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第七話  鬼の―― ゲフンゲフン! 姉の居ぬ間に計画発動っ!

行商の荷物を積み込む作業からしばらく経って――


積み込みが無事に……とはいかないか? 手癖の悪い同胞達のせいで予定よりも少し時間が掛かったけど、ようやく積み込み作業が完了した。


出発の準備が全て整った俺達は荷車を動かし、正門を抜けて『ゴブランド王国』の外―― 超巨大空洞の入口にあたる洞窟の前へとやって来ていた。


荷台は十を超える数になっていて、今回の行商が実に大掛かりな事であると一目見ても分かる。


何時もなら正門の所で見送りをするんだけど……今日はトリス達を最後まで見送る為に洞窟の入口まで一緒に着いて来ていた。


……いや違うな。正門の所で軽く手を振って済まそうとした俺の姿を見たトリスが、今にも泣き出しかねない表情を浮かべたもんだから仕方なくと言った方が正確だな。やっぱり長期間に渡って離れる事になる今回は最後まで見送って欲しいみたい。


御蔭でトリスの隣に何時の間にかやってきたエンカーに邪魔くさそうに睨まれてしまった。『何で此処まで着いてくるんだよっ!』てな感じで。


けど俺を睨みつけた瞬間に何故かエンカーの奴が、若干ビクついた後バツが悪そうに、明後日の方向に視線を逸らしたから特に気にしてはいないんだけどね? むしろ今日はすぐに敵意を向けるの止めてしまったもんだから若干拍子抜けしたくらいだ。


『どうしたんだろう?』と言う意味を込めて、俺のすぐ後ろに立っていたワンドルに視線を向けてみても『うん?』と小首を傾げられて穏やかな微笑みを返されるだけでした……う~ん謎だ。


あ、ちなみにワンドルは今回の行商組には参加していない。ワンドルは『白の集落』で小さな『雑貨屋』を開いていて、それを主に自分の仕事としているからね。俺も何度かワンドルのお店の手伝いをした事がある。色々と幅広く品物が揃っていて実に便利なお店だ。


そのため短期間の行商ならまだしも、今回のような長期間の行商では自分のお店にも影響が出るから断っているとの事。品物の中にはワンドルじゃないと管理できない貴重な物もあるらしいから、他の『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』達に長い間お店を任せる事は出来ないんだそうです。ふっふっふ……実に好都合だなぁ。


まぁそう言った理由で居残り組である俺とワンドルは、トリス達を最後までしっかりと見送る為に洞窟の入口前へとやってきたという訳。


既にほとんどの荷台は案内役のケンタウロス族と一緒に連れ立って先に出発している。今残っているのはボイゴールさんとトリス、そしてエンカーと他数匹の『ホブゴブリン』と『ピアゴブリン』達と、その彼らが乗り込む荷台が数台だけだ。


周囲を軽く見回すと、案内役のケンタウロス族の姿が二人確認できた。


……おお、ファンタジーで登場する通りのケンタウロスだ格好いい。案内役兼護衛も兼ねている為武装している。如何にも騎士って感じの銀の鎧と兜、地面に着いている馬の四本足にも銀色の足鎧を装着している。手に持っている槍―― この場合ランスだね、それとセットで持っている大きな楯も実に様になっている。


本当に強そうだ。このケンタウロス達が一緒に着いて行ってくれるなら安心だ。ランスを構えて突進して行く姿とか物凄く見てみたい。



「それでは、後を頼みましたぞメディ―マ殿」

「ヒヒヒ……ッ! ああ行ってきなぁボイゴール。お前さんのいない間『白の集落』の事は見ておいてやるさね」



ケンタウロス族の雄姿に見とれていた俺の耳にそんな会話が聞こえてきた。


視線を向けるとすぐ近くでボイゴールさんと、一匹の年老いたゴブリンが言葉を交わしているのが見える。


相手の返答に満足したようにボイゴールさんが頷くと、それを見た年老いたゴブリン――『青の集落』の族長にして『ゴブリンロード』のメディ―マ婆さんがニヤリと口の端を釣り上げた。


黄緑色の肌に皺が寄り、細く鋭い吊りあがった眼なんて子供が見たらマジで怖がりそう。『青の集落』のゴブリンだと一目見れば分かる青のローブを頭から羽織って、しかもオプションよろしく杖までついている。


……どう見ても童話の中でよく登場する、悪い魔女の婆さんにしか見えないよなぁメディ―マ婆さんは。


『ヒヒヒ』と薄気味悪い笑みを浮かべているメディ―マ婆さんなんだけど、そのメディ―マ婆さんの笑いを見てもボイゴールさんは特に気にした様子も無く会話を続けている。


どうやらボイゴールさんが不在中の『白の集落』の管理を『青の集落』の族長であるメディ―マ婆さんにお願いしたみたいだ……それもそうか、今回のケンタウロス族との行商には『白の集落』の名立たるゴブリン達のほとんどが出るんだからなぁ。



「申し訳ないのぉ。メディ―マ殿も集落の管理にお忙しいというのに、このような事を頼んでしまって」

「ヒヒヒ……ッ! あたしゃ別に構わないさね。今回の行商の内容を考えると仕方がないさ。……けどアンタも次にこんな事があっても大丈夫なように、そろそろ後継者を見定めて育成に力を入れてみたらどうだい?」

