第78話 いちご飴
会場に到着したころには、少しずつ日が沈みかけていた。
澄み渡る青と夕焼けの混ざり合った、どことなく幻想的な空の下で。
騒がしい人混みの中を、俺と恋歌は進んでいく。
「――すごいひとだね、秋人っ。屋台、かなり混んじゃってる」
嬉しそうに。だけど、ちょっとだけ困り顔で。
恋歌が、そんなふうに言ってくる。
「想像以上だな、これは。帰りは大変なことになりそうだ……」
そんな恋歌から目線を外して、俺は言葉を返した。
……恋歌の綺麗な浴衣姿は、いまだに直視すら難しい。いつもは隠れている白いうなじを見てしまったときには、本当に心臓が止まりかけたものだ。
「どうしよっか。とりあえず、いろいろ見て回る?」
「ん……あぁ、そうするか。恋歌、何か食べたいものとかないのか?」
「私? えっと……」
視線を上に向けて、むむむと考えはじめる恋歌。可愛い。
「あ――私、いちご飴食べたい」
「いちご飴? りんごじゃなくて?」
「うんっ。……いいかな、秋人?」
「俺の許可なんていらないって。じゃ、それ探そうぜ」
いちご飴か。たしかに最近は、とりあえずフルーツを飴で加工しておけば良いみたいな風潮がある気がするし、たぶんそういうのもあるのだろう。
それに俺は昔から、りんご飴という存在に懐疑的だった。……あれ、後半めちゃくちゃ飽きてるし。
「ね、秋人。ひさしぶりだね、花火」
「言われてみれば、そうかもなぁ。近所のヤツは何年もやってないし」
昔は地元の河川敷で、小規模だが花火大会をやっていた。
が……町内会の方針が変わったとかで、ここ数年は開催されていなかったのだ。そのことを知った瀬名と英樹が、やだやだと駄々をこねていたのを覚えている。
「楽しみだなぁ。秋人と、ふたりで花火を見るの」
「え……お、おう」
ふたりで――、か。
瞬間。俺の脳裏に、過去の恋歌との会話フラッシュバックする。
彼女から受けた、「大好き」というあの言葉。
あれは――やっぱり、そういう意味なのだろうか?
「……あのさ、恋歌――」
「あっ! ね、秋人。いちご飴、あったっ」
恋歌が嬉々として言ってくる。
遅れて……ふと、我に返る。俺は今、恋歌に何て言おうとしてたんだ……?
「じゃあ私、買ってくるねっ」
「…………、おう」
駆け足で屋台に向かって、いちご飴を購入する恋歌。
――通りすがりの男性客たちの大半が、恋歌の姿をちらっと覗き見ていた。恋歌の可憐かつ美しい浴衣姿は、それくらい目立っていたのだ。まるで恋歌だけが、別世界の住人であるかのようだった。
べつに……それ自体に、何か不満があるわけじゃない。むしろ逆に、恋歌ほど優れた容姿の美少女の浴衣姿を前に、見惚れない男などいないとすら思っている。
そんな彼女とふたりきりで、俺はこれから花火を眺める。ついさっき彼女に視線を奪われていた男性客たちが知れば、きっと誰もが俺のことを羨むはずだ。
(だったら……なんで俺は、こんな気持ちになるんだろうな……っ)
恋歌の綺麗な横顔に目を奪われるのと、同時に。
俺の胸は、激しく痛んでいた。
「――お待たせ、秋人っ」
軽快な足取りで戻ってきた恋歌は、いちご飴を二本、その両手に持っていた。
……恋歌ってはスイーツのことになると、瀬名に負けず劣らずの食いしん坊になるんだよな。だから二本も食べようとしているのだろう、と思ったのだが――、
「はいっ。これ、秋人のぶんっ」
「……え、俺の?」
「うん。……あ、私のおごりだから、大丈夫っ。秋人と、一緒に食べたくてっ」
えへへ。恋歌は、無垢な笑みを浮かべた。
と、そのときだった――チッ、という舌打ちが、どこからか聞こえた。
誰が鳴らしたのかなんて、どうだっていい。周囲には知り合いなどいないはずだから、顔も名前も知らない誰かが舌を打ったに過ぎない。つまりは、気にするだけ無駄だということだ。
だけど……それは、明確に俺へと向けられた苛立ちだった。
同時。なんだよ、男がいるのか――そんな声を、耳にする。
「……秋人?」
不安げに。
俺へといちご飴を差し出しながら、恋歌が上目遣いを向けてくる。
「……大丈夫、なんでもない。ありがとな、恋歌」
「っ、うん……」
恋歌からいちご飴を受け取って、そのまま俺たちは、ふたたび会場内を歩きはじめた。
――さっきの一件以来、俺は周囲の話し声に敏感になっていた。
なんだあの美少女、可愛すぎるだろ、芸能人じゃね――そんな、恋歌の容姿を褒めるような声が多かったけれど。
そんな中には、やはりというか。
隣の男は誰だよ、釣り合ってなさすぎだろ……みたいに、俺を非難する声も混じっていて。
(……まあ、正論だよな。俺だって、俺が恋歌と釣り合っているとは思わないし――)
ふいに。
ひとつの可能性が――胸の痛みの理由が、思い浮かぶ。
足を、止めてしまう。
小さな舌でいちご飴を舐める恋歌の姿を、じっと見つめる。
「……あ、秋人? どうしたの……?」
俺のほうに振り向き、心配するような声色で聞いてくる恋歌。
――あと少しで、答えが見えそうだった。
俺と恋歌が、釣り合っていない。……そんなこと、初めから知っているに決まっているじゃないか。そもそもこの世界に、恋歌と同スペックの人類がいるとは思えない――というのは言い過ぎだとしても、少なくとも、それが俺じゃないことだけは間違いなかった。
それに……俺は今まで、ろくに努力すらしてこなかったダメ人間だ。恋歌のことが好きなのに、彼女の隣にふさわしい人間になろうと足掻きすらせずに。“幼なじみの俺には可能性があるはずだ”なんていう、浅はかにもほどがある願望だけを抱いて。惰性で、ふらふらと、彼女のことを想い続けて。
(あ――そっか。だから、だったのか……)
ならば。
どうして恋歌は、そんな俺に「大好き」なんて言ったんだ?
やっぱり、あれは幼なじみとしての言葉だった?
いや――それは、わからない。だけど俺は、そうじゃないかもしれないと思ったからこそ、こうして恋歌をデートに誘ったんだ。恋歌の“本音”を、確かめるために。
でも。
もしも恋歌が、俺のことを、異性として好きだと言ってくれているのだとしたら。
それは……もしかして、《《あのころの恋歌》》と同じなんじゃないか?
今の恋歌は、ただ――俺に、依存しているだけなのではないだろうか?




