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第3話 暁の騎士

 白い騎士──シシリスは、鞍から降りてみると驚くほど小柄に見えた。ラジルよりかは上背はあるものの、大柄な黒騎士と相対するとその差は頭三つぶん以上。大人と子どものようなものだ。


 シシリスは長柄の星球鎚(モーニングスター)の先端を足首ほどに下げて構え、相手の出方を伺っている。


 一方の黒騎士は、破れた兜からくすんだ肉の色を晒し血を滴らせているものの、その動作は至って静かである。頭を殴りつけられたことによるふらつきは鳴りを潜め、屍食鬼(ゴール)の群れを薙ぎ倒したときのように幅広の黒い曲刀を高い位置に構えている。


 黒馬が倒れた拍子に縄が解けたラジルは、その死骸の後ろに身を屈めて両者の対決を見守っていた。芯に響く矢傷の痛みも、痺れるような手足の怪我も変わらずあったが、この二人の比類なき強者(つわもの)の戦いへの好奇心が痛みに打ち勝ったのである。


 片や幅広の曲刀、片や長柄の星球鎚。正反対の得物、されど共に隙を伺う待ちの姿勢。互いが互いの出方を待っている間にも、黒騎士の足元にはとめどなく流れ出る血液が染みを作っていた。


 ラジルは両者の間に流れる重苦しい沈黙を感じていた。唾を飲む、ゴクリという音が。汗が地に垂れる、ヒタリという音が。鼓動やまばたきの音さえもが騒音に思えるほど、夜明けの森は静かである。静寂の中、互いの戦意は番えられた弓のように張り詰めていた。引きも絞りも既に済み、もはや宙を飛び(かたき)を粉砕せしめる瞬間を待つばかりである。


 初めに動き出したのは黒騎士であった。音のない、しかし疾風の如き突進。だが、その(きっさき)はついに暁の騎士に触れることはなかった。曲刀の間合いに入った瞬間、かつ刃が振り抜かれる寸前、シシリスの二度目の初撃が叩き込まれた。黒刃の到達より僅かに早く、ブーツの爪先を軸に身体すべてを素早く回転させ、致命の速力を得た星球を無防備な脇腹に深々と食い込ませたのである。漆黒の鎖帷子と(あばら)は幾つもの重き角錐によって叩き砕かれた。その身体は中ほどで折れ曲がり、髑髏兜の目穴から噴水のように黒ずんだ血が噴き出した。巨大な黒い身体が小男の打撃であっさりと崩れる様は、ラジルの目にはひどく現実感がないように写った。


 「主の名を言え。さすれば、苦しませずとどめを刺してやる」


 シシリスが食い込んだ星球鎚(モーニングスター)の柄を引くと、赤黒い粘つきが角錐と胴の間に橋を架け、黒騎士の両腕はだらりと垂れ下がって黒刃を取り落とした。その胴は窪み、元の太さの三分の二ほどしかなく、臓腑と血が絶え間なく零れ落ちている。


 「吐くのだ。その口が動くうちに」


 暁の騎士(シシリス)は星球を髑髏兜の顎先に突きつけ、冷酷に言い捨てた。シシリスは両の足で大地に立っており、一方の黒騎士は血に塗れながら両膝をついている。戦いの始まる以前と以後で両者の頭部の標高は逆転していた。勝敗は誰の目にも明らかであった。


 だが、その敗者が尋常の生命でないことを、勝者(シシリス)は知らない。


 瞬間、垂れ下がっていた黒騎士の腕が魚のようにのたくり、汚れた星球を掴んだ。手のひらに角錐が突き刺さり、手の甲に頭を出す凄まじいほどの握力。驚愕に強張った暁の騎士の手から柄を振りほどくことは容易であった。


 得物が木々の間に投げ飛ばされ空手となったシシリスに、好機とみた黒騎士は素早く跳びかかり、銀鎧の矮躯をたやすく組み伏せ馬乗りとなった。


 「んなっ」


 続けざま兜に見舞われる、黒い肘打ち。ごいん、ごいん、ごいんとその肘が割れるほどの勢いで打ち込まれる肘鉄は、鏡のように磨き抜かれた兜を凹ませ、そこに映る髑髏面をひどく醜く歪ませた。


