第五話 一日の朝は絶望と共に
―― 俺の朝は早い。
パチリと目を覚ました俺は、温もりの残るベットから起き上がる。
そのまましばし目をグシグシ自慢の鼻をコシコシ擦る。そんでもって締めに両手を伸ばして大きく欠伸をする。
「ギアアアアァァァ……ッ!」
最初の頃は一体何処の悪魔の断末魔かと疑いたくなるような欠伸だったが……今となっては馴染み深い朝の一幕です。
その後ベットの上で立ち上がり、続いて視線をすぐ隣へと向けると、そこには可愛らしい寝顔を晒す『ピアゴブリン』のトリスの姿があった。
……この子また俺のベットに潜り込んで来たようです。
トリスの後ろに視線を向けると、そこには俺の眠るベットよりもかなり大きな寝台が存在を主張するように設置されていた。
白で統一された可愛らしい女の子向けのセンスの良いデザインだ。これを彼女に贈った『ホブゴブリン』の彼女へ対する強い想いが伝わってくるかのようである。
まぁ、実際トリスの睡眠時間の約一割程しか有効活用されていないのが現状ではあるのだが……だって、ほぼ毎朝眼を覚ますと俺を抱き枕にして横で寝息立ててるんだよ? この自称保護者さん。
一回いつの間に潜り込んでくるのか確かめるために、俺は自分のベットでタヌキ寝入りを決め込んでみた事がある。するとどうでしょう? 一時間に満たない間に彼女がムクリと起き上がり、こそこそと俺の眠るベットの中へ潜り込んできたではあーりませんか。いくらなんでも早すぎやしないか?
俺を抱き枕に『……お休みなはいれす』と言って眠りに落ちるまで所要時間僅か十秒。
寝付きよすぎだろう……信じられるか? これでもあっちの世界居た頃の俺よりも遥かに年上なんだよ? ……まぁゴブリン族の寿命考えると、まだまだ若いんだろうけど。
身体の成長は早いが精神の成長の度合いには個人差が激しいのがゴブリン族の特徴の一つってのは聞いたが、その中でも彼女は極端に幼すぎやしないだろうか?
ちなみにゴブリンは僅か三年で成人にまで急激に成長するも、その後の肉体の急成長は嘘のようにピタリと止まるそうな。あきらかに年寄りっぽいゴブリンがいたら、そのゴブリンの年齢は五百年は過ぎているらしい。
生まれてまだ一年足らずの俺が、既に二足歩行出来ているのだからこの話は本当なんだろうなぁ。未だにちゃんとした言葉らしい言葉を発する事は出来てはいないけどね……。
それも含めた上で、翌日の朝『年上なのに……』という意味で半眼で『グギー』と鳴いて伝えてみたのだが、その時のトリスの言い分は。
『……らって一緒に寝た……りゃなくて……ア、アドンが寂しそうらったから添い寝してあげたんれふ。お姉たんらから当然らもん……トリスが寂しかった訳じゃらいもん』
である。視線を泳がせモゴモゴ言い訳する自称保護者に『ああもう可愛いなぁ畜生っ!』と悶絶してしまったのも、これまた良い思い出の一つとなっています。
その後はもうトリスの好きにさせてあげた。それで彼女が喜ぶなら抱き枕だろうがヌイグルミ扱いだろうが受け入れよう。
……しかし注意した時も思ったが未だ『グギー』としか鳴けない俺なのに、俺の意思を何一つ間違える事無く正確に理解できるのは何故なのだろうか?
彼女の熱烈な信者と化している『ホブゴブリン』に『残念な美形』という意味を込め『グギー』と鳴いてみたものの、鬱陶しそうな顔を返すだけで全然伝わらなかったと言う過去の例もあるというのに。
どうして分かるのか一度聞いてみたが、本人曰く『お姉たんらかられすっ!』の一点張りで謎は深まるばかりです。……もう理屈じゃないのね?
