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ブラコンメーカー  作者: 川北 詩歩


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2/2

効果は抜群だ!?

 日曜日の朝、午前八時。




 いつもなら「おいクソ兄貴、いつまで寝てんだよ。床に根っこでも生えたか?」という、夏織の親切丁寧(皮肉一〇〇%)なモーニングコールで叩き起こされる時間だ。




 しかし、その日の朝は違った。




 枕元で、カサリ、と衣擦れの音がした。




「……ん、なんだよ夏織。朝っぱらから……」




 寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした俺は、心臓が口から飛び出すかと思った。


 目の前に、至近距離で夏織の顔があった。それも、いつもの般若のような形相ではない。春の陽だまりのように柔らかく、慈愛に満ちた、見たこともないような「聖母の微笑み」を浮かべている。





「お兄ちゃん、おはよう。……まだ眠い?」





「…………は?」





 声が、甘い。ハチミツを煮詰めたような、鼓膜がとろけるような声音。




「喉、乾いてない? 冷たいお水、持ってきたよ。……はい、あーん」




「あ、あーん!?」




 差し出されたコップを呆然と受け取る。夏織は俺の顔をうっとりと見つめ、細い指先で俺の寝癖を優しく整え始めた。


 スプレーの効果だ。分かってはいるが、あまりの劇変ぶりに脳の処理が追いつかない。






 数時間後。


 俺はリビングのソファで、読みかけの漫画を開きながらのんびり過ごしていた。いつもなら「リビングを占領するな」と蹴り飛ばされる場所だが、今は平和そのものだ。




 そこへ、パタパタと軽い足音が近づいてきた。




「おにいちゃーん♡」




「うおっ!?」




 その天使のささやきのような呼び声に、俺は思わず持っていた漫画を床に落とした。


 振り返る間もなく、背後から柔らかな感触が飛び込んでくる。夏織が俺の首に腕を回し、全力でハグをしてきたのだ。




「お兄ちゃん、今日の夕飯、私が作るから待っててね! お兄ちゃんの好きなもの、いっぱい作るよ!」




「な、夏織……。お前、料理なんて……」




「お兄ちゃんのためなら、なんだって頑張れるよ!」




 そのキラキラした瞳に、俺の涙腺は崩壊寸前。





――ああ、これだ。俺が求めていた理想の妹は、まさにこれなんだ!





 その夜、夏織は慣れない手つきで包丁を握り、指に絆創膏を貼りながらも、俺のためにオムライスを作ってくれた。ケチャップで大きく「だいすき」と書かれたそれを見て、俺は「三千八百円でこれなら安いものだ」と、幸福の絶頂に浸る。





 ……しかし。




 地獄の扉は、その翌日の夜に開いた。




「お兄ちゃん、一緒に寝よっか!」




 深夜、突如として俺の部屋のドアが開く。




 現れた夏織の姿に、俺は息を呑んだ。彼女が着ていたのは、フリルがたっぷりとあしらわれた、明らかに普段の彼女なら「死んでも着ない」と言い放つような、露出度高めでキュートなパジャマ。




