第六話 真実は! 知らなくても良い事があるっ!
『ゴブランド王国』正門前。
門を潜れば『青の集落』へと直結しているこの門の前に、『白の集落』に住む『ホブゴブリン』と『ピアゴブリン』が集まり忙しなく動いていた。
門の前に停まっている大きな荷台に次々と荷を積み込んでは沢山の声が飛び交っている。少しだけ視線を外してみれば、『青の集落』に住む一般ゴブリン達も荷を担いでは正門の荷台の前へと運び込んでいる様が見える。
「―― おおーい! 鉱石はこれで全部かぁ?」
「携帯食糧は十分積み込んだかぁ? 片道で食糧切れ起こして積み荷に手を出すなんて事がないようにしろよ」
「おいっ!? 『ホクホクダケ』の数が合って無いぞどういう事だ!?」
「ギクッ……!」
「お前っ……!? あれは今回の行商の荷物だっていったろうが! 革袋に包んで一ヶ所に集めてたのに何で食べるんだよっ!?」
「い、一個ぐらい良いと思ってよぉ……」
「何が一個だ二袋近く無くなってるじゃないか!」
「え? 俺一個しか食ってねぇよ?」
「俺も」
「俺もだ」
「わしもじゃ」
「オレモダイ!」
「ボクモー!」
「「「「「いや不思議な事もあるもんだー」」」」」×20
「……お前等ちょっとそこ横一列に並べや」
うんうんと頷く同胞の集団の元へ、殺す笑みを張り付けて近づいて行く『ホブゴブリン』から視線を逸らし、俺はまたボンヤリと荷台へ荷を積み込む作業を行う同胞達の姿を見回した。
今回の行商はいつもと違って長期に渡るものとなる為、みんな準備に余念が無い様子だ。
しかも行商先は、俺達ゴブリン族と友好同盟を結んで間もない種族。上半身は人、下半身は馬という容姿を持つ妖精族。ケンタウロス族との記念すべき第一回目の物資交換だというのだから当然といえば当然か。
ケンタウロス族の住む森は北の険しい山脈一つ越えた先にある為、片道にニ週間以上も掛かってしまうのだそうな。その間に何が起こるか分からないため、安全面も完璧に考慮した準備を万全にしておかねばならない。
いやー行商ってのは本当に大変な仕事だよね~……
そんな呑気な事を考えて、忙しなく行きかう荷物の流れを眺めていた俺だったが、不意に左手に滑った感触が走った為そちらに眼を向ける。
するとそこには唾液塗れの舌を口から垂らす、大きな眼球を持った一匹の巨大なトカゲの顔が俺の顔のすぐ横に現れたではありませんか。
パチパチと何度も瞬きするその瞳は、俺に向かって『構って、構って』と訴えかけている様です……何て人懐っこい巨大トカゲ君なんでしょう。これで君が犬か猫だったらお兄さん迸る胸の中の熱いパトスのままに君を撫でくり回していたことだろう……現実とはかくも残酷なモノだというのだろうか?
