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第2話 死の風

 芳しい血の香りに釣られたのか、屍食鬼(ゴール)どもはその数をますます増やしていた。その唸りの大合唱はあたかも巨大な猛獣のそれのようである。


 しかし、さしもの怪物どもも恐ろしい黒騎士は難しい獲物だと見ているようで、仲間を増やしながらもなかなか初めの攻撃に踏み切れないでいるようだった。


 対する黒騎士は、黒い曲刀を高く構えたままピクリとも動かない。僅かな震えもないどころか、呼吸や脈動による身体の動きすら感じられない。ラジルには、黒騎士の身体が気付かぬうちに石像に変じたかのように思えた。


 長い睨み合いの後、最初に動き出したのは屍食鬼であった。包囲の最前線、黒騎士に最も近い位置に立っていた群れの中でも特に大柄なものが、その身体全体を浴びせるように飛びかかったのだ。しかしその汚れた爪先が触れるより速く、黒騎士の刃は標的の脳天を捉えていた。瞬間、バターを切るよりも滑らかに、頭頂から顎先までを幅広な黒刃が通り抜ける。怪物の顔は胴に繋がったままペロリと左右に開き、汚泥のような血を吹いた。大きな身体は勢いのまま地面に滑り込み、数度の痙攣を起こしてその動きを止めた。

 

 そこからせきを切ったように怪物たちは踊りかかってきた。黒騎士より大きなものも、子どものように小さいものもあったが、みな一様に笑うような雄叫びを上げ、その爪と歯を突き立てんと襲いかかった。


 一方、黒騎士の動きは相変わらず静かなものだった。大柄な屍食鬼を通り抜けた刃が、続けて流れるように近くの屍食鬼の喉を断ち切る。一呼吸ののち、おびただしい量の濁った血が噴き出し、騎士の外套を汚した。怪物は喉を抑えうずくまって苦しみ、笛のように甲高い音を出して死に絶えた。


 二匹の怪物を斬り倒した黒騎士は、動きを止めずに独楽のように回りながら群れの中に斬り込んだ。恐るべきはその精密無比な動作である。あるものの脚を斬り飛ばし、首を斬り落とし、またあるものの顔面を殴り潰し、肩で木に叩きつける。黒騎士はまさに死の暴風と化して、怪物たちに破壊を撒き散らしていた。


 ラジルを載せた黒馬も、屍食鬼どもを寄せ付けまいと飛びかかってきたものに後ろ蹴りを食らわせ、近くにいるものには噛み付いてその頭蓋を砕いてみせた。


 息もつかせぬ猛攻は怪物たちを蹴散らし、群れはその数をみるみるうちに減らしていった。空が白んでくる頃には、幸か不幸か黒刃の一撃を受けてなお生き延び、手酷い傷を負ったものばかりが残っていた。


 黒騎士はピタリとその動きを止め、頃合いとばかりに近くに落ちた怪物の首を拾い上げ、残ったものらに誇示するように、高々と掲げた。それを見た怪物どもは蜘蛛の子を散らすように退散していくのであった。


 ラジルはというと、怪物どもの激しい戦いに怯え果て、矢傷の痛みも忘れて縮こまっていた。黒騎士が彼を縛り直し、黒馬に跳び乗って勢いよく走り出すまで小指ひとつ動かすことのできない有様であった。


 黒馬が木々の間から広い道に飛び出し、どんどんと速度を増していく。連なる木々が輪郭をぼかして前から後ろへと飛んでいく、産まれて初めて体験する速さに彼は目を回すばかりである。


 屍食鬼どもの脅威が去り、頭の中を整理する暇のできたラジルは、改めて自分の行く末について考えていた。黒騎士は今のところ、彼を攫っているが直接的に害そうとしてはいない。何かラジルが必要なわけでもあるのだろうか。それとも単なる気紛れか。いやしかし、どちらにせよ彼に待っているのはロクな末路ではないのだろう。黒い騎士といえば地の底からやって来る悪魔であり、残虐な(けだもの)にして災いの象徴。誰もが御伽噺に知る、天と正しき理への反逆者なのだから。事実、この忌わしい騎士はラジルの村を襲撃し、住民たちを生きたまま焼いたのだ。ぶすぶすと肉と毛の焦げる臭いがありありと鼻の奥に蘇った。


 この悪魔から逃れなければ。そうラジルが意思を固め直すのに、そう時間はかからなかった。しかし、心とは裏腹に身体の状態は心許ないものだ。手足は黒い縄で疾走する馬の尻に縛り付けられ、ぴくりとも動かせそうにない。仮に縄を解くことができたとしても、腿に鏃の食い込んだままでは這って逃げることしかできない。いや、この痛みでは這うことすら難しいだろう。


 ラジルは産まれて初めて心から祈った。光の神に、大地の女神に。上り始めた白い朝日に、涙を零しながら助けを請うた。どうかこの悪魔から私を助け出し、暖かな場所と食べ物をください!

