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『断崖令嬢 ―The Cliff Chronicle―』 ― 高所恐怖症だった悪役令嬢、世界の崖を制す ―  作者: 南蛇井


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レミルの否定 ― しかし届かない

ルナの口から漏れた危うい響きに、

レミルの身体は思考より早く弾けた。


「……っ!」


彼女は一気に距離を詰め、

震える巡礼服の肩を両手で掴んでいた。

その指先は白くなるほど強く、

押し殺した息が胸の奥でひっくり返る。


レミル

「違う!!」


声が裏返った。

怒鳴ったのではない。

必死に――どうしようもなく必死に、彼女を引き戻そうとしているだけだった。


息が震え、喉が詰まり、

それでも続ける。


レミル

「私はただ……落ちて、運が良かっただけ!

 あれは神なんかじゃ――!」


言葉の最後は、ほとんど悲鳴だった。

助けたい。止めたい。救いたい。

その一心のみが、レミルを突き動かしている。


だが。


その切実な声は――

狂信に呑まれつつあるルナの耳には、まったく別の響きとして届いてしまう。


レミルの“否定”は、

ルナの心の闇へ、逆にひび割れを深める楔となっていくのだった。



レミルの必死の否定が響いた瞬間だった。


ルナの大きな瞳が、

まるで胸の奥から鋭い刃で裂かれたように見開かれる。


次の瞬間――

その瞳は、音もなく“折れた”。


頬の筋肉が震え、

唇が潰れたみたいに歪んでいく。


ルナ

「……違う……違うんです……」


声は細い糸のようで、

けれど苦しみだけは否応なく滲んでいた。


ルナ

「あなたが“選ばれた”から生きたんです……」


ぽたり、と涙が落ちる。


呼吸は乱れ、吸うたびに喉がひっかかる。

レミルの否定の一言一言が、

ルナには“自分が選ばれていない証明”に聞こえてしまっていた。


否定されるほどに、

彼女の心の底で何かが黒く沈んでいく。


ルナ

「私は……選ばれてない……

 だから怖い……」


震える手が胸元をつかむ。


ルナ

「だから……行かなきゃ……」


“行かなきゃ”。


その言葉は曖昧で、けれど――

四人には直感でわかってしまう。


彼女が向かおうとしているのは、

断層の“縁”だった。



ルナの声色が変わった――

ほんの一瞬の揺れ。


だが、そのわずかな“音の質”だけで、

カインの背筋には鋭い電流のような悪寒が走った。


(……今の言い方……)


恐怖でも嘆きでもなく、

“覚悟”が混じった声だった。


カインの身体はほぼ反射で動いた。

一歩踏み出しながら、周囲の状況を瞬時に把握する。


・レミルとルナの距離は近すぎる

・ルナの足はわずかに断層の縁へ向いている

・そして――その表情は、戻らない覚悟に差し掛かっていた


(……危険レベル、最悪だ……)


カイン

「おい……待て。」


低い声。

普段の怒鳴り声とは違う、

“戦場で死の気配を察知した兵士”の声だった。


カイン

「レミル、手を離すな。」


一瞬たりとも迷いがない。

彼だけが、この場でただ一人、

ルナが“死ぬ覚悟”の領域に足を踏み入れたことを

正確に理解していた。


ルナの震える声が漏れた瞬間――


「私は……選ばれてない……」


その言葉の響きが、

リゼルの胸の奥を氷で撫でられたように冷たくした。


(……これは……神の声なんかじゃない……)


彼女は“音”の質を、直感で識別する。

ルナの言葉に混じるのは、祈りでも希望でもない。


(これは……悪い“囁き”の影……

 心を食う、あの気配……)


リゼルの指先がじわりと震えた。

助けたいのに、踏み出せない。

恐怖にも似た嫌な気配が、この場に入り込んでいた。


■ エルゴ


一方でエルゴは、まったく別の方向へ頭を動かしていた。


ルナの“選ばれていない”という自己断罪。

断層へ行こうとする強迫的な衝動。

レミルという“例外”を神意として解釈する歪み。


(……ここまで信念が傾く理由は?

 教義の誤読? 汚染? 誘導?

 それとも……誰かが近くにいる……?)


ルナの精神状態よりも、

なぜ彼女がそこに至ったのかを分析するほうが優先されていた。


“救う”ではなく、“原因を突き止める”。


その冷静さが、リゼルの焦りと鋭く対照を成す。


■ 温度差が生む、後の衝突の火種


・リゼルは「ルナを救わなきゃ」という直感と恐怖

・エルゴは「この現象の元凶を突き止める」という理性と探索欲


その“温度差”が既に、

微かな摩擦となって場に潜んでいた。



ルナの声は、もはや誰かに届けるための言葉ではなかった。

自分の奥底に沈んでいくような、沈痛な独白の響き。


ルナ

「行かなきゃ……

 行けば……神に触れられる……

 だって……落ちても、生きられるんでしょう……?」


そのささやきは、風に溶けるように弱々しいのに、

言葉の芯だけが異様に固く、強い“決意”を帯びていた。


レミルが掴む肩に、

ルナの手がそっと重なった。


その指は震えていた。

だが――震えの意味が、決定的に違う。


それは助けを求める震えではない。

導き手を求める震えでもない。


(……一緒に、落ちてくれますか……)


そう囁いているような、依存と狂気の混じった震えだった。


レミルの必死の否定ですら、

もはや彼女の中では“答え合わせ”にしかならない。


――ああ、選ばれた人は違う。

――神は、彼女には触れた。

――なら、自分も行かなきゃ。


その危険な誤解が、

ルナの足をじわじわと崖の縁へ押し出していく。


地面がわずかに砂をこぼし、

かすかな “さら…” という音がした。


ほんの小さな揺らぎ――

しかしその一歩は、もはや取り返しがつかない方向へ向いていた。



レミルが肩を掴む指に力を込めても――

ルナの足は、わずかに断層の縁へと近づいていた。


砂利がひと粒、こぼれ落ちる。


その音だけで、

空気がひりついた。


レミルの必死の否定は、

もう彼女を引き戻すための言葉にならない。

むしろ――“選ばれなかった自分”を突きつけられた痛みに変換されていく。


レミルが責任を感じて踏み出す一歩。

それすらルナには**「選ばれた人が、私を導きに来てくれた」**

という危険な意味に変わってしまう。


カインだけは、

その誤作動した信仰の回路を見抜いていた。


(……駄目だ。

 言葉じゃ止まらない。

 このままじゃ――落ちる)


兵士としての本能が、

“物理的に止める準備”を強制的に始めさせる。


エルゴは、周囲の空気を嗅ぐように目を細めていた。

(これは単なる錯乱じゃない。

 教義の汚染、誘導……あるいは誰かの仕掛けの可能性がある)


リゼルは、肌が粟立つような寒気を覚えていた。

(これは……神じゃない。

 “囁くもの”の影だ……!)


それぞれの反応が、

同じ一点に収束していく。


――“止めなければ、確実に死ぬ”。


そしてルナの唇が、

ひどく静かに、しかし確信を持って開かれた。


ルナ

「……落ちれば……

 私もあなたのように……神に見つけてもらえる……」


その一言は、

世界の均衡を揺らす引き金のようだった。


レミルの息が止まり、

カインの足が動き、

リゼルの腕が震え、

エルゴの瞳が鋭さを増す。


――次の瞬間、

本当に誰が動くかも、

何が起こるかすらも分からない。


物語は、

“落下”という一点に向かって、

張りつめた音を立てていた。

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