ワンドルの事といい、マジでこの世界は俺に喧嘩売ってるとしか思えない。まぁ爬虫類は別段苦手って訳じゃないからワンドルの時程憤りを感じはしなかったんですがねー。
あ……駄目だまた目頭が熱くなってきた。
その時、俺の哀愁を感じ取ったらしい巨大トカゲ君は、俺の左頬をべロンともう一舐めしてきた。断じて『こいつ食えるかな?』とかいう味見目的な行為ではないぞ? 此処重要。
よく観察してみれば『どうしたの? 大丈夫? どこか痛いの?』と大きな二つの眼球からそんな意志を簡単に読み取ることができるんだから。……ああ何て優しいんだろうこの巨大トカゲ君は、最初の頃その口から覗く鋭い牙にマジでビビって恐怖していたお兄さんをどうか許しておくれ。
そんな優しい巨大トカゲ君―― 荷台車に繋がれたニ体の小型のドラゴン種。『キュドラス』一頭の頭に左手を乗せた俺は、その硬い鱗で覆われた頭をゆっくりと撫でてやる。すると『キュドラス』君は気持ち良さそうに眼を細め『もっと撫でて』と言わんばかりに、甘えるように頭をすり寄せてきた。
本当に人懐っこいなぁ。下級とはいえドラゴン種だというのに随分と大人しい気質だ……まぁ躾と育て方が行き届いてるからなんだろうけど。ゴブリン族の調教師の腕はどうやら中々のものらしい。
しかも肉食の上これでも一応ドラゴン種であるためその力も強く、熊ぐらいなら簡単に狩って捕食してしまう程だというのに、今まで『キュドラス』君達が同胞に危害を加えたなどと言う話は聞いた事がない。やっぱり下級とはいえ流石はドラゴンと言った所か。敵味方の判別がつく位の知能はあるみたいだね。
甘えん坊の『キュドラス』君の望みのままに、そのまま頭部を撫で愛でていた俺だったが―― その時。
「アドンーっ!」
「グギ?」
『キュロロロロ……』
名を呼ぶ声が耳に届いたので撫でる行為をいったん中断し、撫でるのを止めてしまった事に不満そうな鳴き声を漏らす『キュドラス』君に悪いと思いつつも、自分の名前を呼んだ方向へと顔ごと視線を向ける。
するとそこには、ボイゴールさんと一緒に荷台の横に並んで立っている『ピアゴブリン』―― トリスの姿があり、ニパっとした愛くるしい満面の笑みを浮かべながらブンブンとこちらに向かって右手を振っていた。ボイゴールさんも穏やかな笑顔を浮かべつつ、こちらに手招きをしているのでどうやら俺に何か用事があるらしい。
お、どうやら俺にも手伝える仕事が出来たみたいだ。
いやー今回の荷物はどれも大きな物しかなくて、今の俺じゃ運ぶ事は難しかったからねー。手伝えることが何も無くて、手持ち無沙汰になっていたから仕方なく『キュドラス』君の相手をしていたんけど、それもどうやら終わりの様です。
『キュドラス』君のすぐ横に立ててあった柵の上に腰掛けていた俺は、呼ばれるままに柵の上から飛び降りて、いざトリスとボイゴールさんの元へ―― と柵の上で立ちあがろうとしたその時、ヒョイと襟首を掴まれ体が宙を浮く感覚に襲われた。
俺はクレーンゲームの景品ではないぞ!? と思いつつ視線を後ろへと向けると、そこには俺の着ている服の襟首を軽く口先で咥えた『キュドラス』君の姿が。
まだ構って欲しくて俺を二人の元へ行かせないようにしているのか? と思ったのだが、次の瞬間にはゆっくりと体が降下して行き、そしてすぐに両足が地面に触れて着地する事が出来た。
驚きのままに再び頭上を見上げると、そこには服の襟から口先を離した『キュドラス』君の顔面ドアップ姿が視界一杯に広がっていた。
『キュロロロロ~』と何処となく優しげな鳴き声と、こちらを見つめる二つの眼球から『飛び降りるのは危ないよ』と注意を促しているかのようだった……どうやら俺が怪我をしないように柵の上から降ろしてくれたみたいです。
……やべぇ。今すぐトリスの元に突っ走って『トリスお姉ちゃん! あの『キュドラス』君欲しい!』と、子供染みた演戯満載でおねだりしようと、脳内思考満場一致で可決しかねん程の衝撃を受けたぜ……!
ありがとうの意味も込めて、自分の腰に巻いている小さな道具袋から『蜜虫団子』を一つ取り出した俺は、そのまま『キュドラス』君の口の中に放り込む。モグモグと口を動かす『キュドラス』君の頭をもう一度撫でてやり、そのまま戯れていたいという甘美な願望から身を切るようにしてその場を離れ、二人の元へと移動する。
この世界はゴブリンといい『キュドラス』君といい、見た目の容姿に反して気の良い奴が多くて本当に困っちゃうよお兄さん……。
「ほっほっほ。アドンは随分と『キュドラス』達に懐かれておる様じゃな? あの警戒心の強い『キュドラス』を僅か数日で手懐けてしまうとは……アドンは調教師の才能があるのやも知れぬ」
二人の元にたどり着いた俺を待っていたのは、俺の頭を撫でながらそう話しかけてくるボイゴールさんの声と微笑だった。
何だか最近特に俺を見る目が孫を見るような感じになってきたなぁと思うのは気のせいだろうか? 勘違いじゃなければいいなぁと思う今日この頃です。
乾いたボイゴールさんの手の感触に眼を細めていたが、不意にもう一つ俺の頭に手が添えられたので、そちらへと視線を向ける。まぁ誰かは分かっているんだけどね?
