第十一話 貴族が絡んでくるのって王道だよね
――ケンタウロス。
神話にも登場し、特にファンタジー物の漫画や小説、ゲームが好きな人なら誰でも知っているであろう、上半身は人間で下半身は馬という容姿を持つ半人半獣(もしくは半神半獣)の幻想上の生き物。そのケンタウロスだが、俺が転生したこの世界『ラーズ・アファト』では『妖精族』として存在していた。
妖精達が住む東の大陸。その大陸の中央部には東の大陸を北と南に分け、南北の境界線の役割も果たしている二つの大きな山脈が存在する。
そして、その山脈同士の間。そこに『ユニペオル大森林』という広大かつ深い森があり、その中にケンタウロス族達の住む隠れ里が存在すると、俺はトリス達が出発する少し前にボイゴールさんに教えて貰っていた。
トリス達が行商に行く先の事ぐらい知っておこうと思って、トリスに通訳して貰いながら教えて貰った事なんだけど……ハッキリ言ってあんまり聞いていて楽しい内容じゃなかったって言うのが正直な気持ちだ。
かつて東の大陸は『オーガ』という強力な魔族が存在していたのは既に知っていると思うけど、当時大陸の南部を支配していた者こそ、このオーガ族だった。
今では東の大陸の南部で一番勢いがあるのは俺達ゴブリン族らしいんだけど、当時はこのオーガが南部の支配権を持っていたようで……それはもう酷い有様だったそうだ。妖精族に対する虐殺、略奪行為、挙句には支配した妖精族を奴隷として扱うなどと、好き勝手に荒らし回っていたそうで。そのせいで滅亡してしまった『妖精族』も存在すると言うんだから酷い話だ。
そしてそのオーガ族は大陸の南部だけには飽き足らず、北にも眼を向けて侵略しようとしたらしいんだけど――そこでオーガ達の前に立ちはだかったのがケンタウロス族だった。
山脈に足を踏み入れたオーガ族に対して真っ向から勝負を挑み……そしてその尽くを駆逐して、オーガの一匹たりとも最初の山脈を抜ける事も出来ずに叩き潰してしまったと言う。
まぁ考えてみたら当然と言えば当然だよね。長年山脈を拠点として暮していたケンタウロス族相手に、ホームとも言える山脈で、その中での戦い方を熟知している彼等に勝つなら、それ相応の策と準備をしなければ勝てる道理なんて無い。もしあったとしても、想定以上の被害を被る事は少し考えれば分かる事だろう。
……オーガって馬鹿なんじゃないか? 典型的な力技だけが取り柄の魔族ってのが俺のオーガに対する印象です。それでも当時の大陸の南部を支配していた事を考えると、その力は尋常じゃないって分かるけど。
それでプライドを傷つけられたのか東の大陸を完全に掌握したかったのか分からないけど、オーガ族は諦め悪く何度も侵略しに軍団を編成して送り込んだ……が、結果は惨敗に次ぐ惨敗。どんどん力を削られて――それを好機とみた俺達ゴブリン族に遂に反旗を翻され、オーガ族は北部制圧どころか南部の覇権まで失い東の大陸から姿を消した……と言うのが東の大陸の歴史である。
もしかするとケンタウロス族達がオーガ族に勝ち続けられたのも、北の『エルフ』達の力添えがあったのかも知れないと、話を聞かせてくれる中でボイゴールさんはそう溢していた。
『エルフ』って聞いた瞬間、俺のテンションが上がったのは余談だ。いやいるだろうとは思っていたけど本当にいるらしんだよエルフ。もうファンタジーを語るなら王道だよねエルフって!
うわぁ超会いたい……! 聞いた話じゃ、もう物の見事に美男美女ばかりだそうです。大陸北部の覇権を握っているそうですけど、いつか会ってみたいもんです。
話を戻すけど、その後オーガ達がどうなったのかは誰も知らない。今でも時々その姿は目撃されるけど大抵3~5匹程度の集団でしかなく、目撃されたら即討伐される始末なので奴等が再び南部の覇権を手にする日が来るのは無いだろう。噂じゃ西の大陸に逃げたとかいう話があるらしいけど……それも信憑性に欠ける。海を越えるなら海の支配者である『人魚』族にちゃんと話を通さなきゃ通して貰えないし。きっと無理に通ろうとして彼らの怒りを買い、船ごと沈められるのがオチだ。
まぁその辺はどうでもいいか、ぶっちゃけオーガなんてどうでもいいもん俺にしてみれば。俺の生きる上でオーガとのエンカウントなんて心底御免です。一度もその姿を見れずにこの生涯が終わっても一向に構いませんよ。
で、オーガ達が消えて平和……とは言い難いけど落ち着きを取り戻した大陸の南部。その中でオーガ族を滅ぼしたゴブリン族が先頭に立って南部復興と言う名の別の戦いが繰り広げられる事になったと言う訳だ。
当初はオーガになり変わって覇権を手にしたゴブリン族が動き出した……と、南部で生き残った『妖精族』達は不安と恐れを抱いていたようだけど。ゴブリン族が行ったのは南部掌握ではなく、自分達が『妖精族』の一員であると全ての『妖精族』に訴え、南部で生き残った『妖精族』達と共に手を取って生きるという『共存』の道だった。
オーガ達によって虐げられ、奴隷とされていた『妖精族』を全て解放し、その復興に手を貸し。奪われたそれぞれの『妖精族』達の故郷を彼等の手に返しその元へと送り届け、更に物資の提供。それでもゴブリン族に対して不信感を拭えない『妖精族』に対しては『不可侵』を結んで、決して許しなく彼等の地を踏む事はしないという契約まで結んでみせたのだ。
自分達だって大変だった筈なのにゴブリン族は終始それを貫き、そして今になってもその姿勢を崩していないのだとボイゴールさんは懐かしむように眼を細め、誇らしそうに語ってくれた。俺もその話を聞いて自分がそのゴブリン族として転生した事を、その時程嬉しく思った事は無いよ。やっぱりゴブリン族って見た目は良いとは言えないけど……うん、その根本は正しく『妖精』なんだと思う。
そしてそんなゴブリン族を纏め上げ統治してきた『ゴブランド王国』の王様は、本当に凄い指導者なんだと実感する。
そんな王様を先頭にゴブリン族は南部復興の作業を続けて行き、その甲斐あって周りの他の『妖精族』達も次第に態度が軟化して行ったみたい。ゴブリン族を自分達と同じ『妖精』であると受け入れて『友好同盟』を結んでくれる種族が少しずつだけど増えて来たんだって。
未だに同盟を結ぶ事を渋る種族もいるけど……ゴブリン族だからと言って無暗に危害を加える行動を起こさない所を見ると、認めてはくれているんだと思える。同盟を結べるのも時間の問題かもしれない。
そして――半年程前。その中でも特に『友好同盟』を結ぶのが困難だとされていた種族の中の一つ。今まで何度も『友好同盟』を結びたいと親書を送っても、頑なに沈黙し動かなかったケンタウロス族から初めて返答があって、遂に同盟を結ぶ事を承諾してくれたのだった。
