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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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レミルの直感 ― 「ここはもう安全じゃない」

通路の天井に埋め込まれた細長い照明が、

ふいに――脈を返すように、ぱち、と瞬いた。


レミルの胸紋が鼓動を強めた直後だった。


次の瞬間、アーカイブ棟の照明列が

“逆方向”へ向かって一斉に点滅した。


本来は、奥から手前に向かって順に灯りが走るはずの保安照明が、

いまは手前から奥へ、

光が“吸い込まれる”ように流れ込んでいく。


そこに空気の動きはない。

ただ、光だけが重力の中心に向かうかのように曲がっていく。


端末ランプも同じだった。

点滅音の間隔が反転し、光が“帰っていく”ような、

奇妙な静けさが廊下の奥へ吸い込まれていく。


リオは目を瞬かせ、身を乗り出す。


「……電流の流れが逆転してる……? そんな……あり得ない……」


アデリアは歩みを止め、

灯りの“沈む方向”、暗闇の深部を睨んだ。


「いいえ、これは電気じゃない。“観測の流れ”よ。」


その声には、確信が滲んでいた。


レミルの胸の奥が、再び熱く脈打った。

それに呼応するように、遠くの照明がまたひとつ、吸い込まれる。


アデリアはわずかに息を呑み、呟く。


「アーカイブ棟全体が……レミルの胸紋の“反射波”を受けている。

 内部の情報流路が、書き換わり始めているわ。」


リオはそれを聞き、視線をレミルへ向ける。

しかしレミルは、胸元を押さえたまま、

吸い込まれるように暗くなっていく通路の奥――

光が沈んでいく中心点を、ただ見つめていた。


視界の端で、線の粒が一斉にひとつの方向へ流れ始めた。

まるで磁力を持った一点に引き寄せられるように、

細い光の破片が吸い込まれていく。


レミルは無意識にそちらへ顔を向けた。


――その瞬間、

書架と書架の狭いすき間に“影”が立っていた。


いや、立っていると断言できるほど明瞭ではない。

だが、輪郭だけがある。


光が逆流する中心に、

ゆらゆらとノイズに染まった線の枠だけが、人の形を模して揺れていた。


天井照明の光が、

その影の位置だけ“避ける”ように折れ曲がる。

影の周囲で光が滑り落ち、触れようとせずに曲がり、沈んでいく。


影の形は、人に近い。

しかし――


・手足の長さが瞬ごとに変わる

・肩の位置と頭の比率が一致しない

・一秒ごとに体格が“誰か別人”に変わるように歪む


そしてその輪郭の周りを、

視界に漂っていた線の粒たちがまとわりついていた。


まるで**“これを測定している”**かのように。


粒は影の表面に触れるたび、

細い軌跡を描いては砕け、また再構築される。

音はないのに、計測音のような張り詰めた気配がレミルの耳に刺さった。


レミルの心臓が一段強く跳ねる。


(……見てる。

 完全に……“気づかれてる”……)