「きっと『キュドラス』たん達にも、アドンが良い子らって事がわかってるんでふねー。お姉たんは鼻が高いれす」
そう言って笑顔をこちらに向けるトリスがボイゴールさんに負けじと頭を撫でてくれる。うん、相変わらず今日も愛らしい姿です。
二人のされるがままにしばらく和んでいた俺だったが、すぐにハッと正気に戻る。いかんいかん、つい和んでしまった。このままでは唯二人に撫でられるだけで行商の準備が終わりかねん。
そう思い、少しばかり名残惜しく思いつつも軽く頭を振って二人の手から逃れる。
俺の行動にボイゴールさんが『おお……いかんいかん』と苦笑する。……そんなに夢中になる程、撫で心地がいいのだろうか俺の頭は? 確かに頭の上の小さな帽子の下は毛が一本も生えていないツルっツルだから滑らかではあるけど……。
そしてトリスは何故そんな不満そうに唇を尖らせ『む~』と唸っているのかな? 君は家でも毎日のように撫でているからいいでしょうに。とりあえず今は控えて……いや出来れば日頃何かある度に俺を抱きしめるのも少し自重してくれると、俺としては大変助かるんですが。
精神的にまだ幼さが残り、身長も低いトリスなんだが……実はかなりのスタイルの持ち主であったりするんですよこの子。
最初の頃は大変だったよ。無防備に抱き付きだの頬擦りだのしてきては、その大きめの胸やしっとりとした太股の柔かな感触に何度理性が崩壊しかけた事か……っ!! 心の内で念仏のように『俺はロリコンじゃない』を唱えまくったのが功を奏したようで何よりだった。
その甲斐あって今は少しだけ耐性付いてるから、抱き付かれても動揺せずに済むようにはなったんだけど、もう少しトリスには貞操観念を強く持って欲しいなぁ……! お兄さんは君の純粋すぎる無垢さが心配だ! 悪い男に騙されやしないか気が気でないぜ!
―― っと、いかんいかん話が打線しすぎた。膨れるトリスに色々と思う所はあるものの、俺はそんな二人を見上げたまま口を開く。今はトリスがいるからボイゴールさんとも通訳という形で意思疎通が可能だ。気兼ねなく『グギー』と鳴けます。
「グギギギーグギッギ?(何か俺に用があるんじゃないの?)」
「……むぅ? トリスや、アドンの言葉を訳しておくれ」
「あ、ハイれす! 何か用事があるのではないれすかってアドンは言ってまふ!」
「おお、そうじゃったな。実はのうアドン? お主に一つ頼まれて欲しい事があってのう」
俺に向かって、そう言葉を発したボイゴールさんが表情を綻ばせる。
……うーん流石トリスだ。完璧に俺の言葉を理解している。本当に何故理解できているのか謎だ……トリスなら『キュドラス』君の言葉まで訳せるんじゃないだろうか? さっきの俺の様な主観的な予想などではなく完璧に。
「グギギギー?(頼みごとって?)」
「それは何れすかって言ってまふ!」
「うむ。頼み事と言うのはのう……ほれ、そこに袋詰めにした『ホクホクダケ』が一ヶ所に集められておるであろう? お主にはあそこで見張りをしていて欲しいのじゃ。手癖の悪い同胞が手を出さんようにの?」
「グギギ? グッギグギギグギギギー?(見張り? さっきの『ホブゴブリン』はどうしたの?)」
「さっきまでの『ホブゴブリン』たんはどうしたんれすか? って言ってまふよ」
「……ああ、あ奴はのう……ほれ、あそこを見てみなさい」
「グギ?(あそこ?)」
「あそこ?って言ってまふ!」
「……そこまで訳さんでもよいぞトリスや」
「あう……」
ボイゴールさんが指を向けた方向に、そのまま指先を辿るようにして首を回す。一体何があるというのだろうか?