明らかに二人で寝るには窮屈な俺のベットでスヤスヤと寝息を立てているトリスの姿に苦笑しつつ。
俺は眠っている彼女に掴まれたままの自分の右手に眼をやり、彼女を起こさないよう慎重かつ丁寧にその白魚の様な指の一本一本を外していく。無事外し終えた後は掛け布団を彼女にそっとかけてやり、一人ベットを飛び降りペタシペタシと部屋の外へと向かって行った。
扉の前に立ち、扉の下に付いている俺専用の通り穴を塞いでいる蓋をカパリと開け体を潜り込ませる。寝室の部屋を出て短い廊下を進み、さらに外へと繋がる扉の前に立つ。
内側の留め金を外し再び俺専用の通り穴の蓋を開けた所でようやく外へと出る事が出来た。
外からカギを掛け直した後に外の置いてあった水桶を背負うと、俺は少しばかり早足で『白の集落』の道なりを移動した。
早朝の水汲み、俺の一日はまずこの仕事から始まるのである。
* * * * *
―― ゴブリン族の住む王国『ゴブランド王国』
俺がこの王国の中の四つの集落の一つ『白の集落』で暮らすようになって早くも一年が経とうとしていた。
この世界に来て、まさか自分がゴブリンなどというRPGの定評のザコキャラになってしまっていた事実には驚いたものの、今ではすっかりそんな自分を受け入れる事が出来ている。
未だに鏡に映った自分の容姿に『うわキモッ!?』と、ビビる時も無くは無いんだけど。それでも俺は今の自分の新しい人生……いやゴブリンだから違うか? まぁとにかく新しい生活を楽しいと感じている。
この世界で意識が目覚めたあの夜から二日後に、赤ん坊の俺はトリス達『白の集落』の行商組に連れられてこの『ゴブランド王国』へとやって来た。
後で聞いた話だが、俺はどうやら本当に命を落としかねない状況に置かれていた所を彼女等に助けられ保護されたらしい。
詳しい話は暈されたけど、そんな俺を真っ先に助け出そうと体を張ってくれたのがトリスだという事は分かった。トリスは本当に俺にとって命の恩人なのだそうです。
この国に来た時は本当に驚いた。洞窟に入ってしばらく進んだかと思ったら中にはとんでもなく広大な空洞があって、さらに中央に巨大な岩を削り取った天然の城の様な建物があり、その下では城を囲むように存在する大規模な岩と土の街があったんだもん。
空洞の遥か高みの天井はぽっかりと天然の大きな穴が開いていて、そこから見える大空から太陽の光が差し込み岩と土の街を照らす様子にはちょっと感動を覚えた。
……けどそのすぐ後に『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』という可愛らしい外見のゴブリンではなく、醜悪な(これが一般的らしい)容姿のゴブリン達の姿を目の当たりにし、感動も吹っ飛ぶくらいの悲鳴を上げる事になったんだけどね?
あの時はマジで怖かったよ、本気で食われるかと思ったもん。
『妖精さん達逃げてえええぇぇ!? こいつらきっとゴブリンだよっ! 序盤の敵の出現だぁ! ぎゃああああこっち来たああっ!? そこの戦士風の妖精少年助けてえええぇぇっ!』
と内心で叫びまくって錯乱した位に。そして俺を抱きかかえているトリスの元へと近づいてきた時には。
『こ、この子に手を出す気か!? そんな事許さんぞ!? 来るなら来い! 俺の喉から発せられる鬱陶しい事この上ない不快な怪音波でお前の鼓膜を破壊してやるっ!』
って思いで、赤ん坊の状態で近づいてきた一匹に向かってファイティングポーズをとったんだが……今思えば何やってんだろうね俺?
