最後の願い
異なる世界に来ることは、世の理に反すること。
その罰として、男は余命わずか一年を課せられる。
元の世界に戻れば、罰は帳消しされる。
なれど、彼は異世界に生きる一人の女性を愛してしまった。
残り半年という限られた時間の中、結ばれた二人はどう生きるのか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
考えは最悪の方向へと向かっていた。
俺の正体を、彼女は知らないから、そうやって笑っていられるんだ。
ずっと、隣にいることが当たり前のように。
「だからね、記念日とか祝いたいなって」
「……あぁ。そうしよう」
彼女、流佳と付き合い始めてちょうど一カ月。俺の命は残り、五カ月。
そう考えると、どうしてこんな経緯に至ったのだろうか。
わかっていたのに。恋人同士になっても、六カ月後にはどうなるか。
彼女の思い出には、俺との恋愛が悲恋で終わること、彼女を悲しませることを、嫌という程わかっているのに。
それでも、俺は願ってしまった。彼女が、愛しいから。
だが、実際に交際を始めてから、その重みは増して、この想いを潰すかの如く圧し掛かってくる。
花のように笑う彼女を想えば、どうすればいいかなんて、答えは出ていた。
彼女にとって、そして俺にとって、最善の方法。
別れること。
「じゃあ、一か月記念日だから食べ放題に行こう!」
明るく元気で、無知な彼女を見ていると、愛しい想いと同時に、胸が痛む。
俺の手を引っ張って、「お勧めのお店があるんだ」と言って、嬉しそうに歩きだす。
そんな流佳を見て、つい頬が緩む。ダメだ、これじゃあ、言いだせない。
さっきから気付いてないふりをしているが、彼女の右手に握られている小さな青い紙袋には、男物のブランド名が書いてある。
きっと、俺へのプレゼントを用意してくれたんだろうと考えれば、素直に嬉しいと思ってしまう。
というか、どうして神は罰として一年という猶予期間を与えたんだ。
この世界に来た時点で、すぐに死ぬことが罰なら、どれほど良かったか。
お腹一杯に膨れた俺たちは、日が沈みかけた町を出て、近くの公園のベンチに座った。
空気が綺麗なら、もっと星が見れただろうに。
人気のない小さな公園だけれど、ちょうどいい。よし、言おう。
「あのね、渡したいものがあるんだ!」
「あっ……」
公園の四隅にある電灯に照らされた流佳の顔は、少しお酒を飲んだせいか赤くなっている。
出鼻をくじかれた俺は、あれかと思いながらも、とりあえず首を傾けて見せた。
予想通り、青い紙袋から白い箱を取り出すと、「はい」と言って渡してきた。
「今、開けてもいい?」
「うん、喜んでくれるといいんだけど」
流佳が俺に何かをプレゼントしてくれるのは、初めてだ。
それだけで胸がいっぱいになるほど嬉しいが、そわそわしながら待っているから、そっと箱の蓋を開けてみた。
小さな隙間から覗き込むと、そこには腕時計があった。
まだ付き合う前に、俺が欲しいと言っていた腕時計だ。
やばい、泣きそうだ。
「どうか――」
その言葉を言い終える前に、俺は流佳を抱きしめた。
強く強く、流佳に「苦しいよ」と言われるまで、ギュッと抱きしめた。
本当に好きだと、心から愛しいと、想うのは止められない。
顔の赤みが増した流佳は、俺の視線を受け止めず、そっぽを向いている。
「ど、どうしたの、いきなり」
「これ、俺からのプレゼント」
別れる宣言をするつもりでいたのに、町を歩いていたとき、流佳に似合いそうな指輪が視界に入って、つい買わずにいられなかった。小さいピンクパールがシルバーリングに散りばめられた可愛らしい指輪。
こんなもの彼女に残しても、彼女を悲しませるだけなのに。
「え、本当にいいの?」
「もちろん」
余裕があるように見せかけ、俺は細くて白い指に、そっと嵌めこむ。
すると、流佳はその様子をじいっと見つめたまま、口を開いた。
「本当に、いいの?」
潤んだ瞳で、俺を見つめる流佳は、今にも泣きそうな震えた声で、問いかけた。
同じ問いでも、どうやら意味合いが違うらしい。
「まだ先のことはわからないけど、私も結婚したいと、そう思ってる」
「け、結婚?」
どの指に嵌めても俺の居た世界では、特別な意味はなかった。
だが、この世界では左手の薬指に嵌めれば、それは『婚約・結婚指輪』を意味するらしい。
間の抜けた俺に、感極まった流佳がぎゅっと抱きついてきた。
「大好き!」
流佳の涙が、俺の服に染み込んで、濡れる。
こんなに想われて、俺は本当に幸せだ。
そう、幸せなのに、それを断ち切らなければいけないと思うと、切ない。