そして視線を向けたその先で、俺の眼に映った光景はと言えば――……
『あひゃははははははははははははははっ!? やめ、やめろやめうひゃはははははっ!?』
『良い子ぶっちゃってんじゃねぇよこの野郎!』
『少し食ったくらいで目くじら立てんじゃねぇぞ!?』
『ふ、ふざけんなあれは今回で一番のほほほほほっ!? あはははははははははははっ!?』
『こいつまだスカしてやがる生意気な。まだ分からねぇみたいだなぁ?』
『うりうり! どうだこの野郎『青の集落』の力を思い知れ!』
『おい脇腹も責めちまえ』
『おーいガキども、脇をお願いできるかなー?』
『ワキー!』
『コチョコチョー♪』
『あはははははははっ!? や、やめろおおおおおおおおおっ! ぶひゃはははははは! ひぃっひはははははははっ!』
―― ついさっき殺す笑みを浮かべながら同胞たちの元へと向かって行った『ホブゴブリン』が、同胞達に囲まれ両足の靴を脱がされくすぐりを受けている所だった。
しかも悪ノリした同胞が次々とくすぐりに参加し、捕まった『ホブゴブリン』君は全身をくすぐられるという一種のリンチ状態に陥っちゃってますね。
どうやら注意しようとした所で返り討ちにされたらしい。成程、数の暴力に屈してしまったのか……。
―― ああ、今日もまた世界から一つの小さな正義の灯が消えてしまった。世界とはかくも残酷で非情なものだというのか、如何ともしがたい世の無情さよ。
笑い声が悲鳴に変わってきた所で、俺は視線をボイゴールさんとトリスの元へと戻した。あっちは、ほっといても死にはしないだろうから放置の方向で。
「グギギギギグッギグーギャ?(見張りの代わりをやればいいの?)」
「見張りたんの代わりをやればいいんれすか?って言ってまふ」
「その通りじゃ。今回の行商の中でも『ホクホクダケ』は相手方のケンタウロス族が一番望んでいる品でのう……これ以上減らされるのは拙い。やれやれ全く困った奴らじゃ……大分多めに用意しておいて正解じゃったわい」
「グギギギギー(ゴブリンだからねー)」
「そうれすねー♪ 悪戯っ子たんれすねー?」
「後少しで準備も整う。それまで見張りを頼めんかのうアドンや?」
「グギ……グギグーグギグギャー(まぁ……他でもないボイゴールさんの頼みなら)」
「ボイゴールたまの頼みならって言ってまふ! やっぱりアドンは良い子れすっ!」
「ほっほっほ。嬉しい事を言ってくれるのう」
……俺が絶賛リンチ中の『ホブゴブリン』と同様の末路を辿る危険性もあるにはあるんだが、ここはお世話になっているボイゴールさん立ってのお願いだし無碍に出来ない。
それに後少しで準備も終わるとの事だから、少しの間くらいなら大丈夫だろう……多分。
同胞のゴブリン達だって、まさか子供相手に集団リンチなんてしないだろうしね……多分。
若干の不安が残るものの見張りを承諾した俺に向かって、トリスが心底嬉しそうに抱き付いてきた。瞬間、溢れる花のような香りと柔らかい感触が俺を包み込む。
だーから色々と当たってるんだってば! いや嬉しいよ? 男としては滅茶苦茶嬉しいけど、少しは自分の事を自覚してくれよ頼むから。
微笑ましいモノを見るようなボイゴールさんの視線を受け、トリスに抱きしめられるままの俺だったが。不意に行商の別の荷台の方向から、二匹の『ピアゴブリン』がこちらに近づいて来るのが視界の隅に映った。
……お? やれやれ、これでトリスがようやく離れてくれるよ。
抱きついて頬擦りしてくるトリスの肩をトントン叩き『ピアゴブリン』の方向を指さして教えてやる。するとトリスはキョトンとしながらも、すぐに近づいてくる『ピアゴブリン』達に気付いて慌てて俺から離れた。
ボイゴールさんもすぐに気付き、近づいて来た『ピアゴブリン』達の方を見やる。
「―― ボイゴール様ぁ。案内役のケンタウロス族の方がぁ、最終的な確認の為の話がしたいとのことですよぉ?」
「む? そうか分かったすぐに向かおう。……ではアドン頼んだぞ」
「グギー(はーい)」
「トリスちゃんっ! もうっ! 眼を離すとすぐアドンちゃんの所に行くんだからぁ! 『虫除けの香』の数は確認したのっ!?」