「いやはや耳の痛い話ですのぉ。わしもそう思っておるのですがこれが中々……メディ―マ殿は既に後継者を見つけられたのですかな?」

「あたしの心配より自分の心配をしなボイゴール。あんたに気に掛けられるほど切羽詰まっちゃいなさ」

「ほっほっほ! 流石メディ―マ殿ですなぁ」

「笑って流す事じゃないだろうに……全くアンタは昔っから危機感に欠けるというか緊張感が無いというか」



朗らかに笑うボイゴールさんの様子にメディ―マ婆さんが『フン』と鼻息を吐いて呆れたような表情になる。


ちなみにメディ―マ婆さんはボイゴールさんの幼馴染だそうです。『あの爺とは昔からの腐れ縁さね』と『青の集落』に遊びに行った時にそう話してくれた事がある。


口が悪いメディ―マ婆さんだけどこれで中々面倒見が良い為慕っているゴブリンは多い。俺もその一匹だ。


前に怪我したときなんかネチネチと『注意力散漫だ』とか『自業自得だ』とか言いつつも、しっかりと怪我の治療をしてくれた。しばらく経った後『怪我はもういいのかいクソガキ』と言ってくれて気にしていてくれた事が素直に嬉しかったよ。うん、メディ―マ婆さんは典型的なツンデレと見た。



「……むぅ! アドン何処見てるんれすか?」

「グギャ?(うん?)」



そんな年寄り二人の姿をしばらく眺めていた俺だったが、不意にトリスの不満気な声が聞こえたので正面へと顔を向ける。


そこには頬っぺたを膨らませたトリスが俺に咎めるような視線を向けていた。ああそうだった見送りの最中だったねごめんごめん。


さらにトリスの後ろではエンカーが不機嫌な表情を隠さずに浮かべつつ、両手を組んで睨みを効かせていた。


……居たのかエンカー。というかトリスの後ろはお前の定位置になっているのか? 本当にこいつはトリスにベッタリだよなぁ。あんまりしつこ過ぎると嫌われる原因になりかねないから注意しなよ。


まぁトリスの性格を考えたらそんな事は起こらないだろうけど。



「―― ふんっ! 全くさっきからキョロキョロして落ち着きのない奴だね。見送りする気が無いならさっさと王国に戻れば良いのにさ」

「グギャア? グギギャグギー(あっそう? それじゃお言葉に甘えてー)」

「あっあっああ~っ!? 戻っちゃ嫌れすぅ~っ! アドンはトリスのお見送りするんれすーっ!」

「グギュッ」

「なぁっ!? ト、トリス何をしてるんだ! そいつから離れるんだっ!」



エンカーの言葉に素直に従い踵を返した所、その行動に慌てたトリスが俺を戻らせまいと瞬時に抱き付いてきた。何気に強い力で引き寄せられたから変な声を上げてしまった。


そしてそんな俺達に向かって嫉妬心丸出しのエンカーの怒声が耳に届く。


くそっ! エンカーの言葉にこれ幸いと中に戻って計画を発動させようと思ったのに! そう上手くはいかないみたいだ。


やっぱり此処はトリス達がちゃんと出発するのを見届けてからの方が無難か……時間はこれから幾らでもある事だし焦る事は無いか。


それとトリス? 後頭部に素晴らしく柔らかい二つの膨らみが押しつけられているから離れてっ! 流石にそれはいくら忍耐レベルが高いお兄さんでもそんなに強く抱きしめられるのは刺激が強すぎますっ!


うあああああやめてマジでムニムニと形を変える二つの大きなマシュマロさんの猛撃に俺の理性軍が瞬く間に駆逐されていくううううううぅぅぅぅっ!? 耐えろ! 耐えるんだ俺の理性軍よおおおっ!



【いくれふー】『ぐわー』【えいやー】『やられたー』【とぉっ】『まいったー』【やぁっ】『いのちだけはー』【いきまふよー】『まけるものかぁ~』【いざしょうぶれすー】『あーはいはい。ここはしんでもししゅするぞー』【えいっ】『あーれー』



―― おいいいいいぃぃぃっ!? 少しはヤル気を見せてくれ理性軍っ!? やめてくれよこれじゃ俺が必死に抗ってる振りをしているだけのムッツリ助平みたいじゃないかっ! 理性軍役に立たねええええぇぇっ!!


しかも侵攻してくる誘惑軍の姿が二頭身サイズのミニトリスとかこれなんて無理ゲー!? 排除なんて出来ませんよお兄さんっ! 拙い俺の本能が眼を覚まして――っ!?



【ほんじんれすー】『うわーきたー』【せめおとしまふー】『はーい、いらっしゃーい』【むにゅむにゅ】『おーいこっちは寝かし付けたぞー』【まだねむたくないれふ】『良い子だからおねんねしよねー』【だっこー】【おはなししてくらはいー】『はいはい今行くよー』『やれやれ今日は量が多いなぁ』



……前言撤回。実は何気にハイスペックでした俺の理性軍。次々と誘惑軍を鎮静化して行く様は正に面倒見の良いお兄さんですっ! どうやら『青の集落』での保育士まがいの経験が理性軍の成長を促し、対トリスの誘惑専用の対抗戦力へと昇華していたみたいだ。


ああそうかー、考えてみたらいつもより抱きしめる力が強いだけで、胸押しつけられたりするのは日常茶飯事だもんね。冷静になればどうってことは無かった……これが最初の頃のチェリーな俺だったらとっくに理性崩壊している所だけど、伊達に一年近くトリスの抱き枕をしてはいないっ! いやはや慣れとは恐ろしい。


それにしても俺の頭の中は一体どうなってるんだろう? 妄想にしてはハッキリしすぎだろう大丈夫か俺?


でもまぁとりあえず理性を失う危険は去ったよだし別にいいか。そう結論付け、トリスの胸の中でゆっくりと一息く。



「グギーギギ(ふぅ焦った)」

「おいチビッ! お前も少しは抵抗しろっ! 何一息ついて和んでるだっトリスから離れろこのエロガキッ! トリスも早くそいつを離すんだっ!」

「嫌れす嫌れすーっ! これからしばらくの間アドンとはお別れなんれすーっ! ちゃんと最後までお見送りしてくれなきゃ嫌れふーっ!」



トリス達の会話が耳に入り、さらに強い力で抱きしめられる。


―― ふっ甘い。既に保育士さんモードに入った俺にそんな物は通用しない! ふははははは千でも万でもかかって来いや誘惑軍!



