第4話 メク市
ぱちり、ぱちり。
長い眠りから覚めたラジルが初めに聞いたのは、熱せられた薪が爆ぜる音であった。音に始まり、続いて視界が明瞭となり、更に続いて体じゅうの痛みが鈍く蘇る。
少年は数瞬をもってようやく、自らが焚き火の側に毛布を被って寝かせられていることに気が付いた。火の周りには彼だけでなく、四人の鎧姿の武者が腰を落ち着けており、付近の木々には馬たちが繋がれていた。
「おや、目が覚めましたね」
初めに口を開いたのはいっとう背の低い、銀色の鎧を纏う男だった。ほとんど真っ白に近く光沢のある金髪で、揺らめく火の灯りを照り返して輝いている。顔立ちは若い、というより幼く、齢二十歳にすら達していないように見えた。
「ここは……」
「私たちの野営です。安全ですよ」
金髪の若武者は立ち上がると、腰元に提げていた革袋を差し出した。
「水をどうぞ」
ラジルは震える手で革袋を受け取ると、乾いた唇を飲み口に付け、ゆっくりと喉を潤し始めた。
「傷の具合はどうでしょう。簡易的ではありますが、方術による治療を施しました」
言われてみると、腿の痛みはずっとよくなっていた。鏃の食い込んでいた周りに張るような感触はあったが、先ほどまであった身体の痺れるような痛みはなく、体勢を変えて話を聞く姿勢を作れる程度には快方に向かっているようだった。
「私の名はシシリス。《夜明けの騎士団》の一員です」
暁の騎士、と名乗っていた銀鎧の男。その声色には黒騎士に対していたときのような冷酷さはなく、至って穏やかなものだ。ラジルはそのあまりの落差から思わずじっと彼の顔を見つめたが、暁の騎士はただ首を傾げて微妙な微笑みを浮かべていた。
「俺らは辺境伯閣下の直属でねえ。領内の村に煙が上がってたから様子を見に来たってわけよ」
続いて口を開いたのは、火に枝を焚べていた、肌の黒い無精髭の男だった。どこかくたびれたような面持ちで、炎が細枝を舐める様を見つめている。
「俺ぁアードベック。そこのチビと同じ騎士だ」
無精髭の男に指をさされたシシリスは、不愉快とばかりに眉をひそめ口を開きかけたが、逡巡ののちに息をつき、言葉を呑み込んだ。
「そ、そうだ!村、ぼくがいた村が、黒い兵隊に」
がばり、と身体を起こしたラジルが言葉を終わらせぬうちに、アードベックが口を挟む。
「全滅だよ。ボウズが寝てる間に斥候を出したがね、死体と焼け跡ばっかりだと」
「アード!言い方というものを……」
シシリスが慌てて声を上げるが、遅かった。少年は、逃げ際に生きたまま焼かれる村人たちの姿を見ていた。人の焼ける、胸の悪くなるにおいを嗅ぎ、声にならない濁った叫び声を聞いていた。それでもなお少年は、村の皆は無事かもしれないという希望と呼ぶにもあまりに頼りない希望を捨てきれずにいた。アードベックが告げたあまりに重々しい現実は、それら甘い考えの全てを打ち砕いて余りあるものだった。
ラジルは黙り込み、何ともなしに下を見つめた。目は乾いて涙も出ないが、焚き火で暖まっていた身体がさっと熱を失うのを感じていた。
「実に見事な手際だったよ。下手人たちは実に迅速に、機敏に仕事を終えたと見える。僕が着いたときには既に撤退を終えていた……もぬけの殻さ。初めから皆殺しが目的だったのだろうかね。よくもまあ、逃げおおせられたものだ」
「ボアロ!あなたも……」
肘をついて寝そべっていた男が付け加えた。十字の目穴が抜かれたバケツのような兜を被っており、その表情を計り知ることはできないが、その声色からは感心するような響きが聞いてとれた。
シシリスは男の話しぶりを信じられないと言わんばかりに声を荒げ、その態度を窘めた。