「か、数えまひたよ? か、数は大丈夫れひた。そ、それとアドンの傍にいたのはボイゴールたまに頼まれたかられすよ? ト、トリスから会いに来た訳りゃないれふよ……?」
「本当にぃ~? さっき抱きついてたよう見えたんだけどぉ?」
「え、えうぅぅ……」
「……グギャグー? グギギグ(……トリスー? 俺もう行くね)」
「はひぃっ!? そ、そうれすね早く行った方がいいれふね! お仕事頑張るれすよアドン!」
「えぇー!? アドンちゃん行っちゃうのー?」
「グギャー(またねー)」
「あ、待って! 私も抱っこし――……」
「ほ、ほらほらトリス達もお仕事行くれす! え、えーと護身用の『麻痺蛾の粉袋』の確認がまだれひたよねっ!?」
「ちょ、ちょっとトリスちゃん背中押さな……もぉっ!」
「トリスちゃんって本当に独占欲強いなぁ。アドンちゃんも大変だぁねぇ?」
「ほっほっほっほ」
トリス達に手を振り、背中越しにボイゴールさんの笑い声や『ピアゴブリン』達の会話を聞きながらその場を後にする。
いつもポヤポヤしているトリスだけど、ああ見えて仕事はかなり出来る子なんです。丁寧かつ正確で、何気にテキパキと動き、ある時は他の仕事の指示役も受け持つなんて事もあったりするんだこれが。
……今朝、汲んで来た桶の水に寝ぼけて顔ごと突っ込んで、そのまま二度眠し窒息しかけるという常識離れした珍事を起こした張本人とは思えないよな……その瞬間思いっきりドロップキックお見舞いした俺はきっと悪くない。何故私生活で仕事の時の慎重さが活かされないのか甚だ疑問だ……。
内心溜息を吐きつつ、少しばかり歩き『ホクホクダケ』の袋が一ヶ所に集められている場所まで容易に辿り着き、そのまま重ねられている袋の前で腰を下ろす。
……さーて、短い間だけどなんちゃって用心棒役を頑張るとしよっと。カカシ程度の役割くらいは果たして見せよう。効果があるかは分からないけどね?
ふーっと短く息を吐きだした俺は。この『ホクホクダケ』が積みこまれる時間になるまで、再びボンヤリと眼先の光景を眺め過ごす事に決める。何事も無ければいいんだけどなぁ。
『―― おいおい。今度はアドンが見張りみたいだぜ?』
『ケケケ! 飛んで火にいる夏の虫たぁこの事だぜぇ……また何個か頂くとするか』
『……さーて、他に運ぶ荷物はあるかな?』
『……オイラも仕事に戻ろう』
『ど、どうしたんだお前等? 急に真面目になりやがって』
『いやぁ……だってアドンが見張りになると……なぁ?』
『ああ、もうちょろまかす事は無理だと思ってな……』
『はぁ……? 何言ってんだよ? アドンはまだまだガキで最弱の『グリーンゴブリン』だぜ? 簡単だろうが……ははーん? さてはお前等トリスに嫌われるのが嫌なんだろう!』
『……そう思うなら行ってこいよ』
『だな。身を持って体験した方が一番理解できるだろうしな』
『……チッ! 腰抜け共が、分かったよ俺一人で行くぜ! 盗ってきた後に分けろって言っても聞かねえからな!』
『あ! 待て俺も行―― な、何だよ?』
『まぁ待て。一度あいつの末路見てからでも遅くは無いから、その後どうするか決めろよ』
『『『『『……?』』』』』
『―― ヘンッ! アドンみたいガキ一匹からちょろまかすなんて簡単だぜ! ……大人しく渡せば俺も鬼じゃねぇ、力尽くってのは勘弁してやらぁ。……けどもしも反抗しやがったその時は容赦し―― げふおうッ!?』
―― うん? なんか物凄く重くて鈍い重低音が? 鈍器を叩きつけた様な音を聞いた俺は、首だけ動かして音のした方向へと視線を向ける。
……するとそこには何だろう? まるでヘビー級のボクサーの強烈なリバーブローを叩きこまれた様に、脇腹をおさえて顔面蒼白にした同胞が、口から胃の中身をぶちまけ悶絶し倒れ伏す姿が見えた。
な、何だぁ!? 一体どうしたんだ同胞よ!? 驚いた俺はすぐさま駆け寄ろうとしたが―― その時。
『―― どうしたの大丈夫?』
そう言って心配そうに、脇腹をおさえて蹲る同胞のすぐ近くにいたらしいワンドルが、同胞のすぐ隣へと腰を下ろす姿が目に入った。
―― おお流石ワンドルだ! 何時の間にそこ現れたのか全然分からなかったけど、同胞の危機に真っ先に反応するなんて……ワンドルマジ天使! ……男だけど……男だけど……っ!