(あれだねー歳の離れた妹に抱きつかれてる感じだね……元の世界の義妹は元気かなー)

「い、いいじゃないか見送りなんてさっきの正門で済ませたろうっ!?」

「嫌れすーっ! 本当ならアドンも一緒に連れて行きたいくらひれふぅ~!」

「そ、そんなの駄目だっ! せっかく邪魔―― じゃないっ! 行商先に連れて行くのはボイゴール先生も駄目だって言っていたじゃないかっ! もうすぐ出発するんだから早く離すんだっ!」

「う……うぅぅぅ~っ……らってぇ~」



おうふ……今度はすりすりと体を擦りよせて来るとは……。だが毎晩抱き枕と化している俺には既に耐性ができている! 俺の経験値を舐めるなっ!


しかし本当にトリスは精神が極端に幼すぎるなぁ。実際トリスの方が年上なんだけど……まさか十歳以上も年上とは思わなかった。


けど精神年齢はこっちが絶対上だし妹みたいだと思っててもいいよね。



「そ、それにさ! 別にそいつが居なくたって……」

(あー……でもトリスって、料理も上手いし家事も万能で性格もちょっと天然だけど優しいし……何気に抱きしめられると落ち着くし……お姉さんってのも強ち間違いじゃないか?)

「ト、トトットリスの傍にはっ! ぼ、僕が……僕が居るじゃないかっ!」

「エンカーたん?」

(そうだよなぁ……此処まで生きてこれたのはトリスの御蔭だもんなぁ……うん、だよな。妹じゃなくて放っておけないお姉ちゃんって事にしておくか! トリスもそれなら文句ないだろうしね)

「ぼ、僕ならトリスを絶対に守ってあげられるよっ! どんな獣や魔物からだって守ってあげる! トリスが寂しくないように僕がずっとトリスの傍にいるよっ!」

(お姉ちゃんかぁ~……結構良いかも知んない。一人っ子だったし、新しい家族は妹だったし……うん新鮮でいいなぁ)

「……ありがとうれふっ! エンカーたんがそう言ってくれてトリスとっても嬉しいれふっ!」

「―― っト、トリスッ……!」

(うんうんトリスはお姉ちゃんって事で決まりだな。……ああでも――)



「―― でもトリスはアドンに傍にいて欲しいれふっ!」

「グギャグッグギー(エンカーみたいな兄貴は要らねー)」



「~~っこ、こんな醜いガキの何処が良いんだっ!? ……後こいつ今何て言ったの?」

「醜くないれすアドンは可愛いんれすっ! アドンはエンカーたんみたひなお兄たんは要らないって言いまひたっ!」

「―― 喧嘩売ってんのかこのチビっ!?」

「ギ?(ん?)」



一人ボケっと考え事をしていて、気がつくとエンカーが俺の目の前で顔を真っ赤にして怒り狂っていた。


しかもいつの間にかトリスに脇に腕を回され、抱っこされた状態でエンカーの方へと体が向いている。


あれです。小さい子が胸の前で抱きしめているヌイグルミ状態が今の俺です。足がぷらぷらと宙に浮いています。


いや今の状態にいつ持ってきたって疑問もあるけど、今は俺の目の前で怒り狂っているエンカーだ。はて? 何故彼はこんなにも怒っているんだ?


別に俺はエンカーの機嫌を損ねるような事はしていない筈だぞ? 抱っこされている状態に対して嫉妬してるにしても、それにしては怒りすぎじゃないか? 何時もなら嫉妬の視線は向けても此処まで怒る事はしない筈。最初の頃はともかく、今じゃ結構諦めてる感があったはずだし。


さっきエンカーに対し思ったことも俺の中だけの事だしエンカーが知る由も無い筈。まさかエンカーが俺の心内を察するなんて、そんな高度な芸当を出来る訳が―― って待てよ? もしかして……。



「グギ? ググギーァ?(あれ? もしかして声に出てた?)

「出てまひた」

「グギャーア?(訳した?)」

「訳しまひた」

「……グギギギギギギ(……余計ナ事ヲドウモアリガトウ)」

「えへへへへ♪」

(やだ可愛いじゃないこの子)

「エンカーたんはアドンに意地悪しかしなひれふからお兄たんて思って貰えないんれふよ?」

「僕だってお前みたいな気色悪い弟なんか御免だよっ!!」

「グギーグギー(バンザーイバンザーイ)」

「アドンが喜んでまふ」

「こ、こいつ……!? くそっお前がトリスのお気に入りなんかじゃなかったら今頃はっ! いいか! お前の価値なんてトリスに気に入られているって言うその一点だけなんだからなっ! お前みたいな醜い『グリーンゴブリン』が『白の集落』で暮しているのだってそもそもの間違いなんだっ! その辺の事をもっとちゃんと理解して最下層種なら最下層種らしく最上級種であり『夜の民』の末裔である僕達に対してもっと尊敬と敬意を持って――!』

「ギアアァァァァァァ……ッ!(欠伸)」

「アドンお眠れふか? 難しいお話はアドンには早かったれふねー♪」

「た、叩っ斬る……! お、おおおおお前だけはっぼぼぼ僕がぜぜ絶対に叩き斬ってやるるるっ……!」



あ、失敬。何分まだまだ体力的には子供だから朝の早起きは少々堪えてるんだよ俺の体。


しかもそのまま行商の準備に直行したもんだからねぇ、体力が少し限界に近いのかも。そろそろお昼みたいだし。ちなみに俺にはお昼寝タイムが毎日あります。


ああでも欠伸のタイミングが悪かったらしい。エンカーが顔をひくひくと引き攣らせて背中の大剣へと手を伸ばしてる。


それを見たトリスが『だ、駄目れふっ!』と声を発して、俺を守るように一歩エンカーから距離を取る。


……おーい流石にそれは駄目だろう。いい加減見慣れた光景だから恐怖心はあんまり無いけど。しかもお前今の状況で剣を抜けばそれはトリスに向かって刃を向けるのと同義だって事に気付いてんのかな? 