余命が残りわずかでなければ、素直にこの気持ちを打ち明けられたのに。
『俺も』って、言い返したくて、喉のすぐそこまで出かかったが、ぐっと堪えて呑み込んだ。
今日は話せない、明日にしよう。その考えが過ぎったが、いつも俺は先延ばしにしてきた。
そうして、自分に甘えていた。結果、彼女を苦しめることになり、自らの傷を深く抉ることになる。
これ以上、俺が流佳との幸せを望んではいけない。
「……」
流佳がくいっと顔を上げ、じいっと何かを求めるように俺を見上げた。
上目遣いをされたら、その可愛さに俺は、とうとう我慢の限界を越えてしまった。
唇が触れあう程度の、初めてのキスは、涙の味がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「じゃじゃーん! お弁当を作って来ました」
流佳が自慢げに持ってきたお弁当には、俺の好物である生姜焼きをメインに、パスタサラダや卵焼き、ミニトマト、ちくわの穴に胡瓜が差し込まれたおかず、コーンとニンジンとグリーンピースのバター炒めが大きい弁当にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
ご飯はそれ専用の魔法びんに入っており、時間が経った今でも温かい。
「いただきます」
箸を手に取り、俺はおかずを口に運ぶ。
うん、いつも通り美味しい。お世辞じゃなくて、本当に。
そして、ついにここまで来てしまった。余命、残り一カ月。
その証拠に、俺は咳き込むようになり、たまに吐血してしまう。
何かの病にかかったみたいだが、病院に行けば「わからない」の一言で診察が終わった。
紹介状を貰い、総合病院に行くも結果は同じ。以降、紹介状を貰っては病院に行くことの繰り返しだが、何も変わらない。たらい回しにされ、この病が進行するだけだ。
さすがに海外の有名で大きな病院を勧められたが、症状すらわかっていないのに、向こうに行って判明するとは思えない。それなら、限られた時間は彼女のそばにいたいと、そう思ってしまった。
だが、そろそろ言わなければならない。
彼女の前で咳き込むことはたまにあるが、心配されるたびに「風邪だ」と答えれば、それ用の薬をくれるが、実際に飲んでも、残念ながら効果はない。
そして、いつ病状が悪化するかわからない今、余計な心配を彼女に掛けさせないためにも、彼女の幸せの為にも、もう、ここで言わなければならない。
「別れよう」
こんなタイミングで、どうして口走ってしまったのだろう。
でも、今ここで言わなければきっと、先延ばしにしていたと思う。
流佳の動きが止まり、おかずを掴んだ箸が宙で静止する。
「……やだなあ! 冗談言うの止めてよ」
指輪が嵌められた手を、ぱたぱたと横に振る。
いつも以上に大げさに笑いながらも、俺の真剣な表情を見れば、その視線とぶつかりあえば、無理した笑みも自然と止む。
「本気だよ」
「……あ、わかった! 毎日不味いごはんを食べさせちゃったからだよね、無理して食べてたんだね、ごめんね、気付いてあげられなくって、次からはちゃんと――」
「流佳の手料理は、美味しかった」
息もつかず一気に喋る流佳を本音で止めると、くしゃっと顔を歪めた。
流佳に悲しい顔をさせたくないのに、そうさせているのは俺だ。
けれど、わかってほしいんだ。この先に、幸せなんて、ないことを。
「じゃあ、なんで!」
必死に涙を堪え、声を荒げる流佳を、宥めようとは思わない。
ちゃんと、はっきり言おうと、前から決めていたんだ。
だから、愛しい彼女に話した。
俺が異世界から来たこと、余命のこと、元の世界に戻れば生きていられること、そして一つだけ嘘をついた。
「もう、流佳のこと、好きじゃないんだ」
「……」
「俺としては、いろんな女の子と遊びたいんだよね。まだ死にたくないし」
箸を下ろし、愛情がこもった弁当をこの足で踏めばきっと、流佳は本当に「想いがない」と思い込んでくれる。
だが、どうしてもそれだけはできなかった。
最後の美味しい食事だ、どうせなら全部食べてしまおうと思い、すべて掻き込むようにして平らげた。
無言で、涙を流す流佳の視線を受けながら。
「……そうだね、好きな通りに、生きればいいよ。私も逆の立場なら、そうする」
本当はそんなこと思っていないとわかっていても、その言葉は胸に深く突き刺さる。
何で笑うんだよ、泣きながら笑わないでくれ。
無理した笑顔なんて、見るだけ余計つらくなるのに。
内心を顔に出さないように、その場を去るため、俺は立ちあがった。
涙でメイクが崩れた流佳を、背にして歩く。
