第79話 痛みの正体
(……そうだ、そうじゃないか。最近の恋歌は、あのころの恋歌そっくりじゃないか……っ)
思い返すのは、まだ俺たちが、小学生の低学年だったころの記憶。
恋歌は……とある事情で、深刻な嫌がらせを受けていた時期がある。
だけど恋歌は、誰にも助けを求めようとしなかった。優しさを拗らせていた恋歌は、きっと俺たちに迷惑をかけたくないと思っていたのだと思う。そんな恋歌に対して……俺は幼いながらに、彼女のそばには誰かがいてあげなきゃダメだと思った。
結局、俺自身がその役を買って出た。いてもたってもいられなくて、思わず恋歌に声をかけていたのだ。
それからの恋歌は、本物の笑顔を見せてくれるようになった。くしゃっと笑う恋歌は、すごく魅力的だった。たまに俺に辛辣な言葉を吐くようになったけれど、あぁ、心を開いてくれてるんだな――なんてふうに捉えた俺は、そんな恋歌の変化に喜びを覚えていた。
でも、ある日の深夜。
俺はふいに、俺と恋歌の両親が電話で話しているのを聞いてしまったことがある。
そのとき母さんが、こんな言葉を選んでいた――“依存”、と。
「ねえ、秋人……っ、どう、したの……?」
ぎゅっ。……恋歌が、俺の服の袖をつまんでくる。
その瞳には、涙が浮かんでいた。まるで――ひとりにしないで、と懇願されているようで。
「お願い……無視、しないで……っ」
「あ――っ、ご、ごめん! 恋歌……その、違うんだ。ちょっと、考えごとしてて、さ……」
「ほんとに……? 私……っ、なにか、秋人を傷つけちゃってない……?」
ぎゅう。恋歌の手に込められた力が、強くなる。
そんな彼女の仕草を見て、半ば俺は確信する。
やっぱり、今の恋歌は――あのころと、同じだ。ずっと俺の後ろにくっついて離れようとしなかった、幼いころの恋歌と。
「大丈夫だって。……俺のほうこそ、ごめん。さ、行こうぜ」
ふと気づけば。空は、すっかり暗くなっていた。
あと一時間ほどすれば、花火が始まるだろう。……そろそろ、場所取りのことを考えないとな。
「ねえ、秋人……っ」
ふたたび歩き出した中で、恋歌は、俺の服の袖から手を離そうとしなかった。
ぎゅっ……と。その細くて白い指が、小刻みに震えている。
「私……直す、から。秋人のことを、傷つけちゃったなら……謝る、から。だから、ちゃんと言って、ね……?」
震えた声。それは、何かを恐れているかのようで。
――違う。わかってんだろ、俺。
(――――俺の、せいだ)
少し前まで、俺は恋歌と距離を置こうとしていた。彼女のことを、露骨に避け続けていた。
その結果――恋歌に、トラウマを植えつけてしまったんじゃないのか?
恋歌にとって俺がどんな存在だったのかは、正確にはわからない。けれど……最低でも、幼なじみとして大事に思っていてくれたことは間違いないと思う。でなければ、「大好き」などという言葉は出ないはずだから。
そんな俺が、いきなり恋歌のもとを離れようとして。彼女のことを、拒絶するような態度を取って。
俺の、そういった行動の数々が……“幼なじみを失うかもしれない”という恐怖心を、恋歌に与えてしまったのだとしたら?
その反動で生じた気持ちを、恋歌が、俺への好意として昇華させてしまったのだとしたら?
それは――果たして、肯定しても良い感情なのだろうか?
(なんだよ、俺っ……こんなの、最低すぎるだろ……っ)
ずっと抱えていた違和感の正体。胸の奥の痛みの、その原因。
それこそが――依存への、不安。
きっと恋歌は、俺に依存してしまっているんじゃないか……あのときの、恋歌みたいに。
しかも、そうさせたのは。
ほかでもない……俺自身、なのだろう。
「……秋人。ごめん、なさい……っ」
「――――え、?」
「だって……、怖い顔、してる、から……っ、私のせい、だよね……?」
どうすれば、いいのだろうか。
俺は、いったい――俺自身の想いと、どう向き合っていけばいい?
こんな形で、恋歌に依存されて……これは、正しい関係と言えるのか?
「……違う。違うんだ、恋歌……っ」
それは、誰に向けた言葉だったのだろう。
だけど……恋歌の、その恐怖に震えるような表情を、目の前にして。
何が違うんだよ――恋歌から受け取ったいちご飴を、口に含んで、噛み砕く。
「――ごめん、恋歌。ちょっと人混みに酔っちゃってさ」
嘘を、つく。
せめて、今は……恋歌にだけでも、笑顔でいてほしい。
「……秋人、大丈夫なの? 少し……どこかで、休む?」
「いや、大丈夫だ。たぶん空腹っていうのもあったんだと思う。でも、恋歌のくれたコレのおかげで、一気にマシになった――うまいな、これっ」
笑う。笑えていた、と思う。
恋歌も――ほっと安心したように、その頬を緩ませてくれた。俺もまた、ひとまず胸をなで下ろす。
「ありがとな、恋歌。心配してくれて」
「あ……う、うん……」
「じゃ、気を取り直して場所取り行くか。それとも恋歌、もうちょい屋台見て回りたいか?」
「わ、私は……どっちでもいい、よ? 秋人の、好きなほうがいい……」
「そっか。だったら俺、もうちょいガッツリしたもん食おうかな。焼きそばとか」
「……ふふっ。秋人、焼きそば好きだもんね? いいよ、行こっか」
いちご飴を舐めながら、お祭り会場をふたりで歩く。
騒がしかったはずの、周囲の客たちの話し声は――もう、俺の耳には届いていなかった。