で、そのファイティングポーズとる俺に対して近づいてきたゴブリンなんだけど。そん俺に対しそのゴブリンの取った行動はというと――
―― なんと俺と同じファイティングポーズを取り対峙してきたのであった。
……その後も色々とポーズを変える俺を相手に、何だか面白そうにそれを真似てポーズをとり返すゴブリン。その姿を見た俺の中で芽生えた感情は一つ。
『あれ……? 顔はキモいけど何だか凄く親しみの持てる奴みたいだぞ?』
―― だった。まさに俺の中のゴブリンへの見方を変えさせる名シーンだったと言えるだろう。(安い)
それで改めて周囲を見回してみたら、なんと他の妖精さんと他のゴブリン達が親しげに会話している姿が目に入ってきたのである。この時になって初めて俺はゴブリン達が敵ではないという事が分かったのだった。
荷台に手を突っ込んで何かを物色しようとしているゴブリンの一匹の頭を叩いている妖精さんや、楽しげに会話して小突き合いをする妖精さんとゴブリン。
さらに荷物をゴブリンに持たせるようとしたけど面倒くさそうなゴブリンに対し、妖精さんが小さく溜息を吐いて懐から干し肉の様な物を取り出しそのゴブリンに手渡すと、さっきまでとは打って変って干し肉を貰ったゴブリンが嬉々として荷物を持ち始める姿など……見ていて何とも微笑ましい光景が周りには溢れかえっていた。
同時にゴブリン達の瞳が濁りのない清んだ暖かい眼差しをしている事に気づき、彼らゴブリンがその醜悪な容姿とは裏腹に決して邪な存在ではない事を感じ取ったのである。
その後、トリスの腕の中から手渡されゴブリン達に代わる代わる抱っこされた俺は。高い高いされたり、尖がった鼻を突かれたり、鼻先にディープキスされそうになったのを必死で防いだり、何だか変な虫の幼虫を食べさせられそうになったのをトリスに助けられたり(『蜜虫の幼虫』と言って一応甘い食べ物らしい)、顔に墨で落書きされたりといった経験を経て、彼ら歓迎されている事そして自分が彼らと同じゴブリンでありその赤ん坊である事を理解した。
肌の色は赤だったり黄色だったりといろんな色を持っているゴブリン達だったが、その多くは俺よりも鮮やかな黄緑色の肌を持っているゴブリンが大半を占めているようだった。そして今の自分と同じように尖がり鼻と四本指、そして悪魔の様な尖がり耳をしている姿を見れば自分も彼らと同じゴブリンである事に気付くのはそう難しくない事だった。
かなり衝撃的だったけど……不思議と嫌悪感はなかった。だって他のゴブリン達が何だか凄く良い奴らっぽいんだもん。不快になんて思うはず無いじゃないか。むしろ俺を仲間と受け入れてくれたゴブリン達に感謝してるくらいだよ。
そのままゴブリン達と戯れながら移動し、ようやく辿りついたのが『白の集落』
そう『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』といった見た目が可愛らしいゴブリン達が住む集落で、現在俺がトリスと共に住んでいる『ゴブランド王国』の中の四つの集落の一つって訳。
本当なら俺は一般のゴブリン達が住む『青の集落』で、他のゴブリンの子供同様に『青の集落』の大人のゴブリンに手助けされながら育てられるはずだったみたいなんだけど……これにはちょっとした理由があるんだ。
その理由ってのが何なのかと聞かれれば……一匹の『ピアゴブリン』がその事に異を唱えたとしか答えようがない。
そうです。説明の必要もないかもしれないけど現在の俺の一応の保護者であり、俺を文字通り拾い上げてくれた妖精の少女。王国の『ピアゴブリン』の中でも一際可愛い容姿を持つトリスが俺の処遇に待ったをかけたんですよ。
それは『白の集落』に到着し荷解きも終わり、ようやく一息ついた頃に起こった事でした。
俺をあやしていたトリスの元に他の『ホブゴブリン』達がやって来て、さーてこの赤ん坊を『青の集落』に送り届けようって話になったらしい所で……トリスが頑として俺を手放そうとしなかったのである。
言葉は理解できない当時の俺だったが頭上で何だか言い合いをしている事、さらに俺に手を伸ばそうとする他の『ホブゴブリン』から俺を遠ざける彼女の仕草を見れば何となくだが理解できたよ。
しかも、ついには大剣を背負った妖精少年―― エンカーがやって来て俺を無理やりトリスから引き剥がそうとしたもんだから事態はさらに悪化。トリスが大声を上げて号泣するまでに至って本当に凄まじいもんだったよ。泣かしたエンカー本人は周りの『ホブゴブリン』達に『あ~あ泣かした~』みたいに非難されてたし彼にとっては踏んだり蹴ったりだったろうね。