 死に際の猛撃に襲われた暁の騎士は必死の抵抗を試みたが、そのどれもが無駄に終わった。手甲(ガントレット)で頭を殴りつけると、兜は凹むが黒騎士の身体はぴくりとも揺るがない。帯革に差していた短剣を抉れた腹に捩じ込むが、黒騎士はうめき声ひとつあげることはない。シシリスは理解した。目の前の黒い男は、自身の生命に全くもって頓着していないのだ。今このとき、黒い騎士の全霊はただ眼下の命を止めることに注がれているのだと。


 息をつく暇もなく黒い肘打ちが、拳打がシシリスの兜に叩き込まれる。細い胴は黒騎士の強靭な腿にぎりぎりと締め付けられ、とても抜け出せそうにない。


 抵抗の手が弱まり、あわや兜もろとも頭蓋を砕かれるかといったそのとき、飛び出して──いや、這い出していったのはラジルであった。その足取りは突進と呼ぶにはあまりにも緩慢。鏃の食い込んだ片足を引きずり、半ば這うようにして黒騎士の背面から近付いていた。その手に握られているのは、幅広の黒い曲刀。先刻、暁の騎士の痛打を受けた黒騎士が取り落とした業物である。疲れ果てた子どもには重すぎるその剣をラジルは高々と持ち上げ、無造作に振り下ろした。


 意図してか、せずしてか。鎖帷子と兜の隙間に黒刃は食い込んだ。皮膚を裂き、筋を分け、幾本かの骨を切断する。


 「ゔっ!ゔうううっ」


 ラジルは唸った。腕に力を込め、更に刃を押し込んだ。ズブズブと肉を破る感触が柄を伝って指先に響く。だがまだ足りない。深く、深く斬り裂かなければ、この怪物は殺せない。少年は突き立てた曲刀を通じて、筋の厚さを、鼓動の強さを、黒い怪物の凄まじい生命力をも感じ取っていた。


 ラジルは黒騎士の首に抱きついて、柄を押し込みながら向こう側に突き出した刃の(みね)を叩いた。ノミを打つように、握った拳を叩きつけた。


 「あっ、ああああっ!」


 知らずのうちに、少年は咆哮した。ぼんやりと、半ば夢の中にいるように弛緩していた脳裡にカッと火花が走る。一打ちごとに伝わる、黒い怪物の力強い鼓動。一打ちごとに失われていく己が活力。黒い兵隊たちに焼かれた村が、家が、畑が、炎に巻かれるただ一人の家族の骸が、次々に視界の裏に明滅していった。


 「■■■■!!」


 堪らず、黒騎士は吠えた。地の底から轟くよう叫び。肺より吹き込まれた空気が声帯を震わせる、尋常の肉声ではない。この怪物の身体の裡に潜むであろう、邪悪な何かが喉を勢いよく噴き出すことで起こる異形の怪音である。


 首元からぱっくりと開いた裂け目は傷と呼ぶにはあまりに深く、鎖帷子を切りほどいて分厚い胸板の半ばまで達していた。黒騎士の左腕は力なく垂れ、もはや半身はその機能を失っている。しかし残る右腕は蛇のように執念深く、ラジルの頭を掌に捕らえ、万力の如き握力で締め付けた。頭蓋が沸騰したように熱くなる。


 「あと少し!踏ん張れ!」


 殴りつける手が緩んだ隙を突き、シシリスは刃の峰をラジルの手の上から押し込んだ。恐るべき斬れ味に加え、二人分の力が加わったことで黒い曲刀はますます身体にめり込んでいった。


 肉と筋の裂ける、鈍い音。そして頭蓋が軋み、顔面の穴という穴から何かが吹きこぼれそうになる感覚。ラジルの五感から入る混沌は、次第に彼の意識を失わせていった。


 全ての輪郭が融けてゆく中ラジルが見た最後の光景は、力なく崩れ落ちる黒騎士の(からだ)と、それを押しのけ倒れ込んだラジルの顔を覗き込む暁の騎士の姿のみであった。

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