ケンタウロス族は東の大陸の中央部に君臨し、北と南の境界線に立っている種族……云わば南北を繋ぐ道の番人とも言えるだろう。このケンタウロス族と友好を結んだ事で、北の覇権を握るエルフ族に対しても同盟を持ち掛ける事が可能となる。今まではケンタウロス族達の住む山脈を越えてエルフ族にアプローチする事は不可能だっため、この『友好同盟』是が非でも結びたい同盟だったらしい。
そして今回のトリス達の行う『行商』こそ。ケンタウロス族と同盟を結んで初めて『物資交換』が行われ、同時に交流が行われる最初のステップ。決して失敗は許され無い。もし失敗に終われば、ケンタウロス族から同盟は破棄され、この事で他の『妖精族』にゴブリン族に対する小さな不信感が芽生える可能性は十分にある。
そう、絶対に失敗は許され無いんだ。小さな懸念でさえ見過ごせず、ゴブリン族がケンタウロス族に対して友好的な存在であると認めさせなければならない極めて重要な事なんだ。
――なんだけどさ……。
「――卑しいゴブリンがっ! 貴様誰の断り得て、このボクチンの前を横切るなどと言う無礼を働いているんだっ!? 身の程をわきまえろ汚物がっ!!」
地面に蹲るギーンに対して、嫌悪感を隠そうともせず睨みつけ、そう吐き捨てるケンタウロス族の……多分、風貌からして上流階級であろうケンタウロス族の騎士数名に囲まれているズングリした奴を見て、俺は内心思う。
――こんな事を平然と言ってのける奴のいるケンタウロス族と、本当に友好的な関係なんて結べるのか? と。
っていうかお前何処の皇帝だよ!? そんなにゴブリンが嫌いなら何でこの『ゴブランド王国』に居るんだよ!? あ……急に行商に言ったトリス達の事が心配になって来た。あっちで酷い扱いされてないよね?
蹲るギーンの傍に駆け寄った俺は、ジャントンに寄り添われるギーンの心配をしながらも、眼の前のケンタウロス達を見て嫌な予感を募らせる。
ちなみに俺とジャントンよりも先にギーンに走り寄っていた筈のボッコルは、地面にぶちまけられた『蜜入りミルク』の土瓶を見て『俺の『蜜入りミルク』がーっ!?』と絶叫しています。
……お前それよりも先に言う事あるだろう。
* * * * *
「てめぇっガキになんて事をしやがるっ!」
「汚物だぁ……俺達の事を汚物だと言いやがったか!?」
ケンタウロス族の言葉に……って言うよりも、騎士の囲まれて安全な位置にいるメタボなケンタウロスの発した言葉に、今まで黙って聞いていた大人のゴブリン達が怒気を露わにして俺達の元へ集まって来る。
その際にケンタウロス族達の周りを取り囲むようにして、逃げられないよう集まる様子は拙い事になりそうだと内心不安になる。
「なんだ貴様等!? よ、寄るなっボクチンに寄るんじゃない汚らわしいっ!」
「ガ、ガラハッド様どうか御下がりください」
「……これは拙い事になったな」
「お、お前達ボクチンを守れ! ボクチンに何かあれば母上が黙っていないんだからな!」
「ハッ。この身に代えましても……おい」
「……チッ……仕方ない」
その様子に怖気付いたらしいメタボは、周りに居る騎士達に向かって自分を守るように命令し、それに頷いた騎士達が槍を構えつつメタボを中心に守るように固まる。
……うーん何か見た所あんまり乗り気じゃないと言うか、渋々従っている感じがするのな。ギーンを傷つけたのは恐らくあのメタボで、騎士さん達にはゴブリンに対して敵意は無さそうだな。
って言う事はギーンに危害を加えたのはメタボの独断? いやでも、その行為を止めなかった……いや止める暇さえなかったのかな? どちらにせよその行為を止められなかった騎士さん達にも問題はありそうな気がする。何の為の護衛か分かったもんじゃない。もしかしてあのメタボの事が嫌いだからって護衛の任務を怠ったんじゃないか騎士さん達。……うわぁ、その気持ちは分かるけどそのせいでこんな事態を招いたんじゃ、騎士さん達も悪いぞ。
……後、すごくどうでもいい事だがメタボ。お前その『ボクチン』って素か? キャラ付け狙ってんのか?
「其処を退いて!」
「おチビ達は離れなさい!」
「グギャギャッ!? (おわっと!?)」
「…………!」
するとそんな俺に向かって切羽詰まったような声が掛けられ、同時に俺のすぐ横を二匹の大人のゴブリンが慌ただしく掛けて行き、倒れ蹲るギーンの横にしゃがみ込んだ。
ギーンに寄り添っていたジャントンも、その大人のゴブリンに言われてギーンの傍を離れて場所を開ける。
ギーンに駆け寄ったのは『青の集落』に住む雌のゴブリン達だった。容姿は雄のゴブリンと比べたら其処まで気味悪くはないけど……まぁ良いとも言えない姿です。……俺? いや俺も彼女等に対して気色悪いなんて感情は持ち合わせないよ? って言うか俺に比べたら彼女等の方が何倍も見栄えは良いと思うもん。いやマジで。
ちなみに『青の集落』で一番美人だと言われる雌のゴブリンは、ピアゴブリンよりも一段劣るくらいの容姿だ。俺も一度見たけど普通に美人だと思ったよ。鼻は長かったけど。
「いてぇ……! ヒッグ……いでぇでゲス……!」
「何よこれ赤く腫れてるじゃないの!」
「動かさない方がいいわ。男ども! ボサッとしてないで医者呼んできなさいよ!」
「お、おう分かった! ……って医者って誰呼べばいいんだ?」
「一番近い所にいる医者に決まってんでしょ! 少し考えりゃ分かるでしょこのグズッ!」
「んだとこのブスッ!」
「あんですってぇっ!?」
「喧嘩してる場合じゃないでしょうがグズにブス! 其処のアンタで良いから一番近い場所にいる医者呼んできてちょうだい!」
「よし来た任せとけっすぐに連れて戻ってくらぁ!」
「お願い!」
「……グギギグギャ(……何してんのアンタ等)」
「…………(呆れた視線)」
「「……す、すみませんでした」」
一匹の雌のゴブリンの言葉に、それに頷いた雄のゴブリンの一匹が駆けだして行くのを見送って、続いて喧嘩を始め出したゴブリン達に向かって白い目を向ける俺とジャントン。……時と場合を考えろよ。
俺達の視線に小さくなるゴブリン達だったが、するとそこに小さなゴブリンが一匹ギーンに近付いて行くのを眼にする。ってボボフじゃないか。ギーンが心配なんだろうかと思っていたけど……その手に握られていたのは小さな布だった。そしてその布をギーンの傍にいる雌のゴブリンに『ヤッサイヤッサイ』と差し出す。
雌のゴブリンがボボフから布を受け取ると、その布をギーンの赤くはれ上がっている左腕に優しく当て始めた。ギーンの腕にその布が触れた瞬間に、水滴がギーンの腕をつたって地面に落ち土の中に沁み込んで行く様子が見えた。
おおっもしかしてボボフ水で湿らせた布を持って来たのか?
