崩れる精神 ― そして“決断”
A. 断層の口が“儀式の祭壇”に見えてしまう
・断層の縁は、空気が吸い込まれるような暗い亀裂。
・普通なら恐怖しかない場所なのに、ルナの脳内では「帰還の入口」として変換されている。
・足が震えているのに、彼女自身はそれを“神の呼び声に応えている証拠”だと思っている。
ルナ(震える声)
「私も……行かなきゃ……
“帰還”のために……」
→ 言葉というより“決意の宣言”に変わっている。
B. レミルの恐怖 ― 声が裏返る
レミルは青ざめて前に飛び込む。
声はもう叱責でも説得でもなく、ほとんど悲鳴。
レミル
「やめて!!
そんなことしちゃダメ!!
ここは“帰還”なんかじゃない! ただの落下だよ!!」
・焦りが強すぎて言葉がまとまらない
・肩に伸ばす手は震えている
・しかしルナの耳には届かない
レミルの必死さを、ルナは「選ばれた者が止めようとしている」と解釈してしまう。
C. 祈りの姿勢のまま、後ずさるルナ
・胸の前で手を組んだまま
・まるで“儀式の所作”のように、静かに後ろへ下がる
・涙を流しながら笑顔
その表情は、恐怖で歪んだ笑いではない。
“救われる瞬間を喜んでいる笑顔”
その錯覚こそが危険の証。
ルナ
「大丈夫……怖くない……
“落ちたら、帰れる”って……
囁きが……ずっと……」
→ ここで初めて、明確に“囁き”の存在を言葉にする。
D. カイン・リゼル・エルゴの即時反応
カイン
・完全に戦闘レベルの危険と判断
・無言で間合いを詰める
(あと一歩遅れたら終わる)
リゼル
・「帰れる」という言葉に鳥肌
・(これは……神の言葉じゃない。
誰かが……何かが、吹き込んでる)
エルゴ
・周囲の地形、断層の流れ、風の方向を瞬時に観察
・(誘導されているんじゃない……“呼ばれている”のか?
何かが、下に?)
三者それぞれ、別の理由で“危険の頂点”を悟る。
E. ルナの精神の崩落 ― 決断の言葉
ルナはゆっくりと、
あたかも“祝福を受けた”みたいに目を閉じる。
ルナ
「私……帰るね……
落ちて……神様に……抱きとめてもらう……」
その言葉は幼い祈りのようで、
しかし内容はあまりにも死に近かった。
・足が縁にかかる
・風が舞う
・砂が滑り落ちる音が響く
誰が最初に動くか、誰が止められるか――
その一瞬の境界に物語が張り詰める。
ルナのかかとが断層の縁を踏み外したのは、
ほんの小さな揺らぎだった。
ぐらり、と。
その身体が、風の吸い込みに引かれるように後ろへ傾く。
レミル
「――っ!!」
レミルの手が反射的に伸びた。
息より先に、叫びより先に、ただ「掴まなきゃ」という本能だけが動いた。
だが――届かない。
指先と指先の間に、
わずか指一本分の空白があった。
その距離が永遠に見えた。
レミル
「いやああああああ!!」
喉が裂けるほどの叫びが、断層に吸い込まれていく。
カイン
「クソッ――!!」
カインが地面を蹴る。
爆ぜるような踏み込み。
しかしそれでも、一歩遅い。
足元で砂が弾け飛び、彼の指先もまた空を掻く。
次の瞬間――断層が吠えた。
ズオッ、と。
音にならない、重い風が流れを変える。
エルゴ
「重力偏差が乱れてる! 手を出すな、巻き込まれる!」
エルゴの叫びが鋭く響いた瞬間、
渦巻く風がルナの身体をさらった。
黒い風が布を裂くように彼女を包み込む。
抵抗する素振りも、叫びもない。
ただ、祈る時と同じ、胸の前で手を組んだ姿勢のまま。
ルナは――落ちていく。
深い闇へ。
底のない縦穴へ。
世界の裏側へ。
光から離れていくその表情は、
恐怖ではなく――
安堵だった。
微笑んでいるようにさえ見えた。
ルナ
(……帰れる……)
最後に残ったその気配だけを置き去りにして、
少女の身体は黒い渦の下へ、完全に呑み込まれた。
断層は何事もなかったかのように静まり返る。
残された三人の、
震える息だけが、その場に落ちていた。
断層の風が止む。
静寂が、耳を圧迫するほど重く沈む。
誰も言葉が出せない。
ただ、落ちていった少女の気配だけが、黒い闇に滲んでいた。
■レミル ― 崩れ落ちる罪悪感
レミルは、震える足を支えきれず、
その場に膝をついた。
レミル
「また……落ちるのを……見てしまった……
私のせい……?」
唇が白くなるほど噛みしめられ、
肩が細かく揺れる。
誰かが落ちる光景――
助けられなかった“前回の落下”の記憶が、