んでもってその騒ぎを聞きつけ現れたのが『白の集落』の族長。齢六百年を超える『ホブゴブリン』のお爺さん『ボイゴール』さんだった。
白い眉に長い白髭をした一体何処のサンタさんだと思わしき容姿の杖をついたお爺さんだったが、その瞳はサンタさんに負けないくらい優しげで、親しみの持てる暖かいお爺さんの登場にその場の全員が安堵したのが分かった。
しかも号泣しているトリスに何か話しかけながらその頭を撫でてやると、さっきまでの号泣が嘘のように静まり一瞬にしてしゃっくりあげる程度のレベルまでに下げたんだから『このお爺さん半端ねぇ……!』と驚愕したもんです。
事情を他の『ホブゴブリン』から聞いたらしいボイゴールさんだったが……その事情を聞いた後の行動は早かった。
なんと『だったらトリスが、この集落でその赤子を育ててみるかね?』と、後で聞いた話だがそうトリスに訪ねたらしい。
族長であるボイゴールさんの言葉に驚愕した周りの『ホブゴブリン』達だったが、その中でも特に反応が激しかったのが歓喜に花が咲き誇るような笑顔を浮かべるトリスと、顎が外れんばかりに驚愕しボイゴールさんに詰め寄り喚き散らすというエンカーの二人だった。
流石にこの『白の集落』で俺のようなゴブリンの赤子……それも『グリーンゴブリン』という最下層にして最も醜悪な容姿のゴブリンを、他の種族との交流もある『白の集落』で育てるなどと言うのは前代未聞な事らしく。
その事でエンカーは族長であるボイゴールさんに反発したそうだが、そんなエンカーを者ともせずボイゴールさんは何処吹く風と澄ました態度でそれを鎮めてみせた。
何でもエンカーの言葉に『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』こそゴブリンの中でも至高の存在であり、他のゴブリンを認めないみたいな発言があったらしく。そこを指摘したボイゴールさんの鋭い視線に成す術もなく押し黙るしかなかったそうだ。……いや本当にプライド高いんだねエンカーって。
そのボイゴールさんの口添えもあり。
『赤ん坊を理由に仕事を疎かにしない事』
『赤ん坊を育てる事を途中で投げ出さない事』
『その赤ん坊が成長し目に余るような悪戯をした場合は、即刻『白の集落』から『青の集落』へと移させる事』
『赤ん坊が成人するまでは『白の集落』で一緒に住んでもいい事』
『もし『ホブゴブリン』へと成長したら『白の集落』にそのまま残る事は許すが他の種へと成長した場合、その子自身でどの集落へと移るかを決めさせ立派に自立させる事』
といった約束事をトリスに誓わせることで、それを承諾したトリスの力強い返事を最後に俺は晴れてトリスと共に『白の集落』で生活することが許される事となったというわけだ。いや本当にボイゴールさんには感謝もんです。
こうしてトリスに世話を焼かれながらだけど、新しい俺の生活がスタートしたのである。
最初の頃はトリスも仕事と子育ての両立に色々と大変だったようだけど、他の『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』の力添えもあって何とか乗り切っていた。
……トリスに俺を『青の集落』へ移せと言っては『そんな事言いに来るならもう来ないれくらさいっ!』って追い返されるエンカーの姿も度々見られたけどね? そしてその度に俺を睨んで帰るのはやめてほしい。顔が整ってる分怖いんだよ……。
三カ月が経つ頃には、俺もようやく二足歩行出来るまでに成長し、トリスも俺の成長を喜んでくれた。その頃からかなぁ? 俺がトリスの為に小さな手伝いを始めたのも。家の床を掃除するくらいだけどそれでもトリスが大喜びしてくれたなぁ。
……そしてトリスに抱きしめられる俺を、射殺さんばかりに睨みつける窓の外にいるエンカー君? 君それストーカー行為だから気をつけるように。
半年が経つと、小さな子供程度の力がついた俺は本格的にトリスの手伝いを始めた。お使いは勿論、トリスや他の『ホブゴブリン』が行商に出る際の荷物を荷台に運ぶ手伝いも始めたのもこの頃からだ。俺の行動に他の『ホブゴブリン』が驚いていた様子だったな。
手伝ったお礼に『蜜虫の幼虫』や干し肉といった物を渡されそうになったけど全部断ったのが一番驚かれたなぁ。いや別に見返り欲しさにやってる訳じゃないし……蜜虫を食べるには少し勇気いるからねぇ。トリスがそんな俺を『アドンは優しくて良い子れすね~』と言って頭を撫でてくれる事が一番の報酬だ。
……で、エンカー君? 君何で俺を嫉妬に狂った眼で睨むの? そして何故背中の大剣に手が伸びてるの?