気付いてないんだろうなぁ。頭に血が上ったエンカーは話が通じない事が多いしねーこれまでの経験上……本当に何でこんなに感情的なエンカーが『白の集落』で一番強いんだろう? 謎だ。


そんなエンカーに呆れた視線を向けていたその時――



「―― そんな事、私が許さないよエンカー」



俺を抱きかかえてるトリスと大剣を抜き放つ寸前のエンカーの間に、こちらに背を向けつつ鈴が鳴るような声を発しながら今まで後方で黙っていたワンドルが間に体を割り込ませてきた。


おー流石に子供に対して大人気ない行動を取るエンカーに黙っていられなくなったみたいだね。流石ワンドル! 頼りになる優しい素敵なお姉さ――……って呼びたいなぁ……っ!!



「あ! ワンドルたん」

「グーギァアアアアッ! グギ、グギギャグギ(ワンドーォオオルッ! あ、トリス訳さなくていいよ)」

「そうれふか? 分かったれす!」

「げっ……!? ワ、ワンドル」

「全くもう子供に対して本気で剣を抜こうとするなんて……『白の集落』一の剣士の名が泣くとは思わないの?」



ワンドルの大分呆れを含んだ言葉に、エンカーが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ一歩後ずさった。


うーん……やっぱりエンカーはワンドルに対して少々苦手意識を持っているみたいだ。前々からそうじゃないかと思っていただけどどうやら間違いないらしい。


昔二人の間で何かあったのかな? ワンドルの事を『ピアゴブリン』と勘違いしたエンカーがワンドルに言い寄っていたって話は聞いた事があるけど……それ以外にも理由がありそうな気がする。


―― というかエンカー。美少女であるなら誰でも口説きにかかるとかお前最低だぞ? そんな軽薄な奴に家のトリスはやらん! お兄さんは許しませんっ!



「う、五月蠅い五月蠅いっ! 関係無い奴は引っ込んでるんだっ!」

「関係ならあるよ。トリスが行商に行っている期間中は、私がアドンを預かる事になっているんだもの」



こちらに振り向き、ワンドルが『ね?』と確認の意味を兼ねてそう話しかけてきた。


そうなんです。実はトリスが行商へと赴いて居る期間中、俺はワンドルに預けられるって言う事で話は付いているんです。


流石に子供の俺一人を家に置いていく事に不安を覚えたトリスが、その事でボイゴールさんに相談したのがそもそもの始まりだった。


その事で当初トリスは、俺も一緒に連れていく事をボイゴールさんに申し出たんだけど……流石にボイゴールさんはそれを却下した。流石に『グリーンゴブリン』である俺を連れて行くと『妖精族』―― 今回はケンタウロス族だな。そのケンタウロス族の中にゴブリン族をその容姿的に受け入れられない者が現れかねないと危惧した判断による結果だ。


『ゴブランド王国』に他の種族がやって来る分には、相手方の『妖精族』にも徐々に慣れて貰う為に他のゴブリンと引き合わせる事はあるけど……流石に相手方の土地に俺みたいな醜悪な容姿のゴブリンを連れていく事は、いらない問題の火種になりかねない。残念だけどそこは仕方がない。今回のケンタウロス族とは長年のやり取りでようやく交流に乗り切る事が出来たんだ、小さな懸念も見過ごすことなんて出来やしない。


それに俺はまだまだ子供の身、長い間の道のりで体力的に無理があるだろうし、もし万が一途中で体を壊したりなんかしたら大変だ。それに危険だって伴う、それを考えると『ゴブランド王国』に残した方がいいだろうとボイゴールさんは言った……きっとボイゴールさんの心の中はそれが本音だろうと思っている。そう言って真摯にトリスを説得していてくれたから間違いないだろう。本当に最高の族長だよボイゴールさんっ!


けどそれでも俺一人を残す事に渋るトリス。別に一人でも大丈夫だと言ったけど頑として譲らず話は難航したけど―― そこでボイゴールさんは俺と仲の良いワンドルに預けてみてはどうかと提案。


トリスもワンドルと俺が仲が良い事を知っていた為、その後ボイゴールさんがワンドルを呼び出して事の次第をワンドルに話した結果―― ワンドルは二つ返事でこれを快諾、快く俺の面倒を引き受けてくれたという訳だ。



「はうはう……ワンドルたぁん……アドンの事よろひくお願いしまふね?」

「任せてトリス。ちゃんと見ておくから安心して?」



トリスの言葉にやんわりと笑顔で応じるワンドル。うん美人である、これで男じゃなければ……っ!(しつこい)


そんな二人の会話に俺も加わる事にした。お世話になるワンドルに俺からもお願いの一言を言おう。


何かワンドルの後ろから『僕を無視するなっ!』って声が聞こえるけど放置で。いい加減に相手するのが面倒だし疲れる。



「グギャーアグギギ(しばらくお世話になりまーす)

「お世話になりまふってアドンが言ってまふ」

「クス……♪ こちらこそよろしくねアドン? あまり頼りにならないかもしれないけど」

「グギャギャググーギ―― ッグギギギギギギギギギーッ!?(大丈夫トリスよりも凄く頼りにな―― いでででででででででーっ!?)」

「ア~ド~ン~ッ!? どういう意味れすかぁーっ!?」

「ギャグギッ! グギャグッグギ―― グギャアアアアッ!?(ごめんなさいっ! つい本音がポロッと―― あ痛ああああああっ!?)」

「本音って言いまひたっ! トリスらってしっかりしてまふもんっ! お仕置きれすアドンーっ!」

「クスクス……♪ 本当に仲が良いね二人とも」


ポロッと出てしまった本音に、それを聞いたトリスが怒って俺の右耳を力一杯引っ張ってきた。


痛いっちょっと本気で痛いですトリスさんっ!? しかも片腕で俺をガッチリ抱えたままだから逃げる事もできない! 何という周到さ……って痛たたたたたたっ!? やめて御免なさい許してトリスお姉ちゃん! やめてっそこはらめぇっ!?