視界がその影に引き寄せられ、

胸紋の熱が息を奪うほど強くなる。


暗がりの中心で揺れる“人影の輪郭”は、

確かにこちらを、

レミルだけを捉えていた。


胸の奥が、不意にひきつれた。


レミルは息を止める。

胸紋が、まるで外側から指でつままれ、

ぐい、と引っ張られる。


痛みではない。

けれど、それ以上に抗えない力――

「来い」と命じられているような、

方向性を持った呼び声が胸の中心から響いた。


じわり、と熱が胸全体へ広がっていく。

服越しでもわかるほどの脈動が、また一段と早くなる。


思わずレミルは胸元を押さえ、

小さく体を折った。


その動きに、アデリアとリオが即座に気づく。

振り向いたアデリアが、鋭い眼で彼女の顔色を読む。


「また反応してるのね? どこが――」


レミルは答えようとするが、

胸の引かれる方向が、

視界を強制するように顔を向かせた。


震える指先が、書架のすき間を指す。


「……あそこ……」


声は細く、かすれていた。


アデリアとリオが視線を追う――

だが、二人には何も見えない。


ただ一つ、

空気だけが不自然に歪んでいた。


書架の影が、

まるで見えない中心へ吸い寄せられるように

細く、長く、引き伸ばされている。


レミルの胸紋は、

その“見えない中心”へ向けて

なおも脈動を強め続けた。



視界が、細い筒のように狭まっていく。

アーカイブ棟の空気も音も、遠のいていくのに――

その一点だけが、異常なほど鮮明だった。


書架のあいだに浮かぶ“影の輪郭”。


線の粒はすべてそこへ流れ込み、

まるでその中心を指し示すように

一筋の流れを形作る。


胸紋が、

紙資料を書き換えた時と同じリズムで、

**ドン、ドン……**と返答めいた脈動を刻む。

胸の奥から、どこか遠い層へ呼びかけているような、

危険な同調。


そして突然、

レミルの内側に説明不能な“確信”が落ちてきた。


(……ここまで深く観測されてる。

 この距離、この深さ――もう、アデリアさんもリオも巻き込まれる。

 この都市の中にいる方が、ずっと危ない。)


思考ではなく、直感。

直感ではなく、名の反応そのもの。


影が、瞬きの間に“顕形”した。

輪郭が揺れ、ひとつの形を結ぶ。

揺らいだ影の端が、まるで――


レミルの名を呼ぶように震えた。


「っ……」


膝がかすかに揺れ、レミルは一歩、後ずさる。

だが、その指先は震えながらも、胸紋を押さえたまま。


アデリアが、緊張で息を詰める。

リオの計測器の針が跳ねる。


レミルは唇を噛み、

それでも、小さく、決意を帯びた声を押し出した。


「……ここは、もう安全じゃない。」


音はかすれていたが、

その言葉だけは、影の震えを断ち切るように鋭かった。


自分の声が、静まり返ったアーカイブ棟に沈んでいく。

 レミルはまだ鼓動の収まりきらない胸元を押さえながら、ゆっくりと後ずさった。

 影の輪郭は、壁面の光の死角に戻ったはずなのに、視界のどこかで“こちらを見ている”感覚だけが残っている。


 アデリアはレミルの表情を一目見ただけで、状況の変化を悟った。

 言葉より先に、彼女の指先がレミルの肩へ伸びる。触れた瞬間、レミルの体の緊張がはっきりと伝わった。


「……見えたのね。まだ形にはなっていなくても」


 その声音は、確信というより――覚悟だった。


 レミルは小さく頷いた。

 言葉を継ごうとすると胸紋がわずかに震え、それが何かの返事のように感じられて、また息が詰まる。


「アデリアさん……」

 声は消え入りそうだったが、その奥にははっきりした決意があった。

「ここ、もう……駄目です。この場所にいるほど、誰かが――“あれ”が、近づいてきてる」


 アデリアの視線が周囲を滑る。

 書架の隙間、天井の換気孔、光の途切れる境界線……

 見えていないはずの何かを、視線だけで探すように。


「……ええ。わかったわ」

 彼女は躊躇なく、レミルの手首を軽く取った。

「すぐに移動しましょう。アーカイブ棟はもう充分に“開かれすぎた”。

 観測されているなら、ここは最も危険な場所になる」


 その瞬間――

 レミルの背後で、ふっと視界が揺らいだ。

 気のせいではない。影の輪郭が、また“濃く”なる。

 輪郭線の粒が、先ほどよりはっきりと形を掴みかけている。


(……呼んでる? いや、違う。見つけた、のほうが近い)


 足元が冷え、空気がほんの一瞬だけひきつれる。

 レミルの胸紋が脈動し、影の震えに呼応するように光を吸い込む。


 アデリアはその様子に気づき、わずかに眉を寄せた。

 しかし動じず、むしろ判断をより迅速にする。


「レミル、隔絶区画へ行くわ。リオにも連絡を入れておく。

 ――あなたを《観測》から切り離すために」


 レミルはその言葉に、胸の奥の焦燥が少しだけ形を変えるのを感じた。

 逃げるための移動ではない。

 これから“何かが起きる”ための導入――そんな予感が強い。


「……はい」


 影の震えは、先ほどよりも確かだった。

 名を呼ぶ直前の息継ぎのように、存在が輪郭を主張してくる。


 扉へ向かうアデリアの背中を追いながら、レミルは気づく。


 ――これは、まだ序章にすぎない。

 ――“あれ”は、これから本格的に形を取り始める。


 そんな、確信にも似た悪寒とともに。





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