ちなみに『アドン』って名前はトリスが名付けてくれた。何で『アドン』なのか聞いてみたら『アドンはアドンれすよ?』と答えられた……何となくかい。
八カ月が経つ頃には色々と出来る事が増えた。一人で『白の集落』うろついては他の『ホブゴブリン』のちょっとしたお手伝いも頼まれるまでになったよ。むしろ俺の姿見た瞬間『あ! アドン良い所に!』って呼び止められるくらいだ。他の『ホブゴブリン』との関係も良好みたいで何よりだね~。
トリス以外の『ピアゴブリン』にも俺は人気らしい。見つかったら高い確率で抱きつかれるんだが……自分で言うのもなんだが俺ってかなりキモい容姿なんだけどなぁ……やっぱり女の子の感性ってのは謎だ。でもその度にトリスがやって来て『アドンはトリスのなんれす~!』って怒るから遠慮して欲しい。いや嬉しいんだけど、その後の拗ねたトリスへのご機嫌取りが大変なんだよ。
……で、そこでボイゴールさんの前で正座させられてるエンカー君は何をやったの? ボイゴールさんが怒るなんてよっぽど……行商の荷台から大事な荷物を一つ隠そうとした? そして俺をその犯人に仕立て上げようとした? ……何やってんのお前……あ、トリスに『最低れすっ!』って言われ……あーボイゴールさんもう許してやってください、今の彼には何も聞こえてませんよ。
十一カ月が経った時には、俺は一人で『青の集落』へと足を向けられるようになり、そこで俺と同じゴブリンの子供に混じって遊ぶようになった。遊ぶというより……他の大人の代わりに面倒をみるって感覚かな? 俺が来ると『アドンキタ! アソベ!』って子供が寄ってくるくらいだし。やっぱり『けんけんぱ』や『鬼ごっこ』他にも『缶蹴り』に『かくれんぼ』といった遊びを始めたのが強かったかな。缶はないから木製のボロいコップを使ったけど中々どうして丈夫だし軽いし上手くいった。まぁ思いつく限りの遊びが功を奏したようで、俺が来るとみんな途端に俺の元に殺到するんだよね……正直俺と似たり寄ったりの容姿だから若干怖いんだけど、子供だから大人ほど醜悪さがないのがせめてもの幸運かな。
俺が来ると大人のゴブリン達は自分達の事に集中出来るから、大人のゴブリンにとって正に俺は子供達の相手にはうってつけみたい。『白の集落』までわざわざやって来て『アドンを貸してくれ!』って迎えに来るくらいだ。ちょっとした保育士みたいだな俺……そんな俺の様子を微笑ましく見守るボイゴールさんとの関係も良好です。以前お疲れの様子だった時にしてあげた俺のマッサージがお気に召したようで、よくしてあげては話し相手も務めています。何だか本当に孫とお爺ちゃんみたいだよなぁ。
……いい加減に相手するのが面倒になってきたけど、何だよエンカーその背に背負ったバカでかいベットは? トリスへのプレゼント? 何でベットなんか……何ですかボイゴールさん? 『先程広場で、トリスがお主と一緒に寝ている事を口を滑らせたからじゃのう』? 『ズルイ!』って『ピアゴブリン』には責められ、『ホブゴブリン』には『お子様』と言われた時のトリスの言い訳が『ら、らって家にベットが一つしかないんらもんっ!』だって? ……お前だからって極端すぎるだろうが……ああほらトリスが心底迷惑そうにしてるじゃないか……いやそこで何故勝ち誇った顔を俺に向けるんだよ。お兄さんどう返したらいいの。
その後も色々と会ったけど、トリスや他の同胞達に囲まれ時に笑い、時に泣き、時に楽しみ、時に慌てるといった日々を送っていくうちにあっという間に一年の月日が経ち……
今の俺へと繋がって行くという訳だ。
* * * * *
ガラガラと井戸から俺の代わりに水を汲み上げてくれる同胞の背中を座りながら眺め続ける。
残念なことに俺の身長じゃ井戸の淵に手が届かない上に、汲み上げるほどの力も持っていないから代わりに汲み上げてもらうしかないんだよね。
