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武蔵酒造

 午後一時ごろにスタートした対戦だったが、気付けばもう六時を回っている。対戦結果から言えば白星は両手の指で数えられる程だ。今はもう完全グロッキーになりながらもキャラ選択と、両の手が覚えた操作を繰り返す。

 対戦中にくだらない会話を繰り返していたせいか、口の中はすっかり乾いて粘度の高くなった唾が絡む。頭の奥のほうが少し痺れるような疲れを感じて、僕は大きく欠伸をしながら伸びをした。

「そろそろ休憩しないか?」

 事実上の降参宣言。ハルはその言葉を聞くと時計を一度見て、ゲームの電源ボタンに手を伸ばす。対戦ゲームの「キリ」の付け方というのは、何勝とか何敗とか何時間とかではなく、決めるのは一方の敗北宣言である。

「もうこんな時間か――」

 ハルも隣で伸びをして、それから少しだけ寂しげな表情で呟いた。それから休止を待っていたように、間に滑りこむように――ぐぅ、と小さく音が鳴る。慎ましく、いじらしく、可愛らしい腹の虫の主張だ。

「――動いてなくても腹は減るんだな……」

 その虫の飼い主であるハルは下腹を抑えつつ言った。トイレ以外には休憩を入れず、飲み物も軽食も無しでひたすらボタンを擦っていたせいか、心なしか僕の腹も空腹を訴えている。本当に非生産的だけど、それ故に楽しい。

「確かにな……どうするか、冷蔵庫空だったと思うけど」

「宅ピザでも頼むか、確か広告あったろ」

 ハルはゴソゴソと電話の側を漁り始めると、赤さが目立つ冊子を見つけると、ニヤリと微笑んだ。宅配ピザとはまったくけしからん、甘美な響きである。和食党の僕だったが、宅配ピザは毎日でも食べたいと思う魅力があった。アレには人を駄目にしていく薬品か何かが盛られているのではないかと思うぐらいだ。

「飲み物買ってくるけど何が良い?」

 僕は薄手のパーカーを羽織ると、受話器を取ったハルに声をかける。

 彼女は逡巡した後――

「――アンバサ」

 と簡潔に答えた。アンバサとか最近この辺で見た覚えが無いんだが、スコールとかカルピスソーダ買ってきたら怒りそうだな。ハルは妥協を知らない性格なので、こういう時は困ったりする。商店街の酒屋まで覗いてみるか。

「はいよー行ってくる」

 玄関まで小走りで駆けて行くと、真新しいナイキAIRMAX95を履く。ミーハーな方では無いのだが、このスニーカーだけは欲しくて仕方なかった。ゲームの四、五本は買える額だったがそれでも衝動的に買わずにいられなかった。

 若干重い事務所のドアのノブに手をかけて、ゆっくりと回す。重い手応えの後にガタンと音を立てて開く。外気が顔を撫でるが、信じられないほど暑い。冷房が効いた部屋に居ただけに余計に温度差を感じて気味が悪い。

 外は丁度、夕暮れが紺碧に染まり始める頃で、涼しくなっても良い時間だと思う。

 ――戻ろうかな、なんて心を折られつつも僕は意を決して外に出る。パーカーの袖をまくりため息を付きながら、歩き出せば直ぐに汗が吹き始める。それが体温を下げる行為だと解っていてもこう蒸し暑いと気化熱もへったくれもない。

 悲しきかなコンクリートジャングル、悲しきかなヒートアイランド、此処数年は例年以上という単語しかニュースで聞いてない気がする。この夏の最高気温を何度か更新した街の交差点ではゆらゆらと揺らめく陽炎が、行き交う人間達を嗤っていた。

 この街――比良坂は此処数年の都市開発で、成長期のようにめきめきと姿を変えて今では駅前を中心にビルが立ち並ぶようになった。近々ショッピングモールの建設を計画しているという話も聞く。これについては商店街から反対が出ているというが、確かにそんな物が出来てしまえば客足も一気に遠のくだろう。

 ビル群を抜けて商店街の方へ抜ける。ところどころ塗装が剥げて、錆びたゲートが僕を迎え入れてくれる。この時間帯の寂寞感と相まって、どこか物悲しい。アーケード街のタイルを白線渡りの要領で、白い所だけを歩いて行く。罰ゲームはそうだな、落ちたら明日は講義に全部出よう。

 そんなバカなルールを自分に付けつつ、無事に酒屋――武蔵酒店に着いた。これで明日の講義は出なくて済むなんて事を考えながら、店内を覗けば不機嫌そうに店番をする男の姿があった。武蔵幸二、武蔵酒店の跡取り息子にして高校までの同級生である。

 高校を出てからは家を継いで、その竹を割ったような性格から近隣の人からは好かれているようだ。僕以外でまともにハルと話せる、数少ない人間の一人でもある。普段は豪胆に笑う明るい人柄なのだが、その彼が今は覇気ない顔で僕を見ていた。