「ちょ、夏織…どうしたんだよその格好!」




「お兄ちゃんと離れるの、寂しくなっちゃって。…お兄ちゃん、あったかいねぇ」




 制止する間もなく、夏織は俺の布団に潜り込んできた。細い腕が俺の腰にしがみつき、至近距離で彼女の吐息が首筋をかすめる。




「やめろって、おい、離れろ……っ!」




 俺は必死に彼女を引き剥がそうともがいた。しかし、その結果、ちょうど俺が夏織に覆いかぶさるような、世にも誤解を招きやすい体勢になったその瞬間――。


 バァン!! と、勢いよくドアが開いた。




 そこには、目を丸くし、次の瞬間には般若と化していた父と母が立っていた。




「功佑。お前、実の妹に、何をしたんだッ!!」




「違うんだ! これは、夏織が勝手に…!」




 俺の決死の弁明は、両親の耳には届かなかった。




「いいか、功佑! 妹を大切にするのはいいが、人として一線を越えてはならない!」




「だーかーらー! 違う違う、そうじゃない! 俺は何もしてないって! それでも俺は、やってないっ!」




「お前……! 今、何をしようとしていたんだ!!」




 父の絶叫が深夜の住宅街に響き渡る。




 結局、俺は正座をさせられたまま、親からの説教を夜中の三時までたっぷりと食らう羽目になった。横で夏織が「お兄ちゃんは悪くないもん……私が誘ったんだもん……」と、火に油を注ぐような援護射撃(?)をしてくれたおかげで、俺の社会的地位は家庭内でマイナス一万まで失墜した。






 翌朝、疲労困憊で目の下に隈を作った俺は、ゴミ箱から『ブラコンメーカー』の説明書を拾い上げた。


 震える手で読み返すと、そこには虫眼鏡が必要なレベルの小さな文字で、こう書かれている。




『※開発途中のため、対象者の元々の愛情が歪んだ形で増幅される等の副作用が現れることもあります。中和剤は存在しません』




「あああああ! やっちまった……!」




 効果が切れるまで、あと三日。地獄はまだ半分も終わっていない。




 それからの三日間は、文字通りの公開処刑だった。




 朝から晩まで「お兄ちゃーん」と犬のようにまとわりつかれ、学校まで送ってくれとせがまれ、しまいには俺の友人の前で「うちのお兄ちゃん、世界一かっこいいんだよ! 結婚するなら絶対お兄ちゃんがいい!」と絶叫される。




 友人たちからは「あいつ、妹にあんなこと言わせてんのか?」という白い目で見られ、少しでも構わずにいると、夏織は涙を流して「お兄ちゃんに嫌われた…もう死ぬしかないんだ…」と抱きついてくる始末。




「おいおい、功佑。最近の夏織ちゃん、マジでヤバくないか?」




 昼休み、魂が抜けかけている俺に、誠人が心配そう(でも少し楽しそう)に声をかけてきた。


 俺は藁にもすがる思いで、『ブラコンメーカー』について打ち明けた。




「…マジか!? なんだよその神…いや、面白ツール! ギャハハハ! お前、頑張れよ、お兄さん!」




 誠人は腹を抱えて笑い、俺の肩をバンバンと叩きまくる。




「他人事だと思って…! 誠人、お前のところの沙弥加ちゃんと交換してくれ、マジで!」




「断る! うちの沙弥加は『天然』で可愛いからな。人造ブラコンは勘弁だわ!」




 




 そして五日後。ついに運命の期限が切れる日。




 翌朝、洗面所で顔を洗っていると、背後から聞き慣れた、突き刺さるような声がした。




「クソ兄貴! 早くそこどいてよ! 鏡の前を独占すんな、ブサイクが!」




 その罵声を聞いた瞬間、俺の全身を言いようのない安堵感が包み込んだ。




「…ああ、夏織。おはよう」




「はぁ!? 何そのニヤけた顔。キモいんだけど。さっさとどけろボケ!」




 手荒に突き飛ばされたが、それがこれほど心地よく感じるとは思わなかった。




 あの狂気じみた甘えん坊の日々も、まあ、少しは悪くなかったのかもしれない。だが、結局はこの「暴君」との、騒がしくも平穏な日常が一番なのだ。俺は晴れやかな気分で学校へと向かった。





 * * * * *





 二週間後…。




 自室でスマホをいじっていた夏織は、口角を吊り上げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。


 彼女が画面で見つめていたのは、例の怪しい通販サイト『damason』。






 『シスコンメーカー ―理想の兄貴改造スプレー―』 税込3,800円






「……ふーん。お兄ちゃんだけが楽しむなんて、不公平だもんね?」




 夏織は迷うことなく、それを「カートに入れる」へと放り込み、彼女の指先が「犠牲」を求めてクリックされる。




 幡野家の、本当の戦いはこれから始まるのかもしれない。





(終)



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