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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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エピローグ:沈黙の都 ― The City of Silent Echoes

崖の鼓動が静まった頃だった。

レミルが原初名を刻んだ余韻は、まだ世界の奥底でくぐもった反響を続けている。

その振動がゆっくりと層を押し広げ、

ゼノ・ハイトの中央――かつて何もなかった虚空の中に、

“第三の帯”が芽吹いた。


上下の風がぶつかり合っていた空間は、

まるで疲れ果て、ようやく休息を得たかのように落ち着きを取り戻していく。


そこで生まれたのは、

上昇でも落下でもない、

ただ静止するだけの重力。


世界のどこにも属さないはずの“中立の層”。


その帯は最初、薄い霧とも煙ともつかない光をまとい、

やがてひとつの形を取った――都市だ。


都市は、崖の途中にふわりと浮かんでいた。

支えも基礎もない。

けれど確かにそこに存在し、凪いだ重力の上に静かに座している。


地面に降り立つと、

身体が沈むわけでも、浮くわけでもない。

ただ「止まる」。


風もまた、ここでは暴れず、

都市の輪郭を撫でるように流れる。

その音は普通の風ではなかった。

柔らかく、どこか“吸われていくような音”だった。


まるで都市そのものが音を飲み込み、

沈黙の器として息を潜めているかのようだった。


上からも人が降りてきた。

下からも声が昇ってきた。

どちらもこの都市の境界で、まるで見えない手に触れたかのように動きを止める。


昇る者は昇りすぎず、

落ちる者は落ちきらず。

ここでは、高低の法則を絶対とする重力の掟が、

ひととき眠りについている。


崖の深部から漂い上がってくるのは、

落下者の残滓――エコー。

それらは石壁に淡く溶け込み、

微弱な声となって低く鳴った。


忘れられた祈り。

届かなかった願い。

書かれなかった名。


それらがここで静かに集まり、

ただ揺蕩っている。


都市の名は、自然と囁かれるようにして定まった。


沈黙の都――The City of Silent Echoes。


それは世界の呼吸が生み出した、

新しい均衡のかたち。


重力の中心にぽっかりと開いた、

誰にも属さない“世界の中庭”だった。



沈黙の都は、生まれたその瞬間から“呼びかけ”ていた。

風の動きでも光でもない。

もっと深い、重力のざわめきが――世界のあらゆる層に向けて。


その呼び声に応じるように、

まず現れたのは上昇者たちだった。


■上昇者たち


ゼノ・ハイトの頂を目指し、

過酷な登攀を続けてきた者たちが、

次々と崖面の足場に姿を現す。


だが誰も、もう上へ進まなかった。


最後の一歩を踏み出す直前、

ふっと足が軽くなり、

目の前の空に“止まる感覚”が生まれ、

そのまま都市の縁へ吸い込まれていく。


彼らは感じていた。

ここより上へ行く必要はない。

ここで何かが完結している、と。


息を整えた登攀者は、

背負ってきた祈り袋をそっと降ろし、

静かに地に手をついた。


祈りではない。

達成でもない。


「届いた」という確信に触れた者の動作だった。


■落下者たちの残響


次に、崖下から細い光の粒が浮かび上がってくる。

霧とも涙ともつかぬその影は、

落下者たちの記憶の残滓――エコー。


かつては深層へ沈むだけだった記憶たちが、

今はこの都市を目指して昇ってくる。


浮遊する人影は形を持たず、

声だけがそっと地面に触れる。


――ありがとう

――まだ、届く

――記してくれたから


その声は、

消えるためではなく、

ここへ辿り着くために生まれたものだった。


エコーたちは都市の石畳に触れ、

まるで安堵したかのように光へ溶ける。


■学者、信徒、そして“影”