そう言えばボッコルと一緒に先にギーンの元へ掛けて行ったのに、ボボフの姿が見えないくて少し疑問に思ってたんだけど……成程これを用意する為に何処かに行ってたんだな。ボボフお前って本当に気の利く奴だなぁ。俺なんて野次馬その一の役割ぐらいしかやっていないのに……いやはや面目ない。
そんな優しさ溢れるボボフの行動に、ジャントンも感心した様な瞳でボボフを見ている。おお、ジャントンのボボフに対する評価も更にアップしたようだ。
「ふぅ、良かった。一本だけは無事だったみたいだ。おいギーン大丈夫か?」
「……グギャギャギャグッグギ(……それに引き換えこいつときたら)」
「……ヤッサイ」
「…………(侮蔑の瞳)」
「ん? な、何だよお前等その眼は!? これは俺んだからなっ!」
「……グギャギャグーギググギ?(……ギーンどうだ少しは楽になった?)」
「ヤッサイヤッサイ?」
「…………(ガン無視)」
「……あ、兄貴……あんまりでゲス……!」
ボッコルの言葉に、それを聞いたギーンが涙目になってガックリと項垂れた。その眼に浮かぶ涙は痛みによるものだけじゃないだろう。
っていうかこいつは本当にどうしようもないな。『ギーン大丈夫か!?』って先に走り出して行ったくせに、いざその場に来たら地面にぶちまけられた『蜜入りミルク』を見て、そっちに関心が向くとかお前それでも兄貴分かよ? それよりも先に自分の子分の心配しろよ。
しかも一本だけの残ったのを俺のだからなって何処まで意地汚いんだ。いやゴブリンらしいとは思うけど、お前はそれ以前の問題な気がしてきたぞ。本当何でギーンやボボフがお前の腰巾着してるのか全く分からない。もう止めろよ二人共こいつの子分なんて。
――そんな事を思った時。
「下がれゴブリン共! 貴様等が何をしようとしているのか理解できているのか!?」
「この場で争いが起これば、後になって困るのはお前達ゴブリン族なのだぞ!」
俺の耳にケンタウロス族の騎士さん達の言葉が入って来た。あ、そう言えばギーンの事も心配だけど。更に心配な事があったんだった。
途端にその事に気が付いて視線をケンタウロス族達に戻して、ふと場の空気が尋常じゃない位殺気だっているの気がつき慌てて周囲をぐるりと見回してみる。そして俺が見た光景はケンタウロス族達を取り囲み、その眼を殺気立たせたゴブリン達が手に棍棒だの刃物だのを持って睨みつけているという最悪なものだった。
――って、うおおおおおおい!? 何をヤル気になっているんですか大人のゴブリンさん達いいいっ!? 駄目! 駄目だって! 気持ちは分かるけど今ケンタウロス族相手に問題を起こしちゃ拙いって!
「お? 問題だぁ? てめぇ等こそ何をしたのか分かってんのか?」
「同胞の……それもガキに手を出した揚句、俺達ゴブリン族を貶しておきながら何だぁその言い草は!?」
「侘びの一つでもするもんがスジってもんだろうがっ!」
「その後ろに居るデブを出せっ!! さっきの事を侘びさせろっ! もし出さないってんなら力尽くで……!」
騎士さんの言葉にそれに反応したゴブリン達が怒気を込めて怒鳴り返す。確かにギーンに危害を加えておきながら謝罪の一つも無くそんな事言われたら怒るのは当然だろう。しかも張本人は安全な場所で騎士さん達に守られてるっていうんだからその怒りも一押しだ。
「た、隊長……!?」
「ガラハッド様! この場は彼等の気を鎮める為にも――」
「ふ、ふざけるなっ! 何故ボクチンが汚物に謝らないといけないんだ!? ボクチンは何も悪くないっ! あの汚物が無礼にも高貴たるボクチンの前を横切るなどしたのが悪いんじゃないかっ!? それに罰を与えて何が悪いんだ!」
「此処は我等の里ではございませんっ! 彼等の国で通用するとお考えにならないで下さい! それにもしこの事が姫様に――」
「だ、黙れ黙れっ! 貴様誰に対してそんな口を聞いてるんだ!? 母上に言いつけて騎士の称号を剥奪されても良いのか!?」
「……っ!」
「分かったのなら貴様が何とかしろっ! 高貴たるボクチンの命令だぞ!」
……何だかやたらとメタボがウザいな。しかもアイツ完全に状況を理解してない。汚物汚物と連呼してるせいでその度に周囲の同胞達の殺気がミルミル上がって行く。今にも襲いかかリそうな勢いだ。……と言うかデブって単語ですぐさまメタボに視線を向ける周りの騎士さん達も案外良い性格してるよね? 一応仮にも主人でしょうに、まぁ今はそんな事はどうでも良いんだけど。
感情的に考えるなら俺も周りの同胞達と同意見だ。あのメタボを力尽くでも引きずり出して謝罪させたいと思ってる。でも俺の頭の冷静な部分が、此処はグッと我慢すべきだと訴えかけてきているんだ。
此処で問題を起こせばようやく結んだケンタウロス族との『友好同盟』に亀裂が入るかもしれないんだから。確かにケンタウロス族に非はあるだろう。だけど国が絡んでくるとなるとそんな事言ってられない。もし問題が起こっていまえば、その争いの理由なんて重視されない。おそらく国が重視するのはケンタウロス族と争いを行ったっと言う結果論のみだ。その間の過程なんて重要じゃない。最悪ケンタウロス族との同盟は破棄されて、そしてケンタウロス族と争ったゴブリン達は何かしらの罰を受けるだろう。
しかも相手は見るからにケンタウロス族の中でも権威が高そうなメタボ。こんな奴を相手に問題なんか起こせば面倒では済ませられない事請け合いだ。
――だがそれ以前に俺が一番心配しているのは其処じゃなかったりする。
正直なところ、俺の本音として言えばこの事でケンタウロス族との間に亀裂が入ろうが無かろうがどうでもいいと思ってる。いや王国からしてみれば大問題なんだろうけど、俺にしてみれば単にケンタウロス族と交流する機会が無くなるだけって事。ちょっと勿体無いなぁぐらいで済ませてしまえる事なんです。薄情だと思われるかもしれないけどこれが俺の正直な気持ちだ。って言うかあのメタボの発言を聞いてると、むしろあんまり係わり合いたくないなぁって気持ちの方が今の俺には強いんだよね。
俺がケンタウロス族とゴブリン族が争った時に起こる問題の中で一番心配している事、それは――ケンタウロス族達の元へ行商に行ったままのトリス達の事だ。
もしこの一件が問題になって、ケンタウロス族達の所へトリス達が滞在している間に伝わったりしたら、恐らくトリス達はケンタウロス族達の集落から追い出されてしまうだろう。慣れない地から何の準備もなし追い出されたりなんかしたら危険所の話じゃない、最悪命に関わる。それに優しいトリスの事だ。無事に帰ってこれたとしても、きっと仲良くなれなかった事にとても落ち込むだろうし心を痛めてしまうに違いない。それを考えるとケンタウロスとの関係に亀裂が入るのは、俺としては何とか回避したい所なんだ。
……後、トリスが予定よりも早く帰ってくると、俺としてはかなーり拙い事になるからってのも理由の一つです。まだ俺って片手で足りる程度の回数しか狩りや採取の経験がないし、それにトリスが帰って来た時に、俺がトリスが不在の間に何をしていたのかバレない上手い手を考えなければいけないっ!