一気に胸の奥で再生される。
彼女の瞳には、
底なしの恐怖と悔恨だけが浮かんでいた。
■カイン ― 怒りで心を繋ぎ止める
カインは拳を強く握りしめ、
爪が掌に食い込むほど力を入れていた。
カイン
「……もう許さねぇ。
こんな狂った教え、絶対に叩き潰す」
声は低いが、
その低さが逆に危険なほどの怒りを示していた。
自分が飛び込めば巻き込まれた。
助ける手段はなかった。
そんな理屈は理解している――だが。
(……それでも……あの子は死ななくてよかったはずだ)
怒りと無力の渦が、彼の胸を焼き尽くしていた。
■リゼル ― 信仰の揺らぎが“絶望”へ変質する
リゼルは両手を胸の前で固く握り、
細い喉が震える。
リゼル
「帰還……落下……
これは……“神”を名乗る何かが……人を狂わせている……」
祈りの少女ルナが見せた歪み。
断層内に満ちる、あの気配。
“福音”と呼ばれる異常な囁き。
本来の教えとは違う“何か”が、
人の心を捕らえ、堕落させている。
(これは……神じゃない……
もっと別の……悪意だ)
リゼルの信仰は揺らぎ、
その揺らぎは、静かに絶望へと変わっていった。
■エルゴ ― 一人だけ異質な視点
エルゴは、落下した方向をじっと見つめていた。
表情は変わらず、声は静かだった。
エルゴ
「……観測できなかった……
落下の時の重力偏差……見事な反応だったのに……」
その言葉は、
あまりにも状況と噛み合っていない。
レミルの震える息。
カインの怒りの熱。
リゼルの絶望。
そのどれにも寄り添わず、
ただ科学者の興味だけを口にするエルゴ。
三人の心に、
彼への“距離”が決定的に生まれた瞬間だった。
誰も動けなかった。
ルナが落ちていった断層の闇は、
まるで“底が存在しない”ことを示すように、
静かで、冷たかった。
その沈黙の中で、
四人それぞれの心に、別々の炎が灯っていた。
●レミル ― 「救えなかった」という現実が、胸を抉る
レミルの指先はまだ震えていた。
伸ばした手の感触が、まだ空気の中に残っている。
(私……また……)
助けられなかったという事実だけが、
何度も胸の奥を書き換えていく。
“落下=救い”という狂信は、
彼女にとって最も否定したいもののはずだった。
だが今日は――
否定できなかった。
否定した声が届かないことを、
身をもって知ってしまったからだ。
その沈黙がレミルの内側を深くえぐり、
彼女の物語を暗い方向へと変質させていく。
●カイン ― 怒りの矛先がはっきりと“敵”を捉える
カインは握りしめた拳を離せないままでいた。
(……あんな子を、あんな場所へ追い込んだのは誰だ)
落下教団。
堕崖王の福音。
歪んだ教え。
それらが“少女の死”という形を持って
カインの目の前に姿を現した。
怒りは刃となり、
この先必ず向かうべき敵を明確に示す。
その瞬間、
彼の物語は“守る”ではなく、
“叩き潰す”へと変わった。
●リゼル ― 信仰の土台が、決定的に崩れ始める
リゼルの胸は凍っていた。
落下で救われる?
神が抱きとめる?
恐れを捨てた者だけが帰還できる?
そんなものは――
教団のどこにも存在しない。
(これは……“神”の名を騙る、何かの影……)
今日、ルナの瞳に宿った光は、
“祈りの光”ではなかった。
それを見てしまったリゼルは、
すでに元の信仰には戻れない。
彼女の物語もまた、
静かに軋みながら変質していく。
●エルゴ ― ただ一人、異なる方向へ歩き始める者
エルゴは、断層の縁に残る黒い風を観察していた。
落下の軌道。
重力偏差の乱れ方。
反応速度。
(……あれは、確実に“知性”のある重力現象だ)
感情よりも先に解析が動く。
“少女の死”よりも
“現象の意味”が優先されてしまう。
その無邪気な危うさは、
三人との心の距離をさらに広げ、
エルゴの物語を別の方向へ引き裂いていく。
●そして――事件が持つ決定的な意味
この瞬間、四人は理解した。
ただの旅では済まない。
ただの調査でもない。
ただの“迷信”の話では、もうない。
これは――
人を落とし、心を侵し、信仰を歪め、
仲間を互いに遠ざける“何か”の物語なのだと。
ルナの落下は、
その“何か”が確かに存在するという
最初の、そして最悪の証明だった。
四人の道はもう、
元の形には戻らない。
ここから物語は
決定的に、静かに、
別の方向へと壊れ始める。