そんな俺達二人のやり取りを見て微笑ましく笑うワンドル。ちょっと見てないで助けてくださいワンドルさんっ! 痛いんですって! 耳が千切れ―― る程ではないか? でも痛いんですってばーっ!?



「~~っだから僕を無視す【ゴキゴキンッ!】……っうぅぐ……!?」



―― うん? 何か今妙にゴツイ音が鳴り響かなかったか?


涙目の視線を向けてみても、そこにいるのは右手を口に当て左手を腰の後ろに回してクスクスと小さく笑ってこちらを楽しそうに見守るワンドルの姿。


エンカーの姿はワンドルの体に隠れて見えないから何してるのかは分からない……空耳か? それともエンカーがワンドルの後ろで何かやっているのか?



「アドン反省しているんれすかぁっ!?」

「グギャアアーッ!? グギギッグーギギーッ!!(いだあああーっ!? してますっしてますってばーっ!)」

「ふふふふふっ♪」

「……く、くそぅっ……! 何で君まであんな醜い奴の味方なん【ゴキッ!】―― ひっ……!?」


「……何やってんだいお前さんとこのガキ共は」

「仲良き事は美しきかな。良き事ですなぁ、まるで昔の我らのようじゃのう」

「確かにねぇ? あそこで泣き喚いとるアドンのガキは、昔のバル坊の様じゃないか……ねぇ?」

「ほっほっほっ! 我等が王もメディ―マ殿の前ではまだまだ子供でしかない様ですのぉ? 王も大変じゃ」

「ヒッヒッヒッ……!」



―― その後、しばらくして話を終えたボイゴールさんとメディ―マ婆さんが近付いて来るまで、トリスのお仕置きは続いたのであった。


痛てて……くそうっ来るなら来るでもうちょっと早く来て欲しかったよボイゴールさん達。耳が伸びたらどうするんだ全く! ……いや既に伸びてるか。引っ張りやすい長耳を今程恨んだ事は無いよ。


そしてボイゴールさんが荷台に乗り、続いてトリス次にエンカーが荷台へと乗り込み、ようやくトリス達がケンタウロス族の住む森へと出発する。


時間は掛かったけどようやく出発か……体に気をつけてねートリスにボイゴールさんっ! エンカーは殺しても死ななさそうだし、しぶといだろうから別に心配はしてないけどっ!


そう『グギグギ』と鳴きながら、トリス達の乗った荷台が見えなくなるまで俺とワンドルは手を振り続けてた。トリスもグスグスと泣きながら最後の最後までブンブンと手を振り返してくれていたなぁ……あ、ちょっとウルっと来た……! 白いお手拭きを差し出し、頭を撫でてくれたワンドルへの好感度UPのイベントも同時に起こった一幕でした。


メディ―マ婆さんはさっさと洞窟に入り王国に戻っちゃったけど……洞窟に戻る前に最後に荷台の方を一瞥し『ふんっ』と鼻息を吐いていたのを俺はちゃんと見ていた。最後まで見送りたいなら俺達と一緒にいれば良いのに、もうっ本当にツンデレなんだからっ!


こうしてトリス達は『ゴブランド王国』からしばらく離れ―― ケンタウロス族の住む森『ユ二ペオル大森林』へと向かっていった。


行商と種族交流の成功を祈ってるよトリスっ! あとついでにお土産も期待してますっ!




『―― っどういう意味だああああああああああっ!? あのドチビィィィーっ!!』




……何か荷台の姿が見えなくなった瞬間、そんな怨嗟の籠った叫びが聞こえたけど……どうやらトリスが律儀に言葉を訳してエンカーに伝えたらしい。


ああもう律儀に訳さなくても良いのに……後が怖いなぁ……まぁエンカーだし何とかなるでしょ。


それに……ふふふふふっ! ようやく計画を実行に移す時が来たんだっ! そんな事気にしてなんかいられない!


トリスには悪いけど俺は心持ち軽やかな足取りで、ワンドルの家へと向かう前に色々と準備をする為に『白の集落』の自宅へと戻った。




*     *     *     *     *




「グーギャー(お邪魔しまーす)」

「あっ。アドンいらっしゃ―― って凄い荷物だね!? 手伝いに行けば良かった……御免ねアドン重かったでしょう?」

「グギャグギギ(こんなの軽い軽い)」

「……アドンは強い子だね。それじゃ改めていらっしゃいアドン」



自宅で準備を終えた俺は、家から少し離れた場所にあるワンドルの家であり、『白の集落』でワンドルが開いている雑貨屋へと荷物を持ってやって来た。


背中に着替えを詰め込んだ袋を背負い、さらに両脇荷物を抱えてやって来た俺をお店の中で道具の点検をしていたらしいワンドルが暖かく迎えてくれる。


何気に荷物の多い俺を見たワンドルが申し訳なさそうな顔をしたけど、それの様子に首を振って応え平気だという事を伝える。それを見たワンドルが何時もの穏やかな微笑みを浮かべてくれたから意味は伝わったようなので何よりです。やっぱり美人さんには笑顔が一番だ。


……おお、色々と品物が揃ってるなぁ……おっ! この瓶に入ってる葉っぱは何かの薬草かな?


店内の商品に色々と眼を惹かれつつ、ワンドルの方へと近づく。



「ふふふっそんなに珍しい物は置いてない筈だけど、何か欲しい物でもあった?」

「グギャグギャ(うーうん特に無いよ)」

「そう? 何か欲しい物があれば言ってね? いつものお手伝いのお礼にあげるから」



首をフルフル横に振る俺の姿を見たワンドルがそんな嬉しい事を言ってくれる。いやーなんて心が広いんだろうね、どこぞの大剣少年に爪の垢を煎じて飲ませたい位だ。


おっといけない、まずは礼儀としてと。


背中に背負った袋と両脇に抱えていた荷物を下ろし、少しばかり姿勢を正してワンドルに向かってペコリと頭を下げる。



「グーギーギーググギギ(これからしばらくご厄介になります)」

「あ……クスっ♪ はい。こちらこそよろしくねアドン」



そんな俺に対してワンドルも頭を下げて礼を返してくれた。うん、親しい中にも礼儀ありだ。そこん所はしっかりしないと交友関係は上手くいかないから注意しろよっ!