だから今トリスに帰ってこられるのは、ひっじょーに拙いんです。トリスにはまだあちらでケンタウロス族と仲良くなりつつ面白楽しい滞在ライフを満喫してもらわなきゃ困るんだっ! 自分でもかなり自分勝手な理由だとは思うけど、トリス達の事が心配なのも本音だ。だから今此処で問題を起こすのはちょっと待って欲しい!
そんな考えの元、俺は改めてケンタウロス族と同胞達に視線を向けて見比べてみるけど……現状は正に一触即発の空気が蔓延してる。特に同胞達のケンタウロス族に向ける敵意が半端ない。……こ、これは非常に拙いっ。
何とかこの現状を上手く治める事が出来ないものかと考えるけど……子供の身である今の俺に出来る事なんて無いも同然。
いやもし大人であっても俺一人の力で一体何が出来るんだって話になるだけなんだけど……とにかく今の俺には状況を打開する事など出来ず、唯一人オロオロと事のなり行きを見守る事しかできない。我ながら不甲斐無さ過ぎるぞ……一体どうしたら良いんだ!? だ、誰かこの場を何とかしてくださいっ!!
「俺達ゴブリン族を貶した事をまず謝れっ!」
「頭を下げて誠心誠意謝罪しろっ!!」
「――……分かった。ではこの場は私が代表して謝罪しよう。どうか怒りを納めては貰えないだろか」
……はい?
不意に俺の耳に届いた言葉に、俺は頭を抱えるの止めてゆっくりと言葉が聞こえた方向へと視線を向ける。
「テメェ何だその態度はっ!? そんな風に頭を下げるなんて何処まで性根の腐った野郎だっ!」
「――いや待てそれで良いんだろ!?」
「はぁ? 馬鹿かお前そんなんで……っ良いんだよ!」
「お前興奮すると勢いに任せて喋り続ける癖いい加減直せよっ!」
「……あ、あん? 何だよコイツ急に……」
「いきなり汐らしくなりやがって……」
視線を向けた先には、一人のケンタウロスの騎士の姿があった。恐らく俺が耳にした言葉を口にしたのはこのケンタウロス族の騎士だろう。そのケンタウロスの騎士が突然発した自らの非を認める言葉に、周りのゴブリン達の怒気が弱冠薄れていく。そう言う俺も騎士さんの言葉に思わずポカンとしてしまった。
い、今この騎士さん。謝ってくれたん……だよな?
「確かに非はこちらにある。我等の不徳と致すところだ。どうか許して欲しい」
「お、お前何を言ってるんだ!?」
「隊長!?」
メタボの責めるような言葉と、周囲の騎士達の動揺したような言葉にも反応を見せずに、その輪から一歩進み出た騎士さん……隊長って呼ばれたから、きっとこの騎士さんがこのメタボを護衛する騎士達の隊長さんなんだろう。改めて良く見れば、他の騎士さん達よりも少しだけ強そうな鎧と兜を被っている。
その隊長さんが周囲をぐるりと見回すと、構えていた槍を下ろし、頭を下げた。
「この通りだ。どうか許して欲しい。我等も貴殿等ゴブリン族と争うのは本意ではないのだ。貴殿達の事を侮辱した事、そして其処に居る貴殿等の小さな同胞に危害を加えた事、心より謝罪する。本当に申し訳なかった」
そして謝罪の言葉を再び口にする隊長さん。その姿を見て周りいるゴブリン達が戸惑ったように顔を見合わせていた。だけど、さっきまで渦巻いていた強い怒気はさらに薄まっていた。半ば呆然とその行動を見ていた俺だったけど……じわじわと俺の心の中に歓喜の色が広がって行くのが分かった。
――うおおおおおおおおっ! 謝ってくれたっこの騎士さん謝ってくれたよ! 今この場で最も重要で、かつ場を治めるに必要な言葉を行動で示しながら言ってくれたよっ! 良かった、どうなる事かと思ってたけど、この隊長さんは凄くまともな思考を持った御仁みたいだっ! まともな思考を持ったケンタウロスさんがこの場に居てくれた幸運に感謝ものです。
ゴブリン族とケンタウロス族が今争う事で、後にそれが問題になる事もきっとこの隊長さんは理解してくれてるだろう。そうだよね、今はこの『ゴブランド王国』にいるんだし、もし『友好同盟』が破棄になったりしたら自分達の身だって危険になるだろうと気付いてる筈だ。ゴブリン族って結構血の気の多い方々が多いですから……周りのゴブリン達が良い例です。
でもこれできっと話は解決に向けて良い方向へ流れて行く事だろうと、俺は一人うんうんと頷く。そんなさっきから一人で謎の行動を取る俺に向かって、ジャントン達が頭に「?」マークを付けて視線を向けてくるけど気にしない。
いや~本当にこれ以上場が拗れなくて良かった良かったと思った――その時。
「ふ、ふんっ! 今更そんな殊勝な事言ったって信用できるかっ! 俺達に囲まれて怖気付いただけなんだろうがっ!」
「そうだそうだっ! 本当の事言ってるかどうか怪しいもんだ。どうせそんな事欠片も思っちゃい――っ!!」
途端に騒ぎだし始め周りを煽りだす言葉を口にする、俺の斜め右前方に居る同胞二匹。その二匹の言葉を聞いた周りの同胞達が『そうだそうだ!』『その通りだ!』と口を揃えて再び騒ぎ出す。
その姿を見た俺は考えるよりもまず先に体が動き、隣に居るジャントンに向かって無言かつ笑顔を向けて右手を差し出す。するとジャントンはそんな俺を見て、こちらも無言でボッコルの手に握られている一本だけ無事だった『蜜入りミルク』の入った土瓶を瞬時に取り上げると、俺に手渡してくれた。
『あっ!? てめっ何を――!?』と騒ぎだすボッコルを、その後ろに居たボボフが『ヤッサイヤッサイと』と羽交い絞めにしてボッコルを抑えてくれたのを確認し、俺は力一杯大きく振りかぶって――
「――グッギャグギィアアアアアアアアアアアアアッ!?(――テメェ等少しは空気読めやあああああああああああああああっ!?)」
