2/5
第2章 志を貫く苦難と嘲笑
劉秀が本格的に挙兵したのは、王莽による新朝(9~23年)の専制と国政混乱に対する反発からである。だが最初は少数の農民義勇軍にすぎず、武器も食糧も兵站も不十分であった。将兵は粗末な布製の鎧を身にまとい、馬を持つ者はほとんどなく、牛を牽引車代わりにして移動した。その姿は戦場で一目置かれるどころか、「牛車の軍」と嘲笑された。
劉秀は苦境の中でも決して屈せず、戦術を工夫し、山岳地帯や河川を巧みに利用して小規模戦闘を勝利に導いた。夜襲や偽装撤退、連携した游撃戦法など、古典『孫子』や『六韜』の兵法を実戦に応用し、逆境を跳ね返す。志願兵たちはそのリーダーシップと公平な統治に心を打たれ、徐々に兵力を拡大していった。
困窮と嘲笑のなかで、劉秀は自らの誠実さを武器にした。私財を投じて負傷兵を介抱し、食糧を分け与える姿勢は、単なる武将の振る舞いを超え、指導者としての信頼を築いた。こうして「牛に乗る貴族の末裔」は、やがて「民を思う王者」へと変貌し、漢再興の狼煙を上げるに至る。