何故俺に男の娘を愛でるスキルが無いんだろうなぁ……と思いながら、目の前のなり行きを見守る事にする。ワンドルが一人いれば安心だもんね!
こちらに背を向けているからその表情までは分からないけど、きっと彼は今頃心配そうに表情を崩し、正に妖精と言っても過言ではない慈愛の瞳を讃えている事だろう。うんうん。
『―― っ!? ガッ……!? カハ……ッ!』
『……もしかしたら、摘み食いした『ホクホクダケ』があたっちゃったのかもしれない。うーん……おかしいねぇ。全部新鮮な物ばかりなんだけど……あ、もしかして『ホクホクダケ』は貴方の体には合わなかったんじゃない?』
『ゴ……ッ!? 何……言って……お前……ウゲェッ!』
『……クス……♪ 摘み食いはいけない事だと思わない? 特に今は……ね?』
『あがががっががががぁぁぁーっ!?』
優しい手つきで倒れ伏す同胞の脇腹に手を添えるワンドル。嗚呼……いいなぁ、俺もあんな風にワンドルの優しい手で撫でて欲しいなぁ。いつも頭を撫でてくれるワンドルの手の平には、極上の柔らかさと優しさがデフォルトで備えてあるからね。
ハッ!? 俺は今何を思った!? ワンドルは男だというのに……!? もしや俺に中にも男の娘を愛でるスキルが芽を出し始めたのだろうかっ!
それにしても、あの倒れてる同胞はリアクションが大袈裟すぎやしないか? いくら嬉しいからって、あんなに足をバタバタさせて喜ぶ事無いだろうに。
あははは全くしょうがないなぁ~。
『お、おいおいおいおいっ!? な、何だよあれエゲつねぇ……っ!?』
『……まぁ『青の集落』じゃそこまで知れ渡ってねぇから仕方ねぇか。……アドンにはな? 何時も最強のガーディアンが付いているんだよ』
『な……んだ……と!?』
『アドンはワンドルに凄く懐いてるからなぁ。ワンドルもアドンの事を実の弟みたいに可愛がってるし。危害を加えようとしようものなら……まぁそう言う事』
『……『剛拳鬼姫ワンドル』その異名は伊達じゃねぇ。その拳の一撃はオーガの鋼の肉体をも容易く突き破る。あれでも滅茶苦茶手加減してる方なんだぜ?』
『ワンドルたん……ハァハァ……!』
『その異名と凄惨な戦歴のせいで、それを知る全集落中の同胞に恐れられてるから……自分の事を全く怖がらずに慕ってくれるアドンの事が可愛くてしょうがないんだろうなぁ。……一部、熱烈な信者はいるけど』
『『白の集落』でその事知らない奴はいない。そこで暮らしてる以上アドンも知ってる筈だしな』
『……で? あれを見てまだアドンが見張りをしている所に、手を出そうって言う猛者はいるか?』
『『『『『さーて真面目に仕事しなきゃっ!』』』』』
―― うん? その様子をボソボソと会話して見守っていた後方の同胞たちが、蜘蛛の子を散らす様に解散していくな。
若干顔色が悪い同胞がいるみたいだけど……ああもしかして『ホクホクダケ』があたってしまった同胞の様子を見て、摘み食いした自分もそうなってしまうかと思って怖くなったのかな。
大丈夫じゃないか? 僅かに聞き取ったワンドルの言葉じゃ、あの倒れてる同胞はアレルギー持ちみたいな事が聞こえた気がするし。アレルギーを軽く見ちゃいかんよ? 酷い時は命に関わることだってあるんだからな。
一部始終を眺めていた俺だったが。同胞たちが解散した所で、倒れている同胞から手を離したワンドルが立ち上がりこちらに振り返ったので、ワンドルに向かって『グギー』と鳴きつつ手を振る。
振り向いたワンドルは最初、若干驚いたように体を硬直させその美しい顔を青く染めていた様子だったけど……手を振る俺の様子にホッと息を吐くと、美しい微笑み浮かべて小さくヒラヒラと手を振り返してくれた。