やがて、別の姿も現れる。


重力の再編を感じ取った学者が、

震える指で計測器を構えながら都市に踏み込む。


祈りを運ぶ信徒たちは、

かつて崖上と崖下で分断されていた儀式の言葉を

胸に抱いたまま、静かに目を閉じる。


そして――

都市の最奥、光と影の交わる場所に、

薄い人影が立っていた。


半透明のドレス。

崖風に溶ける表情。

時の層から切り取られたような、

“過去の断崖令嬢たち”の影。


彼女たちは争わず、

問いかけず、

ただ都市を見守っている。


まるでレミルの代替わりを、

静かに祝福するかのように。


■争いが消えた場所


沈黙の都では、誰も声を荒げない。

誰も駆け出さない。

互いを押しのける気配すらない。


人も残響も影も、

みな同じように呼吸を整え、

都市の中心へ視線を向けて佇んでいた。


それは祈りと呼ぶにはあまりに静かで、

後悔と呼ぶにはあまりに澄んでいた。


「届く」という確信を抱いた者だけが持つ、

深い静けさ。


沈黙の都は、

その静けさを抱きながら――

世界の中庭として、歩み始めていた。



沈黙の都は、ただ“静けさ”を湛えているだけの場所ではなかった。

世界が長い間失っていた何か――

断絶の向こうで散り散りになっていた声や祈りが、

自然と吸い寄せられてくる“重力の中心”だった。


■落下者の残響が壁に刻まれる


都市の外壁は、磨りガラスのような半透明の岩でできている。

そこへ、落下者の残響エコーが触れるたび、

淡い波紋が広がる。


一つ、また一つ。

波紋は重なりながら、

やがて壁面に細い筋となって定着する。


それは文字ではなかった。

形を持たない、想いの軌跡。


しかし、都市に立つ者なら誰でも分かる。


――これは、誰かがここに辿り着いた証だ。


息を呑む者も、

そっと手を合わせる者もいた。


壁は、沈黙の都が抱えた無数の亡き者たちの無言の記録であり、

それを拒む気配は一切なかった。


■祈りが風に吸い込まれる


都市の中央には、

重力が薄く震える“風の層”が漂っている。


そこへ、登攀者、信徒、学者、誰であれ、

祈りを胸でつぶやいた瞬間――

祈りは音を発さずに風へと吸い込まれる。


まるで風が祈りを拾い上げ、

ゆっくり空へ送り返しているかのようだった。


祈りは落下しない。

声は霞んで消えない。


ここでは、

祈りと記憶が同じ高さで、同じ重さで存在していた。


■祈りと記憶が「会う」場所


沈黙の都の空気には、

奇妙な温度があった。


重すぎず、軽すぎず、

浮かぶでも沈むでもない、

“真ん中の温度”。


その中で、

祈りの層に吸い込まれた願いと、

壁に刻まれた記憶の波紋が、

ときどき響き合う。


それは音とは言えない。

光でもない。

けれど確かに感じられる――

あたたかい脈動。


まるで世界そのものが

「ようやく会えたな」と

互いを迎えるような優しい鼓動だった。


■統合された重力の“実験場”


沈黙の都は、

レミルが原初名で示した“統合された重力”の

最初の作用点にすぎない。


祈り(上昇)と

記憶(落下)が

同じ場所へ流れ込む。


そして重力はそこで均衡し、混ざり、

新しい形を探し始める。


この都市は――


レミルが刻んだ“名”が

世界とどう応答するかを試す、

最初の実験場。


誰も意図せず、

誰も計画しなかった。


けれど、重力の名がそう望んだ。


沈黙の都は、

ただそこに存在するだけで、

世界の再編の中心となっていた。



沈黙の都の中央。

風の層が静かに揺らぎ、

祈りと記憶が交錯する“世界の中庭”のような場所に、

レミルはそっと立っていた。


胸の紋はもう光を放っていない。

だが、確かに温かい拍動として存在し、

彼女の命そのものと同じリズムで世界と響き合っていた。


■レミルの視界に映るもの


風が吹き抜けるたび、

微かに声が混じる。


それは落下者の残響。

祈りにも叫びにも似ない、

しかし確かに“生きていた誰か”の気配。


レミルはそっと目を閉じる。

風の震えが頬を撫で、

やがて音のない言葉に形を変えて届く。


――ありがとう。


同時に、

崖のさらに上から吹く風には、

登る者たちの願いが染み込んでいた。


まだ行ける。

届く。


上下の願いと記憶が、

同じ高さで溶け合っている。


沈黙の都は、

まるで両方の世界が“握手”をしているようだった。


■レミルの心の声


「……ここから始まる。

私はまだ記している。

この名を――世界へ戻すために。」


胸の紋が応えるように、

ひとつ鼓動を強く打つ。


それは痛みではなく、

終わりでもない。


始まりの脈動。


祈りと記憶が一つの場所に集い、

新たな法則が芽生えていく。


■レミルの新たな存在


もはや彼女は旅の途中にいる登攀者ではない。

落下者でも、上昇者でもない。


そのどちらでもなく、

そのどちらの声も聞き取れる――

境界の代弁者。


そして、

世界の名を記す者。


世界の書きノームライター


彼女は静かに息を吸い、

沈黙の都の空へ一歩踏み出した。


その一歩で、

世界の重力がほんのわずかに揺れた。


まるで世界そのものが、

彼女の歩みを待っていたかのように。



沈黙の都に満ちる柔らかな風が、

世界の層をゆっくりと撫でていく。


その風がふっと揺れた瞬間、

景色は淡い光の粒子にほどけ――

まるで物語そのものがページをめくるように、

静かに“語りの世界”へ転じた。


やがて、薄い墨色の背景に

ひとつの文字列が浮かび上がる。


筆致は流れるように優しく、

どこか祈りに似た調べをまとっている。


詩人シアンの言葉だった。


『彼女はまだ記している。

 神の声を、真実の名に戻すために。』


その一節が浮かぶと、

世界はまるで呼吸を忘れたように静まり返る。


詩はそこでいったん途切れる――

だが、余白の向こうに

まだ語られぬ続きが確かに存在することを示すように、

紙面ページはわずかに震えていた。


言葉の気配だけが残る。


これから物語が進むたび、

その続きを紡ぐために誰かが筆を取るのだと

世界そのものが告げていた。


そして、その“誰か”が誰であるかは――

読む者にとって、すでに答えの必要がないほど明白だった。



沈黙の都を包む静止した空は、

風さえも吸い込んでしまうような静けさをたたえていた。


レミルが歩みを止め、

世界の境界が揺らめくその中心を見上げたとき――


天空の薄膜が、

まるで透明な紙に水が落ちたかのようにゆっくりと滲み、

白い光の筆跡が浮かび上がった。


それは、誰の手によるものでもなかった。

世界自身が書き記した“次章”の気配。


淡い光の文字列がゆるやかに形をとる。


『第7節:沈黙の都 ― The City of Silent Echoes

 coming soon』

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