周りを見渡せば、俺の他にも朝早くから水汲みをしに中央広場までやってきた『ホブゴブリン』や『ピアゴブリン』の姿がちらほらと見受けられた。
家に水道なんてもんはこの世界には無いから、生活に必要な水は全部この井戸から汲んでくるしかない。朝早くに中央広場に同胞達が集まるっていうのは別段珍しい光景ではなく、生活する中のありふれた朝の一幕になっている。まだ眠そうにしている奴も何人かいるなぁ。
「……っふう。ほらアドン? 水を汲み上げたから背中に背負ってる桶を頂戴」
「グギギギ!(ありがとう!)」
声を掛けられると同時に俺は優しい微笑み浮かべている美人さんに向かって、意味は伝わっていないだろうけど身ぶり手ぶりで感謝の意を伝え背中に背負っている桶を差し出す。
そんな俺の様子を微笑ましいモノを見るように柔らかい笑みを浮かべた眼の前の美人さんは、小さくクスリと笑うと差しだした桶を受け取り、そのまま汲み上げた井戸の桶から水を移し替えてくれた。
『白の集落』では珍しくない白のフードを被り、鮮やかな碧色の長髪を持つ眼の前の美人さんは少々吊り上がり気味の眼をしているが……その表情は優し気で、何と言うか物凄く綺麗な子だった。
ゴブリンの中では少し身長が大きいけど、それでも百五十を少し超える位だろう。普通にしてたら少し近寄りがたい印象を受けるけど、実際話してみたらその思い込みは間違いだった事に気づくことだろう。
あれだね、面倒見の良いクール系の年上美人って感じだ。いや本当に眼福もんですよ……ええ本当に。
腰もキュッとしまってて細いし、お尻も……ええまぁ素晴らしいですね張りがあって……ええ本当に。
そんな俺の視線に気づいた様子もなく眼の前の美人さんは井戸の水を俺の桶へと移し替えると、その優しさに揺れる薄紫の瞳を俺に向けて笑顔で話かけてきた。
「はいどうぞ。移し終わったから背中を向けてくれる?」
「グギー(どうもー)」
背中を向ける俺に汲みあがった水の入った桶を背負わせてくれる美人さん。なんとも甲斐甲斐しい程に世話を焼いてくれる。
背中に感じた水の重みに若干グラつくが、すぐに優しい手つきで体を支えられる。
後ろを振り向くと、少々困ったような表情を向ける美人さんの苦笑交じりの顔がそこにあった。……いや本当に美人さんはどんな表情をしていても絵になるね……。
「少し入れすぎたみたい……ちゃんと持って帰れるアドン?」
「グギー!(大丈夫だこの位!)」
「……なんなら家まで持ってあげるけど?」
「グギッ!? グギギギ!(え!? いや流石にそこまではいいよ!)」
「……何言ってるのかよく分からないけれど、遠慮してる?」
「グギ(うん)」
「そこで頷かないの、遠慮なんてしなくていいんだから。私の通り道にトリスとアドンの家があるんだし、本当についでなんだから」
「グ、グギギギ……(い、いやでも悪いし……)」
「ちょっと待ってってね。今自分の分も汲みあげちゃうから」
「グギー!?(って既に決定事項かよ!?)」
「はいはい、何を言ってるのか分かりません」
「グギギギギー!?(そこでその返しは卑怯じゃないのー!?)」
「クス……♪」
俺の抗議の声(?)などお構いなしに、美人さんは小さく笑いながら再び井戸の水を汲み上げる作業に移った。
自分の分よりも俺の方を優先してくれたのか……駄目だ、このまま先に行ってもすぐに追いついてきて結局は俺の桶まで持つに違いないこの美人さんは。
はぁ……仕方ないからここは美人さんの厚意を素直に受け取るか。それにしても本当に優しい子だなぁ……。
井戸の水を汲み上げている美人さんの横顔を見ながら、俺は物思いに耽る……この美人さんは初めて会った時もこんな感じに優しくしてくれたよな。