……うん? 何で最初怯えるように青くなったのか分かんないけど、最後はいつものワンドルの様子に戻ったので深く考えるのは止める事にした。うんいつもの美人さんですね。
しかし……あの何処から見ても華奢で細い体格で、かつ美しい容姿のあのワンドルが。『白の集落』ではエンカーに次ぐ実力者だなんてどう見ても思えないんだけどなぁ。
もしかして彼は魔法とか弓とかそういった後衛タイプなのかもしれないねっ! うん何だかしっくりくるよ。魔法とか使ったり、そう言った武器を実際に使った姿は見たことなんてないけどきっとそうだろう。
そう自己完結した俺は、今度は両手でワンドルに向かって手を振り返し上機嫌である事を体全体を使って表現した。
その俺の姿により一層笑みを深めたワンドルは最後にもう一度だけ手を振り返してくれた後に、倒れ伏し動かなくなった同胞と、壊れた笑いを浮かべ痙攣する『ホブゴブリン』の二匹を両肩に担ぐと、軽い足取りで何処かへ去っていった。……うんまぁ、一応男だからそれくらいの力はあっても変じゃないよね。
……それにしても連れて行かれた同胞達が少し羨ましいぞこの野郎。きっとこの後、ワンドルの手厚い看護を受けるに決まっているんだから。
まぁそれはともかく先程の一幕の御蔭で、背中の『ホクホクダケ』を狙おうとする同胞がいなくなった事に安堵した俺は。特に気を張って身構える事もせず、適度な警戒を持ちながらリラックスして見張りの仕事に専念する事にした。
終いには鼻歌さえ口ずさむ俺の様子を、苦笑交じりで眺めて近づいてくるボイゴールさんが現れるまで、それは続いたのだった――。
ボイゴールさんやトリス。そしてエンカーと言った『白の集落』で名が知れ渡っているゴブリンが参加する、俺にとっても初めてトリスと長期に渡り離れて過ごすことになる今回の行商。
その長い期間の間に、俺は前々から計画していた事を実行しようと気付かれ無いように内心でほくそ笑む。きっと上手く行くさ、この計画に協力してくれそうな人に心当たりあるしね?
トリスと離れて過ごすのを良い事にそんな事を計画し実行したなんて事が、彼女にバレたら絶対に怒られるだろうけど……大丈夫全く問題ない! バレなければいいのさ、バレなければっ!
……バ、バレないよね?
【 備考 】
『ホクホクダケ』
『ゴブランド王国』周辺の森で収穫出来る赤みがかったキノコの一種。特に変哲もないキノコだが、一度口にすれば火で熱している訳でも熱湯で茹でた訳でもないのに、口の中で適度の熱を発し生のままでも十分食べられるという一風変わった性質を持つ。寒冷地域では特に重宝されており、寒い中であってもその性質は失われない為、暖を取るのに適している。食べ方は塩を振ったり、バターを塗ったり、他の食材同様調理に用いたりと様々。このキノコが豊富に採取できる『ゴブランド王国』との関わりを強く持とうとする妖精族も多く、寒さの厳しい森に住むケンタウロス族もその例に挙げられる。
『キュドラス』
小型のドラゴン種。『ゴブランド王国』では荷台を引く労働力として飼育されている。ドラゴン種の中では低級であるものの、その力は野生の熊程度では歯が立たない。肉食で鋭く細かい牙を持ち、全身を焦げ茶色の鱗で覆っている。手は小さく退化しており二足歩行で移動する。体格は大きいモノで全長二メートル弱。ドラゴン種はその全ての感覚が発達しており警戒心が強く小さな敵意さえも瞬時に看破し、一度敵意を持った者には金輪際何があっても信用しないという一面性を強く持っている。そのため飼育には最大限の注意が必要とされるが、逆に一度その懐に入った存在に対しては極めて従順で、よほどの事が無い限りその存在を見限る事はないという高潔な精神も持っている。
お待たせしました。