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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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観測点の消失と“仮座標域”の形成

観測点が「開いた」――その直後だった。


瞳孔のように広がった揺らぎが、

まるで満ちた呼吸をゆっくり吐き返すように、

勝手に収縮し始めた。


輪郭が外へ弾ける気配は一切ない。

むしろ逆。

世界の縁が、中心へ向かって折りたたまれ、

ひとつの点へ畳み込まれていく。


音はなかった。

だが、確実に“空間の一層”が閉じたと分かる沈黙が落ちる。


そして――


乾いた破裂音ポンッ


次の瞬間には、そこにあったはずの観測点が

光ひとつ残さず消えていた。

焼け跡も、残光も、影さえもない。

まるで最初から存在していなかったかのように。


三人は同時に、

「座っていた椅子だけ突然消えた」ような錯覚に襲われた。

身体の重みが支えを失い、

重力の向きが一瞬だけ宙に浮く。


アデリアが小さく息を呑み、

リオは咄嗟に足を踏ん張る。


ただひとり――

レミルだけは、揺れなかった。


胸紋の奥。

あの向こう側へ伸びた“細い糸”の感触が、

まだ確かに指先の神経に触れている。


それは、消えたはずの観測点の“続き”だった。

そして、レミルだけに残された、

開いている側の余熱でもあった。


地面が沈んだわけではない。

けれど三人は、ほぼ同時に息をのみ、足元を探った。


――存在の重みが、裏側へ滑った。


そう形容するしかない“反転”が、

全身の骨格にわずかな遅れを伴って伝わる。


レミルは思わず目を細めた。

だが、目を閉じていてもわかる。


感覚そのものの向きが、数ミリずれた。


前後でも上下でもない。

“本来ないはずの方向”へ重心が引かれ、

それが次の瞬間、また元の位置へ戻る。


アデリアは指先を震わせ、

リオは壁に手をつく。


空気が――変わった。


先ほどまで頬に触れていた室内の空気が、

一段、薄くなる。


その薄さは冷気ではなく、

“層そのものが剥がれた”ような無重量の質感。


代わりに、上から何かが被さってくる。

それは風でも気圧でも温度でもない。


――こちらの世界とは異なる計測基準。


双対の目盛りが、透明な膜として周囲へ落ちてくる。


レミルははっきり理解する。


(……これ、こっち側の空気じゃない……)


胸紋の奥で、細い糸の手触りがまた微かに震えた。



リオは、喉の奥から漏れた自分の声に驚いた。

震えているのに、妙に確信を帯びた響きだった。


「……マズい、次の段階だ。

 これは――『仮座標域』の生成』……!」


言葉と同時に、彼の端末が悲鳴を上げるように画面を震わせた。

さっきまで走っていた乱雑な赤ノイズは、

突如として規則的な縞模様へ変質する。


ノイズではない。

むしろ、“向こう側”の値がこちらに重ねてきた結果だ。


「……うそだろ……これ、ノイズじゃなくて……座標値……?」


リオが指一本触れないうちに、

端末は勝手にモードを切り替えはじめる。


解析・観測・変換――その順序すら無視して、

画面が“座標換算モード”へ強制遷移する。


見たことのないUIが浮かび上がった。


『観測参照式:未定義領域 → 仮座標換算式』


意味が分からない。

だが、分からなくても理解できてしまう。


これは“こちらが測定している”のではなく、

向こうがこちらを測りに来たということだ。


リオは顔色を失った。


(……“開いた側”が……

 こっちの基準を読み取ってる……!)


背筋に、底なしの落下の感覚が走った。


仮座標域――それは“場所”というより、

世界と世界の座標がまだ噛み合う前の、中間の揺らぎだった。


観測点が消失した直後、

三人の視界のはるか向こう――アーカイブ棟の外壁よりさらに向こう側に、

地平線が薄膜のように揺れる層が生まれる。


最初は空気のゆらめきに見える。

だが、目を凝らすほどにそれは“現実のゆらぎ”ではありえないと分かる。


その層面には、建物も大地も存在しない。

かわりに、


位相そのものが折り畳まれ、

 たわみ、

 ゆっくりと裏返りながら形を変えている。


現実の影でも、光でもない。

むしろ“深度の漏れ”が、仮の地形――位置合わせ空間を描いているだけ。


あれは道ではない。

まだ「場所」にすらなっていない。

ただ“向こう側”へ行くための座標を、

こちらに合わせて調整しようとしているだけだ。


レミルの胸紋が微かに反応するたび、

その層面は波紋のように拡がり、また収束した。


アデリアが小さく呟く。


「……見えてしまってる……

 本来は観測者に映ってはいけない“薄さ”の層……」


その言葉の通り、

層面の奥に見えるのは“景色”ではなく――

別の深度が剥き出しになった、危険な透け方だった。


仮座標域。


完全に転移すれば“向こう”。

だが、まだ世界として確定していない半透明の地平。


そしていま、それが“こちら側”に触れている。


仮座標域――それは“場所”というより、

世界と世界の座標がまだ噛み合う前の、中間の揺らぎだった。


観測点が消失した直後、

三人の視界のはるか向こう――アーカイブ棟の外壁よりさらに向こう側に、

地平線が薄膜のように揺れる層が生まれる。


最初は空気のゆらめきに見える。

だが、目を凝らすほどにそれは“現実のゆらぎ”ではありえないと分かる。


その層面には、建物も大地も存在しない。

かわりに、


位相そのものが折り畳まれ、

 たわみ、

 ゆっくりと裏返りながら形を変えている。


現実の影でも、光でもない。

むしろ“深度の漏れ”が、仮の地形――位置合わせ空間を描いているだけ。


あれは道ではない。

まだ「場所」にすらなっていない。

ただ“向こう側”へ行くための座標を、

こちらに合わせて調整しようとしているだけだ。


レミルの胸紋が微かに反応するたび、

その層面は波紋のように拡がり、また収束した。


アデリアが小さく呟く。


「……見えてしまってる……

 本来は観測者に映ってはいけない“薄さ”の層……」


その言葉の通り、

層面の奥に見えるのは“景色”ではなく――

別の深度が剥き出しになった、危険な透け方だった。


仮座標域。


完全に転移すれば“向こう”。

だが、まだ世界として確定していない半透明の地平。


そしていま、それが“こちら側”に触れている。


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