……まぁ元の世界であんまり交友関係が広くない俺が言っても説得力なんて皆無だろうけどさ……へっ。


少々ヤサグレた気分になったものの、その時ワンドルがマジマジと俺の持ってきた荷物を見て口を開いた。



「それにしても本当に凄い荷物……着替えだけでよかったのに、アドンってば日用品まで持ってきちゃったの? それ位こっちで用意するから気にすることなんてなかったのに……」

「グギャグギグギッギギャー(いや本当は必要な荷物は背負って来た袋だけなんだ)」

「うん?」

「グギーグギーッグッグギー(脇に抱えて来たのはとある事に必要な物でして)」

「……御免なさい……何を言ってるのかちょっと分からない……トリスって本当に凄いなぁ。アドンの言葉をちゃんと理解できるなんて」

「グギグギッ! グギャーグギギギッ! グギギ(そうそれっ! その為に必要な物なんだっ! 見てて)」

「? どうかしたのアドン……ってそれは何? 木の棒に……板が縄で括りつけてあるみたいだけど」



ワンドルの怪訝そうな声を聞きながら、俺は地面に置いたままの脇に抱えてきた荷物―― 木の棒の先に板を括りつけた物の中から一つを選ぶ。


えーとまず最初は……これだな。うん元の世界の番号で『1』って刻んであるから間違いない。


そしてそれを持ち上げワンドルに向かって板を見せる。そして――



「え……『こんにちはおれアドン』―― ってこれって『妖精言語』の文字っ!? もう『妖精言語』の文字を書けるようになったの!? 凄いねっ!』



そうワンドルがちょっと興奮気味に、けど驚きと喜びに充ち溢れた顔を俺に向けた。


そう! 俺が両脇持って来た物―― それは元の世界で言う所のプラカードっ! 俺の意思を伝えるために準備してきたものさっ!


いや大変だったよこれを作るのは。長さが丁度よくて文字が書ける程の広さを持った木の板を探して括りつける作業にどれほど時間が掛かった事か……それもトリスに気付かれないようコソコソと隠れての作業だったもんなぁ。


しかしこのプラカードがあって初めて俺の計画は発動可能になるんだっ! それを思えば今までの作業なんて苦にならない!


あっと……そうだ裏返してっと……ほい。クルッとプラカードを裏返してワンドルに向ける。



「何なに? 『ようせいげんごはまだかんぜんにかけない。トリスおしえてもらったのそのままかいた』 ……もしかして書いてある意味はあんまり分かっていないって事?」

「グギー(そう)」

「そうなんだ……けど凄いよアドン! よくこんな事を考えついたね? 他のもこれからの事の為に必要な事を書いて来たんでしょう?」

「グギー(まぁねー)」

「ふふふっ本当にアドンは賢い子だね。トリスがべったりなのも分かる気がするなぁ」



そう言って俺の頭を撫でてくれるワンドル……よせやい照れるじゃないか!


でも本当に大変だったよ……トリスに『妖精言語』の文字を習いつつ『これはどう書くの?』『これってどういう意味になる?』とか言って、さりげなく知りたい言葉の文字を織り交ぜつつ聞き出すのは……!


もし気付かれたら絶対教えて貰えなくなる所だったもんなぁ……けどまぁトリスの天然さと俺が頑張って勉強してるって言う姿勢から、にこにこ笑顔で教えてくれたから問題は無かった。


その度に良心がチクチク痛んだけどね? ごめんよトリス。でも俺は何としてもこの計画を成功させたいんだっ!


上げていたプラカードを下ろした俺は、続いて『2』と刻んであるプラカードを掴んでワンドルに見えるように掲げる。



「ふふっ次は何かな? えっと……『じつはワンドルにおりいっておねがいがあります。そのためにこれをよういしたんだ』……え……私にお願い? その為にこれを用意したって……?」



少し驚いた様子のワンドルは、まさか自分にお願いをする為だけにこれを用意したとは思ってもみなかったらしく意外そうな表情で俺を見る。


その通りだ! 今回の計画……俺に協力してくれそうなのはワンドル意外にいないと思ったんだ! しかも今回はトリスが行商にて不在。でもワンドルは王国に残る―― これはもう天命だと思ったね!


それにワンドルならきっと俺に協力してくれるだろうと確信しているっ!


ワンドルの言葉に頷いた俺は、続いてプラカードをクルッと回す。



「えっと……『おねがい! ワンドルだけがたよりなんだ」って……え、ええぇぇっ!? わ、私だけが頼りって……!?」



裏に書いてあった文字を見て、ワンドルが戸惑ったような―― けど若干照れたような表情で落ち着きなく視線を彷徨わせる。


さらに少しだけ頬がピンク色に染まって……え、何この滅茶苦茶可愛い生き物? カメラッ! 誰かカメラ持ってきてっ!


この世界には無いっ!? 畜生何故カメラが無いんだこの世界はっ! やっぱりこの世界は俺に喧嘩売ってんだなそうだなっ!? また貴様(地面)を殴るぞいいのかこの野郎っ!?