「今まで、ありがとう」
流佳の言葉は、震えながらも、深々とこの胸に届いた。
できるなら、『今までのは全て演技』って言って、なかったことにしたい。
わかってる、それじゃあダメなんだ。
だから俺は、この気持ちと決別するように、振り返りもせずに言った。
「さようなら」
二度と、こんなに愛せる人とは出会えない。
向こうの世界に行っても、流佳を忘れられずに、永遠に会えないことに苦しむだけだ。
それならばいっそ、ここで死のう。
最愛の人が生きる、この世界で。
◆◇◆◇◆◇◆◇
去年の今頃、俺はこの世界に来た。
あの頃は何も知らずに、何が起こったのかもわからずに、気付けばこの世界にいた。
そこで俺は、生きるためにすべきことをした。
手探りで真っ暗の道を進むように、生きていた俺が、流佳と出会ったのは数日後。
それからは、時間が早く過ぎていくように感じた。
いつの間にか俺は、流佳に恋して、彼女もまた、俺に好意を寄せていた。
そのとき、どこからか声が聞こえてきて、初めて知った。
心に語りかけるようにして、俺の運命を教えてくれた。
流佳と出会う前に教えてくれたら、どれほどよかったか。
いや、出会わなければよかったのかもしれない。
それなら、今頃俺は、あの世界に戻っていたのに。
だが、俺は流佳に会えたことに本当に感謝しているし、今でも彼女が愛しくてたまらない。
離れれば少しは薄らぐと思ったが、その考えは間違っていた。
むしろ日を追うごとに、濃くなっていく。
時間を知りたくてこの腕時計を見ても、流佳を思い出してしまい、無理やり押さえこんだ気持ちは、熱を増すように膨れ上がる。
別れたくなかった、これが俺の本音だ。
ずっと、俺が死ぬまで傍にいてほしかった。
でもそんなのは俺の我がままで、彼女を悲しませる我がままならそんなもの、通せるはずがない。
これでよかったと、もう何度も言い聞かせているが、後悔しているこの気持ちだけは隠せない。
ベッドの上で横たわる俺は、視界が歪み始めたことに気付くと、そっと瞼を閉じた。
このまま、死ぬんだ。
罪が余命一年の意味が、やっとわかった気がする。
死よりもつらい苦しみを、俺が味わうことを知って、そうしたのだろう。
でも、俺だけが背負うなら良い。これは、覚悟していたことだから。
けれど、神様、どうか彼女だけは、流佳だけは、満ち溢れる幸せを掴めるように――
そのとき、玄関の扉をドンドン叩く音が部屋に響く。
思わず瞼を開けるが、起き上がる気力はもうない。
次の瞬間、聞こえた声は嘘じゃなかった。
「入るよ!」
――流佳だ。
俺は彼女に酷い仕打ちをしたのに、どうしてここに来たんだろう。
来ないように、二度と会わないように上手いこと仕向けたはずなのに。
ダメだ、泣くな。
合鍵を持っていた流佳は、急いで扉を開けると中に入り、寝室にやってきた。
俺の居場所が、わかっていたように。
「っ……」
駆け寄ってくると、俺の両手を包み込むように握る流佳が、力を強める。
その手には、いつかプレゼントした、ピンクパールの指輪が嵌められている。
「好きだよ、たとえ死んだって、私は好きだから! だから、別れるなんて言わないで! 別れれば幸せになれるなんて、ありえないよ!」
「……流、佳」
「私の幸せは、あなたあってこそのもの。それに、気付いたから。私の為に、あんなこと言ったんだよね」
ここで首を横に振れたら、後の彼女の苦しみが少しでも軽くなったのかもしれない。
でも、もう無理だ。
自分に嘘は、つけない。
「好きだ……流佳……死んで……も……愛して……る……」
神様、一生の願いを聞いてくれ。
この声が、想いが流佳に届くよう、もう少しだけ、もう少しだけでいいから、生かしてほしい。
「うん、私もだよ、私も心から愛してるよ」
「……流佳……幸せに……」
(……なるんだよ)
「……ねぇ、待って。お願いだから、もっと話したいことがあるの」
まだ人間味のある温かい体を揺さぶるけれど、返事もなければ、呼吸もない。
「私、あなたの優しさに気付けなかった、いつもその優しさに包まれていたのに……っ」
項垂れることなく、ずっと泣き続ける。
幸せそうな笑みを浮かべた、恋人を見て。
ひとしきり泣いた後、流佳は何かを決意したように頷くと、そっと顔を近づけた。
冷たい薄紫色の唇に、紅をつけた唇が重なる。
「……好きだよ……拓也……」
こうして、俺は死んだ。
最愛の人を、この世界に残して。
流佳が愛しくて、誰のものにもならないでほしいと、そう思うけれど。
どうか、幸せになって。
それが俺の、最後の願い。
拓也の最後の願いが、叶いますように。




