言った。以前本人に尋ねたが教えてもらえなかった。未来が首を横に振ると、
「小さかったから覚えてないかも知れないけど、おまえは生まれたときから体が弱くて、しょっちゅう具合を悪くして入院してた。元気に遊べる時がホントに少なくてさ。瑠未はいつも、未来が可哀想だって泣いてた。でもある日、大きくなったら立派なお医者さんになって、未来のこと元気にしてあげるって言いだした。パパじゃ頼りにならないって言われたみたいで、ちょっとショックだったよ。でも、あんなに優しい子なら、きっと立派な医者になれると思わないか?」
未来はその話を聞きながら、涙が止まらなかった。寂しい、寂しいと思うあまり、これから遠く離れて自分のために医者になろうとした姉を、素直に応援することができなかった。
「瑠未はまたここに帰ってくるよ。だから、寂しいのは今だけだ。お姉ちゃんに、おめでとうって言ってやりなさい」
父親はそう言って、子供の頃よくしてくれたように、未来の頭を撫で、部屋を出て行った。
桜の花がちらほらと咲き始めた頃、瑠未は元気に旅立っていった。空港で泣きながら手を振る母親に、メイクが落ちるから泣かないで、と言いながら、瑠未も涙ぐんでいた。思えば、瑠未が泣いたところを、未来は見たことがない気がする。そんな強さと優しさを兼ね備えた姉の思いを知ってから、もっと強くなろうと心に誓い、未来は必死に涙をこらえた。
「まあ、盆と正月には、帰ってくるんだろうけどな」
ぽつん、と父親が言う。
「そうね。ホタテを、送ってもらおうかしら」
ひとしきり泣いた母親は、ハンカチで涙を拭きながら、新婚旅行で行った函館漁港のホタテが絶品だった話を始める。しかも、
「あとは未来、あんたの進路が問題ね。そろそろ決めなきゃ勉強がどっち付かずになっちゃうわよ」
いつもの嫌味が的を射ていて、未来は思わず言葉に詰まった。
帰宅して、急に静かになったリビングが寂しすぎた未来は、自分の部屋に閉じこもった。隣の殺風景な部屋に、瑠未はもういない。前に進むということは、誰かとの別れでもあることを、未来は知った。
進路のことは、未来の中で、徐々に形になりつつある。しかし、まだ誰に相談したわけでもなく、心の中だけの決定事項だった。今はそれを温めて、心の卵から生まれる瞬間を待つのだ。