……また頭のどこかで『好きにしろよ』っていう冷静かつ呆れを含んだ声が聞こえた気がした……いかん俺とした事が取り乱してしまった。


とりあえず深く大きく深呼吸し、冷静さを取り戻すよう勤め気持ちを落ち着かせる―― うん、良し落ち着いた。


しかし……くっ! 流石はワンドル。その可憐さにノックアウト寸前まで追い込まれるとは……えーい、これ以上醜態はさらせないッ!! さっさと本題に入っちゃおう。そう思って再びワンドルへと視線を戻し―― 




―― 未だ頬を染め、恥ずかし気に両指を胸の前で合わせてモジモジしているワンドルの姿を視界に捉えた。




ああ……どうしよう俺このまま魔王へとジョブチェンジして世界を滅ぼしてやろうとか考えてるよ。


そしてこの世界は将来こう呼ばれるんだ。『ワンドルが女の子じゃなかった上にカメラが無かったというしょうもない理由で滅ぼされてしまった世界』……ってな?


ふははははどうだ世界この野郎。貴様は未来永劫そんな恥ずかしいレッテルを貼られて銀河中に語り紡がれるんだザマァ見ろっ!! 


史上初のくだらない理由で、この世界が魔王を生み出しかけているなんて微塵も思っていないであろう目の前のワンドルは、しばらくの間モジモジとしていたけど……すぐに両手を軽くギュっと握りしめ、俺に向かって真摯な視線を向けて来る。しかも何か若干眼が潤んでるっぽい。


……一々仕草が可憐すぎるだろう何この普段穏やかで凛とした印象とはまるで違うこの可愛いワンドルさんギャップ萌えまで標準装備とか反則だろうああ本当にもう世界滅ぼしてえええええええっ!!


手始めに貴様(地面)をグリグリと足で踏みにじってくれるわ! このっこのっ!



「あ、ありがとうアドン。私を頼ってくれた事素直に嬉しい……私こんな風に頼られた事今まで無かったから……アドンも知ってるでしょう? 私って『ゴブランド王国建国戦争』の時の血生臭い戦歴の所為でみんなに怖がられてるから……『剛拳鬼姫』なんて異名も付いちゃって……だからそれ以来、集落の同胞から頼られる事なんて一度も……だからとっても嬉しい」

「グギギグギギ……グギ? グッグギ?(この野郎世界この野郎……え? ゴメン何て?)」

「だ、だから……こ、こんな私でもで良ければ何でも言って! アドンのお願いなら何でも聞くからっ!」

「グギギ!? グーギャグギ……グヘグヘッ! グギギギグー(マジで!? じゃあ嫁に―― ゲフンゲフンッ! 失礼忘れてください)」

「……どうかしたのアドン?」



危ない危ない、ちょっと暴走したまま突っ走る所だったよ。咳払いで誤魔化す俺にワンドルがキョトンとした表情を向けてくる。


えーと、ワンドルの言葉からするとお願いを聞いてくれるって事でいいんだよな? 後なんかその前に色々話しかけられてたような……ちょっと待って、えーっと確か『ゴブランド王国健康銭湯』がどうとか……


健康銭湯……? 何それ、新しく出来る湯浴み場の名前か? いやそのネーミングセンスはお兄さんどうかと……うん、何か色々聞き間違ってるっぽい。


まぁその辺は後々考えるとして、とりあえず協力者ゲット! やったぜ! 言質取ったもんねへへんだっ!


これでもう大丈夫。お願いの内容を聞いて渋ってもゴリ押しでイケる筈っ! 優しいワンドルの事だから最後には聞き届けてくれるだろう!


さて―― それじゃそろそろ本題へと入ろう。


掲げていた二枚目のプラカードを下ろし、地面に置いてあるプラカードの中から『本題』と刻んである物を手に取る。


そしてワンドルに向かって、まずは表を見せるようにして掲げた。



「うん? えーっと……『ムリをしょうちでおねがいします』。クス……♪ そんなに大きなお願いなの? 大丈夫。多少無茶な事でも聞いてあげるから」

「グギグギ? グギッギ!(絶対だよ? 絶対だからな!)



優しい微笑みを浮かべるワンドルに、意味は伝わっていないだろうけど念押しした俺は―― クルッとプラカードを裏返してワンドルに見せた。


そこに書いてあるお願い内容こそ計画の全貌っ! トリスが居ない今だからこそ可能な事だ。


プラカードの裏に書いてある、俺のお願いの内容を読み上げたワンドルの反応は――









「…………………………え?」









―― ヒクリと、優しい笑みを浮かべていた口元を引き攣らせ呆然とする……というものでした。



「…………」

「グギーギギ?(聞いてくれるんだよね?)」

「…………」

「グッギギー?(何でも言ってって言ったよね?)」

「…………」

「グギャグギャー?(多少無茶でも大丈夫って言ったよね?)」



固まるワンドルにそう何度も訪ねる事数分。


顔の前で手を振ったり、パンッと手を叩いて鳴らしたり、眼の前でパントマイムを行ったりする事さらに数分。


長い沈黙を経て、ようやく再起動を果たしたワンドルが口にした第一声はと言うと―― 






「え、ええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」






―― 耳を劈くような大絶叫でした。



そしてその後すぐに、俺とワンドルの間で初の大口論が勃発する事になった。


『駄目駄目駄目っ! 絶っっ対に駄目だからねっ!?』『トリスはこの事知ってるの!? ……あ! 逸らした! 今眼を逸らしたっ! 絶対逸らしたぁ!』『トリスに言いつけるよっ!? 良いのっ!?』『アドンを預かる以上そんな事させられませんっ!』『そ、そんな眼をしたって駄目だからねっ!』『その道具はこの為だけに用意して来たのっ!?』


と捲し立てるワンドルに対して――


『ムリをしょうちでおねがいます』『そこをなんとか!』『ワンドルだけがたよりなんです』『トリスにはいわないで!』『きいてくれるゆーたやん。ええやんかこんくらい』『うそはいけない』『おねがいしますワンドルさまっ!』


等と書かれたプラカードを次々と掲げつつ、何度も頭を下げてお願いするという攻防戦が展開されていった。


激しい攻防が繰り広げられていったものの、基本的に心優しいワンドルが次第に勢いを無くして行くのを見計らった俺が、畳み掛けるようにプラカードに『最終兵器』と刻まれている物を投入っ!