――落ち着き始めた場を乱す発言をかました二匹の同胞に向かって、手渡された『蜜入りミルク』の土瓶を思い切り投げ付けたのだった。
俺の手から放たれた土瓶は速度、方向共に申し分なく飛んで行き、喚く二匹の内の一匹の顔の側面に見事命中。さらにその勢いで割れた結構脆く作られている土瓶から『蜜入りミルク』のクリーム色の液体が飛び散り、もう一匹の同胞の眼球に向かっていくのが何故かスローモーションでハッキリと目にする事が出来て……的中。
そして――
「「――ぎゃああああああああああっ!? 眼がああああああああああああああああああっ!?」」
――二匹のゴブリンが次の瞬間には、自分達の両目を押さえて地面を転げまわると言う姿を周囲に晒す結果となったのであった。
ゴロゴロ転げ回っては体をえび反りしブルブルと震えて苦痛に耐える様は、見ている者にもその苦痛がどれ程の苦しみを自分達に与えているのかを示しているようである。それを見た周囲のゴブリン達は皆ポカンとした表情を浮かべ。さらにケンタウロス族達も同様な表情で、突然地面を転げまわる彼等に戸惑った視線を送っている。
……あ。
そして俺自身も此処でようやく我に返って、地面に転げまわる同胞と自分の右手とを交互に視線を送り、自分が今何をしてしまったのかを漸く理解して、サーッと血の気が引くのを感じた。
しまったあああああああっ!? 俺ってばなんて事をしてしまったんだああああっ!?
身の内に湧き上がった衝動のままに、たった今自分がしてしまった事に対して俺は心の中で盛大に絶叫を上げてしまった。お、俺ってば何てことを!? 空気読めない事口走ったとはいえ同胞に向かって、いやそれ以前に人様の顔目掛けて瓶を投げつけるなんて、何て酷い暴挙をおおおおおおおっ!?
「ア……アアアアアアアァ~ドォ~ン~~ッ!?」
「テ、テンメェェェえ……!? なんて事しやがるんだコラァァァァ……!?」
オドロオドロしい怨嗟を含んだ言葉が俺に向かって放たれる。その言葉に大きく体をビクつかせた俺は震えながらもその声の方向に視線を向ける。するとそこには地面を転げまわっていた二匹のゴブリンが、自分達の両目を押さえつつも涙目で真っ赤に充血した瞳に怒りを宿して、俺を睨み付けつつもゆっくりとこちらに歩み寄ってくる姿があった。
って嫌ああああああああああっ!? 何か動きっ動きが怖い!? それゴブリンの動きじゃないですよ! それ別のアンデット系のモンスターの動きですってばお二人さーんっ!? 辞めちゃ駄目っゴブリン辞めちゃ駄目だってばああああっ!?
いや違うっ違うんです俺にそんな気は一切なかったんですっ! ああ御免なさいっこんなの言い訳ですよね!? 本当ごめんなさい! 割れた瓶の破片で肌切ってませんか!? 眼に入ってたりして無いですよね!? 失明なんかしたらそれこそ何てお詫びを申し上げたら……ってか大丈夫ですか!? 『蜜入りミルク』ってそんなに眼に滲みるもんだったの!? いやマジでそれも含めた上で、何かもう本当すいませんしたーっ!!
あまりに不気味なその動きに対して、瞬時に恐怖を抱いた俺はその場で即座に跪いてペコペコと土下座し、両手を合わせて謝罪の意思表示を試みる。こういう時ちゃんと言葉を喋れず言い訳も出来ない自分が酷くもどかしい。
って言うかジャントン、お前もお前で何普通に俺に瓶を手渡してんの!? 何かもっと別にあるでしょう!? ほら、何て言うかもっとこう……そうっ枕とか!
テンパり過ぎて、今この場に用意できる筈も無い物をチョイスする俺の駄目な思考はさて置き、そんな思いも込めて俺の後ろに居るジャントン達に向かって俺は抗議の意思を込めた視線を向けた。一応ジャントン達も俺の行動を手助けした共犯者になるんだ。ほらっ君等も謝んなさい!
だけど視線を向けた先のジャントン達はというと、ボボフにガッチリと後ろから羽交い絞めにされたボッコルが『テメェ何て事しやがるーっ!?』と、眼に涙を浮かべつつ今にも俺に掴みかからんばかりの形相でこちらを睨み、ボボフの拘束を解こうと体を暴れさせていて……そんなボッコルをボボフが『まぁまぁ』と押さえ込んでいた。そしてジャントンは『ナイスコントロール』と言った感じで、俺に向かってビシッと力強く右手の親指を突きあげサムズアップしている。
……いやいや違うだろ。そうじゃないだろうジャントン? お前何嬉しそうにしてるの!? 駄目だから! 此処は謝る場面だから! 駄目だ俺以外に罪の意識持ってる奴が誰一人として居やしないよ! いや実行犯である俺が全面的に悪いんだけど、その行動をフォローした君達にも責任はあるんだからね!?
「おいおい見たか今のガキ共の流れるような連携……?」
「ああ、合図も無いのに意思が通じたかのような一糸乱れぬ動きだったな」
「成長の片鱗を垣間見たような感覚だ……末恐ろしいぜ……!」
「流石はエンカー様の弟分のアドンね! エンカー様素敵っ!」
「……エンカー死ねばいいのに」
「けっイケメンが……!」
そんな俺達の様子を、周りの大人のゴブリン達がそう口々に呟きながら見ていた。何だか子供の成長を喜ぶ親みたいな瞳でうんうんと頷き合っている。
……いやいや此処は感心するんじゃ無く注意する所じゃないの? なのに何を感心して――ゴブリンだからその反応は正しい……のか? ゴブリン族生まれて早一年。まだまだ俺は同胞達の感性を理解出来ていないようである。ついでに何かこの場で場違いな発言してる雌のゴブリンが体をクネクネしてるを見て気分が悪くなったのはどうしたら良いんでしょうか?
