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第77話 水族館デート

 最寄り駅まで着いた俺たちは、電車に乗っての移動をはじめた。

 浴衣という目立つ格好をしている恋歌だったが、周囲にも俺たちと同じ考えのカップル――まあ俺たちはカップルじゃないんだけど――が多く、俺たちだけが浮いているということはない。

 まあ、それはそれとして……恋歌の美しすぎる浴衣姿は、当然のように乗客たちの注目を集めているのだが。近くにいたカップルの男側が恋歌に見惚れていたせいで、電車の中で口喧嘩をはじめていた。なんだか申し訳ないなと思う反面、ちょっとだけ気分が良くなった。


 目的の駅で降車し、さっそく水族館に向かう。

 ふたりぶんのチケットを購入した俺が、恋歌の待つ入り口のほうへと近寄ると、

 

「秋人っ。行こ?」


 ぎゅっと袖をつまんで、楽しげな上目遣いを向けてくる恋歌。……可愛い。

 最近の恋歌がよく俺にやってくる二大仕草だったが、いまだに見慣れることはできなかった。彼女の綺麗な瞳に見つめられるたびに、俺は緊張してしまう。

 あと、距離が近い。衣服の擦れ合うくらいの距離感だ。恋歌の髪から香る甘い匂いに、俺はクラクラとさせられる。

 そんな恋歌に引っ張られて、館内に入る。

 静かな暗闇の中で、まず最初に目に入ったのは――巨大な、イワシの水槽だった。


「わあ……すごい、すごいよ秋人っ」


 くいくい。俺の服の袖を、さっきよりも強く引っ張ってくる恋歌。

 珍しくというか、その声はかなり興奮気味だった。


「おー、たしかにすごいなこりゃ……何匹いるんだろうな、こいつら」


 数え切れないほどのイワシが群れを成して泳ぎ回る姿は、まさに壮観。

 年甲斐もなく、ちょっと興奮してしまう。男にとって、デカいは正義なのだ。


「あっ、秋人っ! ね、見てっ! あっち、サメもいるよ?」


「お、おう。だな……」


 水槽を無邪気に指さす恋歌。

 きらきらと目を輝かせる恋歌は、なんだか、いつもよりもずっと幼く見えた。小学生のころを思い出すほどに。

 そんな恋歌の隣で、俺はしばらくその水槽を眺めていた。イワシやサメだけじゃなくて、ずいぶん色んな種類の魚が泳いでいる。水族館に来たのはひさしぶりだが、想像よりもかなり楽しい。

 それは――恋歌と一緒だから、なのだろうか?