 眼下を高速で過ぎ去っていく、踏み固められた土。視界の端、地平から半分ほど顔を出した太陽の中に何かがきらりと光った気がした。


 ドドム、ドドム。


 かすかに蹄が大地を打つ音が聞こえる。はるか後方から誰かが、黒騎士を、ラジルを追ってきている。彼はがばりと顔を上げた。涙と夜明けの光に融けた輪郭が、近付くにつれて明らかになっていく。突風の如き速さで走る黒馬にその輝くような白馬はやすやすと追いついてみせた。


 白い炎のような鬣。美しい白馬に跨るその者は、光沢に朝日をたたえる銀の甲冑に身を包んでいる。


 「止まれ!」


 白い騎士はよく通る声でそう叫んだ。その顔は鏡のように磨き抜かれた兜に隠れ、容貌を窺い知ることはできない。だがその声色は(いかめ)しい銀の鎧に似つかわしくなく、ラジルがいつか見た旅芸人の一座の歌女のように高く澄み渡っていた。


 制止に構わず、黒騎士は鞭を打って更に黒馬を急がせた。ぶるると鼻を吹かし、一段息を入れ直したその刹那、白い影が宙に跳び上がった。距離にして馬三頭ぶん、高さにして騎馬一頭と少し。輝くような白馬は強靭なる脚力で騎士を乗せるその身を浮かせ、黒馬の目前に着地してみせたのである。


 「止まれと言ったはずだ」


 さしもの黒騎士も馬同士の衝突はまずいと見たか、黒い馬体を急停止させ、白い騎士に向き直った。


 「名を名乗れ」

 

 白い騎士は低くどすの効いた声を出すと、背に提げていた黒い棍を握り、ゆらりと黒騎士に向けて構えてみせた。その長さは腕二本ぶんといったところで、先端にはてらてらと光る黒い鉄球をいくつもの鋭い角錐で覆ったものが付いていた。星球鎚(モーニングスター)というものだろう。


 「……」


 黒騎士は答えない。幽鬼のような佇まいで、髑髏の兜越しにじっと白い騎士を睨めつけている。ラジルはごくり、と唾を飲んだ。


 「今朝、早馬があった。クレラットの森を抜けた先の農村に火の手が上がっていると。お前はなぜそちらに向かっている?それも、怪我をした(わらべ)など馬に縛り付けて」


 白い騎士は縛り付けられた少年に視線を落とした。その簡素な処置がなされているが、腿に矢が深々と突き刺さっており、粗末な衣服の至るところに黒い染みができている。ラジルは乾いた唇を舐め、恐る恐る言葉を発し、二人の騎士の間にある沈黙を破った。


 「たすけて」


 ろくに水も飲んでおらず、疲弊しきったラジルの声はごくか細いものだった。だが、痛みに強張る身体捩り、泥と涙に塗れた顔を上げ、目の前の白い騎士に必死に助けを求めていた。これは救いだ。祈りのおかげか、神は彼を見捨てなかった。少なくともラジルは、そう信じた。


 「相、分かった」


 白い騎士はそれだけ言うと長柄の星球鎚を頭上に振り上げ、竜巻を起こすような回転をつけ、勢いのままに黒騎士の側頭を殴り抜いた。


 「やあっ!」


 突然のことに、黒騎士はまったく抵抗もなく馬上から吹き飛び、ラジルの口は呆然と開かれた。

一拍遅れて黒馬が嘶くが、白い騎士の星球は続けざまに立ち上がった脳天を叩く。黒馬はどう、と地に倒れ、あわやラジルは馬体に圧し潰される寸前であった。


 騎士は白馬から飛び降り、頭を抑えてうずくまる黒騎士に槌を向けた。


 「立て。一方的に打ち伏せるのは好かぬ」


 黒騎士はふらつきながらも立ち上がり、黒い曲刀を抜き放った。髑髏を模した兜は半分がひしゃげ、星球の角錐に貫かれたのか赤々とした血を滴らせている。


 「ゔ、う、オオッ!」


 黒騎士は脚を開き、低く構え、自らを鼓舞するように雄叫びを上げる。夜明けを迎えてなお、殺意を宿す濁った目は星のようにちかちかと瞬いた。白い騎士は、標的が立ち上がり戦いの意思を示したことを確認すると、改めて長柄の星球槌を構え直した。


 「暁の騎士、シシリス。参る」

モーニングスターの日本語は正しくは朝星棒、星球式鎚矛などと言うらしいです。

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