後、俺が何時エンカーの弟分になった? 誰だそんな事実無根のデマを流したの。それと安定の男衆によるエンカーの不人気具合に妙にホッコリする自分がいます。あいつどんだけ嫌われてるんだ。
「アァドォ~ン~ッ?」
「なぁにをよそ見してんだぁ~~? んん~?」
「――グッギグギャアアアアアアアアアアアッ!?(――って忘れてたあああああああああああああああっ!?」
思考が明後日の方向に向き替えた俺だったけど、頭をムンズっと鷲掴みにされて体が宙を浮くと同時に、視界一杯に青筋浮かべまくってる同胞の二匹の殺す笑みを見た瞬間に現実へと引き戻された。いやあああああっ!? 滅茶苦茶怒ってらっしゃるー!?
空中で両手足をバタバタさせて、何とか離してもらおうと体を暴れさせてみても俺の頭をガッチリつかんでいる手はビクともしません。さらには『オラオラ』と手を揺すって、俺の体を左右に揺らし始める始末。ぎゃああああ酔うっ! 酔っちゃう! 俺こういうの駄目なんだってっ! 俺で遊ばんといてぇぇぇっ!
そのせいで次第に気持ち悪くなってきて俺は、体から力が抜けて項垂れ、後はされるがままになてしまう。
「グ、グギエェェ……!(う、うえぇぇぇ……!)」
「お、おいおいもう勘弁してやれ。何だかグッタリとしてきてるぞアドン」
「あぁ!? この程度でだらしねぇ奴だなっ! 俺達が受けた痛みはこんなもんじゃねぇんだぞっ!」
「子供なんだし大目に見てやんなさいよ。アドンだって謝ってたでしょうが」
「はっ! 謝れば済む程、この世は甘かねぇんだよ!」
「そうだそうだっ! 俺達が世の中の厳しさってもんを教えてや――」
「……これ以上アドンに何かしたら『剛拳鬼姫』が黙っちゃいないぞ……?」
「「――分かれば良いんだよアドン」」
「……グギェェ……(……うげぇぇ……)」
周りのゴブリン達の諌めもあり、ようやく頭から手を離して貰った俺は地面に足がつくと同時に、その場に四つん這いになり項垂れる。……うぇっぷ……! き、気持ち悪い……たったあれだけでこの体たらくとは、俺の体ってマジで貧弱だな。
そん俺の背中を、近寄って来たジャントンが優しく摩ってくれる。あ、ありがとうジャントン……だけど助けようとしてくれなかったのはどういう事なの? 後で其処の所詳しく話し合おうか……!?
さすさすと背中を摩ってくれるジャントンに思う所ありつつも、それでもこの場の張り詰めた空気が弱冠緩んだのを感じて、俺は気持ち悪くなりながらも小さく息を吐く。
ほ、方法は間違ったかもしれないけど、これ以上場が拗れずに済んだのには変わりない。後は、この場を治めてくれる人さえいれば……っ!
そんな後は他人任せの思考を考えていた――その時。
「――……やれやれ、大の大人が揃いも揃って何やってんだい」
「――ぞ、族長っ!?」
「メディ―マ様っ!」
――俺の耳に、今は何とも頼りになる同胞の声が聞こえてきたのだった。
反射的に俺はその頃の方向に顔ごと視線を向ける。するとそこには――後ろに二匹のゴブリンを引き連れた。この『青の集落』の族長であるメディーマ婆さんが、ゆっくりとこちらに近付いて来る姿が見えた。
……メ……ッ!
――メディーマ婆さあああああああああああああぁぁぁんっ!!
うわあああああっ! 待ってた、待ってたよおおおおぉぉこの集落で一番頼りになるゴブリン! 『青の集落』の族長さんの登場だよっ! 信じてたっ! きっと来てくれるって俺は信じてたよメディーマ婆さあああああぁぁぁんっ! 内心の俺の感動と興奮に気付いてはいないだろうメディーマ婆さんは、同胞達でごった返す中をまるでモーゼのようにゆっくりとした足取りで進んで行く。
すっすげぇ……!? 周りのゴブリン達が我先にと、メディーマ婆さんの為に道を開けてるよ……! それだけでメディーマ婆さんが『青の集落』のゴブリン達に、どれだけ畏怖されているのかが分かる。マジで格が違う。いつも意地悪い笑みしか見てなかったけど、今のメディ―マ婆さんの表情は正に『青の集落』の族長のそれだ。
……やべ、なんかちょっと俺ちびりそうです……。
メディーマ婆さんは、地面に四つん這いになっている俺の元までやって来ると、そんな俺を見下ろしてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。あ、いつものメディーマ婆さんだ。何かほっとする。
「ヒッヒッヒッ……! 中々頑張った様じゃないかいアドン。良くやったもんだよ」
「グギ……?(へあ……?)」
「ぞ、族長……!?」
「……それに比べてあんた等は何て醜態を晒してんだい。ガキ共の方がよっぽど今の状況をよく理解してるよ。ガキに助けられるなんざ見っとも無いとは思わないのかい。情けないったらありゃしないよ……ったく」
「えっ、えぇぇ……?」
「お、俺達が何か……?」
「……まだ気付きもしないのかい。もういいよ邪魔だ、とっとと下がりな馬鹿共」
吐き捨てるようにそう言葉を放つメディーマ婆さん。それを聞いた俺が瓶を投げつけてしまった二匹のゴブリンは慌てたようにその場から離れ、後ろの同胞達の中へと下がる。
……あれ? 俺って今メディーマ婆さんに褒められた……何でだ? 俺がやった事といったら衝動に駆られて人様の顔に瓶を投げつけると言う暴挙だけなんだが?
スゴスゴと引き下がる同胞二匹を見送りながら、内心頭を捻る。だけどすぐに、ふとある考えが浮かんできた。
恐らくだけど、この場に駆け付けたメディ―マさんが現状を理解して、結果として場の空気がこれ以上荒まずに済んだのが俺の行いによる物が大きいと察したんじゃないだろうか? それで俺の事を褒めたんじゃないか? 多分それで合ってると思う、と言うかそれ以外思いつきませんって。
い、いやぁ確かにこの場を何とかしたいと思ったけど、褒められた俺としては正直な話、微妙に居心地悪いです。いやだってだよ? 考えてみれば俺の行動って結局は自分の都合が第一の自己中極まりない理由なんだもん。トリスにバレるのはマジ勘弁、怒られるのヤダ―って感じのマジでしょうも無い理由ですよ? うん、全然褒められたモンじゃねぇ。何だよその行動原理、知られたら絶対呆れられるなコレ。
あははは~と気まずげに視線を逸らし、瞬間襲ってきた吐き気に『グォエッ!?』と蹲る俺。そんな俺をメディーマ婆さんが『ヒッヒッヒ……お前さんはそのままでいいさ』と、再びニヤリと笑って俺の傍から離れると、今度は地面に座っているギーンの元へと歩み寄り、その場で腰をおろしてギーンの腕の様子を診はじめる。
「な、何だ貴様は?」
「おやおや、城で自己紹介はした筈なんだがね? どうやら忘れられちまってる様だ。まぁ今はそれよりやることやらして貰うよ。少し待っていて貰えるかねお客人」
「何ィ!? このボクチンの問いより優先する事があるだと!? 無礼な奴めボクチンを誰だと――!」
「ガラハッド・フォブル・アルべザード殿。ケンタウロス族の名家アルべザード家の嫡子。この国には親善大使として訪問されているケンタウロス族長老が御令嬢ヴェロニカ・ケアル・ユニペオル様のお付きとして滞在されている御方だね? アタシもお客人の相手をしたい所だが……少し黙っていて貰えるかい? 自分の行いが一体どういう事態を引き起こすのか少し考えな。今はお前さんが危害を加えたガキの身が優先さ」
「なっ……ぐ……」
あ、空気だったメタボがメディーマさんに食ってかかったけど、その迫力に尻ごみしてる。まぁ気持ちは分かる。表情は笑みを浮かべてるけど、目が笑ってないもん今のメディーマ婆さん……超怖い。それにしても本当に良いタイミングで来てくれたよ。
……もしかして医者を呼びに行ったさっきの同胞ってメディーマ婆さんの元に走ったのか? おお、だとしたらナイス判断だ。メディーマ婆さんなら薬にも詳しいし博識だ、応急処置の方法も熟知してる筈。それにこの場でこれほど頼りになる人選はない。よくやった名も知らぬ同胞よっ!