「おっと、すまない……悪気はなかった。僕はどうも無神経な物言いをしてしまうことが多いようでね、謝罪しよう。だがね、どうにも腑に落ちないのだよ。それなりの規模の勢であったろうに略奪を行った痕跡もなく、蔵も畑も焼き払われていた。その上、戦える男たちだけでなく利用価値のある家畜や若い女に子供まで皆殺しというのは異常だとは思わないかね?更にはきみという逃亡者に追手を放っておきながら勢は撤退するなどと……」
「ボアロ!」
窘められてなおもつらつらと語りを止めないボアロに対し、シシリスはとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、一瞬焚き火の炎が逆巻くほどの声を上げた。
「あなたは無神経が過ぎます!よいですか、彼はまだつい数刻ほど前に家族と故郷を失ったばかりなのですよ!その前でよくもまあ皆殺しだの焼き払っただのなんだのと……!」
と、そこまで言葉を続け、暁の騎士はハッとして口元を抑え、横目でちらりとラジルの姿を見た。
「てめえもな」
アードベックがぼそりと呟いた。シシリスはというと、先ほどまでの勢いはどこへやら、へなへなとその場に座り込み、半ば泣きそうな顔をしながらラジルへの謝罪の言葉を探していた。
「その……本当に申し訳ありません……」
騎士たちと少年を包み込んだ重苦しい沈黙は、一行が安全な都市へ着くまで続いた。ただ一人語りを止めず、絶え間なく舌を動かしていたボアロを除いて。
少年が送り届けられたメク市は、彼の故郷――窪地にあったことから単に窪の村と呼ばれていた――とは比べるべくもない大都会であった。スノーカル王国の北の端、広大無辺なるクレラットの森に面した台地に坐す城塞都市であり、北方諸国へと繋がる街道を見守る国防と交通の要衝である。
ラジルはというと、物々しい石造りの城壁や道を埋め尽くす馬車や人の群れなど、産まれて初めて目にするものたちに圧倒されていた。大通りには食物や飾り物の露店が並び、人の発する音という音が空気を揺らしている。
馬上で前に乗る少年を支えていたシシリスは、彼が物珍しそうに周囲を見回す様を見て、気まずい空気を打破する好機と考えたのか、意を決して声を出した。
「メク市は初めてですか?」
少年は路端の物売りが並べている、色とりどりの飴を目で追いながら答えた。
「村から出たのも初めて、です……こんなに人がいっぱいいるなんて、お祭りでもしてるんでしょうか」
彼が見物に夢中であるとみた暁の騎士は得意になり、胸を張って言葉を続けた。
「この街はいつもこのくらい賑わっているのですよ。北方諸国との交易路でもありますから、色々なものが手に入りますし。王都と比べても見劣りしないはずです」
どこか自分ごとのように自慢げなシシリスの語りを聞いていると、街の中でも小高い丘にある大きな城が目についた。街の外壁と同様、黒っぽい石を積み上げて作られた幾重かの城壁に囲まれており、円錐状の屋根が乗った主塔に幾本もの尖塔が備えられたつくりである。一際高く伸びた尖塔の先端にはこれまた大きな旗が揺らめいており、黒地に金糸で描かれた紋様は地平から半身を出した太陽を模しているようであった。
「あれこそが我らが主、フォリアス・クラック・レンブレル辺境伯のおわす城さ。この建築様式は……」
いつの間にか横につけていたボアロが口を開いた。何やらベラベラと小難しい蘊蓄を垂れ流し始めたが、ラジルの耳にはまったく入っていなかった。
少年は自分の薄情さを恥じていた。つい半日前、故郷の村が滅ぼされたのにも関わらず。初めて見る都会に、人混みに、巨大な城に、悲しみはどこか遠くに追いやられ、少年の心はときめいていた。