『おねがいっ! ワンドルおにいちゃんっ!』

『~~~~~~~~っ!?!? あ、あう、あうあうあうあう……っ!?』



それを見たワンドルの顔が真っ赤に染まり、しゃべる事も儘ならないまでに陥れる事に成功っ!


ふははははっ! ワンドルが子供好きで女の子に間違えられる事を実は気にしていると知った上でのこのセリフっ! さぁ耐えられるかぁ!? ワンドルお姉―― お兄ちゃん!?


その文字が余程衝撃的だったのか、尻持ちを着いてしまったワンドルに対しプラカードを掲げつつジリジリと間合いを詰める。


終いには瞳を涙目一杯にし、照れに赤面しつつ困り顔で『あうあうあう』と口から言葉にならない声を漏らすワンドルを見て。


『やべぇ……困り顔超可愛い……もっと困らせてやりてぇ……っ!?』


と、俺の中の悪魔が目覚め掛けるのを何とか克服し―― 俺は今一度『本題』と刻まれたプラカードを掲げた。







『ワンドルのカリにおれもいっしょにつれていってっ!』







―― そう。これこそ今俺がワンドルにお願いしている事で、今回計画した内容の全てだった。


『アドンにはまだ早いれふっ!』『危ないから駄目れふっ!』と言って猛反対し、狩りへの同行を許してくれないトリスのせいで俺は未だ狩りの経験が全くない。


早いって……俺と同年代の子は既に大人達に同行して狩りを経験してるみたいなんですが? と、その事実を伝えてみても『よ、余所は余所れふもん!』と言う始末……。


このままじゃ狩りの経験が一切ないまま一人取り残されてしまう……! だけど一人で狩りに行くなんて大それた事チキンハートな俺じゃ到底無理っ! 誰か一緒に行ってくれそうな大人は居ないものか―― あ。


という経緯の下、今回のこの計画を思いつき実行に移した次第ですっ!


過保護なトリスが居ない今だからこその好機っ! これを逃してたまるかああああああああああああああっ!!





―― そしてその後、俺の必死の懇願に対してワンドルが顔を真っ赤にして半泣きになりつつも。



『わわわわっかっちゃっ! 連れて行きゅっ! 連れていきゅきゃらあああああぁぁぁっ!!』



と、根負けしてヤケクソ気味に了承の悲鳴を上げたのは―― それからすぐの事でした。





【 備考 】


『ユ二ペオル大森林』


東の大陸の中央部に存在する、ケンタウロス族の住む深い森。雪が積もる美しい銀世界が広がっている神秘的な情景にて足を踏み入れた多くの生き物を魅了し、そして同時に方向感覚を狂わせ森の中に閉じ込め、厳しい寒さで凍死へと導く恐ろしき森。この森の奥にケンタウロス族は住んでおり、方向感覚を狂わせるのも彼らが使用する結界のせいであるとされている。ケンタウロス族の他に、この森には『幻獣ユニコーン』が生息するとされているが詳細は一切不明。


『夜の民』


『妖精族』の間では有名な御伽話に登場する太古の妖精族の一派。この内容はいずれ本編にて。エンカーはこの『夜の民』の末裔こそ『ホブゴブリン』『ピアゴブリン』であると信じているようである。


『ゴブランド王国建国戦争』


アドンが生まれる百二十年程前に、現在の『ゴブリン王 バルザム』が先頭に立ち、王国を建国する際に起こした戦争。その地を当時支配していたオーガ族に対し、奴隷として虐げられていたゴブリン達を憂いたバルザムが一念発起し、長い年月を掛けオーガ族を欺きつつ力を蓄え、そして一挙に立ちあがったのが全ての始まり。様々な軍略を駆使し、自らも戦場に立ち戦ったバルザムの姿に他のゴブリン達も立ち上がり、圧倒的な力を持っているはずのオーガ族を散々に打ち破り、そしてついに東の大陸から追い出すことに成功する。この時バルザムはゴブリン族の王国『ゴブランド王国』の建国を宣言。そして妖精達が住む東の大陸で今後自分達が生きて行く為にも『ゴブリン族は妖精である』と大陸中に訴えかけたという。


『剛拳鬼姫』


『ゴブランド王国建国戦争』の最中、ゴブリン族の一兵として参加したワンドルに付いた異名。当時ワンドルの年齢はまだ十にも届いてなかった。心臓を貫き、首を捻じ千切り、五体を引き裂く等という凄惨かつ無慈悲にオーガ族を屠る様は正に鬼。返り血を浴びつつもその風貌の美しさは損なわれず、誰が先に呼んだのか『剛拳鬼姫』と畏怖を込められてそう呼ばれるようになった。中でもオーガ族の将の一人を嬲り殺しにした挙句、相手が死に絶えても攻撃の手を止めなかった様は、オーガ族だけでなくゴブリン族にも恐怖を振りまいた。その後、止めに入ったバルザムに襲いかかると言った凶行を起こすも、バルザムの一撃によりワンドルが昏倒し事態は一応の終着となった。その後ワンドルは、己でも制御出来ないほどの暴力を身の内に宿していた事が発覚。力に呑まれ狂戦士と化していたことが判明した。その後ワンドルは戦争終結後、バルザムの勧めでボイゴールの元で精神修行に励む。この時に修行中のエンカーと出会い、兄弟弟子として共にボイゴールの下で修業に励んだ。そして長い年月を経て己の身の内の暴力を掌握することに成功するが、過去の己の凶行を知る同胞やその子供達にまで恐怖が浸透していたため、『剛拳鬼姫』の異名は消え去る事は無かった。実は子供好きであった為、子供に怖がられる事が一番彼の心を痛めていたようである。現在、彼を知りつつ恐れない者は王国内にも外にも数える程しか存在しない。

お待たせしました。実は照れ屋なワンドルさん。次回、アドンの本領発揮です。

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