……ってあれ? そう言えばお客人ってどういう意味――
「へぇ~? オメぇが噂の『白の集落』に住んでるって言う、『グリーンゴブリン』のガキかぁ? 中々面白いガキじゃねぇかぁ」
「――グッギャ!?(うわっと!?)」
「シシシシシッ! 悪ぃなぁ驚かせちまったかぁ? なぁオイ」
「……グオゲェ……! グッギギギグギャ……!?(……ウゲェェ……! は、腹にきた……!?)」
「…………(さすさす)」
「シシシシシッ! こいつぁ本当に悪い事しちまったようだなぁ?」
突然背後から声を掛けられた俺は驚きに飛び上がりそうになり――その衝撃が腹に響いて更に気分が悪くなる。それを甲斐甲斐しく背中を撫でて介抱してくれるジャントンの優しさに泣きそうです。
だがそれよりも先に、俺に更なる苦痛を与えた相手に、半ば非難するような視線を送りつつその姿を確認する。
上げた視線の先に居たのは、赤色の木こりっぽい服装の上から軽装の胸当てを付け、オレンジの髪をオールバックにし、軽薄な笑みを浮かべてこっちを見下ろす一匹の黄緑色の肌のゴブリンだった。服装のあちこちに綺麗な石で造られた装飾品を付けていて、ちょっと派手な印象を受ける。
だがそれよりも気になったのは、そのゴブリンの俺を見る眼が、何だか面白い物を見つけたように愉快気に細められて、その奥の髪同様のオレンジの瞳が俺の姿を捉えて離さない事だった。
――な、何だろう。何だか妙に落ち着かないと言うか……この同胞に見つめられると、妙に不安な気持ちになる……一体何でだ?
居心地の悪さを感じた俺は、気分が悪いのも忘れて自分でも意識しない内に、そのゴブリンから体を後ずらせて弱冠距離を取る。
「グ……ギ……」
「――シシシ……ッ! 何だぁどうしたぁ俺がぁどうかしたかぁ?」
「…………っ!」
「おっとぉ、こいつぁもしかして嫌われちまったかぁ? シシシシッ怖い怖い。そんなに睨むなよぉ仮面のチビ。獲って食おうって気は無ぇんだけどなぁ?」
俺の中の小さな不安を感じ取ったらしいジャントンが、まるで俺を守るようにして前に出ると、そのゴブリンを睨みつける。だがそんなジャントンの様子を見ても、そのゴブリンは愉快そうに軽薄な笑みを浮かべるだけで動じた様子は微塵も見せない。
こ、このゴブリンは一体誰だ……? 確かメディーマ婆さんが引き連れるようにして一緒にやって来た二匹の同胞の一人の筈なんだけど。だ、だけど何で俺はこんなにまで緊張してるんだ!? 今まで一度だって面識がない初対面の筈なのに何でこんなに落ち着かない気持ちになるんだ!?
自分の感情が理解できず混乱する俺、そして相手のゴブリンを睨むジャントンと、それを軽薄な笑みを浮かべ興味深そうに観察する眼の前のゴブリン。
「……童相手ニ何ヲシテイル」
――とその時、妙な均衡状態になっていた俺達の元に別の声が掛けられる。声が掛けられた方向は、眼の前のゴブリンの後ろから聞こえてきた。
それに気付いて眼の前のゴブリンの背後に目をやると、そこには軽薄な笑みを浮かべるゴブリンのすぐ後ろに幽鬼のように佇む、赤黒いフードとマフラーを身に纏う、灰色の肌を持つゴブリンの姿があった。
何だか全体的にボロイ印象の服装だけど、両手に付けている手甲と、両脇に携える二本の短剣――確かククリ刀って言った筈だ。そのククリ刀を携えてる姿からゴブリン族の戦士っていうのは見た印象から理解することが出来た。
確かこの同胞も、メディーマ婆さんが連れて来た一人……の筈だけど。
その戦士風のゴブリンの言葉に、軽薄な笑みを浮かべていたゴブリンは振り帰って、そのゴブリンに顔を向けると口を開き始めた。
「何もしてねーってぇ。だってこのガキだぜぇ『白の集落』に住んでるってガキはよぉ? しかも『グリーンゴブリン』。興味が湧くじゃねぇかぁ」
「……殺気ヲ向ケル必要ハナイ」
「おいおいおいおい、唯の挨拶だぜぇ? これぐらいの事で目くじら立てるなよぉ。なんせ『剛拳鬼姫』のお気に入りだぁ。どれ程のもんかと思ったんだよぉ……そしたら……シシシシッ! 中々こいつぁ面白ガキだぜぇ……?」
ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべて、戦士風のゴブリン相手にそう返す眼の前のゴブリン。
――っえ? い、今殺気とかおしゃいませんでした?