「ね、秋人」


 くいっ。俺の服の袖を、恋歌が引っ張ってくる。

 そんな彼女へと目線を落とす。と――恋歌は、にへらっと頬を緩ませて、


「――――綺麗、だね?」


 お前のほうが綺麗だよ――なんていう漫画みたいな台詞は、さすがに言葉にしないでおいた。

 もし俺が恋歌の恋人だったとしたら、つい反射的に言ってしまっていたかもしれないが。


   ◇◇◇


 それからも。俺と恋歌は、ゆっくりと水族館を順路通りに巡っていった。

 そんな中で恋歌は、ずっと子供みたいにはしゃいでいて。


「わあ、秋人っ! 見て、でっかいカメさんっ」


 ウミガメの水槽に張り付いて、のろのろと歩くカメに夢中になったり。


「ね、秋人っ! クラゲっ、写真撮っていい?」


 綺麗なクラゲの水槽の前では、ぱしゃぱしゃと写真をたくさん撮ったり。


「あ……秋人っ。はやく次、行こ……?」


 グロテスクな見た目の魚が多かった深海魚エリアでは、ちょっと怖かったのか、ぐいぐいと俺の服の袖を引っ張ってきたり。

 と……そんな感じで、それはもう堪能している様子の恋歌だった。


「――すごかったねっ、秋人っ! イルカさんって、すごく頭がいいんだねっ」


 最後に立ち寄ったイルカショーを見終えて、出口へと向かいながら。

 恋歌は明るい笑顔で、にこにこと感想を俺に言ってくる。


「しかも、あんなに高く跳べるんだね? 私、びっくりしちゃったっ」


「だな。あと、あれもすごかったな。直立して泳ぐやつ」


「うん、すごかったっ。ふふっ、可愛かったなぁ」


 上機嫌な恋歌の隣を歩きながら、俺たちは、お互いに水族館の感想を言い合った。

 やがて出口に到着し、青空の下へと戻ってくる。

 八月末の、かなり日が伸びている時期だ。そろそろ十七時になるころだが、空の色はかなり明るかった。


「どうしよっか、秋人。……会場、もう行く?」


「そうしようぜ。屋台とかはもう出てるはずだし」


「うん、わかったっ」


 そして俺たちは、徒歩圏内にある花火大会の会場へと歩きはじめた。 

 今日という日は、まだまだ長い。その事実が、たまらなく嬉しくて。

 イルカショーが終わってしまった瞬間の寂しさを、俺はすぐに忘れることができていた。

 ――幸せだな、と改めて思う。


(やっぱり――俺は間違いなく、恋歌のことが好きだ)


 恋歌の綺麗は横顔を見るたびに、胸がぎゅっと苦しくなる。

 恋歌の可憐な声を聞くたびに、頭の中がぼんやりとしてしまう。

 恋歌の嬉しそうな笑顔を見るたびに、俺もまた、嬉しくて笑ってしまう。

 つまり、俺は。

 綾田秋人は――否定のしようもないくらい、完膚なきまでに、藤咲恋歌のことが好きなのだ。

 それも、幼なじみとして、なんていう生易しいものじゃない。

 異性として、俺は恋歌に恋をしている。――《《あのとき》》から、ずっと。


「ね、秋人。花火、楽しみだねっ」


 にへら。あどけない笑みを、恋歌は浮かべていた。

 その笑顔に、俺は見惚れる。心の底から、愛おしいと思う。

 でも――だったら、どうしてだよと思う。


(どうして……こんなに、苦しいんだよ……っ)


 好きな相手と、水族館を巡って。楽しかったねと言い合いながら、花火大会へと向かって。

 幸せな時間だった。あの恋歌とデートができてしまうなんて、昔の俺からすれば、まさに夢のような一日だと言えるだろう。

 ……そうだ。あのころの――恋歌と、すれ違う前の俺だったら。

 きっと純粋に、このデートを楽しむことができていたんじゃないかって思う。むしろ、飛び上がるように喜んでいたはずだ。

 だったら……あのときの俺と、今の俺。

 何が違うのだろう、と考える。


 恋歌の様子がおかしくなったことには、さすがに慣れてきた。今の人懐っこい恋歌の仕草に翻弄されてしまうことはある、が……そもそも恋歌は、小学生くらいのころまでは、こんな感じで俺にべったりだったのだ。だから俺は、今の恋歌のことをそれなりに受け入れることができていた。

 ならば。やはり原因は、俺のほうにあると思う。

 いったい――何が、変わってしまったのだろうか?

 好きな人が隣にいるという事実に、どうして俺は、こんなにも胸を痛めているのだろう?


「……秋人、大丈夫? 顔……なんか、怖いよ?」


「え!? あっ……わ、悪い。大丈夫だから、心配しないでくれ」


「ほ、ほんとに? もしかして……やっぱり、つまらなかったかな……?」


 不安げに、恋歌はそんなことを尋ねてくる。

 当然、退屈だったはずがない。現に俺の脳内フォルダは、さっき水族館で恋歌が見せてくれた笑顔で埋め尽くされている。彼女と交わした会話のすべてを尊いなって思ってしまうくらいには、俺はこのデートを満喫していた。

 でも、それはそれとして。

 胸の奥に生まれた、痛みに酷似したこの違和感の正体は……やっぱり、掴めそうになかった。

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