『白の集落』の中を自分の足で移動できるようになった俺が、あんまりにも物珍しげに歩いていたもんだから途中で道に迷ってしまい途方に暮れていた時に、この美人さんと出会ったんだんだよな。
心細気にしている俺に気付いたこの美人さんは、真っ先に俺に近づいて『どうしたの?』と声を掛けてくれたんだ。あの時は本当に天使に見えたよ。
しかも『グギー』としか鳴けずトリス意外に言葉を理解してもらえない俺が、何とか意思疎通をしようと身ぶり手ぶりで事情を説明したんだが。そんなヘンテコな動きの俺に対し呆れる訳でもなく、根気よく読み取ろうとしてくれた美人さんの存在に俺がどれだけ感激したか……その後、迷子である事を察してくれた美人さんのおかげで無事に家まで帰れたのも、良い思い出の一つとしてしっかりと記憶しています。
で、ここまで来て今さらだが『何故お前は言葉を既に理解できているんだ?』という疑問が上がっているんだと思うんだけど……それにはちゃんとした理由がある。
ゴブリン達の言葉の聞き取りは既に完璧なんだ。それもそのはず、これはゴブリン達が使っている言語……多くの『妖精』の間で主流となっている『妖精言語』と言う言葉に含まれる『言霊』の恩恵の御蔭なんです。
『妖精言語』には一つ一つの言葉に『言霊』という一種のまじないの様な物が施されているらしく、一度聞けばその言葉に含まれた意味が聞いた相手の頭に刻まれ、次に聞いた時は何となくその言葉の意味が理解でき、さらに三度目ともなれば完璧に理解できるようになるという反則的なまでの効果が表れるのだ。
最初は驚愕したものの、俺の頭の中を『ああ……ご都合か』という考えが流れたのはどうでもいいことである。御蔭で大変助かっているのは変わりないからOKだ。
でも言葉を理解できたからって文字までも使いこなせるって程万能じゃない。『妖精言語』の文字で書かれた本を見てみたけど何書いてあるかサッパリだったもんな……そこは勉強しろって訳ね?
言葉の発音の練習もしないと駄目らしい。っていうかその前に俺はまず『グギー』としか鳴けない現状を何とかしない事には次のステップに移れないんだが……俺だけじゃないか? 未だに片言も話せないゴブリンの子供って?
まぁそれでも二カ月もする頃にはほとんどの言葉を理解できるようになり、半年も経てばもう完璧になっていましたよ。トリス達の名前もすぐに知ることができたし万々歳です。
後は自分自身の頑張り次第か……まずは「グギー」以外の言葉をしゃべれるように頑張ろう。
「よしと、それじゃあ行きましょうか? 背中の桶を貸してアドン。持ってあげる」
「……グギギギ?(……本当に持つ気なの?)」
「まだ遠慮してるの? これくらい平気。それにアドンにはいつも手伝いをしてもらってるし、この位のお礼はさせて欲しいの」
「グギギギギ……(そう言われると無碍に出来ないな……)」
「……駄目?」
「グギィギ(お言葉に甘えます)」
「あ……クス♪ ありがとうアドン」
背負っている桶を美人さんの方へ向けると、少し嬉しそうに俺の背から桶を外し受け取る美人さん。
いやぁお礼を言うのはこっちの方なんだが……美人の上に優しくて世話好き、そしてクールな容姿とは裏腹に温かみ溢れる物言い……いや最高ですねええ本当に。
俺の桶を片手で持ちあげた美人さんは、余ったもう片方の手で自分の分の桶を持ち上げるとゆっくりと歩き出す。
「行きましょう? 早く帰らないとお寝坊さんが何時までも眠ったままなんじゃない?」
そう言ってこちらに振り向き、柔らかな笑みを一層深めた美人さんは俺にそう声を掛け促す。
……本当に美人だよなぁ。気立てもよくて世話好きで、少し余裕を持った態度も実に様になっている。正に年上美人のお姉さんを絵に描いたような存在だ。
ああ本当に最高ですこの出会いに感謝している、この美人さんと親しい間柄になれた事はこの上ない幸福な事だと思っているさ。ああ本当に何て素晴らしい人格者何だろうこの美人さんは。