「ユキ、元気そうだな……?」

「よせやい、気味が悪いわ」

 僕が探るように話しかけると、ユキは口を力なく開きながら答えた。

「何かあったのか?」

「何も無いんだよ」 

 問に対して間も髪も入れないユキ、何もないというのはどういう事だろうか。

「悪いことなのか?」

「良い訳無いだろう、こうしていても客が来ねえ」

 それはご愁傷様だと憐れむような表情で僕は頷く。それから辺りを左右に二度ずつ程、見回してからユキに向けて問いかけた。

「アンバサってあるか?」

「ああ、あるよ。ついでに言えば、カルピスソーダも、スコールも、スマックもある。奥のショーケースにあるから自分で持って来い」

 それは売上の分散的に無駄があるのではないかと思う。仕入れはユキの親父さんがやっている筈だから、彼に言っても仕方ないのだが。そもそもスマックって何だよ初めて聞いたぞ。僕は店の奥へ進むと、棚を流し見てアンバサと、自分の分のコーラを取る。

 清涼飲料水の王様といえば、やはりコカ・コーラだろう。元は臓器不調、神経衰弱、無気力症の患者への薬として作られたらしいが、何にせよこの飲料を発明した、ジョン・ペンバートンには感謝である。

 レジに向かう途中、洋酒の棚を見て逡巡する。この店の店主の親父さん――武蔵幸一郎は無類の酒好きで、そこらの酒屋では売っていないような銘柄がザラに置かれている。ズブロッカやら、スピリタスやら、ペルツォフカやら、果てはインフェルノ・ペッパー・ウォッカなんて物まである。

 少しばかり今日は飲みたい気分でもあったのだが、ハルが酒に滅法弱くて、そのくせ飲みたがるのでやめておくことにした。二本だけ携えていくと、不機嫌そうにユキはレジを打つ。財布から百円玉を三枚手渡すと、雑な手付きで十円玉が三枚帰ってくる。

 今度からは酒や飲み物類は此処で買うことにしよう。用も済ませた所で背を向けると、ユキが僕を呼び止める。

「――なあ葉の字。黄色いレインコートの噂知ってるか?」

「……? いや、聞いたこと無いが?」

 都市伝説の類だろうか。僕は身体をユキに向き直し、説明を求める。するとユキは頬杖を付きながら、欠伸混じりに語り始めた。

「俺も近所の人から聞いただけなんだがな、何でも雨の日は出るらしい」

「……出るって何がだよ?」

 若干嫌な予感がしてきたが、聞かない事にはどうしようも無いので、続きを催促する。案外ハルの頼みは直ぐに済んでしまうかもしれない。

「黄色いレインコートの悪魔――って巷じゃ呼ばれてるんだがな、雨の日の夜にソイツは現れるんだ、黄色いボロボロのレインコートを着込んで人を襲うらしい」

「それは……」

 やはり聞かなければ良かったかもしれない。僕が渋い顔をしていると、心配無用だと言った具合にユキが応えた。

「大丈夫だレインコートの悪魔が現れるのは、浮気をした男の所だけだってよ。その点お前は足立に一途だし、問題無いだろう」

「誰が一途だよ、僕はそんなんじゃない」

 若干の照れ臭さを交えつつ、ぶっきらぼうに僕は返事をする。僕がハルと一緒に居るのはそう言った感情からではなくて――なくて? なくて、どうなんだ? 純粋な友情からの感情なのか、それとも同情からなのか、自分の気持ちだというのに良くわからない。

「あの捻曲がった足立の相手を毎日、かれこれ十数年も続けてるんだ。そういうのを一途と呼ばずして何を一途と呼ぶんだ。それにうちの姉貴も言ってたぜ、同年代の男女の友情なんてものは、愛情を歪ませた物でしか無いってさ」

「愛情云々は知らないけどさ、ハルは曲がっちゃいないよ。誰よりも真っ直ぐ過ぎて、僕らみたいに自分を曲げる事を覚えた人間には、屈折しているように見えるだけでさ。悪いやつじゃないんだ不器用なだけで……」

 ハルは感情表現が酷く下手くそなだけで、その感情は装飾のない純粋な物だ。だから曲がっているのが当然のこの世の中では生きていけないレッドデータブック入りの生き物だ。だからこそイエローラインの僕は彼女に惹かれる。

「そうやって解ってやれるまで一緒に居れるのが、もう既に一途だっての。俺にゃ到底無理だぜ、足立は嫌いじゃねえが、長時間相手するのは無理さ」

 それを素直に口に出来るのは、ユキの性格故だと思う。

「二人じゃなくて一人と一人だと思えば気楽だよ、必要以上に――というか必要とされる以上に関わらないのがハルと上手くやるコツ」

 ハルはガードが固いから相手から動いた時以外に攻め込めば、手痛いカウンターを食らって一発KOされる。そう北風と太陽の、大陽みたいに攻めるのではなく受け入れて相手からアクションさせるのだ。

「それって二人で居る意味あるのか」

「あるんだよ本当に一人ぼっちよりも、マシだと思えるって言うかね。じゃあユキ、また今度酒でも買いに来るからその時はよろしく」

 思った以上に進んでいる時計の針を見て、浮き足立つように武蔵酒店を出ようとする。あまり長話をして遅くなると、戻った時にハルにどやされるからだ。それを見てユキは困ったものだとばかりに肩をすくめる。

「おう、美味いの見繕っとくから、金落としていけよ」

 おどけるユキ。時刻は丁度六時半、街頭の狭い灯りが薄暗がりを作り出す。

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