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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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結界層の“反転音”が鳴る

観測回廊へ続く長いアーチを歩くにつれ、

空気が、わずかに振動しているのがわかった。


最初に気づいたのはレミルだった。

足裏に、低い波のような震えが伝わってくる。


 ……ドゥゥ……ン……


普段聞き慣れた結界層の脈動音。

だが、どこかおかしい。

胸紋が、ごく弱く、呼吸に合わせるように明滅する。


アデリアが歩を止めた。

壁に手を触れ、眉根を寄せる。


「……反転音。境界帯の“視線”が近いわ。」


その声には、いつもの落ち着きはない。

警告を押し殺したような、張り詰めた響きだった。


レミルは胸元に触れる。

紋が、恐れでも痛みでもなく、呼応のようにほんのり震えていた。

音が、“内側から外へ”ではなく、

外側から都市の核へ叩きつけられているのがわかる。


リオは興味深げに足を止め、

天井を這う魔導管の光の揺れを眺めていた。


「通常波形と逆位相……ふむ。

 これだけ明確な反転は初観測ですね。」


彼だけが緊張の気配を見せない。

観測者としての好奇心に、むしろ瞳の光が増している。


アデリアは彼を鋭くにらんだが、言い返す余裕はなかった。

反転音はじわじわと速度を増し、

三人が進むたびに回廊全体が低く唸る。


レミルは、その響きが、

——何かが扉の向こうで“息を潜め、こちらを覗いている”

そんな気配に近いと感じていた。


胸紋の震えも、それに呼応するように強まっていく。


観測回廊の突き当たり、

厚い結界層で守られた自動扉が静かに左右へ割れた。


だが、レミルたちは一歩踏み込んだ瞬間、

体の奥がざわりと揺さぶられるような光景を目にする。


観測室を覆うスクリーン群に、

数十枚の結界ログが激しい速度で乱舞していた。


 《観測値:通常比 12倍》

 《17倍》

 《24倍》

 《——閾値超過、解析不能域に突入》


数字は見る間に跳ね上がり、

視界のあちこちで赤い警告が点滅する。


アデリアは駆け寄ると、操作卓に両手を叩きつけるように置いた。


「強制同調、開始……っ!」


彼女の指が走るたびに、スクリーンの一部は整列しようとする。

だが次の瞬間、すべては一気に撹拌されたように乱れた。


背後で低い軋みが響く。

都市全体の魔力骨格を模した立体投影が、

——内側へ向けて歪んでいく。


アデリアの顔が蒼くなる。


「嘘……。

 都市外壁が、内向きに“たわんで”る……?」


外圧ではない。

“内側”を覗き込まれるように歪むなど、本来ありえない。


リオは腕を組み、興味深そうに歪曲を見つめる。


「来訪者がこちらを“触っている”のですよ。

 観測可能な形で。」


その声音は淡々としていたが、瞳の奥は輝いていた。


アデリアは怒鳴る。


「触っていい存在じゃないわ!」


だが歪みは止まらない。

外壁の層が、まるで何か知らない手で“押し開かれて”いるように——

ゆっくり、確実に、こちらへ向かって形を変えていた。



観測ログが吹雪のように乱舞するスクリーンの中で、

ひとつだけ異様な光点があった。


他のデータを飲み込み、

中心へ中心へと吸い寄せられるように強まる反応。


 〈個体コード:LMR-04 座標応答:一致〉


その文字が表示された瞬間、

操作卓に置いていたアデリアの手が止まり、

驚愕ではなく “血の気が引く” という反応を示した。


「……レミル、あなたの座標が“応答”された。」


レミルは息をのむ。

胸紋の奥で、何かが“トン”と一度だけ脈動した気がした。


「応答……された?」

自分の声が、自分のものではないように震える。


リオは一歩近づき、

スクリーンに映るレミルの座標波形へ軽く指を向ける。


「向こうが“名を探している”と仮定した場合、

 その揺れに最も近い座標があなた。

 ——というだけの話です。」


彼の声は淡々としていて、恐怖も驚愕もない。

むしろ淡い期待すら漂っている。


アデリアが振り返る。

顔は青ざめ、怒りさえ通り越した焦燥の色。


「だけ、じゃない!!」


怒号が観測室に響く。


「これは“招待”に近い。

 向こうが——」


言いかけて、彼女は唇を噛みしめた。

その先を口にすれば、

レミルが拒絶できない未来を確定させてしまうから。


だから彼女は、言葉を呑んだ。

その沈黙が、逆にすべてを語っていた。



胸の奥で、何かが“握られる”ような感覚が走った。


次の瞬間、

レミルの胸紋がこれまでとは桁違いの光を放ち、

皮膚の下で脈を持つ生き物のように震え始める。


「っ……!」


思わず両手で押さえるが、

光は指の隙間をすり抜けるように揺れた。


(近づいてる……?)