本当に……本当に何て優しくて世話好きでクール系の年上美人なんでしょうこの――
―― 『ホブゴブリン』は
……え? 何? 嘘なんか言ってないよ? 『ピアゴブリン』の間違い? 間違ってなんかいないよ。この美人さんは『ホブゴブリン』だよ。
確認したもん。そりゃもう血眼になって事実確認をボイゴールさんに行いトリスにも何度も訪ねたもん。
最終確認で一緒に湯浴みをご一緒させて頂きましたとも。自分のこの眼で確認した後、崩れ落ちるように四つん這いになった俺を気分が悪くなったんだと勘違いしたこの美人さんが血相を変えて介抱してくださいましたよ。柔らかい膝枕の感触に溢れる涙が止まらなかったよマジで。
その後、呆然と黄昏る俺の元へ珍しく近付いて来たエンカーが『……飲むか?』って言ってミルクを差し出してくれたので、男二人で飲み物片手に夜空の月を見上げたもんだよ……お互いに言葉は不要だった。少しだけエンカーとの距離が縮まった瞬間でしたよ。
『ホブゴブリン』……そう『ホブゴブリン』、『ホブゴブリン』なんだよ……!
この優しくて世話好きで! どっからどう見ても年上クール系の美人なお姉さんとしか見えないこのお方は『ホブゴブリン』なんだよ! 男なんだよ! 雄なんだよ! ついてんだよおおおおおおおっ!?
間違いなく『ピアゴブリン』であるトリスと肩を並べるほどの美貌を兼ね揃えているというのに! この美人さんは男なんだよおおおおおおっ!!
ふざけんなよ! 本当にふざけんなよ! 絶望したっ! 俺は初めてこの世界の不条理に絶望したっ!
こんな不条理が許されていいのかよチクショオオオオオオオオッ!?
「―― グギィィィィィィィッ!!」
「……え? ア、アドンどうしたの!? いきなり地面に跪いて……って何でいきなり地面に何度も拳を打ちつけてるの!? や、やめなさい! 手がおかしくなっちゃったらどうする気!?」
「グギギギ! ギギィィィ!(止めないでくれっ! この憤りをせめて世界にぶつけてやるんだっ!)」
「何言ってるのか分からないんだけど!? こ、こら止めなさい! 一体どうしたっていうの!?」
「グギャアアアアアアッ!?(何で君は雄なんだああああああっ!?)」
「こ、今度は私を見て泣き出すの……!? ご、ごめんなさい……もしかして余計なお世話だったの……?」
「グギイイイイッ! グギイイイイ!(君は悪くない! 全部この世界が悪いんだぁっ!)」
「ど、どうしたらいいの……全然話が噛み合ってない気がするんだけど……!?」
突然地面に何度も拳を打ちつけるという奇行を行う俺に対し、眼の前の『ホブゴブリン』である美人さんはオロオロとしながら俺の奇行を止めさせようと必死になってくれていた。
『ピアゴブリン』であったならばトリスと双璧をなすであろう美貌を兼ね揃えたこの『ホブゴブリン』は――
『白の集落』でエンカーに次ぐ実力の持ち主である彼……『ワンドル』は。その後しばらく世界の不条理に嘆く俺の様子に戸惑いながらも、俺の小さな背を気遣わしげに撫で続け慰めてくれのだった。
そして何とか立ち直った俺は、まだ少し心配そうなワンドルと共に自分達の家の方角へと足を進める事にした。
ワンドル……本当に何故君は『ホブゴブリン』として生まれてきてしまったんだい? お兄さん悲しくて仕方ないよ……!
若干この世界に絶望を感じた俺だったものの……『白の集落』在中の『グリーンゴブリン』の俺こと『アドン』は。
とりあえず、毎日をそれなりに楽しく幸せに過ごしています。家でまだ眠り続けているであろうトリスを起こすという仕事があるため、俺はワンドルと共に中央広場を後にしたのだった。
―― 今日も今日とて、新しい世界での俺のゴブリン生活の一日が始まります。
大分遅れまして申し訳ないです。