物騒な発言を聞き間違いかと思って交互に二匹の顔を向ける。ジャントンも何だか不穏な空気を纏い始めた……ジャントン、お願いだからあの瘴気みたいなのは出さないでね? お兄さんもう一杯一杯です。
「……ソレ以上ハヤメテオケ。族長モソレ以上ノ戯レハオ許シニナラナイ」
「シシシシッ! はいはい分かりましたよぉ。相変わらずの忠義心の塊だなぁムドはよぉ」
「……童ヨ済マナカッタナ」
「グギ……グ、グギャ?(え……あ、どうも?)」
「…………」
不意に戦士風のゴブリン――確かムドさんって呼ばれてたな。そのムドさんが俺に視線を向けてそう謝罪の声を掛けて来た。
――っていうかムドさんの眼って赤っ!? 物凄い赤っ! まるで血だよ……でもその眼差しに怖い印象は受けなかったんで、俺はその言葉と瞳に少し戸惑いながらも頷き返す。ジャントンもムドさんの言葉を聞いて、渋々ながらも剣呑な空気を散らしてくれた。
それを見届けたムドさんは一つ頷くと、そのまま相変わらず軽薄な笑みを浮かべるゴブリンの横をすり抜けてメディーマ婆さんの元へと歩み始めた。
「……行クゾ。族長ガオ待チダ」
「シシシシ……ッ! わぁったよぉムド。んじゃぁなガキ共? ああ俺ぁ『赤の集落』のゾルってんだ。んであっちはムド。まぁ覚えておいてくれやぁ」
最後にそう言葉を残し、そのゴブリン――ゾルさんは、先に行ってしまったムドさんの横に軽い足取り駆け寄ると、そのまま二人で並んでメディーマ婆さんの元へと行ってしまった。
「――す、すげぇ……っ! 『赤の集落』のムドさんにゾルさんだぜ……!」
「グッギグギャ?(知ってるのか?)」
「ヤッサイヤッサイ!」
「グギャーギャグギギ(へーそんなに有名なんだ)」
歩き去る二人の後ろ姿見たボッコルが、何だか憧れを多大に含んだ視線で二人を見送っていた。あ、そういえば忘れてた。いたのかボッコル。
そしてボボフから、あの二人は『赤の集落』でもトップレベルの腕前の戦士で、かなり有名な存在だと言う事を教えて貰った。うーん、俺って白と青の集落以外は行った事が無いから、その辺の事に関してはあんまり良く知らないんだよなぁ。
それにしても……ムドさんにゾルさんか。何だか対照的な印象の強い二人組だな。見た感じの威圧感は、どちらかというとムドさんの方が強くて、怖そうな印象を受けるんだけど……。
――何でだろう? 俺の感覚だと……ゾルさんの方が怖い感じがするんだ。何て言うか……根っ子の部分ではゾルさんの方が危ない気がするんだよな。妙な不安を覚えた俺は、知らず知らずのうちに自分の腕を摩るように撫でて、其処で初めて鳥肌が立っている事に気がついた。
……あ、あのゾルさんにはあんまり近付かないようにしよう。そう理由も無く自分に言い聞かせ、俺はムドさん達が去って行った方向へと視線を向ける。
すると大体の応急処置が済んだらしいメディーマ婆さんがギーンの傍から立ちあがると、メディーマ婆さんに歩み寄ったムドさん達に視線を向けた。ギーンの方は、後の事を周りの雌のゴブリンに任したようだ。何となくギーンの表情から見て、少しは楽になったようだ。
あっゾルさんがメディーマ婆さんに一発小突かれた。でもヘラヘラ笑っている所をみると、あんまり堪えてないっぽいなぁ……あのメディーマさん相手にあの態度とか正直凄い。
その後メディーマ婆さんがケンタウロス族達の元へと近付いて行くと同時に、ムドさん達もつき従うようにして後をついて行く姿が見えた。どうやらムドさん達はメディーマ婆さんの護衛みたいな立ち位置らしい。
「――さて、待たせて悪かったねぇお客人? それじゃあ一体どういった経緯か詳しく説明して貰おうかい。アタシも大体の事は聞き及んじゃいるけどお客人の口から経緯を聞いて事実確認をしたくてね。話してくれるかい?」
ケンタウロス族達の前に立ち止まったメディーマ婆さんは、そう言って表面上はにこやかな態度でケンタウロス族達に話しかける。
だけど――その身に纏う空気が半端なく怖い。あれは本気で怒ってる状態の時に見せる気迫だ。一度本気で怒られてる俺には分かる。褒められたもんじゃないけどねっ!
それを何となく察したらしいメタボが、弱冠怯えたように顔を引き攣らせ、周りの護衛の騎士達もメディーマ婆さんの気迫に押されたのか怯んだように一歩下がったのが見えた。
「シシシシ……ッ!」
「……」
ケンタウロス族の騎士達のその様子を見たゾルさんが小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、そしてムドさんに至っては特にこれと言ったリアクションは無い。けど、その眼は興味を失ったように閉じられた。
うわぁ……何て言うか役者が違うって言うか、格が違うっていうのはこういう事を言うんじゃないか? さっきまでの高慢な態度が嘘みたいに縮こまっているメタボを見ると、心底そう思えてならない。
さて、一体これからどういう話の流れのなるのか……まぁきっと恐らくメディーマ婆さん達の独壇場になるんだろうなぁと、俺は少しケンタウロス族達に同情しながらも、これから始まる成り行きを静かに見守る事に決めた。
――同胞達でごった返す集まりとは離れた場所で。光輝くプラチナブランドの長髪を揺らし、その鋭い眼光をケンタウロス族とメディーマ婆さん達に向ける、もう一人の美しい傍観者がいた事に俺が気付くのは、もう少し時が経ってからの事となる。
【 備考 】
『人魚』
ラーズ・アファトの海の至る所に生息している妖精族。別名『海域の番人』と呼ばれる。男なら『マーマン』、女なら『マーメイド』とされている。腰から上が人、腰から下が魚という幻想的で美しい容姿をしている。海の中で暮しているが、水分の補給を怠らなければ陸上での生活も可能(人間の一日に取る水分の三倍以上の補給が必要)である。海の平穏を守る事が使命と考えており、彼等の許し無く海を渡る事など不可能。もし無断で無理に横断しようとすれば、どんな理由であろうと海底へ沈められてしまう。恐ろしい印象を受け取られそうだが、それ故に正しい順序を守り彼等の意思を尊重さえすれば、基本的に友好的な種族である。その肉を食べれば不老不死になるという噂があるが、そんな事実も根拠も無く、人間が勝手流したデマであると考えられる。だがそれ故にそれを鵜呑みにした人間達から狙われす事が多いため、妖精の中でも彼等の人間嫌いは有名。かつてオーガ族に虐げられていた事もあり、それから解放してくれたゴブリン族に恩を感じ、比較的早い段階で友好的な関係を結んでいるが、陸に上がってまでゴブリンに会いに来る事はあまり無いようである。
『ムドとゾル』
『赤の集落』に住むゴブリン族の戦士。ムドは『ゴブリンソルジャー』、ゾルは『アーチャーゴブリン』。二匹共に高い戦闘能力を有し『赤の集落』でも指折りの猛者。かつての『ゴブランド王国建国戦争』にも参加し活躍した。ちなみにゾルはワンドルとは同郷の生まれであり、戦争参加以前の彼の事もよく知っていて何か因縁があるらしい……。
『おまけ・グズにブス』
ゴブリンの数だけ物語はある。二人はこうして出会った。
遅くなりまして申し訳ありません。