違う。


近づいているのではなく——


(**“名の形”だけが、私の方へ伸びてきてる……)


その直感は、言葉というより

胸紋の震えが直接“告げている”感覚に近かった。


観測室のガラス壁面が、音もなく白く曇る。

一瞬だけ、何かの“線”がそこに描かれたように見えた。

輪郭を持ちきれず、すぐ霧散する。


リオが小さく首をかしげる。


「反応はまだ初期段階。

 ……ですが、あなたを“見つけた”のは確かでしょう。」


その声は穏やかで、冷静で——残酷なほど無機質だ。


「リオ!」

アデリアの声が鋭く跳ねる。


「言い方ってものが——」


怒りと恐怖が混じった声音。

レミルの胸紋がさらに震え、

その震えが床や壁の魔導管に“共鳴”を呼び起こし始めていた。



観測スクリーンの中央で、

都市外壁を覆う波動フィールドが、異常な“収束”を始めていた。


最初は均一だった青白い揺らぎが、

徐々に一点へ吸い寄せられていくように密度を高め——


「……これ……」


レミルは息を呑む。


スクリーン中央に表示された収束点の座標は、


 レミルの現在位置とほぼ完全に一致していた。


アデリアの顔色が、さっと蒼白に変わる。


「……まずい。

 これ以上収束すれば、都市ごと“反転”の巻き込み範囲に入る。」


“反転”——

都市全域が、第四層へと引きずり込まれる形で裏返る現象。


それは都市史において、最悪級の禁忌災害だ。


リオはと言えば、むしろ興味深げにスクリーンへ歩み寄り、


「対応としては、レミルさんを移動させて収束点をずらす。

 あるいは——」


「その“あるいは”は言わない!!」


アデリアが叫んだ。

声に魔力の震えが乗り、観測端末が一瞬だけ明滅する。


リオは肩を軽くすくめ、

どこか“子どもの喧嘩を見ている大人”のような余裕を見せた。


「……選択肢を提示しただけですよ。」


レミルの胸紋が、

“収束点”として応答してしまっているかのように

規則正しく、しかし強すぎる脈で光っていた。



観測室の空気が、ひときわ重く沈んだ。


胸紋の強すぎる脈動に息を呑んだまま、

レミルは震える指先を自分の胸元へ添える。

触れた瞬間、微細な熱と鼓動が手のひらに伝わった。


深く息を吸い込み、吐く。

そのたびに光は少しだけ落ち着き、揺れが言語になる。


レミル

「……私、わかる気がする。」


アデリア

「レミル、何を……?」


レミルは視線をゆっくりとスクリーンに向ける。

外壁へ収束する観測波形。

自分の座標に合致する異常値。

そして胸の奥で共鳴する“誰かの名の形”。


レミル

「呼ばれたんじゃない。

 ただ……向こうの“名の形”が揺れて……

 それに私が応じたから、近づいてきてるだけ。」


その言葉は、確信というより“理解の瞬き”だった。

だが、それだけで観測室の温度が一度下がる。


リオはゆっくりと記録札を回し、

愉快そうに目を細める。


リオ

「興味深い解析ですね。

 では——次の段階へ進みましょう。」


アデリア

「え、次ってなにを——」


リオ

「レミルさん自身の“反応波形”を、

 外壁に向けて送信してみましょう。」


その瞬間、

アデリアの声は鋭く跳ねた。


アデリア

「——待って、それは危険すぎる!」


彼女の両手がレミルの肩をつかむ。

魔力が滲むその手が、震えていた。


リオはあくまで穏やかに、

「なにも強制ではありませんよ」とでも言いたげに

歩を引きつつも笑みを崩さない。


観測室の光が少し暗くなる。

外壁の“反転音”が一段と低く響く。


レミルは胸元の微かな光を見つめる。

そこには恐怖もあるが——

それ以上に、

“次の一歩を自分で選ぼうとする気配”があった。


シーンは緊張のまま、静かに幕を閉じる。


——外壁へ反応を返すのか。

——それとも、別の道を選ぶのか。


その選択だけが、重く、確実に近づいていた。


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